公爵家のお嬢様
「お嬢様、ここの道はどちらへ?」
「右よ」
俺は人力車を引きながら、分かれ道を右に曲がる。
人力車に乗っているこのお嬢様、イザベラ・バッハシュタインは、ザルダート帝国の有力な貴族の一つである、バッハシュタイン公爵家のご令嬢である。そして昨日、イザベラは九歳の誕生日を迎えたらしいのだが、その誕生日祝いとして俺が買われたのだ。
ただいまイザベラお嬢様は帝国立ザルダート学園、通称帝国学園の初等科三年生。前世での小学校のようなものだが、初等科は三年しかない。初等科の次は中等科で三年間、高等科で三年間と、三年ごとに進級していくらしい。そして一年後、中等科への進学を控えたイザベラのために、父親であるギルベルト公爵は奴隷を買い与えることにしたのだ。で、どうせなら同い年くらいがいいと思ってしまい、俺が大抜擢されたのだ。
最後のは誇張だが、そんなことを人力車の上で寛いでいるイザベラから聞き出せた。っていうか何も聞かなくてもペラペラと喋っている。そのほとんどが、「お父様はすごく偉いのよ」とか「私、皇帝陛下にお会いしたことあるのよ」だとか「そんなにすごい所に買われたんだから、感謝しなさい」などなど、ほとんどが自慢話である。
「それでね、五年前にルノワール王国っていう国にお父様の仕事で行ったの。ルノワール王国は十二年前に勇者を召還したところなの、街がすごく綺麗だったわ。エリザベス王女も素敵だった。とても綺麗な人なのよ? あんなお姉さんほしかったな」
「そ、そうなんですか……あの、ここの道はまっすぐで宜しいんですか?」
「……そうよ」
俺はこの世界の土地勘が皆無だ。だからイザベラに道をいちいち聞かないといけないが、当のイザベラはお喋りに夢中で、道案内のことをすっかり忘れる。だから俺は態々話の腰を折って道を聞くのだが、話の腰を折られたイザベラは不機嫌になる。やりづらくてしかたがない。
「帝国学園では色々なことを教わるの、つい最近も私回復魔法を覚えたの。まだ初級の魔法だけだけど、中等科に上がったらもっと難しい魔法も習うのよ」
すごいでしょ? と、得意げに話すイザベラ。いいなぁ、俺も魔法使いたいなぁ。
イザベラはそんな話を延々と話し続けた。
三十分程度ノンストップで走り続け、ようやくバッハシュタイン公爵家の屋敷がある街に、というか帝都の貴族区だ。ここまでがんばった自分をほめてやりたい。
「お嬢様、貴族区に着きましたが、ここからお屋敷までは………………えっ?」
寝てる。すやすや寝てやがる。俺が大変な思いしてるときに……いや、今それは問題じゃない。問題はこのイザベラが寝てるとお屋敷にたどり着けないということだ。
「お嬢様、お嬢様起きてください」
「うぅん……」
……おいおいおい、やばいぞ。無理にでも起こすと絶対お仕置きされるし、かと言って起こさないと自力で屋敷に着くことは不可能だ。ここ帝都は、ザルダート帝国一の広さを誇る都市だ。総面積百平方キロメートル。中央に聳える帝国城が都市を見守っている、らしい。バルトルトさんから聞いた話からすると、東のほうに見えるのが帝国城だろう、奴隷商館は商業区にあった。貴族区は帝国城のすぐ西側に位置している。すぐという言い方はどうなんだろう、帝国城は遥か遠くに見えている。
「お嬢様!」
念のためもう一度呼びかけてみるが、起きる気配は無い。
仕方ないな。自力でたどり着くしかない。俺は街を歩いていたご婦人を捉まえた。
「すみません、少々お時間宜しいでしょうか、お伺いしたいことがありまして」
「……なんですの?」
そのご婦人は、俺の首筋を見て怪訝な表情を浮かべた。まあ、当然だろうな。俺の首筋には奴隷紋が刻まれてるし、服装もTHE奴隷って感じがするしな。
「バッハシュタイン公爵家のお屋敷は何処にありますか?」
「バッハシュタイン公爵? いったい貴方何処の奴隷ですの?」
奴隷ごときにはやすやすと教えられないってか? よし、ここは前世で身に着けた社会人スキルと、バルトルトさんから習ったこの世界の言語力で。
「申し送れました。私、バッハシュタイン公爵家の御令嬢、イザベラ・バッハシュタイン嬢の一番奴隷、アレクと申します。商業区からお嬢様をお送りする途中で、お嬢様が眠ってしまいまして。恥ずかしながら私、この辺りの土地勘に疎く、バッハシュタイン家のお屋敷の場所が分からないのです。差し支えなければ、お教えしていただくことは可能でしょうか?」
あらあら、ご婦人面食らっちゃってるわ。俺の対応がこの世界の貴族に通じるか分からないが、奴隷としては良い方だっただろう。多分。
「……まあ、そういうことなら」
教えてもらった情報は、酷く曖昧だった。
「ありがとうございます」
俺は九十度腰を曲げ、礼を述べてから、再び人力車を引いた。
それから何人にも同じように質問した。全員が俺に怪訝な顔をして、そのたびに説明するのは骨が折れた。
もう何時間引いているだろうか、靴を履いていない足には血が滲み、腕も悲鳴を上げている。西の空が紅く染まり、東の帝国城が藍色に映し出されている。遅くなったら怒られんのかな。俺は朦朧とする意識でそんなことを考えた。
ようやく公爵家の屋敷の門にたどり着いた。門番が俺を引き止める。
「待て……お前がアレクか?」
「はい、お嬢様は後ろで寝ておられます」
「そうか……いや待て、お嬢様が寝ているのにここに来られたのか」
「ええ、親切な人たちに教えていただきました」
「……そうか。じゃあ、ここからお屋敷までお送りしろ。この道を真っ直ぐ行けば十分ほどで着く」
まだあんの!? どおりで屋敷が見えないと思った。俺は自然公園みたいな森の中の道を歩いた。その道は緩やかに上り坂になっていて、満身創痍な俺の体に、更に負担を掛けてくる。奴隷としての初仕事としては、まあまあきついな。やっぱり奴隷なんてなるもんじゃないな。
十分ほど進むと、目の前に巨大なお屋敷が見えてきた。というかもうこれお城じゃね? 間違えて帝国城に来ちゃったんじゃない? 俺は振り返り、遠くに帝国城があるのを確認してから、ドアノックハンドルを半ば八つ当たりで叩き付けた。
五回ほど叩くと、中から初老の紳士が出てきた。セバスチャンだ。
「おお、ようやく辿り着きましたか。おや? お嬢様は……」
「それが、道中で寝てしまいまして」
「そうでしたか、道は分かったのですか?」
「紳士淑女方に教えていただきました」
「……ほう、それはそれは、珍しいこともあるのですね。あの連中が奴隷に道を教えるとは。いや、それよりお嬢様を中に入れなければ」
セバスチャンさんはそばにいたメイドに部屋に連れて行くように指示を出した。メイドはイザベラを抱き上げると、屋敷の奥へ消えていった。
「あの、俺はどうすればいいですかね」
なんか奴隷の俺が屋敷に入るのは躊躇われるので、セバスチャンさんにそう尋ねると。
「ああ、君の家は用意していますよ。アルマ、この奴隷を案内してやりなさい」
セバスチャンさんがそう言うと、もう一人メイドが出てきた。赤髪のセミショートの女の子だ。もう完全に二次元である。何時もなら、メイドだ! と舞い上がっているだろうが、今の俺は興奮より疲れが勝っている。
「かしこまりました。着いてきなさい」
「はい」
アルマさんというメイドに着いていくと、森の中にポツンと小屋が建っている。ボロボロで今にも壊れそうだという事はないが、ずいぶんと年季を感じられる小屋だった。
「ここが君の家。あと、これを渡しておくから」
アルマさんは携帯電話サイズの石を渡してきた。表面にはなにやら魔法陣のようなものが描かれている。
「これは?」
「伝達用の魔道具よ、ここにお嬢様から連絡が入るから、そうしたらすぐに屋敷に来て」
どうやら本当に携帯電話だったようだ。いろいろ便利だな、この世界。
「じゃあ、私はこれで」
「あ、ありがとうございました」
アルマさんは俺に一瞥もくれす、行ってしまった。ツンデレタイプか?
まあとりあえず我が家となる小屋を見てみよう。六畳のワンルーム。台所は暖炉も兼ねているらしい。水瓶に水をある程度溜められるようだが、近くの井戸に汲みに行かなきゃならないのか。
……奴隷としては良い待遇なのではないだろうか、通常の奴隷が分からないからなんとも言えないが、公爵家の奴隷ということでなにか優遇されたりしないのかな。ベッドはあるが、ギシギシ鳴るし、硬くて布団も薄い。冬は寒そうだ。暖房もずっとつけている訳には行かないだろうし、薪を割るのは俺の仕事だと思う。
まあ、これからここが我が家になるのだ、心機一転がんばろう。……今日一日がとてつもなく長く感じたのは気のせいだろうか。
その日、俺は泥のような眠りについた。
最近姉が怖いです。