最強魔道士と平和ボケの鬼
「てめぇに貸す便所は無ぇ!」
魔道士は激怒し、煌びやかな装飾杖を振り回した。
そして、鬼に下痢魔法を掛けた。
鬼は泣きそうだった。
(自分はただ、トイレを借りに来ただけなのに、どうしてこんなヒドイ仕打ちを受けなければならないのか)
鬼は、人間ではない。
ゆえに、人の気持ちは分からない。
それでも、モノの道理くらいは弁えているつもりだった。
便所を貸す気が無いのに、下痢魔法を掛けるのは、その道理に反している。
「道士殿、正気ですか?」
「ええい! 黙れ! 黙れ!」
魔道士は再び装飾杖を振り回した。
そして、再び、下痢魔法を掛けた。
もはや、一刻の猶予も無かった。
少しでも気を許せば、灼熱のマグマが尻からスプラッシュし、村一帯を焦土に帰してしまいそうだった。
「ああ! 後で弁償しますんで、お許しください!」
鬼はデコピンでトイレのドアを弾き飛ばした。
一瞬で、重厚な木製扉は砕け散り、オガクズ状になって便所の床に降り積もった。
(本当に、済まぬ!)
そう思いながら、鬼は便器間掛けてダッシュした。
魔道士は装飾杖を、今度は頭上に振り翳し、叫んだ。
「便器爆砕!」
ドゴーン。
鬼が腰を下ろすより一瞬早く、便器は粉々になってしまった。
「道士殿! 正気ですか! これがこの村で最後の便器だというのに!」
鬼は驚愕した。
魔道士の魔法に対してではない。
鬼に便所を使わせないため、村中の便器を破壊し尽した、魔道士の執念に驚愕したのである。
鬼は思った。
本当の鬼とは、自分ではない。
近視眼的な思想に支配され、暴走してしまう、人間の心こそ鬼なのだ、と。
「如何して……如何して、便所を使わせてくれないのですか?」
鬼はもはや落涙していた。
そして、その涙の何倍もの冷や汗を流していた。
魔道士は無言で装飾杖を振り回した。
三度目の下痢魔法である。
鬼は、苦しんだ。
流石の括約筋も、三度の下痢魔法は耐えきれない。
苦しみの中で、鬼は思い出した。
自分が、マグマの魔神の末裔として、この村で過ごした日々を思い返した。
村人たちは優しかった。
マグマ体質の自分の為に、村中の便器を『対マグマ便器』に作り変えてくれるほどだった。
かつて、魔族と人間は敵対していたという。
そんな事実が嘘の様に感じられるほどに、鬼は村人たちを愛していた。
当然、村人たちも鬼を愛してくれているとさえ思っていた。
鬼は苦しみの中で悩んだ。
(ここで、下痢マグマをぶちまけるのは容易い。
しかし、それでは村が壊滅してしまうだろう。)
鬼は決心した。
鬼は覚悟した。
次の瞬間、鬼は石になった。
そして二度と、動き出すことは無かった。
***
その日、村では祝杯が挙げられた。
鬼を打倒した、記念の祝杯である。
「いや~これで安心して暮らせますじゃ」
「機嫌を取るのに、毎日必死だったからのう」
「ほんと、あの平和ボケの悪魔には辟易してたのよね」
「奴の先祖が我々にしでかした仕打ちを、奴は知らんのだろうか」
「めでたい奴だ。死んで清々した」
魔道士は讃えられ、金銀財宝を貢がれた。
村中の娘たちが押しかけて、魔道士に求婚した。
魔道士は富と名声と12人の嫁を手に入れた。
***
毎年、その日になると、村中の人々が魔道士の屋敷に集い、祝祭を上げるという風習が出来上がった。
今や、魔道士のトイレには、絢爛豪華な装飾便器が設置されている。
その便器の傍らでは、石になった鬼の像が佇んでいるのだという。
不思議なのは、最初は苦悶に満ちていたその顔が、今ではすっかり綻んでいるということだ。
まるで、村の安寧を、心から喜んでいるかのように。