ここにきてまさかの近接戦闘訓練である
アルマさんから魔法の指南を受けてすでに二週間が経った。俺は火と水と風と土の初級魔法をすべて、そして無属性の一部をマスターしていた。何だか天才になった気分である。いや、もしかして本当に天才なのかもしれない。ついに異世界チート来たか! と思ったりもしたのだが、俺みたいなのは結構標準なのだと、アルマさんに言われた。
イザベラの送り迎えも板について、習慣化してきた。イザベラはいつも学校生活についてべらべらと話し、俺に相槌を求めてくる。鞭の数は少しづつ減っていっていた。公爵家の令嬢といっても、まだ九歳の少女である。飽きが回るのも早いのだろう。
バッハシュタイン家の奴隷とも顔を合わせた。しかし、何の事も無い。生気の無い目をした、普通の奴隷である。やっぱりエトムントさんやバルトルトさんは特別だったんだろうな。
アルマさんの授業やイザベラの話を聞いていると、自然にこの世界のことについて分かったことが出てきた。まず、恐ろしいことにこの世界には魔物という怪物がいること。普通の生物に宿っている魔力が何らかの形で暴走し、その生物を魔物にしてしまうらしい。出来れば一生出会いたくないものだ。
『アレク、人力車を持って来なさい』
「はい、お嬢様」
今日もいつものように呼び出されるが……はて、今日は学校休みじゃなかったっけ?
疑問に思いながらも、俺は言われるがまま人力車を屋敷の前まで運んだ。そこには、一著前におめかししたイザベラと、これまたクールに決めている旦那様の姿があった。
「アレク、今日は帝国軍・騎士訓練場に行くわよ!」
「騎士訓練場?」
イザベラは妙にテンション高く言ったが、俺は見当がつかなかった。
「まったく、知らないの?」
イザベラは呆れたように肩をすくめたが、その声は得意げに弾んでいた。
「我がザルダート帝国の最強騎士団が使っている訓練場よ! お父様が視察に行くので、それに付いていくことになったの」
騎士団か、カッコいいんだろうなぁ。やっぱり男としては、剣と剣の殺し合いは燃えるものがある。
「そうですか。楽しみですね」
「ええ!」
イザベラは太陽のような満面の笑顔を向けた。こうして黙ってれば、少しは可愛げがあるんだけどな。
「アレク、無駄口を叩くな。イザベラは早く人力車に乗って出発したほうがいい。アレクの足では、私たちの速さに追い付けないからな」
旦那様はそう言って、イザベラ様の背中を押す。俺は一歩下がり、旦那様に頭を下げた。バッハシュタイン家当主であるヴィルフリートは、貴族としての威厳というものがあり、下々の者にはすっごく偉そうだ。イザベラのように、奴隷とぺちゃくちゃ喋らない。まあイザベラが異常なだけなんだろうけどな。
「でも、アレクは訓練場までの道を知らないわ」
「もう何度か行っているのだから、イザベラは知っているだろう? バッハシュタイン家の令嬢として、もう一人で行けるようにならねばならんぞ」
「はい!」
イザベラは大きく頷いた。……ちょっと待て、これ最初にこの家に来た時みたいに、途中で寝ちゃったりしないよな?
「じゃあ行きましょ、アレク」
「は、はい。かしこまりました」
この三週間弱で慣れたもので、人力車は滑るように発進した。ごてごてに装飾された人力車は重いのだが、体重のかけ方次第でどうにでもなることが分かったのだ。
「ザルダートの騎士団はね、軍とはまた別の機関なの」
まーた聞いてもいない情報を話し始めた。綺麗に舗装された道路を進みながら、俺ははいはいと相槌をうって先を促した。
「騎士は主に国の治安維持を目的として作られていて、どの街にも必ず騎士が駐在しているわ」
「ほー」
騎士は、現代日本で言う警察のようなものだ。国内の犯罪などを取り締まる、帝国の公的機関である。対して帝国軍は、主に外国からの侵略などを防いだり、他国を侵略したりするものだ。関係としては、警察と自衛隊みたいな感じだろうか。
「しかし、騎士団の訓練場は、軍の施設でもありますよね? 何故です?」
俺がそう問いかけると、イザベラは待ってましたと声を弾ませた。
「騎士団と軍は、役割は違うけど同じように武力を持っているでしょう? それなら経費削減のために、一つに纏めちゃったのよ」
騎士団になるのも軍になるのも、出る学校は一緒らしい。『ザルダート帝国立 軍・騎士団養成学校』という学校で、三年から六年間一緒に学ぶのである。そして、最後の一年に、軍に入るか騎士団に入るかを選択する。
「でもね、ほとんどの人はそこに入る時点でどこに行くか決めてるの。学校内でも、騎士団と軍で派閥があって、いがみ合ってるんですって」
「小さい頃から自分で進路を決めるなんて、皆さん偉いですねぇ」
「何言ってるのよ、家によってどこに入るかなんて最初から決まってるわよ」
さいですか。
「お父様の父方の従弟であるボニファティウスおじ様が騎士団の副団長をやっているの、今日は一年ぶりくらいに会う予定なのよ」
「それは楽しみですねぇ」
やはり公爵家ともなると、いろんな所に親戚や知り合いが居るのだろうか。副団長と聞くと、俺の勝手な思い込みでは、頭脳派の参謀的な奴を思い浮かべてしまうな。
「あとね、ボニファティウスおじ様の息子のニコラウスはね、皇帝陛下直属の近衛騎士連隊の……なんだったっけ? まあそこの一つの部隊を任されてるの。カッコいいんだぁ。今日もボニファティウスおじ様と一緒に居るはずだから、会えるはずよ」
「そうですか、それは楽しみですね」
「うん!」
いい加減相槌のレパートリーが無くなってきた。どうでもいい話はやめてほしいんだけどなぁ。
しばらくイザベラのどうでもいい話を聞いていると、山道に差し掛かった。……上り坂の。
「あの、お嬢様」
「なに、アレク?」
「その訓練場まではどのくらいかかるのでしょうか」
イザベラは顎に手を当て、少し考えた。
「そうねぇ、馬車の時は三時間くらいかかったかしら?」
三時間!? それも馬車でだ。人の足じゃどれだけかかるか分らない。それにこの急な上り坂である。だ、大丈夫だよな、俺の体……。
「何と待っているの? 早く行きなさいよ」
俺は残りの道のりに絶望しながら、ぐっと人力車を引いた。
どうしてこうなった。
目の前に広がる雲一つない晴天を眺めながら、俺は息を切らせていた。
――時間は一時間前に遡る。地獄のような道のりを制し、やっとのことで訓練場についた俺は、先回りしてきていた旦那様と合流した。
「やっと来たかイザベラ。もっとスピードは出せなかったのか?」
「アレクが坂道でへばっちゃって」
「そうか、もう少しアレクにも体力をつけさせねばな。これでは遅すぎる」
人の気も知らないで! と、今日ほど叫びたくなったことは無い。
騎士団訓練場は、山の中腹の平らな所にあり、空気が美味しくて清々しい。景色も綺麗な所にあった。
「待っていたよ、久しぶりだね、イザベラ」
そう言って出てきたのは、壮年の男だった。細身だが、程よく筋肉がつき、何とも爽やかな印象を受ける男だった。強そう、という感じはそれほど無い。
「ボニファティウスおじ様。お久しぶりです」
「うん。少し見ない間に大きくなったな、これは将来とびっきりの美人になるぞ」
「おじ様ったら、会うたびにそう言うんですから」
イザベラが談笑している間に、人力車を置いていこうとしたとき、イザベラが思い出したというように声を上げた。
「そういえばおじ様、私奴隷を持っているの!」
「そうかそうか、それは良かったね。そこに居るのがそうかね?」
「ええ。アレク! 少し来なさい!」
「は、はい、お嬢様」
唐突だな。俺はイザベラに駆け寄り、ボニファティウス様とやらに礼をした。
「イザベラお嬢様の奴隷の、アレクと申します」
「へぇー……、この年の奴隷としては、よく出来てるじゃないか」
ボニファティウスは興味深げに、俺の顔を覗き込んだ。
「アレクは凄いのよ? ヘンラインのとこの戦奴隷を倒しちゃったんだから!」
「ほう?」
あの一件で、イザベラはこの話を挨拶代わりにするようになってしまった。本当にやめてほしい。
「イザベラ、アレクを騎士団と一緒に訓練させてみてはどうだ? お前を守れるようになってもらわないといけないしな」
ヴィルフリートはぬけぬけと言い放った。冗談じゃないぞ! ただでさえ今は疲れてるんだ、訓練なんてやってられるか!
しかし、俺の気も知らないで、イザベラは首を縦に振ってしまった。
「それはいい。じゃああの部隊に交じって来なさい」
「は、はあ。でも……」
「いやいや、人力車はうちの若いのに運ばせるから、早く行って来なさい。君の実力も知りたい」
「わ、分りました」
「トーマス! この子をあそこまで連れてってくれ!」
「はい! ……行くぞ」
「は、はい」
イザベラの声援を背中に受けながら、俺はトーマスという青年について行った。トーマスは暗い青色の髪を短く切りそろえ、大きな体躯を持つ青年だった。見るからに強そうである。
「おい」
「はい」
「お前バッハシュタイン家の奴隷だろう?」
「そうですが」
「戦奴隷か?」
「いや、まだそうと決まったわけじゃ……」
「万能奴隷ってわけか。それにしても災難だったな」
「へ?」
「あの部隊と一緒に訓練なんてな」
どういうことですか? それを口に出す前に、耳を劈くような怒号が鼓膜を震わせた。
「気を緩めるんじゃない!」
「はい!」
「もっと気合いを入れろぉ!」
「はい!」
人間のどこからあんな声が出るのだろうか。拡声器いらずだな。
十数人程度のむさい男たちが、一糸乱れず剣を振るっている。その前に立って声を上げるのは、ゆうに二メートルはあるかという大男だった。
「ルードルフ隊長!」
トーマスはビシッと背筋を伸ばし、右手を九十度曲げ、顔の横に構えたと思うと、その腕を左胸にあてた。おそらくこの国の敬礼だろう。かっこいいなぁ。
「どうした?」
振り返った大男の顔には、深い傷が刻まれており、俺の頭の中には歴戦という文字しか浮かばなかった。
「はい。副団長からこのバッハシュタイン家の奴隷に、同じ特訓をさせてやれとの伝言を受けています」
「ほう、こいつか?」
「よ、よろしくおねがいします」
ルードルフさんは俺を足もとから頭まで舐めるように見て、ふっと鼻で笑った。分からなくもないけどすっげームカつく。
「こんな奴がうちの部隊についていけるわけないだろ。他を当たれ」
「しかし、副団長が」
「……分かった。でもな、こいつがどうなっても知らないと伝えておけ。すぐつぶれて、死んじまうかもしれないってな」
おいおいおいおいおいおいおい! 冗談じゃねぇよ! 何その通告。殺さないでくれよ!
「分りました」
分かりましたじゃないよトーマス! おい機関車! 待って、行かないでくれ!
俺の心の叫びも届かず、トーマスは踵を返し、そそくさと立ち去ってしまった。
「お前、名前は?」
低く、凄みのある声で、そう聞かれた。
「ヒッ……あ、アレク、ですっ」
「そうか、じゃあこれを持って、あん中に入れ。まずは素振り千回だ。少しでも遅れたら百回ずつ増やしていくからな」
ルードルフさんは俺に無骨な剣を渡し、素振りしている男どもを顎でさした。
そんな無茶な。俺は自分と同じくらいの重さもある鉄の剣を引きずり、端っこの方に移動した。こんなの持ち上げられるわけがない。しかし、ルードルフさんが睨みつけているため、さぼることも許されず、仕方なく素振りすることにした。
「ぬううぅ……はあ! うぐぅ……りゃあ!」
だめだ。一振りするのに五秒はかかる。何で皆はあんなに早く振っていられるんだ? ……いや、体格差だろ。
「遅い! 遅れすぎだぞアレク! ぶち殺されたいか!」
「す、すいません」
「もっと速く!」
「は、はひ……」
「遅いって言ってんだろ!」
その瞬間、腹部に強烈な痛みが走ったかと思うと、俺の体は宙を舞い、地面に叩きつけられていた。ウソみたいに青い空が、目の前に広がっていた。
どうしてこうなった?
主人公はまだ奴隷でひどい扱いを受けていますが、徐々にましになっていくので、見捨てないでください。お願いします。




