第105話 軍備と外交
帝国歴1797年1月10日、すでにマリブールとブレストの間は有刺鉄線により囲まれ、新たな政庁となる新たなマリブール城の建設地周辺では、早くも広大な道路と、現在のマリブールとブレストを結ぶ鉄道の建設地が設定された。同時に各省庁の庁舎、貴族達の邸宅も建設が始まっている。
ちなみに鉄道は今のところ鉄道馬車を予定しているが、鉄道が完成する頃には蒸気機関車を完成させている予定である。さすがに街の端から端まで1日近くかかる距離では鉄道が欲しい。
欲を言えば、マリブール、ロリアン間、マリブール、セダン間などの都市間鉄道にも手を出したいが、街の外の盗賊団は未だ根絶に至っていないし、そもそも鉄の値段が高すぎてレール泥棒が発生する事間違いなしなので見送っている。ついでに言えばマリブール、ロリアン間は湿地帯で、かなりの難工事が予想される。
さらに付け加えると、今回の鉄道のレール幅は1500ミリを予定している。標準軌が1435ミリ、ロシアンゲージが1520ミリ、日本の在来線が1067ミリなので、それなりに大きな軌道となる。セオドアとアントニオからコスト面での不利を指摘されたが、将来マリブールが大陸の首都となり、各都市を鉄道で結ぶとなると、車両を大きくできる、大きなレール幅が良いと隼人が主張を押し切った。
ただし、後に私鉄が参入し、軍用にも野戦軽便鉄道が要求されるようになると、1500ミリゲージに後で対応できるようにするという条件付きで、1200ミリ、1100ミリ、1000ミリ、750ミリと、様々な狭い軌道のレールと鉄道車両の製造を余儀なくされる時代が一時期生じる事になる。
この日の会議ではそんな都市計画の承認に加えて、外交方針の話し合いが持たれた。今回の会議からは、カーディフの防衛が一息ついた、外務大臣に任じられたフェルトン公爵も参加している。
「まずは梅子、わが国の現状と他国の動向の報告を頼む」
情報関連業務の元締めであるため多忙な梅子だが、熊三郎が敷島から連れてきた人間の中でけっこうな数がこの方面の処理能力が高い人間だったため、あまり無理をせずに済んでいる。マリブールの教育機関でそれなりに事務ができる人間が増えてきている事実も、求められている人材の質が高い情報関連機関の需要を何とか満たしている。
「ではまず国内の現状ですが、いまだにルブラン派貴族との戦闘が各地で継続中です。一部は恭順を誓っていますが、大多数は後がないと見て徹底抗戦や、我々に一撃を加えてから講和する道を探っているようです。どちらにしろ、すでに滅ぼす事は決定事項であり、時間の問題でしょう。ただし、軍からは3カ月かかるとの報告が皆さまの下に届いているでしょうが、この3カ月、どうにかして他国の介入を防ぐ必要があります。
それから国外の情勢ですが、特にタラント王国の動きが不穏です。軍需品の集積が始まっていますし、先の戦争での傷も癒えつつあるようです。他の国は警戒こそすれ、我々と事を構える余裕はない様子です。ですが、反第2ロマーニ帝国連合を組まれる可能性が捨てきれない事に留意していただきたい」
「ありがとう、梅子。フェルトン公爵、外務大臣としてこの状況をどう見るか教えてくれ」
「まず、反第2ロマーニ帝国連合ですが、現状で成立する可能性は低いですな。これは梅子様も言い方が違うだけで同意見でしょう。何せどこの国も隣国とは反目しあってますからな。この状態を打破するには相当な政治的努力が必要でしょう。故に注意すべきは国力のあるアーリア王国とタラント王国でしょう。特にタラント王国とは先の戦争で確執がありますし、もっとも警戒すべきでしょう。アーリア王国は政治的に身動きできない体制が続いていますから、交易協定や不可侵条約を結ぶことは不可能ではないでしょう。
それから、コンキエスタ教皇領の聖戦に巻き込まれないように貴族の引き締めも必要になります。ノルトラント帝国とは、我々が第2ロマーニ帝国と名乗った以上、交渉は不可能ですな。かの国はロマーニ帝国の末裔を自称していますからな。それでもタイハン国との関係で攻めてくる事はないでしょう。そのタイハン国はいまだに後継者争いで内紛中ですので、警戒する必要はありませんが、手を結ぶこともできません。バクー王国とも伝手がなく、仮に手を結んでもソラシス教教皇派の怒りを買うので、国内が不安定化します。こんなところですな」
梅子とフェルトン公爵の話を総合すると、我々が他国と手を組むことは難しいが、他国も条件はほぼ同じ、といったところか。
「ふむ、1番敵となりそうな国はタラント王国という事か。ではフェルトン公爵、アーリア王国との不可侵条約、又は交易協定の締結に動いてくれ。敵は少ない方がいいからな」
「御意」
「次は軍備について報告してくれ。熊三郎、頼む」
「現在の中島家の直轄陸上兵力はケルンの8000を抜いてもマリブールとナルヴェクで合計1万ある。このうち6000が敵対貴族の討伐に従軍しており、さらに2000が訓練中じゃ。今動ける直轄陸上兵力は2000になる。動員しようとすればあと4000は動員可能じゃ。この他に傘下に入った旧ガリア王国近衛騎士団が合計で1万2000いるが、これらは全て討伐に従軍中。ガリア王国の最大動員兵力は15万だったが、現在は内戦中のため正確な数字は分からぬが、内戦が終わった時点で兵力は8万程度になると予測している」
「ふむ、そうか……、随分と減るな。エーリカ、近衛騎士団を中島家式の軍制に転換させるのにどれくらいかかる?」
「そうだな……、討伐が終われば2カ月ほどでどうにかしよう。アントニオ、武器は足りるか?」
「ええと、何とか在庫はあります。ただし、一部は旧式のマスケット銃装備になってしまいますが」
「そうか、では追加の動員や近衛騎士団の補充は厳しいな。増産の目途はあるのか?」
「厳しいですね……。職人の数が制限されていますから。現在開発中の工作機械が完成すれば増産は可能ですが、開発と配備、教育に後2年欲しい所です」
「仕方ないか……。そうだ隼人、ちょうど2万強の直轄兵力があるんだ。以前話し合った師団制を試してみないか?ちょうど2個師団作れる。今後直轄兵力を増やすなら今のうちに経験を積んでいた方がいいだろう」
「そうだな。そうしよう。頼めるか?」
「ああ、ちょうど暇してるからな」
ここで隼人に師団制の説明を求める視線が向く。
「……っと、すまん。師団とは1万人前後の兵力で構成される戦略単位だ。複数の兵科で構成される諸兵科連合部隊で、独立した作戦能力を持つ。自己完結力が高いから、国外への遠征でも威力を発揮するはずだ。いずれは国軍の全てを師団制に改めたいと考えていたところだ。これは土地と軍事力の分離も意味するから、貴族制度の改革と同時にしなければならないがな」
隼人のこれだけの説明ではあまり要領を得ないが、エーリカと熊三郎とは相談している様子だったので、特に反対の声はでない。貴族制度の改革を含んでいる事が不安材料だが、それだけに慎重に進めてくれるだろうという推測と、テストケースだからまだ改廃の余地はあるとして黙認された格好だ。
「外交軍備も重要だけど、司法制度の拡充も急務よ」
セレーヌが法務大臣の立場から発言する。今は隼人とセレーヌが領地争いを仲裁しているが、その量は膨大なものだ。早く専門の司法機関を設置する必要があった。
「そうだな……。下級官吏は揃えられるのだが、上に据えるべき、公平で実力があり、人望がある人間に心当たりがないんだ」
下級官吏はマリブールで教育した者達がおり、中、上級官吏は熊三郎が敷島から引き抜いて来た。しかし敷島から引き抜いて来た者達はガリア王国では無名なため人望がなく、マリブールで教育した者達も実力不足だ。隼人が社交の場で身内を固める事に注力したため、実力のある人材とのパイプがない事がここにきて足を引っ張っている。
「……1人、心当たりがあります」
フェルトン公爵がここで助け船を出す。
「おお、誰か?」
「ヴェルダン領主、ペタン公爵」
「……あの日和見主義者が?」
隼人にとっては内戦時に中立の立場をとったペタン公爵がいまいち信用できないのだ。
「おそらくはどちらの立場も正統性が欠けるとして、あえて中立の立場をとったのでしょう。ヴェルダンを任せられていたという事はそれだけの実力があったという事です。貴族の間の人望も、それなりにあります。目立たない派閥でしたがね。だからこそ、公平さを大事にする人物です」
今度はローネイン伯爵が賛同し、ペタン公爵を擁護する。
「……そこまで言うのなら召喚してみよう。手紙を書く。早馬を準備してくれ」
後にマリブールに登城したペタン公爵は厳格な人物で、第2ロマーニ帝国の建国過程に文句をつけたものの、将来準備する、皇帝の権力を制限する憲法の発想に強い意欲を示した。そうであると同時に、最高裁判所長官の席を勧められると、それを心良く引き受けた上で、各種法律の制定にもセレーヌとともに辣腕を振るう事になる(なお、この時代にはまだ三権分立の発想はない)。
帝国歴1797年3月27日、隼人とエーリカ、熊三郎はアントニオの先導でマリブール市街のはずれにある倉庫に案内されていた。この月の頭に抵抗していた勢力は根絶され、今は中島家の兵力と近衛騎士団の、近衛第1、第2師団への改編、再訓練が行われている。
「……さすがに臭いな」
「糞尿を使っていますからね」
エーリカの苦情にアントニオが笑って受け流す。
「それで、硝酸はとれたのか?」
「もちろんです。これで火薬の供給量が一気に増えますよ」
この倉庫は硝石丘法を実施するための倉庫だ。先日、アントニオから硝酸の生産に成功したとの報告を受けて視察に訪れたのだ。これでケルンに続き、マリブールでも火薬が安定供給される事になる。
「また、時代が変わるのじゃな……」
「ああ、そうだ。時代を変えて、大陸に平和をもたらすのだ!」
熊三郎の嘆息するような言葉に、隼人は力強く新時代の到来を宣言する。
(わしももう64歳か……。ひ孫の顔も見れたし、孫婿は頼もしい。そろそろ若い者達に自由にさせるべきなのかもしれぬな)
熊三郎は目の前の3人が作り出す未来に思いをはせる。まだまだ重鎮として自分の役割は必要であろうが、いつかはその荷を下ろし、後進の行く末を見届けるべきなのだろう。心配をすればきりがないが、きっと孫達に任せれば大丈夫だ。老害になる前に引退の機会を探すべきなのかもしれない。いつか隼人に聞いた言葉、『老兵は死なず。ただ消え去るのみ』。自分も終着点を見据えるべき時が来たのだ。熊三郎は時代の変わり目を誰よりも意識するのであった。
そんなところへ伝令が飛び込んでくる。どうやらコンキエスタ教皇領の枢機卿が隼人に面会を求めているらしい。隼人達は急いでマリブール城に向かった。
枢機卿との面会はマリブール城の応接室で行われた。本来ならば大広間を使って他国の使者を迎えるべきなのだが、マリブール城は王城ではないためそのような設備がないのだ。
「今回は陛下自ら面会くださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、このような部屋で恐縮ですが、ごゆるりとおくつろぎください。我々も教皇庁とは友好関係を築きたいものです」
「おお、その言葉が聞けただけで嬉しいですぞ」
お互いににこやかに対応するが、両者ともに笑顔の下には計算高い顔が見え隠れしている。一方はどんな要求が来るのか、そしてどう断ろうかと。もう一方は相手がどれだけ信仰心があるのかと。
「このような場です。堅苦しい挨拶は無しにしましょう。我々は敬意と友好をもって教皇庁と接点を持つつもりです。教皇庁はどのようなお考えをお持ちですかな?」
枢機卿は隼人の実務的な外交に戸惑うが、相手が望んでいるのならばと要件を伝える。
「……まず、貴国の国内に異端審問官を派遣する許可をいただきたく参りました」
異端審問官の入国許可要請は、教皇庁の相手国への最大限の不審の表明である。これを受け入れなければ教皇庁と事実上敵対関係になるのだが、アントニオとエレナという異端者を重用している隼人にとっては受け入れられない話であった。特にエレナの生物学研究は完全に異端に引っかかる。
「……せっかくのお申し出でありますが、わが国にもわが家族にもソラシス教の教えを信じていない者達が多数おります。彼らを守るためには異端審問官を受け入れる事はできません」
「そうですか……、残念です。それではバクー王国への聖戦に陛下自ら参戦していただきたい。陛下の勇名は教皇猊下にも伝わっております故」
枢機卿は異端審問官の拒否をそれほど残念には思わなかった、というよりも想定していたようだった。本命はこちらのようだ。だがこれも首を縦には振れない。今は内戦で兵力が不足しており、他国の手伝いをできる状態になかった。
「残念ながら、それも難しい状況です。まだわが国は内戦の傷が癒えておらず、聖戦に参陣するだけの兵力を用意できないのです」
「そうですか。それはとても、とても残念です。陛下の答えは猊下の御心をひどく煩わせる事になるでしょう。残念な事です。それでは私はこれで」
枢機卿は怒りを押し殺しながら退室する。コンキエスタ教皇領との決裂の瞬間だった。
扉が閉じてしばらくして熊三郎が口を開く。
「あの枢機卿、隼人殿の事を皇帝陛下と呼びませんでしたな。第2ロマーニ帝国という言葉も使っておりませなんだ」
「そう言えばそうだな」
「教皇庁は第2ロマーニ帝国を認めていないという事じゃな」
「そうなるか……」
「なんにせよ、これで教皇庁とは決裂してしまいましたな。外交では孤立がさらに進んでしまいますぞ」
「仕方ないさ。飲めない要求ばかりだったからな。今は軍備をそろえてこれからに備えるしかないさ」
この教皇庁との決裂は後の大乱の最後の引き金となるのだった。