第107話 フォッサノ会戦 緒戦
時は遡って帝国歴1797年1月20日、旧ガリア王国宰相ルブラン・ポールは、同じ境遇の旧外務大臣の伝手を使ってタラント王国首都、ロマーニにてタラント王国国王に面会を許可される事になった。
それまでの道のりは容易なものではなかった。クイ会戦で敗れた後、幼いガリア王国の遺児、オラス王子を連れて落ち武者狩りや他の領主の襲撃を避けて険しい道を歩んだ。時には食料の確保のために無防備な村を襲撃する事さえした。そして人数を寒さで失いながら雪山を踏破し、ようやくイベリア地方に入って一息つけたのが12月の半ば。
その頃には付き従う人数も41人を数えるまでに減っていた。ロリアンを出立した当初は近衛兵や侍女を含めて120人はいたというのに。それでもオラス王子と、ルイ王子の正室であり、オラス王子の母が生き残っていたという事は僥倖であろう。
「長旅、ご苦労であった。タラント王国は寛大な国である。そなた達の亡命を歓迎しよう」
大広間の玉座からタラント国王がルブラン達を労わる。この場にはルブランの他、旧外務大臣、オラス王子、ルイ王子の正室もいる。旧密偵頭は別室でタラント王国の密偵頭と情報交換中だ。
「お慈悲をいただき、感謝に耐えません。しかしながら、もう一度陛下のご慈悲を賜りたく存じます」
代表してルブランが感謝の言葉を述べ、さらにタラント国王に要請がある事を伝える。
「よろしい。述べてみよ」
既に根回しは済んでいる。これからは台本通りの儀礼上の要請だ。
「ありがたき幸せ。私達はガリア王国を簒奪せんとする中島隼人の討伐に臨み、武運拙く敗れました。そして奴は今、第2ロマーニ帝国の皇帝を僭称しております。私達の望みは中島隼人を討ち、ガリア王国の正統なる統治者、オラス王子に王位についていただく事です。そのためにタラント王国のお力をぜひともお貸しいただきたいのです。我々の誠意として、オラス王子と陛下の息女との婚姻、オラス王子のタラント王国での養育、アンドラ高原の返還を申し出るつもりです」
ルブランはガリア王国をタラント王国の属国として命脈を保つ選択をしたのだ。タラント王国としては獲得できる領土は少ないが、ガリア王国を属国とする事で将来ガリア王国を併呑する事ができる。オラス王子とタラント王国王女の婚姻とオラス王子のタラント王国での養育はその布石だ。
一方でルブランにも多大な利益がある。オラス王子の養育中は宰相としてガリア王国の統治権を得られる事になる。そしてその間に国力を蓄え、タラント王国に対抗すれば良いのだ。
同床異夢ではあるが、この時点では利害が一致している。何よりタラント王国は第2ロマーニ帝国への宣戦の大義名分を得た。そうなればコンキエスタ教皇領の聖戦に精を出す貴族は減り、軍事力をある程度統制する事ができる。そして第2ロマーニ帝国を破れば国王の権威は高まり、さらに国内の統制を高める事ができる。これはソラシス教教皇派の信徒が多く、コンキエスタ教皇領の聖戦に振り回され気味なタラント王国にとっては非常に重要な事だった。
「うむ。汝らの境遇には同情すべきところがあるし、どこの馬の骨とも知れぬ輩が皇帝を僭称するなど許せんことだ。バドリオ元帥!早急に中島隼人討伐の戦備を整えよ。我々は第2ロマーニ帝国を僭称する奴らを討つ!神のご加護があらんことを」
「「「ははっ」」」
タラント国王の宣言に出席者が首を垂れる。
だがタラント国王の意志に反して、攻撃地域の選定、貴族軍の集結などに、実に5か月近い月日を必要とするのだった。
ルブランはこうして隼人の排除にタラント王国の力を借りる一方で、それだけでなくコンキエスタ教皇領の協力を得るためにコンキエスタに出発した。
タラント王国のガンは貴族の聖戦への参加だ。このせいで国内の統制が弱いのだ。一方でガリア王国やアーリア王国は同じソラシス教徒でも清教派なので聖戦への関心は薄い。ゆえに教皇には聖戦をしばらくは緩めてもらう必要があった。そしてあわよくば中島隼人を破門させてソラシス教徒の敵にしてしまうつもりだった。
だが教皇は第2ロマーニ帝国には関心が薄く、この時は異端審問官の派遣と聖戦への参加要請を引き出す事がやっとであった。むしろ聖戦の呼びかけが強化されたくらいだ。この失敗が隼人に時間という貴重なものを贈る事になるのだった。
帝国歴1797年6月、タラント国王の長い長い演説をへてタラント王国軍はアンドラ高原に進軍を開始した。当初はブリタニア地方との同時攻撃を計画していたのだが、結局聖戦に兵力が持って行かれて、2正面作戦を実施するだけの兵力が集まらず、また先のガリア王国との戦いで多くの将を失っていたため、指揮官の人材も不足していた。それ故、アンドラ高原に攻撃を絞らざるを得なかったのだ。
そして6月26日、宣戦布告の使者が隼人の下に到達する前にタラント王国軍はアンドラ高原に侵入した。ある領地では統治者と住民が蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、またある領地では館に立て籠もって領主一同が玉砕していった。そしてタラント王国軍はアンドラ高原に点在する城塞を各地で包囲しつつ北上していった。
帝国歴1797年8月1日、アストン近郊のフォッサノで第2ロマーニ帝国軍7万とタラント王国軍10万が対峙した。両軍は早速野戦陣地の構築を始める。両軍ともに小高い丘に本陣を置いて防御の態勢をとったが、彼我の距離は3キロメートルほど。この時代としては離れているとはいえ、十分ライフル砲の射程に入る。どうやらタラント王国軍はルブラン側の話を完全に信用していないようで、クイ会戦での戦訓は十全に生かされていない。
さらに言えば、タラント王国軍の野戦陣地は攻勢を意識しており、防御よりは将兵の休養地としての性格が強かった。それに対して第2ロマーニ帝国軍の野戦陣地は防御を重視しており、特に本陣は山城のような様相を呈していた。これはタラント王国軍の、第2ロマーニ帝国軍は攻勢には出ないだろうとの油断の表れであり、第2ロマーニ帝国軍は防御においてはもちろん、攻勢でも自軍を援護、収容する防御陣地を必要としていた証左である。
両軍の睨み合いは8月20日にまで及び、両軍ともに陣地を相手方に向かって広げつつ戦線を構築していった。さらにタラント王国軍はこの間に、アンドラ高原各地の城塞を攻囲している部隊から戦力を抽出して、12万の軍勢を集結せしめた。
そして明くる21日早朝、タラント王国軍は第2ロマーニ帝国軍の陣地に対して大砲、トレバシェット、カタパルトによる射撃が始まった。これに対して第2ロマーニ帝国軍砲兵隊も応射を行い、大陸史上初の砲兵対砲兵の戦いが始まった。
しかしこれも午前8時頃にはお互いに大きな成果なく終える事になる。この時点では両軍ともに実体弾しか使用しておらず、そしてこの時間にタラント王国軍の突撃が始まったからである。
「とうとう来たか」
本陣で隼人は望遠鏡でタラント王国軍を観察しながら、気楽につぶやいた。
「さすがに騎士も下馬しているようだな」
エーリカも楽し気に状況を観察する。タラント王国軍は重歩兵と下馬騎士を先頭にしてこちらの陣地に向かって歩いていた。走って突撃するのは300メートル以下の近距離に近づいてからであろう。走れば疲労するのだから当然である。だがその頃にはすでにライフル銃の射程にとっくに入っている。動きの鈍い重歩兵の未来など、知れている。
もっとも、敵もライフル銃を装備するようになったら、現在第2ロマーニ帝国軍が採用するライフル兵の密集隊形も見直しが必要になるだろう。
「さすがに馬防柵の張り巡らされた陣地に騎兵で突撃する愚は避けたわけか。重歩兵の鎧で矢弾に耐えるつもりなのだろうが……、敵ながら同情するな」
梅子もライフル銃の威力を良く知っているので、重歩兵の鎧などは役に立たない事を知っている。速度を活かして騎兵で突撃した方がマシなのかもしれないな、などと他人事のように思う。梅子が気楽にしていられるのは、隼人とエーリカがこの調子なら必ず勝てる事を梅子は知っていたからだ。
「皆さん、落ち着きがある事はいい事ですが、気を抜いて怪我などしないように頼みますね」
桜が隼人達に注意勧告をし、隼人とエーリカが苦笑しながらうなずく。とはいえ、本陣に詰めている将で気楽にしているのは3分の1程度だ。残りはライフル銃とライフル砲の威力を知らないため、激戦を予想して殺気立っている。
「ああ、最後には俺達も先頭に立つ事になるから気を付けるよ」
最後の一撃と追撃は騎兵の十八番だ。その時には多くの将に混じって隼人とエーリカも陣頭指揮をとる事を決めていた。それゆえ、桜の注意を笑顔で受け入れる。ふと、最近桜の治療を受けていないから、心配顔で治療してくれる桜の顔を見たいな、などという邪念も浮かんだが、それを桜に察知されそうになり、慌てて脳内から追い出す。
「そろそろじゃないか?」
しばらくして気楽な声でエーリカがつぶやく。彼我の第1線の距離は1キロメートルになろうとしていた。
「いや、せっかくだからもう少し引き付けよう。確実に敵を倒すぞ」
隼人はエーリカにそう告げ、緊張感を漂わせながら戦場を凝視する。隼人もエーリカも勝利は確信しているのだが、隼人はエーリカほど戦場に気楽さを持ち込む度胸は持ち合わせていなかった。
そうして彼我の距離が700メートルに達した時、隼人は鋭い声で叫んだ。
「攻撃開始!」
すぐさま合図の鐘が鳴らされる。そして少しの間をおいて断続的に大砲と銃の発砲音が響き、戦場が硝煙に包まれる。その煙が晴れた後、タラント王国軍の先頭に見えた綺麗な戦列はもはやなく、あちらこちらで戦列に穴が開いていた。もちろん敵本陣にも虎の子の曳火榴弾と曳火榴散弾が撃ち込まれ、敵本陣の混乱が見て取れる。そしてすぐさまライフル銃の発砲音が響いた。第2ロマーニ帝国軍は三段撃ちの訓練を取り入れたため、装填が多少厄介なライフル銃でも連射可能だ。大砲ほどの効果はないものの、それでも離れても分かるほどに敵が倒れている。
「うーん。あまり劇的な効果は無いな」
エーリカが不満そうに唸る。敵本陣は確かに混乱しているが、それが戦場全体に波及しない。それがエーリカには不満だった。
「タラント王国は貴族の力が強いから、本陣の指揮統制能力自体が低いのでは?」
梅子がその原因を推測する。
「そうかもしれないな。敵の攻撃前進自体、戦術面での工夫が見られないしな。政治とやらに拘束されているんだろう。しかしライフル銃の命中率が今一つだな」
不満が顔に出ているエーリカはもう1つの課題を見つける。ライフル銃の命中率が訓練時よりも明らかに低いのだ。本来なら2度目の斉射で敵の1線はほとんど消滅しているはずだからだ。
「……ちょっと引きつけ過ぎたかな。距離が近いと実戦では命中率が下がる傾向にあるからな」
「???それはどういう事だ?」
隼人の反省に、エーリカを始め、本陣の全員が奇異の目を隼人に向ける。
「ああ、人間っていうのは殺人を忌避する生き物なんだよ。当たり前と言えば当たり前なんだがな。つまり、実戦になると敵に発砲しなかったり、敵を狙わない兵が続出するんだ。殺人に罪悪感を感じてな。だが距離が遠かったり、責任が分散される砲兵隊なんかは罪悪感が薄まるんだ。だから逆に遠くから撃った方が良かったかもしれん。
それから、そういう兵を処罰してはならないぞ。おそらく、兵のほとんどを処罰する事になるし、そもそも殺人を忌避する事自体が人間という生物の特性だからな」
隼人は昔読んだ本の受け売りで解説するが、エーリカはいまいち納得していない様子だ。なぜなら彼女の中では一般社会での殺人と戦場での殺人が明確に区別されているからだ。ただし、エーリカのように区別ができる人間はそんなに数がいるものではない。
ちなみにこの隼人の発言から桜がその証明に興味を持ち、後に隼人の言葉をデータで裏付けする事になるのだった。
だがエーリカの不満をよそに、最前線で大損害を受けつつあるタラント王国軍にはゆっくりと、取り返しのつかない混乱が生じつつあった。指揮官である貴族が倒れ、軍事でも社会でもエリート層である重歩兵部隊が消滅しつつある現実に、軍全体が動揺しつつあった。タラント王国軍の士気は確実に削がれていたのである。
ここで取り上げた本は『戦場における人殺しの心理学』。文庫であるので興味があればぜひ。