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第1章 「収穫祭」 (6)

 

 バン! と安っぽい机が鳴った。


 ゆらゆらと部屋の陰が揺れる中、机を叩いた男はそれでも怒りが治まらないらしく、息も荒く目の前の女を睨み付ける。

 ただ声を抑える事だけは忘れていない。


「どういう事だ?! 何やってる! あれを持っていかれたら」


 女は臆する事無く、男を睨み返した。女は二十代半ば、豊満な胸を大きく襟刳りの開いた服で強調し、顔にはくっきりした化粧を刷いている。

 男は四十歳前後で、ひょろりと背が高く髪の生え際も後退していてパッと見冴えない印象だが、剥き出しの腕には幾つも傷跡あった。

 二人とも余り真っ当な商売をしているようには見えない。


「しょうがないだろ、ひったくられたんだからサァ! それを師団のヤツが手に取るなんて誰が思うんだい」

「その場で取り戻さねぇテメェが馬鹿なんだ。素知らぬ面してりゃ何もねぇ」


 昼間から窓の鎧戸を閉めきった薄暗い部屋に、一つだけ灯した蝋燭の灯りがぼんやり室内を照らしている。

 光と影は、二人の僅かな動きでゆら、ゆら、と揺れた。


「相手は中将と剣士だよッ、中身を改められて、下手に関連付けられちゃ」

「あんなモン、見た程度じゃ判らねぇよ。術を使わなきゃただの石っころだ」


 女は高い位置にある男の顔を突き上げるように食って掛かった。


「だったらアンタが行って来なよ! その間抜け面晒してさァ!」

「こンの、アマ」


 打ち付けようと腕を振り上げた男を、別の声が阻んだ。


「煩いぞ。彼女達が目を覚ます」


 きし、と卓の一角が鳴り、人影が動く。


「落ち付けよ、ウルド、エマ。煩いのは好きじゃないんだ」


 口調は穏やかだったが、二人はすっと青くなって口を閉ざした。


 諫めたのは卓の一角に、それまで黙って座っていた三十前後の男で、細い手足には幾らも力は無さそうだ。

 病を得ているのか、本来整っているだろう顔は青白く頬も痩け、眼は落ち窪んでいる。


 現に彼は、二人の人影に両側から支えられるようにして座っていた。服装からすると支えている二人は女のようだ。恭しく、男の肩に手を置いている。

 二人の顔は蝋燭の灯りの外にありよく見えないが、整った口元は笑みを(かたど)っていて、片時も崩れないその笑みはどこか薄ら寒さを感じさせた。


 今、男が歪めた唇には、彼女達と同じ形に、無機質な笑みが浮かんでいる。


「取り敢えずは、新しい娘を探すのが先だ」


 冷えた響きだった。微かに、きし、と軋む音がする。


「あ、ああ――判ってるさ、ユンガー」


 ウルドは少し狼狽えて頷き、その感情をすり替えるようにまたエマを睨んだ。


「全く、上層の娘なんか攫って来やがって、下手すりゃ足がつく状況だってのによ」


 既に娘の館を西方軍が調査しているのは彼等も知っていた。

 予定通り、下層地区だけを狙っていれば、さほど目立たずに仕事を済ませられたはずだ。


「もう少しまともな術使えねぇのか」

「あたしを馬鹿にすんなら、その口焼いてやるよ。そしたらいくら間抜けなアンタでも術がどんなモノかくらい理解できるだろ」

「ンだとォ」


「いい加減にしろと言っただろう」


 あくまでも落ち着き払った様子で、ユンガーはエマに光の無い眼を向けた。


「エマ、君の術は役に立っている。私はあの娘は気に入った。まるで人形のようだ」


 エマは勝ち誇った色の中に、一瞬だけ――恐怖を浮かべた。

 ウルドが忌々しそうに口を挟む。


「今度は渡す相手を間違えるなよ」

「ふん、アンタの店のモンに言いなよ、ウルド。下層にあんなお嬢サマが来るとは、前もって言っておいてもらわないとアイツ等だって判らないと思うけどね。アンタの判断が悪いんじゃない」


 普通なら下層の店で買い物などしない上層の娘が来るのは、今が収穫祭だからだ。


「ちッ」


 ウルドは舌打ちして唸り、どさりと椅子に腰を落とした。


「ねェ、邪魔ならあたしにちょうだいよ。あの()、とっても可愛らしいじゃない」


 ぺろりと唇を舐めて笑ったエマを、ウルドは苛々と小突いた。

 ユンガーは気に入ったと言ったのだ。


「馬鹿言ってンじゃねぇ。いいからお前は新しい娘を見繕って来るんだ。今度はきちんとな。それから、店には二、三日は知った顔以外通すなって伝えな」

「汚い手で触んないでよ。ふん、威張りやがって」


 エマは不満そうに身体を一振りし、暗い廊下に出ていった。

 扉が開いた間だけ、昼の白茶けた光とちゃぷちゃぷと水が岸を叩く音が部屋に入り込み、すぐに扉の木の板に閉ざされた。

 陽光がこの部屋の床を照らした束の間、部屋の壁にぐるりと取り囲むように並んでいる人影が、ぼんやりと照らし出される。


「邪魔されるのは困る。まだ納得していないんだ。もっと――もっと理想的な素材が欲しい。それができないなら」


 底冷えしたユンガーの声に、ウルドは少し慌てたように、卓の上に身を乗り出した。


「まあ待ってくれ。足がつくったって、あんな水晶どこにでもある、そうそう判りゃしねぇ。あと二、三人見繕うのだって余裕だよ。どうしてもヤバくなったら王都を出ちまえばいい」


 ウルドは両手を持ち上げユンガーを制するように突き出しながら、引きつった笑いを浮かべて立ち上がった。


「あんたの望み通りさ、人形師(ユンガー)


 そそくさと扉を開けて外に出る僅かな間に、ウルドは壁に視線を走らせた。


 立ち並ぶ十数名の人影が、ウルドに視線を返す。

 房飾りの付いた帽子、鮮やかで優雅な衣装、華やかな色とりどりの仮面。

 仮面の奥の、無機質な、硝子玉の瞳。

 瞳には生命の光が無い。


 人形だ。

 それはどれも皆、良く出来た、まるで今にも動き出しそうな――

 だが、人形だった。


 壁に並べられた人形達がうっすらと笑みを刻んだまま、暗がりからじっとウルドを見つめていた。




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