第95話 ケルンの実力と隼人の選択
帝国歴1795年4月、ケルンが面する湖、大陸海に向けて、マリブールを流れるマリ河を隼人達は遡上していた。ケルンが隼人の配下に入って3年、隼人がケルンを最後に訪れてから4年弱、全くケルンに足を踏み入れていない。……よくもまあ、大きな問題が起きなかったものである。バイエルライン家家宰のルドルフがそれだけ有能である証でもあるが……。
エーリカが文面であれこれとやり取りしてはいたが、それでも酷い放置である。しかも今回のケルン行には隼人と対になるエーリカが妊娠でいない。最低限、エーリカからケルンの情勢を聞いており、それほど問題がない事は確認していたが、それでも不安はつのる。
一方でカテリーナは別の事で心配になっていた。セダンの領域とその隣の伯爵領の境目辺りから陸上で遠くから盗賊団がちらほら姿を現していたからだ。それでいて隼人は何ら行動を起こそうとしない。不思議に思って聞いてみると
「ああ、大丈夫だ。我々は接岸する予定はないからな。盗賊だって商売でやっているんだ。矢を射かけたりして挑発してきても、我々が陸に上がらなかったら襲えないからな。盗賊は命を奪いたいのではなく、金になるものを奪いたいんだ。だから、陸の上から指をくわえて眺めている他ないのさ」
カテリーナはこれを聞いて理屈では納得したが、やはり気を抜くことはできないのであった。
ちなみにマリ河のように安全に河川交通ができる河川は少ない。マリ河の場合、大陸海側に遡上する時は偏西風を利用でき、スカンジナビア海側に下る時は水流に任せればよいので、帆船が使えるからだ。
それができない河川では人力か畜力で縄を使って舟を陸上から引っ張るのである。当然、この場合は盗賊に狙われるので護衛が必要だ。馬車よりは輸送効率が高いのだが、護衛は常に背水の陣を迫られるので、どちらが優位かは治安情勢による。
マリ河は小型帆船しか運用できないとはいえ、とても恵まれた河川なのだ。
そして25日、隼人達は無事ケルンに入港するのだった。ケルンの桟橋にはルドルフと、軍務を担当しているフリッツの姿があった。どちらも老け込んだように見える。
「久しぶりだな!ルドルフ、フリッツ。上手くやってたようで、助かっているよ」
「久しぶり……、本当に久しぶりですねぇ、婿殿。いくら何でも久しぶり過ぎますよ。私達の苦労も考えてください。ただでさえ微妙な情勢の土地になったんですから。……それから、エーリカ様が見当たりませんが、どうしたんですか?」
隼人の挨拶にルドルフが苦情を申し立てる。
「あー、うん、すまなかった。戦やら妻達の懐妊やらで動きづらかったんだ。……いや、マリブールの開発に夢中でないがしろにしていた、というのが正しいか……。本当にすまん。エーリカについては、2人目の子供を身ごもっているから連れてこられなかった。その代わり手紙を預かっている」
隼人は頭を下げて謝罪してからエーリカの手紙を渡す。
「婿殿、伯爵になったのですから簡単に頭を下げるものではありませんぞ。手紙の方は預かります。……婿殿の滞在中は全て婿殿に任せる、ですか」
ルドルフは隼人に小言を言ってから手紙を受け取り、手早く読む。手紙には子供が出来て嬉しいだの、隼人は素晴らしいなど、惚気話が含まれているが、そこら辺は今は流し読みで済ませる。政治に関する事は全て隼人に任せるという内容だけだった。
エーリカはケルンにいる頃から放任主義が酷かったが、マリブールに行ってしまってからはそれに拍車がかかっている。それだけルドルフが信頼されている証ではあるが、頭痛は禁じ得なかった。
「エーリカらしいな……。まあ、ケルンにいる間は精一杯働くよ。まず今日はケルンの情勢について詳しく説明してくれ。それから明日はケルン軍用の新式装備のお披露目だな。今回持ってきた分以外はケルンで同じ物を作ってくれ」
「了解です、婿殿。立ち話も何ですし、そろそろ城に行きましょうか」
ルドルフの言葉で一行はケルン城の執務室に向かった。
「まず、ケルンの立ち位置ですが、ケルンは今までガリア王国との最前線でした。それがエーリカ様と婿殿の結婚により、アーリア王国とガリア王国に両属する事になりました。アーリア王国の宮廷では腫れ物扱いです。いまだに対処を決めかねているのか、接触は最小限です。アーリア王国に払う税金は変えてないので、いまだに対処をめぐって言い争っているのでしょうな。ただ、隣の貴族からは領地を虎視眈々と狙われております。今のところ、フリッツが何とかしてますがね」
「ふーむ。攻め込んだり領地替えをすればガリア王国を刺激しかねず、かといって座視すればアーリア王国内の統制が乱れる、というわけか」
「その通りです。まあ、前から統制はとれていませんでしたが。あとはアーリア王国とガリア王国、両方に所属しているため、両国に同額の税金を納めておりますので、税収だけでは追い付かず、官営製造業や交易の利益を食いつぶしている状態ですね。ですので金庫には余裕はありません。しかし新技術の開発に成功したので、ぜひ資金援助をもらって工場を立てたいところですね」
「新技術?」
ルドルフの言葉に隼人が食いつく。ケルンの技術者には、防諜面での不安もあり、隼人は技術を伝えていない。それだけに何を作り出したのか気になって仕方なかったのだ。
「やはり食いつきますね。我々が開発したのは新たな製紙技術です。木材から紙を作る事に成功したのです。これで紙不足の解消と紙の値下げが図れます」
「木材から紙?じゃあ今までは原料は何だったんだ?」
隼人はとっくに紙は木材から作っていると思い込んでいたので、きつねにつままれたような顔をする。
「この辺りでは亜麻を原料にしていますね。婿殿でも知らなかったのですか……」
「俺も全てを知っているわけではないからなぁ。しかし紙、不足していたんだな」
「ええ、印刷業が盛んですからね。もっとも、金属活字を用いているのは聖書だけですが。聖書はソラシス教清教派が最も大事にするものですからね。よく売れるのですよ」
「そうだったのか……。まあ売れるのなら何でもいいや。工場の資金援助は約束する」
「ありがとうございます。さすが、即決ですな。あと、工房からもフリッツが注文を入れて新しい物を作ったようです」
そう言ってルドルフはフリッツに話を振る。
「ええ、マリブールでは婿殿が銅線を作っていると聞いたので、鉄線を作らせてみました。ただ、使い道が思いつかず、婿殿にご意見をもらえれば、と思いまして」
そう言ってフリッツは隼人に細長い鉄線を渡す。
「鉄線か……。鉄線ならもう少し太くてもいいかもしれないな。まずはコイルばねを作ってみたらどうだろう?芯に巻き付けて作るんだ。馬車の車輪に着けて振動を抑えたり、色々できると思うぞ。あとは……有刺鉄線があったか。長い鉄線にトゲをつけて牧草地なんかに張り巡らせると便利だ。他にも野戦では土塁や堀の代わりに使えるぞ。こいつと銃の相性は凶悪なはずだ」
「おお!さすがは婿殿ですな!早速作らせます」
そう言ってフリッツは上機嫌に工房へ出ていった。
「……フリッツが出ていってしまったが、いいのか?」
「これも役割分担ですよ……。彼は内政向けではありませんからね。さて、婿殿には書類の決裁をお願いしますぞ」
「お、おう」
こうして1日目はルドルフにケルンの近況を聞きながら書類と格闘することになるのだった。
2日目の朝、ケルンの練兵場に主要幹部が集まっていた。目的はもちろん新式ライフル銃とライフル砲のお披露目だ。その威力と射程にケルン組が驚き、即採用が決定する。
しかしルドルフは渋い顔で執務室に集合するように言う。相当大事な話のようだ。
「婿殿、あれが優れた兵器である事は私にもわかります。だからこそ聞きます。我がケルン軍に充足させたあと、あれは売りますか?」
「!?……」
隼人は返答に詰まった。これは要するに、ガリア王国につくのか、アーリア王国につくのか、はっきりしなければならないという事だ。この兵器は戦場を変えかねない。だからこそ、販売先は慎重に考える必要があった。それを今の今まで失念していたのだ。
しばらくの沈黙の後、隼人はようやく口を開いた。
「……今はガリア王国で派閥を作っている。供給先はそこに絞る。それと半分はマリブールに備蓄しておく。まだ何があるか分からんからな」
「……婿殿はガリア王国につく、という認識でよろしいですか?」
「正確にはガリア王国新貴族派につく、という事だな。ガリア王国には味方も敵もいるが、アーリア王国には知己がいない」
「あくまで自分の味方にだけ、利益供与するという事ですか……。ではエーリカ様の後見人だったバウアー伯爵には販売しますか?」
「うーん……、止めておこう。彼は顔が広すぎる。敵にはこの兵器は渡したくない。万一の場合の備蓄だけ、ケルンでも行っておいてくれ」
「わかりました。ではそのようにさせましょう」
「……失望したか?」
「いえ、私の忠誠はエーリカ様と婿殿にありますので、アーリア王国にはこだわりません。むしろ、敵味方の区別ができてきて、嬉しく思っていますよ」
「そうか……、苦労をかけるな」
「そう思うなら、定期的にケルンにも訪れてくださいね」
「う、うん。努力する」
ルドルフはそう隼人に要請しつつも、おそらくそのような暇はあるまいとも思った。隼人は一国の貴族に収まるような人物ではない。そう思えてきたのだ。この男にはどこか野心が燃えており、その能力がある。だが自身はそれにまだ気が付いていないのだ。
そう思うと、エーリカがマリブールに行ってしまった事は悲しくはあったが、間違った事ではないと思えてくる。隼人も、エーリカも、ケルンで燻ぶらせるには惜しい人物だ。ならば自分の内政能力を隼人に伝授するのもいいだろう。そう思えてきた。ルドルフは隼人がケルンにいる間、可能な限り面倒を見ようと決心した。
4月30日、ルドルフのスパルタ式教育で頭がへとへとになりながらも隼人は帰りの船に乗り込み、マリブールに向けて出港する。その隼人の姿をルドルフは船が小さくなるまで見送るのだった。




