第97話 ガリア王国の政争
執筆が遅くなってまことに申し訳ありません。筆者、どうもスランプに陥っているようであり、なかなか筆が進みませんでした。
さらに今回は、ナレーターによる解説回のようなものにしようと画策し、地の文だけの話にしようとしたので、余計に難しかったです。
というわけで、今回は会話文なし、隼人君も登場しません。
ここでガリア王国の歴史、及び政情について見ていこう。
ガリア王国の成立は帝国歴1795年現在から5代前にさかのぼる。当時ブリタニア地方を中心に領土を持っていたシェフィールド王国から、辺境に領土を持っていた公爵家が独立した事に端を発する。当時のガリア地方はシェフィールド王国、タラント王国、ノルトラント帝国に分割されていた状態だった。それを時には調略で、時には戦争で徐々に領土を拡大し、ガリア地方の大半を領有するに至ったのが稀代の英雄である初代国王であった。
それから2代にわたって領土を拡張してゆき、3代目でシェフィールド王国を滅ぼし、ブリタニア地方を領有するようになった。
4代目、すなわちセレーヌの祖父に当たる人物は、拡大した領土の開発と王国国内の統制に尽力したため、派手な功績こそ残していないが、ガリア王国を強大かつ強固にした優れた内政家であった。ただ一つ汚点があるとすれば、ノルトラント帝国との戦争でガリア地方北東部を失った事であろう。
5代目、すなわちセレーヌの父は、彼の父の汚点である敗戦によって、先代の評価が低い事が我慢ならなかった。
その一方で彼は先代の才能を受け継いでおり、内政家であっても軍略は今一つであった。ちなみにそんな彼を軍略面で支えていたのがブリュネ元帥である。
また、彼は謀略にも疎く、さらには父の汚名を返上する以外の野心を持たなかった。
それに対して弟のアンリ、つまりは現国王はかなりの野心家であった。兄弟仲はよかったものの、それがかえってアンリの野心に対する目を曇らせてしまっていた。
そして帝国歴1786年、セレーヌが11歳の時、彼女の父はタラント王国との戦闘中に孤立し、戦闘中行方不明になってしまう。後に、遺体がガリア王国軍によって回収されたが、いまだどのような最期を遂げたのかは不明である。
そして葬儀の後、セレーヌの3人の兄弟は次々と不可解な急死を遂げ、あれよあれよという間にアンリが国王に収まり、アンリと仲が良かったルブラン家も宰相の地位に収まった。さらにはセレーヌが15歳になった時にはルブラン家に嫁入りし、さらにアンリとルブラン家の絆が強化されるはずであった。
この時の経緯にセレーヌは憎悪していたが、今現在はある程度心の折り合いをつけている。無論、好機があれば報復する気ではあるが。
しかし、レンヌ・アンリとルブラン・ポールの絆、あるいは協力関係はあっけなく崩壊する事になる。どちらも独裁権力を得ようと策動したからだ。
ルブラン家は自身の派閥である旧貴族派の力を使って国内の引き締め、具体的には旧貴族派の勢力拡大と新貴族派の勢力漸減による政治構造の固定化と国内開発を。
アンリ王は反対に新貴族派と穏健派、あるいは中立の旧貴族を味方につけて国外への拡大を図った(無論、戦争で新貴族が功績を挙げればアンリ王の勢力が強化される事になる)。
2人の対立は日に日に深まり、アンリ王はセレーヌの嫁入りに消極的になり、逆にルブラン家は王家の血筋を欲してセレーヌに執着する。
この件はセレーヌが公式には行方不明になったため棚上げされたが、これがルブラン家を焦らせる。その結果が、隼人がガリア王国貴族にならざるを得なくなった、アンリ王襲撃事件である。
しかしルブラン家は巧妙で、決定的な証拠を残さず、また、旧貴族派の勢力が強かったために、アンリ王はこの件をうやむやにせざるを得なかった。
この苦い経験からアンリ王は自身の派閥の強化に乗り出し、タラント王国との決戦のため大規模な動員をかける。ちょうど隼人が出兵した時期である。
タラント王国も動員をかけたが、レ・ソル砦を落城させられなかった事で望まぬ場所、時期に決戦を強いられ、敗退する。
その後、ガリア王国の隙を突こうとしたノルトラント帝国も破り、領土が大きく広がった。
この2つの戦争で貧乏くじを引いたのは旧貴族派であった。彼らはアンリ王に協力的ではなく、ルブラン家との関係も考慮して、国内の守りを固めるとの理由で動員は小規模だったからである。その結果として当然の事ながら、恩賞は新貴族派に偏ったものとなり、アンリ王は自身の派閥の強化に成功する。隼人同様、多くの新貴族が領地や代官領を得たのだ。
ルブラン・ポールとしてもこれに異議を唱えるわけにもいかず、急激な情勢の変化に打つ手がなかった。
これに追い打ちをかけたのが隼人によるスカンジナビア地方攻略戦である。
アンリ王はさらに自身の派閥を強化するために、新貴族にスカンジナビア地方切り取り次第の命を発していたが、それはアンリ王の派閥を漸減させていた。
スカンジナビア地方は元の領主であるはずのノルトラント帝国が統治を事実上放棄していたほど海賊の力が強い。そんな地域に小規模な新貴族の軍勢を送り出したところで返り討ちにされるだけであった。
そして新貴族は新興の貴族であるために人材が不足している。敗戦により御家断絶に追い込まれた新貴族も少なくない。新貴族からもアンリ王の方針に疑義が出始め、ルブラン家ら旧貴族派はようやく一息ついた。このまま新貴族が自滅するのを待ち、その間に旧貴族派の領地で国力を増大、その後は貴族同士の領地紛争で新貴族派の力を削いでいけばいい。時間はかかるだろうが、アンリ王を傀儡化できるのもそう遠い未来ではなかった。
それを覆したのが先に上げた隼人によるスカンジナビア地方制服である。
隼人はこの頃からルブラン家にとって目障りな存在になっていた。内政と軍略に富み、領地紛争を起こしたモラン伯爵をも打ち破った。そして何より、セレーヌを匿っている可能性が高い事がこの時期に分かったのだ。その隼人がナルヴェクを欲している。もし実現すれば国内政治のパワーバランスが大きく崩れる。
しかし同時にこれは好機とも言えた。わざわざ面倒な人物が死地に赴いてくれるというのだから。隼人がいなくなれば新貴族派の勢力は大きく削減される。隼人はその野心もさる事ながら、経済面で大きな脅威だった。旧貴族派の金の卵であった製鉄業に参入し、しかも安価で良質な鋼鉄をガリア王国内に輸出していた。製鉄業は長年旧貴族派貴族達の独占産業であり、ルブラン家にも旧貴族派から苦情が来ていた。ここで隼人が戦死すればその問題は一気に解消されるはずであった。
だが隼人は不可能と思われた事をやってのけた。ナルヴェクは隼人に征服され、スカンジナビア地方もほぼ新貴族と王家の独力で征服された。もはやスカンジナビア地方に旧貴族派が入り込む余地はなかった。せめて領有を妨害しようと画策したが、すでにロリアン市内では中島家による宣伝工作が広がっており、打つ手はなかった。救いがあるとすれば、スカンジナビア地方は統治が難しい地域であり、しばらくは新貴族派が勢力を拡大する機会、すなわち戦争は無いという事くらいだった。
スカンジナビア地方は王家と新貴族の統治下に入り、旧貴族派と新貴族派の勢力が拮抗するのも時間の問題だ。この度重なる失態にルブラン家は旧貴族派のなかでもその勢力を落としつつあった。もはやアンリ王の政策に修正をねじ込む程度では駄目だ。自身が粛清対象としてアンリ王の視野に入りつつある事をルブラン・ポールは自覚せざるを得なかった。もはやアンリ王の政策、人事などに猛烈な反対を示し、旧貴族派の結束を固めるしかなかった。
しかしそれであってでさえ、旧貴族派も結束が強いとは言い難かった。元々主導権争いが激しく、それに加え、旧貴族の中にも新貴族と提携したい開明派と新貴族を排除したい守旧派で対立している。当然アンリ王に近い旧貴族もおり、そういった者達はルブラン家から派閥の主導権を奪おうと画策していた。
一方でアンリ王も手詰まりになりつつあった。旧貴族派の猛烈な反対運動により政治的に身動きが取れなくなってきたのだ。これまでのように対外戦争で勢力を拡大する事も難しい。アーリア王国は軍事力だけは強大だし、タラント王国とは休戦中、弱体化したノルトラント帝国とも休戦中だが、特にノルトラント帝国はタイハン国との緩衝地帯の役割を担ってもらわなければならない。それ以前に、今度の戦争では旧貴族派が領土欲をむき出しにして動員をかけてくるだろう。
もはや国内開発でしか自身の派閥を強化する道はない。しかしそれとて、予算の配分で旧貴族派が激しく反対してくる。もちろん自身の派閥である新貴族に予算を割きたいのだが、旧貴族がこれまでの不遇を理由に貴族支援予算の大半を旧貴族派領地に回せと要求してくる。新貴族も新貴族で、財政基盤が弱いので支援を要求してくる。
予算は最終的には折半という事で落ち着くのだが、それでは元々の基盤が弱い新貴族が旧貴族に水をあけられてしまう。
さらには領地紛争の仲裁も難しくなった。以前の旧貴族は余裕があったので、多少の融通は利いたのだが、今は一歩も引かない。王命ですら、拒否する始末だ。今はブリュネ元帥を中心とする中立派旧貴族が仲裁に奔走している状態だ。王の権威の失墜には十分な痛手である。
そしてアンリ王の子、第1王子と第2王子の対立。第1王子は側室の子ではあるが文官としての才能があり、人望もあった。一方で第2王子は正室の子だが、特段劣った才能もないが、優れた才能もなかった。だが強い野心だけはアンリ王から受け継ぎ、その生まれから人望もそれなりにあった。
だが野心的過ぎる第2王子をアンリ王は嫌い、第1王子を要職につけ、本来の王位継承順位では第2王子が上だが、第1王子を跡継ぎにしようと画策していた。王党派もアンリ王派と第2王子派で別れ、一枚岩ではないのだ。
アンリ王とルブラン家の権威の失墜と国政の混乱。大陸西方情勢は平穏と言えたが、ガリア王国の内実は極めて不安定であった。いつ内戦、内乱が起こっても不思議ではない。ガリア王国がこの極めて難しい綱渡りを続けてこられたのは、ブリュネ元帥を筆頭とする穏健派の存在に他ならない。
しかし、彼らの努力にも限界があった。帝国歴1796年2月26日、ブリュネ元帥が職務中に卒中で倒れたのだ。ガリア王国の武力での大黒柱であり、最近は内政でも活躍していたブリュネ元帥。彼を失ったことでガリア王国はさらなる混沌に陥るのであった。
そろそろ内政チートも現段階では手詰まりになってきたので、あと1、2回内政チートをやったら『10月事件』を執筆する予定です。再び血と鉄と硝煙の香る戦争回になります。この時点で一旦章に区切りをつけようと思います。
それでは来週お会いできるように頑張ります。