銀雪の確執
まさか次の話を出すまでにここまで時間が開くとは……。
いや、マジで、申し訳ないっす。
「雪苺のタルトでございます」
イザベラは大好物の甘いものが出てきたことで、すっかり機嫌が直っていた。やっぱりただの子供だ。
「どうですか。この地方名産の雪苺を使ったタルトは」
「ええ、とても美味しいですわ」
「それは良かった。この屋敷の料理人は、長らくこの地で修行していましたから、ハニュイの食材の扱いはピカイチなのです。砂糖の原料も、実はここで作っていましてね……」
アロイスはもうイザベラの機嫌を損ねてたまるか、といわんばかりに甲斐甲斐しくイザベラに話しかけている。御苦労なことだ。
先ほどの重苦しい空気が晴れ、ほっとしていると、また誰かが部屋に入ってきた。
「何故ベッドから起きてこんなとこに居るんだい、ランドルフ?」
聞き覚えのある声だ。落ち着いた穏やかな低いバス。少しだけ北部のなまりの入ったそのイントネーションは、気品のある雰囲気を出している。
「見つかってしまったか」
ランドルフは彼の姿を見て、ピシャリと額を叩いた。
「あれほどアルコールは体に悪いと言っただろう。それに、こんなに脂っこい食事まで」
「よいではないか、ダニアン。今日は可愛らしい客人も居るのだ」
イザベラを指して言ったランドルフに、帝国軍・騎士団医のダニアン・デューラーは、ため息を一つ吐き出し、深くお辞儀をする。
「お久しぶりです、イザベラ嬢」
「あっ……」
イザベラはダニアンに厳しい視線を向けると、頬を膨らましてそっぽを向いた。前に説教されたことを根に持っているらしい。
半年程前の事である。なんか分からないけど、俺は近衛騎士団の訓練を受けることになった。今回お嬢様の護衛にあたっている赤髪のツェーゼルに、当然の如く体をボロボロにされるまでコテンパンにやられ、俺は医務室に運ばれた。そこにいたのが、このダニアン大佐だ。その時にイザベラは俺を殺そうとして、ダニアンに叱られた。それ以来、あの騎士団訓練場には足を運んでいないのである。まあ、自業自得なんだけどね。俺を殺そうとしたのが悪い。どう考えても。
「ん? イザベラ嬢と面識があるとは知らなかったな。一介の軍医のくせに、公爵家に取り入ってるのか?」
ニヤニヤと笑いながら、死にそうなお爺ちゃんはワインを口に含んだ。
「馬鹿を言うんじゃない。イザベラ嬢の奴隷を治療しただけだよ」
「ほう、なるほどな」
「あの」イザベラが会話を中断して割り込んだ。「お二人はどういう御関係なのですか?」
「そうでしたな、私としたことが。このダニアン・デューラーは私の旧友であり、主治医でもあるのです。普段は軍医をやっておりますが、時折こうして私の容態を見に来るのですよ」
「それで、久しぶりに来てみたと思ったら、お前は酒三昧の生活だった」
「いや、それは、まあ……ははは」
「笑いごとではないよ。もう若くはないんだからね、体は大切にしないといけない」
「いいんだよ、私にはアロイスと言う優秀な息子がいるからな。後の事は全て任せられる」
「縁起でもないことは言わないで下さいよ。父上」
ランドルフはカカッと笑い、痰を含んだような声で言った。
「これで孫の顔も見られたらなお良いのだがなぁ」
一瞬の、静寂があった。
「お父様!」
レナーテが立ち上がる。
「あ、いや、すまんな」
「いいんですよ、父上。悪気があって言ったことでは無いんですから」
「それでもあんまりですわ! お兄様の気持ちも考えないで!」
「レナーテ! イザベラ嬢もいるんだ、自重しろ」
アロイスの言葉に、彼女はハッとして椅子に座って俯いた。
まただよ。何だってんだ、こんな時に限って。
「ランドルフ。さあ、早く寝室に戻ろう」
「そうだな。アロイス、すまなかった。今は焦らんでいい。仕事に専念してくれれば」
「分かってますよ、父上」
「アロイスには、クラリッサという妻がいました」
先の一件で、イザベラはこの家のことに興味をもってしまった。流石にあの空気はおかしかったので、何かあると踏んだようだ。そこで、この家の事について何か知っていそうな、ダニアンに話を聞くことにしたらしい。
ダニアンは「あまり他人についてとやかく言うのは、好きではないのですが」と前置き、話し始めた。
「私も何度か面識はありましたが、とても美しく気立ての良い女性でしたよ。それはもう完璧と言っていい」
「『いました』ということは、今は居りませんの?」
彼は目を伏せる。
「ええ、一年前に亡くなりました。元々体も弱く、ハニュイの厳しい環境は合わなかったのかもしれません」
「そんなことありません!」
話に割って入ってきたのはレナーテの声だった。彼女はイザベラを見て、一瞬躊躇いを見せたが、堰をきったかのように捲くし立てた。
「お姉様は体が弱かったわ。そして、お兄様はそんなお姉様のために、新しい魔道具を作った」
部屋にある暖房器具を指さした。
「そのおかげで、お姉様の容体は悪くならなかった。いえ、それどころか、徐々に回復していったんです。それなのに……」
彼女はそれきり、苦い表情を浮かべたまま黙りこくってしまった。しかし、手は爪が皮膚に食い込むほど握りしめられ、今すぐ何かをぶちまけてしまいたい、そんな感情がありありと読み取れる。
「お姉様は、お姉様はあいつに……殺されたのよ」
唾を飲み込み、喉をくっと鳴らした。
レナーテがいう「あいつ」が誰か、それはすぐに分かった。というか、あいつしか考えられない。あの言動、それに対する兄妹の反応、……あとあの人相。どれをとってもドミニクが悪人なのは間違いない。
「レナーテ」彼女の話が耳に入ったのか、諭すような口調でアロイスが言った。「滅多な事を言うんじゃない」
「でも、それしか考えられないじゃないですか! あの男、お姉様にいつも嫌がらせをして」
「それだけだ。証拠はどこにもありはしない」
「お兄様!」
「まあまあ、お二人とも、イザベラお嬢様もいることですし、ね?」
そう言ってツェーゼルが間に割って入った。ナイスプレイだ。
アロイスはレナーテに目配せをすると、イザベラに向き直った。
「申し訳ありません、イザベラ嬢」
「いえ、気にしていませんわ」
嘘だな。顔に「気になる」って書いてある。
「この屋敷には温泉を引いているのです。ハニュイの夜は冷えますので、どうぞお入りになってください」
「温泉?」
「はい。このハニュイは火山なのです。時折火山のマグマで暖められた地下水が湧きあがり、お湯が地上に溜まっていることがあるのです。言わば、天然のお風呂と言うわけです。ハニュイの温泉には、魔素が多く溶け込んでいるので、様々な効能があるのですよ」
ちょっと聞いたことがない単語だったが、アロイスの説明を聞く限り、日本によくあるあの温泉のことのようだ。そう言えば、こっちの世界に来てから、温泉の話は聞いたことが無かったな。イザベラも知らないようだし。
お風呂と聞いて、イザベラは喜び勇んで駆け出して行った。この世界の貴族は病的なまでの潔癖症が多い。イザベラもその一人。地球の中世ヨーロッパより、ここはとても衛生的だ。科学的な文明は地球に比べてあまり発展していないが、魔法がその分発展し、人々の意識はそれほど前世と変わらないのかもしれない。
「なあ、奴隷」
「なんですか。ツェーゼルさん」
「この屋敷、きな臭くないか?」
貴族ってのはどこもきな臭いもんだ。あんたも含めてな!
「そうですか?」
「ああ、ドミニクの件もそう、レナーテ嬢のあの取り乱しは異様だ」
……まあ、そりゃそうだが。
「何故それを私に?」
「ん? 別に理由はないよ。そこにお前がいたからだ」
適当な理由だな。やっぱりこいつの思考は読めない。同僚がそこらにいるのに、何でよりにもよって奴隷に話しかけるんだよ。
「ダニアン大佐もそう思われるでしょう?」
「そうだね」彼はパイプに火を点け、煙を深く吸い込んだ。「ドミニクはあの歳で、人生のほとんどをここハニュイでくらして来た。貴族や世間の情勢にも無知なところがあるし、ここでは彼に逆らうものはほとんどいない。まあ、あの傲慢な態度になるのは不思議じゃない」
「しかし、何故そんなことになったのですか? 伯爵の次男なら、普通は社交界に出てくるものでしょう」
「……それより、お嬢様の護衛は大丈夫なのかね?」
「あっ」
やばっ
「おい! 何でイザベラ嬢の奴隷なのに一緒に行かなかったんだ!」
「なっ……そ、それは」
お前だって雇われてる騎士のくせに持ち場を離れてんじゃねぇか!
案の定、イザベラの鼻歌を聴きながら、俺とツェーゼルは、上司に説教を受けることになる。




