第101話 前哨戦 モラン伯爵領攻略
帝国歴1796年11月3日昼、中島家モラン伯爵領攻撃隊第1陣5000は、モラン伯爵領首都モンソーからほど近くに布陣した。強行軍であったとはいえ、モラン伯爵に対応の隙を与えない素早い行軍だった。
事実、モラン伯爵はロリアンから早馬でクーデターを知ったばかりで、つい先日、マリブールに向かう早馬を妨害しようと、予想経路上に小規模な守備隊を派遣したばかりである。
それに対して中島家は、軽砲であるとはいえ、攻城兵器である大砲まで用意している。これは中島家がいち早く陸軍砲兵隊を軽砲主体とし、馬で曳けるように改良していたからである。それに対して砲兵を保有できる経済力のある軍は重砲を主体としており、それも分解しての人力、又は馬に駄載して運搬していた。
重砲は確かに威力、射程に優れるが、反面機動力、特に戦術機動力は無いに等しい。つまり、戦場に運び込むのに時間がかかり、一度陣地に進出すると戦闘の間、動く事はほぼ不可能なのだ。
これに対して軽砲は威力、射程で劣るとはいえ、分解せずとも馬で曳く事ができ、その戦略機動力も、地面の状態次第では歩兵に追従する事すら可能だ。そして軽量なために短距離であれば人力移動も可能で、戦闘中の陣地変換もある程度可能な戦術機動力を持っている。
さらにモラン伯爵にとって不幸な事は、中島家は現段階で唯一の前装式ライフル砲の保有貴族である事だ。この時期一般的な大砲は前装式滑腔砲(砲身にライフルが刻まれていない)であり、その威力、射程はライフル砲に比べて大きく劣る。つまりは中島家はこの大陸で頭一つ抜きん出た砲兵先進国であったのだ。これはもちろん小銃の方にも同じ事が言える。
とはいえ中島家側も強行軍で疲弊していたし、食料もあまり携行していなかったので、この日は休養と物資の現地徴発にあてる。ただ、現地徴発といっても略奪や軍税の付与では民衆を敵にしかねないので、金銭での購入を厳命している。これは税の重いモラン伯爵領の領民に対する宣撫工作を兼ねている。
この間、モラン伯爵は必死に戦力をかき集め、その数は3500を数えた。それとともにルブラン宰相宛てに救援要請の早馬も出している。
そして翌4日朝、中島家はモンソーを北東から半包囲する形で布陣し、砲兵隊が戦端の火ぶたを切った。
これにモラン伯爵は驚いた。なぜなら要害に籠る敵を撃破するには3倍の兵力が必要である事が常識であったからである。
だがその常識は、モンソーの、高いが薄い城壁とともに音を立てて崩れた。城壁はいくつもの場所で瓦礫と変わり、その光景はモンソーにいる誰をも驚愕させた。
最初に驚愕から醒めたのは、軍を任されている騎士であった。
「伯爵!これでは守り切れません!我が軍は徴集した民兵が主体であり、城壁がなければとても……」
「ならどうしろと言うのだ!」
いまだ気が動転しているモラン伯爵が怒鳴り返す。
「……ここは惜しいですが、恥を承知でロリアンに向かい、援軍を請うしか」
「援軍ならすでに求めておる!」
「違います!遺憾ではありますが、モンソーを一時捨てて、ロリアンに逃れるのです!」
「……!?貴様、それでも騎士か!」
「騎士だからこそ、あえて申し上げにくい事を申しております!」
「貴様っ!」
モラン伯爵が騎士につかみかかったところで状況が変わった。中島家の歩兵と騎兵が喊声を上げて突撃を開始したのである。
「エーリカ、くれぐれもモラン伯爵は殺すなよ。今回の戦いの戦略目的はモラン伯爵をロリアンに追い出す事だ。死なれたら困るからな」
「ああ、分かっているよ、隼人。この戦いは小手調べにすぎないからな」
「そうだ。あと、大丈夫だとは思うが、エーリカも気をつけてな」
「ありがとう」
エーリカは隼人と短い抱擁を交わすと、馬上の人となり、モンソーへの突撃の先陣を切った。
モラン伯爵軍は中島家の突撃が始まる前から士気を喪失していた。頼みとしていた城壁が目の前で打ち崩されたのだから、民兵主体の軍では当然である。そもそも、徴集された民兵は重税に苦しむ市民なのだから、元からの士気が低かった。そのため中島家の突撃が始まると多くは進んで武器を投げ捨てて降伏し、崩れた城壁の間に取り残され、城壁から降りる手段を失った兵は救助まで求める始末だった。
それでも士気の高い騎士を中心とする部隊は城に籠って徹底抗戦の構えを見せる。だが隼人もエーリカも真面目に彼らの戦いに付き合う気はなかった。砲兵を城門の裏側まで移動させると、城の壁を砲弾で打ち崩してしまったのだ。そこから歩兵隊が城内になだれ込む。
完全に不意を打たれたモラン伯爵軍残余は混乱し、統制がとれなくなってしまった。彼らにできた事は、いまだ衝撃から立ち直れないでいるモラン伯爵を何とかロリアンに逃れさせる事だけだった。
モンソーを落としてから2日、少数の守備隊と補給部隊をモンソーに残置した中島伯爵軍は、主戦場に選定したクイ村を占領した。
クイ村周辺は、いくつか小高い丘があるほかは田園地帯や平野が広がる、大軍同士の戦いに十分な地籍を持った土地であった。さらに北東に半日ほどの距離になだらかな海岸線があり、兵力の海上輸送も容易だ。ただし、この海岸は敵側に近すぎ、港湾設備もないので策源地には使えない。純粋な兵力揚陸地点だ。
中島家はクイ村を占領すると、クイ村の少し西側にある丘に陣取った。早速スコップで砲兵陣地が準備され、歩兵用の胸壁が造成される。新しく軍に編制されたばかりの通信隊もモンソーとマリブールに電信網を接続する作業に入る。隼人はこの地で各地の貴族、騎士団、代官の味方を待ち、あるいは指示を飛ばす。
マリブールの東隣と北隣のセダンとロストフの王家直轄領の代官、エモン子爵とブルザ男爵はすぐに中島家側につくとの連絡があった。そのため隼人がマリブールを出立する前に、セダン騎士団団長ベルニエ男爵の指揮下、南のヴェルダンの牽制を依頼している。モンソーを後方から脅かされたり、セダン方面に戦線を構えたくなかったからだ。
また、電信網のおかげで短期間でスカンジナビア地方とは連絡がとれ、ルーレオー領主ローネイン伯爵をはじめとする全ての貴族領と、スカンジナビア地方南部のベルゲンを拠点とする王家直轄領とその騎士団、そして王国海軍が味方に付いた。彼らの軍はすでに海軍の護衛の下、クイ村に向かって海上輸送されている。
その後も次々と貴族達の去就が明らかになる。
まずはヴェルダンの領主。彼は公爵で、旧貴族ではあるが、ルブラン宰相とは旧貴族派閥の中で対立関係にあった。そのため10月事件では屋敷が攻められている。そんな彼から密書が隼人の下に届けられた。内容は、『ケルン方面とセダン方面の圧力に対処するため、周辺諸侯に呼びかけて対抗する』というものだ。要するに日和見を決め込んだのである。間違いなくルブラン宰相にも同じ内容の密書が送られているだろう。
この他のガリア、ブリタニア地方は旧貴族派閥の岩盤支持層と見られていたが、実際の動きは複雑怪奇であった。
事前にクーデターを知らされていた旧貴族がいち早くルブラン宰相を支持する事を宣言すると、仲の悪い隣の旧貴族領に攻め込んだ。そして攻め込まれた旧貴族はこれに対抗して中島家を支持して友軍を募る。
このような事態はガリア地方、ブリタニア地方の各地で発生して、ルイ王子とルブラン宰相が兵力を集結させることは難しくなっていた。これはルブラン宰相が計画の漏洩を恐れ、近しい者にしかクーデター計画を事前に連絡しなかった事による混乱である。
この混乱でのクーデター側の一番の痛手は、ブリタニア地方を統括する立場にあったカーディフ領主、フェルトン公爵を敵にしてしまった事だろう。
フェルトン公爵は旧貴族でも新貴族に近い開明派であったが、それ以上にスカンジナビア海の安全の確保による、マリブールなどとの交易で利害関係が新貴族に傾いていた。そこへ王国海軍が港湾閉鎖の構えを見せ、旧貴族守旧派からの攻撃を受けたのでは、中島家側につかざるを得なかったのである。
これによりブリタニア地方は中島家側がやや有利な状況が生まれ、ルブラン宰相らはブリタニア地方から援軍を持ってくることができなくなってしまった。
そこへきての中島家によるモンソー攻略である。ルブラン宰相らが怒るのも無理はなかった。
「モンソーを落とされ、しかも逃げ帰ってきただと!?」
ルイ王子がモラン伯爵を罵り、モラン伯爵はそれに頭を下げて救援を請う。それに対してルブラン宰相はモラン伯爵を睨みつけこそすれ、ルイ王子が激昂しているので逆に冷静に状況を俯瞰する事ができた。
ルブラン宰相は当初、外交圧力で解決するつもりだった。しかし早々に中島家は武力に訴えてきた。そしてこの王国内の混乱の最中、大規模な討伐軍を早急に集める事は難しい。
では混乱が収まるまで待つか?いや、それではモラン伯爵を見捨てたと喧伝され、敵はさらに増えるだろう。もはや中島家との武力による短期決戦しかない。幸いな事に、中島家も時間を焦ったか、少数の兵力しか出してきていない。おそらく決戦までに強化されるだろうが、それでも今動ける全軍を出せば兵力は優勢になるはずだ。
「……殿下、口惜しいですが、致し方ありません。すぐに討伐軍を立ち上げ、モンソーに向かいましょう。今こやつを見捨てるのは悪手です」
ルブラン宰相はモラン伯爵に辛辣な言い方をしながらルイ王子に進言する。この性格がルブラン宰相が信頼できる味方を増やせなかった事、すなわち今日の混乱を生んでいるのだが、その自覚は無い。
「くそっ!モラン伯爵、お前には先陣を切ってもらうからな!今日の所は下がれ」
「はは!ありがとうございます」
ルイ王子は怒りに任せてモラン伯爵を退席させる。
「それでルブラン宰相、早急に兵力を集めて中島伯爵と決戦するんだな?俺は分かり易くていいと思うが」
「はい、ロリアン周辺の貴族に声をかけてモンソーを奪還しましょう。全てはそれからです。私も、殿下にも出陣していただきます」
「ふむ、当然だな。中島家は完全に反徒になったのだから、躊躇なく叩き潰せるな」
ルイ王子は豪胆な事を言ってのける。とはいえルイ王子もルブラン宰相もこれが初陣となる。ルイ王子は冷や飯食いだったし、ルブラン宰相も戦は部下に任せていた。だが今回は2人の旗頭が必要だった。2人の出陣がなければ混乱している貴族をまとめる事は出来ないだろう。
そして帝国歴1796年11月10日、4万4千6百余名の中島家討伐隊がロリアンを出陣する。だがルイ王子もルブラン宰相も気づいていない。すでに戦略的主導権を隼人に握られているという事実を。