第102話 クイ会戦
帝国歴1796年11月18日午前、ルイ王子、ルブラン宰相らクーデター軍は中島家軍のやや北西の、標高72メートルの丘に本陣を置いた。中島家本陣とは2500メートルの距離がある。この丘は、中島家がクーデター軍が本陣を置くと予想した複数の地点で最も北西に位置していたことから、AA72と番号を割り振られ、他の緊要地形とともに入念に測量を行った場所である。そして中島家の軽砲はライフル砲であり、最大射程は3000に達する。
つまり、クーデター軍は中島家の砲兵がいつでも射撃できる場所に本陣を置いてしまったのだ。
そして今、中島家の歩兵隊から800メートルほどの位置に砲兵陣地を構築している。これに対して中島家のライフル銃は射程が1000メートル以上である。こちらも中島家にとっては調度いい距離である。
しかしこれは決して彼らが無能だった事を示すものではない。従来の滑腔砲の射程は1000メートル前後であり、マスケット銃に至ってはまともに狙える距離は100メートルくらいだ。故にここまで接近して布陣した事はこの時代では普通の事なのだ。彼らの落ち度は中島家の装備を十分に評価できなかった事にある。逆に言えば、武器の性能を今まで隠し通した梅子の手柄である。
「敵は4万5千程度か……、事前の予想よりはかなり少ないな」
「各地での混乱に敵も焦っているという事だろう。特にカーディフのフェルトン公爵の離反が響いているな」
隼人の敵情視察に梅子が推測情報を付け足す。
「とはいえ、敵さんが焦ったせいでこちらも3万2千しか兵力が集まっていない。時間をかければもう少し集められるが、それは敵さんも同じだろう。兵力の劣勢は事前の予測通りだな」
エーリカが味方の劣勢を何でもないように、むしろ自信ありげに言う。
この中島家本陣ではローネイン伯爵などの援軍の将も詰めている。彼らもエーリカほどではないが、勝負に自信は持っていた。中島家の武装については知らないが、この10日ほどで中島家側の陣地は土塁と堀による胸壁と、騎兵突撃を防ぐ馬防柵で強化されていたからだ。彼らは一様に、敵の攻撃を受け止めてから反撃に転じるものと確信していた。しかし彼らの予測を覆す言葉が隼人から発せられる。
「この程度なら、敵の準備を悠長に待つ必要はないな。すぐに攻撃するべきだと思うが、エーリカ、どう思う?」
「俺も同意見だ。騎兵は俺が率い、歩兵は熊三郎が統括する。隼人は全般指揮を頼むぞ」
「突撃時期は任せるよ。他の騎士団との調整はこっちでやっておくよ」
本陣に詰めている諸将を無視して2人だけで戦争の話で盛り上がっている隼人とエーリカに、さすがに事情を知らない者達が困惑する。
「これこれ、2人とも。今回の戦いはわしらだけでやっているわけではないぞ。参陣してくれた諸将に説明が必要じゃぞ」
熊三郎の指摘に隼人は頭を掻きながら諸将に謝る。
「あー、諸君、すまない。戦争はもっぱらエーリカと2人でやっていたものだからついいつもの癖が出てしまった。作戦計画は事前にいくつか用意していたのだが、敵の兵力が少なく、布陣も脅威ではないので攻勢に出ようと考えている」
これにローネイン伯爵がさらなる説明を求める。
「敵の兵力が存外に少ない事は同意しますが、しかしそれでも敵方は1万以上は多い。さらに我が方はこの丘を中心に半円状に布陣しておりますが、敵は我が方を囲むように布陣しています。単純に攻勢に出ればかなりの損害を被ると予想できますが?」
「そうだ。一見して敵方は現状優位だ。だからこそ攻勢に出る事で奇襲が期待できる。それに、敵の士気は高くない。特に旧貴族傘下の新貴族の一部は交戦拒否や情報を手土産にこちらに通じている」
隼人が梅子にうなずくと、梅子はすぐにその寝返った新貴族との書状の一部を机に広げる。その数に一部の将が驚くが、ローネイン伯爵は冷静に続ける。
「しかしそれも空手形にならない保証はありますまい。何か、他に策がおありでは?」
その言葉に隼人はニヤリとする。
「ああ、その通りだ。我々の砲兵は今すぐにでも敵の本陣を叩く事ができる。砲弾も新型を使用するので敵の指揮系統に大きな損害が出るはずだ。その混乱の中を中央突破し、敵の本陣を完全に蹴散らす」
隼人は作戦の青写真を公開する。だがその説明に諸将は半信半疑の表情を浮かべる。確かに中島家はガリア王国でも屈指の技術力を誇るが、大砲自体が新しい兵器だ。どの程度の威力を持っているのか、実感できない者の方が多いのだ。だが最高指揮官の意志が固まっている以上、不満を言っても始まらない。今更寝返る事などできないのだから。
「そのお言葉、信用してもよろしいのですか、王配殿下?」
ローネイン伯爵が代表して自信のほどを問う。
「ああ、もちろんだ。ただ、王配というのはまだ気が早いから止めてくれ。まずはこの1戦に勝ってからだ。突撃の合図は鐘で知らせる。昼までには決着をつけるぞ。それではみな、配置についてくれ」
隼人の言葉に不承不承自らの率いる軍に戻っていく諸将。この戦いは中島家の力を見せるパフォーマンスでもあるが、少々前のめりに過ぎたかもしれない。熊三郎にその辺りの説教を受け、反省する隼人であった。
午前10時、中島家の砲兵陣地から大砲が一斉に火を吹いた。すると、鮮やかなオレンジ色の火線がクーデター軍の本陣にスルスルと伸びていく。そしてそれが目標に達した時、本陣のあちらこちらの頭上で爆炎が起こった。大陸初の曳火榴弾による射撃である。
曳火榴弾とは、黒色火薬などを時限信管に用いた炸裂弾である。この砲弾は敵の戦列の頭上で炸裂し、破片を広範囲にまき散らす。塹壕に籠った敵には効果が薄いため、塹壕の発達とともに姿を消したが、かつては砲弾の後ろから燃える時限信管が目標の頭上で炸裂するように各国の砲兵が競ったものだった。
そして今回の射撃には曳火榴散弾も含まれている。こちらは榴弾の炸薬(砲弾を破裂させ、破片を形成させるための爆薬)の代わりに小さな散弾を詰めたものだ。これは大砲の射程の延伸とともに射程不足となった榴散弾の発展型だ。だがこれも塹壕には曳火榴弾以上に弱いため、再び大砲の近接戦闘が見直されるまで榴散弾の歴史とともに眠る事になる砲弾だ。
これに対してクーデター軍はなすすべがなかった。一撃で本陣に詰めていた指揮官たちが死傷したからである。ルブラン・ポール宰相はこの砲撃で意識と左足を失い、その子ピエールは砲弾の破片を至近距離で受け、ただの肉片に変わってしまった。ルイ王子も右腕を失い、意識こそ保っていたが、指揮をとれる状態ではなくなってしまった。
その後も死は貴族、平民、騎士、伝令兵を差別なく襲い掛かり、本陣は一瞬にして壊滅状態に陥った。
しかしその時間は長くは続かなかった。その代わり、次に聞こえてきたのは蹄の音であった。
隼人が自信満々でこの会戦の勝敗を預けた新型砲弾。だがそれは決して数の多いものではなかった。製造が難しかったので、砲1門あたり曳火榴弾は8発、曳火榴散弾は2、3発であった。このため3、4分もすれば通常の実体弾(ただの鉄の塊)しか残らない。
しかしそれで充分であった。エーリカは第1撃の成功を見ると、直ちに突撃したからだ。これを見て隼人も全軍突撃の合図の鐘を鳴らす。それを聞いて呆然としていた貴族達が、熊三郎の指揮下、敵砲兵陣地を射撃して大戦果を挙げていた中島家歩兵隊が突撃を開始する。中島家の砲弾は敵の本陣以外にも、所々の戦列にも炸裂していたので、敵の隊列にはいたるところで穴が開き、混乱している。そこを中島家側の軍勢に攻めたてられるとひとたまりもなかった。
後に砲兵の代名詞ともなるクイ会戦は開戦から30分もたたずに決着を見たのだった。中島家側の戦死者148名、負傷563名。クーデター軍の戦死者は6300余名、負傷・捕虜2万7千余名。辛うじて逃げ延びた者も、その多くが二度とクーデター軍に戻らず、クーデター軍は雲散霧消してしまったのだ。
ルブラン宰相はロリアンへと敗走する荷車の中で意識を取り戻した。
「……負けた、か」
そう言ってルブラン宰相は起き上がろうとする。
「お待ちを!閣下は左足を失っております。寝たままで」
そう言われて初めて左足の感覚がない事に気づく。
「そうか……。それで、ルイ王子は?ピエールはどうした?」
「……どちらも行方知れずでございます」
その言葉にルブラン宰相はしばし瞠目する。周囲はそれを両者に対する追悼と思ったが、ルブラン宰相はすでに後の事を考えていた。
「……ロリアンに着いたらルイ王子夫人にルイ王子の戦死を伝え、遺児のオラス王子とともにブリタニア中部、南部を通ってイベリア地方に落ちる。タラント王国で再起する。この場合の手はずも外務大臣が整えている」
「ロリアンで籠城なさらないので?」
「ガリア王国での戦いは、惜しいが終わったのだ。次はタラント王国での戦いとなる……」
そう言ってルブラン宰相は再び意識を落とした。
11月22日、ルブラン宰相は僅かな敗残兵とともにロリアンに帰還した。そしてルイ王子夫人を説得すると、すぐにタラント王国への亡命の道についた。
ルイ王子がようやくロリアンに戻ってきたのは24日の夕方の事だった。彼は混乱の最中、軍をまとめて反撃に出ようとしたが、エーリカに打ち破られ、さらなる手傷を負ってしまったのだ。
その後も執拗な追撃を振り切れず、交戦しながら、一部の兵を見捨てて城門を閉じる形でようやくロリアンに籠城できたのだ。
そうして追撃から逃げ切れた安堵もつかの間、彼はロリアンがもぬけの殻である事に驚き、憤激した。そして後世、彼が悪名を轟かす命令を出した。
「ロリアンの市街を全て焼き払え!全ての武器と物資を城に集めるのだ!そして弓の射界を確保する!中島隼人にはロリアンは渡さん!」
後に『ロリアン焦土命令』と伝わる命令が発せられた後、ロリアンは混沌に叩き込まれた。ただでさえ、クーデター時に街が破壊されたのだ。その上、全ての物資を差し出し、家を焼け、などという命令に従えるはずもなかったし、反抗するのも当然であった。
街のあちこちで、ロリアンから略奪しようとするクーデター軍と、それに反抗するロリアン市民とロリアン警備隊、衛兵の一部が衝突した。クーデター軍に対する反乱は野火のように広がり、ついには群衆が城に殺到し、市街の城門は開かれ、中島軍に救援が求められた。
中島軍も激しい追撃で疲労の極みにあったが、無下に断るわけにもいかず、すぐに動ける軍を率いてロリアンに向かった。
11月25日の朝、ようやくロリアンにたどり着いた隼人達が見たのは、全てが瓦礫と化し、今なお燃え盛る市街と、そしてクーデター軍と市民のおびただしい死体の山と、ルイ王子の首であった。
こうしてクーデターはガリア王国に大きな傷跡を残して終息に向かうのだった。
クイ会戦では砲兵が活躍していますが、とどめを刺したのは騎兵隊です。この戦いでは砲兵と騎兵により敵の指揮中枢を破壊するという、新しい戦法を用いています。
追伸 申し訳ございませんが、7月中は筆者多忙のため、勝手ながら更新が8月まで滞る可能性があります。執筆時間がとれれば投稿しますが、基本的に第103話は8月と思ってお待ちいただけると幸いです。




