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銀雪の予兆

 出発する前には色づいていた木々の葉も、ここでは完全に散ってしまっている。心なしか空気も薄くなり、肌寒くなってきた。

「アレク!」イザベラは馬車から顔を出し、進行方向を指さした。「ハニュイが見えてきたわ!」

 見ると、確かに大きな山が見えた。真っ白な雪で覆われたその山は、その昔「銀の魔」と呼ばれ、人々からは畏怖の存在とされていた。その美しさと裏腹に、荒れ狂う気象によって数々の冒険者を帰らぬものとした。

 ザルダートが勢力を伸ばす際に、この山は最も重要視される事の一つとされたのは、このハニュイが潤沢な魔石の鉱脈があるからだった。ハイルミュラー家は本々、ザルダート帝国の貴族ではなかったのだが、皇帝陛下は危険なハニュイ山の知識があるハイルミュラー家に伯爵位を与え、無理やり自国に取り入れたほどだ。

 それにしても、イザベラはまだ薄手のドレスを着ているようだ。このままじゃ寒いだろう

「イザベラお嬢様、そろそろ寒くなってきました。上着をお着になった方がよろしいかと」

「そうね。ベティーネ」

「はい、お嬢様」

 騎士たちも、厚手の革のコートを羽織り始めた。フローズンベアの革で出来たザルダート騎士団の正式なコート。普通のロングソードじゃあまず刃が通ることはないだろう。結構重いらしいけど。

「お前は防寒具着ないのか?」

 騎士の一人がおどけた声で俺に言った。奴隷と分かっている他人からこんなフランクに話しかけられて、俺は少し身構える。

「え、ええ。僕は奴隷ですので……」

「アレク」イザベラの専属のメイドであるフローラが、何かを持って馬車を降りてきた。「これを着なさい」

「え?」

「お前に風邪をひかれてはこまります。早く着なさい」

「はい」

 ってこれ、ヴューラー商会のコートじゃねぇか! おいおい、金貨何枚するんだ?

「へえ、やっぱバッハシュタイン公爵家は違うねー。奴隷に高級なコートなんて、普通やらねぇぜ」

「そらそうだぁ。俺達とは生きてる世界が違うんだもん。奴隷を着せかえるなんて、おままごとの一種みたいなもんだろ」

 そんなことも、なくはない。愛玩用の奴隷なんかは、そういった娯楽目的で買う貴族もいる。ただ、俺みたいな労働系の奴隷に洋服を買い与えるのは、とんでもなく珍しいことだ。極端に言うと、犬に服を着せるのと、ダンゴムシに服を着せるのくらい差がある。ダンゴムシに服を着せるなんて、明らかに狂った奴のやることだ。

 その狂った奴と言えば、馬車の中でターキッシュデライトを気取った風に食べているようだ。どんなに気取ったって、お菓子を食べている九歳の女児には変わりない。

「ほら、粉砂糖がお召し物こぼれているではありませんか」

「そんなに急いで食べなくても、これはなくなりませんよ? もう少し落ち着いてくださいな」

 側仕えのフローラとベティーネ。確か二人とも十八だったはずだ。毎日イザベラに手を焼かされていて、婚期を逃しそうだと二人して愚痴っていたのを聞いたことがある。確かに、この世界で十八の独身と言うのは、もう危機感を持っていい年齢である。イザベラも、もうちょっとしっかりしてればなぁ。

 ハイルミュラーさん達に迷惑をかけなきゃいいけど。



 帝都ではまだ秋の始まりのころだというのに、ハニュイの山道ではもう既に雪が薄らと積もっていた。この分では、明日の朝には雪の花を見られそうである。あー良かった、これで見れなかったらあのお譲さまは俺に八つ当たりしてくるだろうしな。またヒステリック起こされちゃたまらないわ。

 かじかんだ手に温い息を吹き当てながら、雪のを踏みしめ歩いていると、ようやく山の中に大きな屋敷を見つけた。帝都にあるような白い屋敷ではなく、色の暗いレンガを積み上げた洋館だ。どうもザルダート様式の屋敷ではないようだな。

 門の前に、二つの人影が見えた。ヒョロッとした印象を受ける男と、それよりかいくらか背の低い女だ。

「お待ちしておりました、イザベラ嬢」

 男は人の良さそうな笑みを浮かべて、馬車から下りるイザベラに一礼する。イザベラもそれに対し、優雅に礼を返した。

「お会いできて光栄ですわ、アロイス様。お噂は帝都にも届いておりますよ、魔道具開発の天才だと」

「はっはっは。何、ちょっとした道楽ですよ。幸い此処には、魔道具に必要な魔石が多く採掘されるものですから」

「御謙遜ですわ。学園でも、アロイス様の魔道具は評判ですのよ?」

 普段は我儘なイザベラも、一歩社交の場に出ればここまでの猫を被ることができる。もの凄い変わり身だな、何だか可憐な少女に見えてきたぞ。

 アロイスという男は、今のハイルミュラー家の当主、ランドルフ・フォン・ハイルミュラー伯爵の長男だ。その隣にいるのは、おそらくその妻の……。

「ああ、ご紹介します。妹のレナーテです」

「イザベラ様、御機嫌麗しゅう」

 あれ? 妹だったのか。てっきり奥さんかと思った。確かアロイスには若妻が居たって、アルマさんから聞いたんだけどな。

「道中はお寒かったでしょう。さあ、暖かい食事の用意ができてますよ」

「ありがとう。もう少しで凍えてしまうところでしたわ」

 俺は荷物を持って、この家の使用人にイザベラが寝泊まりする部屋に案内してもらった。

 部屋はイザベラの自室のような豪華さはないが、西洋風の奇麗な部屋だった。雪国らしく窓は二重であり、すでに部屋が暖められている。流石公爵家の令嬢、歓迎モードが半端じゃない。

 よし、早速始めるか。

 使用人に出てもらい、俺はこの部屋の中をくまなく調べることにした。イザベラに降りかかる全ての危険の芽は潰しておかなければならない。綺麗にメイクされたベットのシーツをひきはがし、クッションの中も出して徹底的に調べつくす。

「ん?」

 何だろうこれは? 大きな機械のようなものが、部屋の壁に埋め込まれている。そこから暖かい温風が吹き出しているのが分かった。魔力も感じ取れる。ということは、これは――。

「――アロイス様が作られた、魔道具です」

 部屋の外から、おばさんメイドが俺を微笑ましそうに見てそう言った。

「こ、これはお恥ずかしいところを」

「いえいえ、初めてこの屋敷に来られた方は必ずそうやって珍しそうにするんですよ。やはり帝都でも珍しいんですか?」

「ああ、ええ、そうですね。少なくとも私はこのようなものを見たことがありません。とても成功に作られていますね」

 俺がそう言うと、そのメイドは嬉しそうに笑った。

「アロイス様はお小さい頃から、魔道具がお好きでしてねぇ、いつもお部屋でいろいろといじっていましたよ。私どもの仕事を楽にさせると言って」

「御立派な方ですね」

「ええ、本当に」

 アロイス・ハイルミュラー。その名は帝都にも届いている。新しい発想と深い魔石の知識で、次々とユニークで実用的な魔道具を生み出している。彼はより庶民的な視点に立ち、高額な魔道具を下流階級の人でも買えるように改良を重ねており、庶民からの人気が高い。それも、この寒く厳しい環境の中で、人々と助け合いながら生きている、ハイルミュラー家ならではなのだろう。

「それはヒーターというものでして、ハニュイから採掘される火の魔石で熱を生み出しているそうですよ。詳しいことは分かりませんが、おぼっちゃんのおかげで、今年は巻き割りをしないですみます」

 おぼっちゃんか。メイドからも愛されるなんて、本当によく出来たおぼっちゃまだ。垢を煎じてイザベラに飲ませたいね。

 イザベラの所へ戻ると、和気あいあいとした談笑が聞こえてきた。長いテーブルにイザベラとアロイス、そしてレナーテが座っている。いや、もう一人居るな。かなり老齢に見える、男がイザベラと話していた。

「ヴィルフリート殿は息災かな?」

「ええ、ぴんぴんしていますわ」

「それは結構なことだ。どんな富や名声より、自分の健康が何よりも大事だということに、この年になって気が付いた。いやはや、老いと言うのは翼竜のような速さでやってくるものだ」

 あれがハイルミュラー伯爵か? 聞いていたよりも大分年齢が上に見えるぞ? まだ六十半ばだったはずなのに、七十にも八十にも見えるほど、その顔には多くの皺が刻まれ、生気があまり感じられなかった。

「じゃあそのまま加速しながら、死んでいってもらいたいね。そのほうが皆喜ぶだろう」

 俺の背後から、酷くしゃがれた声が乱暴に言った。

「ドミニク、イザベラ嬢がいらっしゃるのだぞ?」

「これはこれは、失礼いたしました。イザベラお嬢様」

 その男は、格好は貴族らしいファッションで、きついコロンの匂いをプンプンさせている。貴族には珍しくない嫌らしい笑みを浮かべたまま、男は一礼した。

「紹介しよう。私の弟である、ドミニクだ」

 伯爵がそっけなく男を指して言った。

「ふっ、弟と言っても、ランドルフとは義兄弟。母が違うんですがね」

 ハイルミュラー伯爵に弟が居るとは知らなかった。アルマさんが教えてくれないってことは、イザベラにはあんまり関係ない人物と言うことだろう。それか、関係にならない方がいい人物。

 ドミニクは椅子にどかりと座るなり、ワインを一気にがぶりと飲んだ。イザベラが信じられないとばかりに息を飲み、努めた澄まし顔で「そんな風にお酒を飲むなんて、不作法ではなくて?」と悪態をつく。

「都会の連中みたいにちびちび飲んでたら、せっかくの酒の味が分からんと言うものですよ。貴女には、まだ分からないでしょうがね」

「なっ」

 おいおい、こいつイザベラが誰なのか知ってるのか? あまりにも酷い態度じゃないか。

「叔父さん」アロイスが慌てて口を開く。

「なんだアロイス。いっちょまえにたてつこうと言うのか?」

「そういうことではなくてですね」

 やばいな。イザベラの不機嫌数値がどんどん上がって言ってる。いつまた俺に奴を殺せ、とか命令が来るか分からないぞ。

 ドミニクはアロイスの忠告を無視して、酒を飲みながら言った。

「にしても、さっきの話だが、兄さんはいつ死んでくれるんだい」

 こいつ本気で言ってるのか?

 ランドルフはいつものことのように続ける。

「なぁに、まだまだやることはあるんだ。そう焦ることもあるまいて」

「そうかい。確かにね。しかし、いつまでも領地のことばっかりやってると、いざその時が来たら大変だぞ。遺産のことも、後継者の事も」

「考えておる。だから、アロイスにも仕事をやらせているのだ」

「ほう、しかしだね、その後の事も考えないといけない」

「……何が言いたい?」

「兄さんも孫の顔が見たいだろうという話だよ」

「何ですって!」

 それまで大人しかった、いや、堪えていたレナーテが立ち上がって、甲高い声を上げた。

「レナーテ、やめなさい」

「だって、お兄様!」

「いいからっ!」

「っ……」

 アロイスの声が震える。ドミニクはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、ワインをなみなみと注いだグラスを実に愉快そうに揺らした。

 空気がおかしい。明らかにおかしい。

 やばいな。イザベラの機嫌がこれ以上悪くならないうちに、なんとかしないと。

「大丈夫ですよ」妙に明るい声で、彼は言った。「そのうち、いい人を見つけますから」

 幼いながらも、この異様な空気感を察したのだろうか。楽しい雰囲気をぶち壊しにされ、イザベラは怒りにその身を震わせていた。もはや点火されたダイナマイト。爆発したら、大変なことになるぞ。

「ふっ、早く見つけることだな。今度は健康な女を」

 ドミニクはひたすら場の空気を悪くさせ、ワインのボトルを一本持って去っていった。

 イザベラが憤怒の形相で、この家の家主を睨みつける。

「何なんですの? あの汚らしい男は」

「イザベラ嬢。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ない。ドミニクは私の父が妾との間に作った子で、そのこともあり社交界にもあまり出ず、少々世間知らずなところがあるのです」

「それを抜きにしてもですわ。あのような方と、同じ屋根の下に居るなんて、耐えられません。もう帰ります」

 あーあ、やっぱりこうなっちゃう。楓もそうだったが、何か嫌なことがあるとすぐ面倒くさいこと言い出すんだもんなぁ。

「イザベラお嬢様、雪の花が見られるのは、今回を逃してはいつになるか分からないんですよ?」

 フローラとベティーネがなんとかイザベラを宥め、その場は事なきを得る。

 これ以上奴を不機嫌にさせたら、誰かの首が文字通り飛ぶことになるな。

 


そんな光景を尻目に、レナーテはテーブルの隅で歯を食い縛り、肩を震わせていた。


サブタイトルにあんまり意味はないです

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