第100話 隼人、立つ
帝国歴1796年10月24日昼前、マリブール。隼人達幹部は緊迫した面持ちで会議室に詰めていた。つい先ほどロリアンから電信が入ったからである。
『本日24日早朝、ロリアンにて第2王子ルイとルブラン宰相がクーデターを決行。アンリ王、第1王子ヨアン他多数の要人が殺害された模様。現在ロリアン市内で戦闘中』
クーデター自体は事前に誰もが心の中に警戒していた出来事である。だが、だからこそアンリ王は対策を打っているものと思っていた。しかしルイ王子がクーデターに参加したことでその対策は不十分なものとなってしまったようだ。
ちなみにこの電文は朝早くに送信されたものであるが、マリブールとナルヴェクの通信所以外は電池式で到達距離が短く、途中の村々の通信所で電文の中継を行ったため、昼前まで時間がかかったのである。それでも伝書鳩よりも早く、確実に通信を届けたのだから大したものである。
蛇足を付け加えるならば、この日各領地に飛んだロリアンからの伝書鳩のかなりがクーデター側に撃ち落されている。電信網が無事だった理由は、この時はまだ電信網の用途がほとんどの人間に知られていなかった事による偶然である。
隼人はこの一報に接し、すぐさま屋敷を焼いてロリアンを脱出するように命じた。
この行動自体はブリュネ元帥が死去して4カ月後に命令書の形で命じられていた、既定の行動であり、この電文が到達する以前にその行動が行われているはずであった。そのため隼人達は今後の方針について早めの昼食をとりながら討議していたのだが、そこに想定外の返信が送られてきた。
『屋敷は包囲され、戦闘中。一部のみが脱出に成功』
これに隼人は重要機密を破棄した後に降伏する事を許可するが、川崎大次郎から拒否された。翻意させるにも電信での説得に困難を感じたため、隼人はその忠勇を褒めたたえ、謝意を伝えた。これが午後3時頃の状況である。
隼人が屋敷の勇士達にしばし瞠目している間も、今後の方針についての討議が続いていた。
「軍にはすでに動員を命じてあるが、明日にでも集まっただけの兵力でモラン伯爵領を攻撃するべきだ」
兵は拙速を尊ぶ、の通りに即時攻撃を主張するエーリカ。
「いやいや、さすがに焦りすぎだ。マリブールに兵力を集めて、海軍や味方になりそうな貴族に声をかけてから、マリブール領に入る手前で迎え撃つべきだろう。先に手を出したとなれば外聞が悪い。それに、こちらの意志を示せば相手も態度を変えるかもしれない」
それに対してかなり消極的な意見を口にするマチルダ。できれば外交で解決したいと考えているようだ。
「アチラさんがクーデターを起こしたんだから、先に手を出したのは向こう側になるし、仇討ちの大義名分もあるから外聞は気にしないでいいだろう。とはいえ海軍は確実に味方につけられるから、時間には余裕があるはずだ。打って出るにしても焦る必要はないぞ」
すでにスカンジナビア海を手中に収める算段が付いているため、悠長で楽観的な見方を示すアルフレッド。
「クーデター側に不満を持っている貴族は多いから、最低でも敵の3分の2の兵力は集められるはずだ。後は敵の小規模貴族に謀反を促したり、民衆に一揆を起こすように煽る事もできるだろう」
情報戦で敵を切り崩そうと考えている梅子。
「でもそれだと無辜の民衆が犠牲にならない?」
戦火が野放図に拡大しそうで、心配になるカチューシャ。
「食糧の備蓄も心配ですね……。マリブールの備蓄はそれほど多くありませんから」
「武器弾薬なら他の貴族に貸与できる程度には備蓄があるのですが」
物資の報告をするナターシャとカテリーナ。
「内戦が起これば民が苦しむばかり、ですか」
内戦が起こってしまった事を嘆きつつも、どうにか早期終結に持ち込めないか考えている様子の桜。
「戦うならば早く終わらせるべきじゃろうな。たしか外務大臣はルブラン派だったはずじゃ。外国の介入は防がねば苦戦するかもしれんぞ」
外敵との衝突を恐れ、早期解決しかないと主張する熊三郎。
そんな会議の様子を見て、何故か今日だけは隼人の隣に座らされたセレーヌが青い顔で口を開く。
「ねぇ、どうして誰もルイとルブランの要求に従うべきとは考えないの?」
その言葉に、「何を言っているんだ?」という視線を向ける一同。
「……相手の要求はセレーヌの引き渡しと、王女誘拐の罪によるマリブールの没収だぞ。飲めるわけがないじゃないか」
不思議そうにセレーヌに言う隼人。
「……っ!いざとなればマリブールは捨ててもいいとおっしゃったと聞いていますわよ!こんな負ければ全てを失うような事、するべきじゃありませんわ!」
血を吐くように言い捨てるセレーヌの肩に隼人は手を置いて、またも不思議そうに言う。
「?今回は家族を差し出せ、って言われているんだから、譲るところなんてありはしないじゃないか」
「か……ぞく?」
「セレーヌは俺達の家族みたいなものだろう?」
隼人の言葉に女性陣の全てと、一部の男性陣がうなずく。
「えっ……、でも、わたくし、結婚してませんわよ?」
「水臭いなぁ。これまで家族同然の付き合いをしてたじゃないか。俺はセレーヌの事、家族だと思っているぞ」
隼人の言葉にセレーヌは目尻に涙が浮かんでくる。
「私達はセレーヌさんが隼人さんと結婚するのをずっと待ってましたよ」
「「えっ!?」」
そこへセレーヌと反対側の隼人の隣に座っていた桜が当たり前のように発言し、そこまで想定していなかった隼人とセレーヌが硬直する。隼人の妻達が深くうなずいているところを見ると、どうやらこれが中島家の総意のようだ(無論、こういう件に関しては隼人の発言力は無視できるほど小さい)。
「わたくしなんかが結婚していいの?」
「ええ」
桜に問いかけたセレーヌに桜はにっこりと微笑む。
「わたくしも幸せになってもいいの?」
「もちろん!」
反対側に座るマチルダへも問いかけると、待ちわびたという笑顔で返事が返ってくる。
「ありがとう……。ありがとう……!」
今度こそセレーヌの瞳から涙がこぼれる。
ちなみに隼人は硬直したまま放置されている。
そしてどこからともなく祝福の拍手が始まる。それはすぐに隼人とセレーヌ以外に広まった。
「……みなさん、ありがとう。隼人、不束者ですが、よろしくお願いしますわ」
ここでようやく隼人の思考が追い付く。
「ええと……、俺なんかでいいのか?」
「ええ、隼人以外の殿方を愛せるとは思えませんわ」
「え、うん。じゃあ、よろしく」
何が何だか分からないうちに隼人は妻をもう1人増やす事になったのであった。
「さて、議題を戻そう。連中の要求は蹴るとして、どう行動するんだ?」
エーリカが隼人に決断を求める。
「あ、ああ。俺としてはエーリカの案で行きたい。モラン伯爵は確実に敵になるし、機先を制する事は重要だ。自分の領地で戦って、せっかくの開拓村が荒れるのも嫌だしな。それに、敵の兵力の動員を考えれば決戦は冬季になる。沼地が凍るからマリブールとロリアンの間の交通が容易になり、こちらの兵力、物資の集中も容易だろう。まごまごしていてセダン、ヴェルダンの東部方面からも攻め入られるのも厄介だからな」
「という事はモラン伯爵領はエサか。まあ、モラン伯爵が泣きついたらルブラン宰相も無視できないだろうな。無視すれば貴族間の信頼関係が失われる、か。しかし勝てるのか?」
マチルダが隼人の決断に賛意を示し、勝算について尋ねる。
「それについては俺と隼人で考えていた計画が参考になるだろう。従兵!決11号B計画を持ってきてくれ!」
マチルダの問いにエーリカが答える。
「暇な時に2人で非常時の計画を立てていたんだが、役に立つ時が来たな」
エーリカは得意げになってコーヒーをすする。隼人も同じく余裕の表情で紅茶に口をつけている。この2人の戦争狂に周囲は呆れとも安堵ともつかないため息をつく。戦争についてはこの2人に任せれば安心はできる。だが彼ら2人を放置して良いものか、どうしても疑問に思ってしまうのである。
そうこうしているうちに従兵がかなりの量の書類を持ってきた。それが一同に配布される。表紙には『最高機密 決11号B』と書かれている。
「これはやむなく隼人がガリア王国から独立しなければならなくなった時のための、冬季計画だ。会議の後に回収するが、内容の取扱いについてはくれぐれも気を付けてくれ」
この計画ではモラン伯爵領を攻略後、周辺の貴族領に嫌がらせ攻撃を行ってガリア王国軍本隊をおびき出し、これが集中しないうちに各個撃破するという基本計画が示されていた。
「……、ふむ。マリブール周辺とスカンジナビア地方は味方という設定なんだな」
マチルダが計画での状況と今現在の状況の類似点を挙げる。
「中島家単独では反乱など無理だからな。その時は全力でケルンに逃げるしかなくなる。まあ今はそんな計画はどうでもいい。今回は味方がそれなりにいるから、野戦でも十分に勝算はある。それに、今回は嫌がらせ攻撃の必要はあまりなさそうだ。その分決戦の準備ができるわけだ。会戦の候補としては、この辺りを考えている」
そう言ってエーリカが指し示した場所は、モラン伯爵領の首都、モンソーからほど近く、少しロリアン方面に行ったところにあるクイ村の周辺だった。
「海軍にはスカンジナビア地方の兵力の輸送と、敵地の港湾封鎖と沿岸襲撃を頼みたい。これで敵は兵力を分散させざるを得なくなるだろう」
「了解だ。ではすぐに交易船と連絡船に無電でスカンジナビア地方の港に向かい、兵を搭乗させてマリブールに戻るように連絡する」
アルフレッドはすぐに電文を起草し、従兵を電信室に向かわせる。
ちなみに無電の出力はマリブールの蒸気機関の力を借りているので、送信距離に関してはかなり長い。これはナルヴェクの通信所にも言える事で、この2都市が中島家の通信の要となっている。
「では明日は略式の結婚式をしつつ兵力を集結、明後日から行動開始だな」
「??この重大な時期に結婚式?セレーヌと?勝ってからでも間に合うだろう」
隼人が口にしたスケジュールにエーリカが首をかしげる。彼女としてはできるだけ早く行動を起こしたいのだ。
「あー、いや、なんだ。結婚式を後回しにすると縁起が悪い気がしてな……」
隼人が気にしているのはフラグである。戦争が終わったら結婚する、など、代表的な死亡フラグと言える。
「はぁ、隼人ともあろう者がそんな事を気にするとはな……」
エーリカは呆れた声で抗議するが、そこにパウルと熊三郎が隼人に賛意を示す。
「いや、結婚式は是非やるべきです!貴族を味方につける上で最も効果のある宣伝になります。本来の正統な王位継承者と結婚する事で隼人閣下は確実に反クーデター派の旗頭となれます。宣伝に関しては私にお任せを」
「わしもパウルと同意見じゃ。先延ばしにすると他の貴族が手を伸ばして、後の禍根になりかねん。政治的に先手を打っておくべきじゃろう」
ここまで言われるとエーリカも渋々引き下がる。特に政治がらみはエーリカの苦手分野なので、そこを突かれると反論は難しい。
その後、行動方針を再確認していると、いつの間にか日は没し、会議室はアーク灯に照らされていた。その時伝令が会議室に入室する。ロリアンからの最後の電文を持ってきたのだ。受け取った隼人は瞠目し、それから会議室の皆に対して電文を読み上げる。
『我レ、最後ノ戦闘中。中島家ニ永久ノ繁栄ヲ』
「全員黙祷!」
隼人の言葉に全員が黙祷を捧げる。
「……黙祷終わり。明日の午前に川崎大次郎、アンリ王陛下の慰霊祭を行い、午後は結婚式だ。すぐに準備を始めてくれ。それから周辺の貴族に檄を飛ばすのも忘れるな。出陣は明後日だ」
隼人の言葉に全員がうなずき、行動を開始する。隼人は執務室でマチルダとともにクーデター派討伐の檄文をしたためる仕事に移った。
10月25日午前、簡易だが盛大な慰霊祭が取り行われた。この慰霊祭の真の目的は、復讐心を煽り、戦意を高揚させることにある。だがそれでも川崎大次郎らの死を悼む心に偽りはない。
慰霊祭の最後に隼人が演壇に立つ。
「ルイ王子、ルブラン宰相ら反乱軍は、卑劣にも無防備なアンリ王陛下を弑逆し、我々の偉大な仲間である川崎大次郎を殺害した。これは決して許されない事である。我々は必ずやその代償を支払わせるだろう。我々は全力でルイ王子とルブラン宰相を討つ。これは正義の戦であり、必ずや神々が味方してくれるだろう。諸君の武運に期待する。最後に再び黙祷を捧げたい。黙祷。…………。川崎大次郎の忠勇は忘れない。ありがとう」
慰霊祭では悲しみと義憤があふれ、士気は天を衝くばかりであった。
そして正午をかなり過ぎたところで隼人とセレーヌの結婚式が簡素に取り行われた。ただ、あまりに時間がないので、後日正式な式を挙げることになっている。
出席者全員が喪章を付けた、ある種異様な空気の中で式が終わり、再び隼人は演壇に立つ。
「これで、今日をもって私とセレーヌは夫婦となった。私は家族を見捨てる事は絶対にしない。もちろん諸君の事も見捨てはしない。我々はセレーヌの旗の下に集い、悪逆な反乱軍を討つ。正義は我らにある。我々は必ずや勝利するであろう!」
配下の将兵とマリブール市民の熱狂の中、隼人はセレーヌを抱き寄せて、セレーヌとともに歓声にこたえる。
そして翌26日朝、第1陣として5000の兵を率いて隼人はマリブールを出陣する。幹部の中でマリブールに居残るのは、後方支援と隼人の代理をこなすマチルダに、同じく後方支援にあたるカテリーナ、ナターシャ、カチューシャ、海軍の指揮をとるアルフレッドとシーラそして情報戦、宣伝戦に精力的に働くパウルに、非戦闘員扱いのアントニオ、エレナ夫妻、セオドア、アエミリア夫妻だ。
マリブール市民の熱狂的な歓声に送られながら進軍する。将兵もそれに応えて士気が高い。
こうしてガリア王国は大きな内戦と変革に突入するのであった。
これにて第3章は終幕です。次回からは第4章に入ります。