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第1章 「収穫祭」 (2)

 

「遅刻遅刻うぅ!」


 クライフは黒い軍服の上着を右肩に掛け、王都下層ヴァン・ルー地区の大通りを王城へと足早に歩いていた。半ば駆け足に近い。


 通りの店で買った焼きたての麺麭(パン)をひとかたまり口にくわえたままだ。乾酪(チーズ)と干し肉を炙って乗っけてもらうくらいの時間はあったかもしれないと残念に思う。

 二十代半ば、茶色の明るい瞳と少し褐色がかった肌の、髪を短く刈り上げた陽気そうな青年だ。


 朝食もそこそこに速足なのは、勤務時間に遅れそうになっているせいだ。ここ下層から軍部のある王城の第一層までは、徒歩では二刻強、『(ガルド)』を使っても半刻を要する。


 王都内の大通りに一定区画で設けられ、転位の法術を施された設備を『(ガルド)』と言い、門と門の間を一瞬で移動する事ができた。

 王都は十万人近い人口を有する国内最大の都市であり、そのほとんどが坂道で構成されている。この『(ガルド)』と共にもう一つ、東西南北のそれぞれの区画を縦に流れる運河とそれに交わる環状運河があり、移動の利便性や流通の向上に大きな役割を果たしていた。


 クライフは通りを歩く人の間を縫うように歩く。


「この時期は人が多いなぁ、まだ朝早ぇのに」


 目指す場所へ先を急ぐ人々と、通りの店や露店を目当てに行き来する人々、店の主達や商品を納めに来た荷運び屋――王都は常に様々な人々でごった返している。

 それが秋も半ばのこの季節は、いつもよりぐっと人通りが増えた。

 収穫をあらかた済ませ、王都では今年の豊穣を祝う祭りが行われているからだ。


 十日間程度、各地で収穫したての作物や土地土地の工芸品、様々な屋台や旅芸人達、それを目当てに近郊の街から訪れる人々で賑わう。

 秋の収穫祭は、春の祝祭に次ぐ大きな祭りだった。


「治安維持も楽じゃねぇや」


 正規軍が、と付け加え、気を付けなければ肩がぶつかりそうなほど混んだ通りを足早に抜けながら、クライフはちらりと前方の屋根の上に覗く時計台を確認し、朝食の最後の欠片を飲み込んだ。

 本当に本当の、遅刻ギリギリだ。


「麦酒欲しいな」


 全力で走ってなんとか――遅れたら彼の上官、副将グランスレイの容赦ない雷、いや、叱責が待っている。


「走るか……」


 クライフが駆け出そうとしたその時、前方で鋭い叫び声が上がった。


「ちょっと――返しな!」


 女の声だ。


「私の鞄だよ!」


 さすがにこの声は、朝のごった返した通りに別種の騒めきをもたらす事ができた。

 少し前の人だかりが動き、クライフの視界にも逃げ去るように駆けて行く、茶色の帽子を被った男の頭が見える。


「朝っぱらからかよ」


 クライフは溜息を吐き、溜息を終える前に駆け出した。見たところひったくりの類だが、この区域では実はあまり珍しくない。


「遅刻の言い訳――じゃねぇ、仕事だな!」


 気楽そうな顔を引き締め、人混みを縫うように走る。

 けれど目的の男との間には十人ばかり通行人がいて、思うように距離を詰められない。


「近衛師団だ! 道空けてくれ!」


 クライフの大声にぎょっとして、数人がさっと道を空ける。

 だが状況を把握できていない通行人達が立ち止まってしまい、クライフは彼らにぶつからないようたたらを踏まなければならなかった。


「何だ何だ?」

「その男が鞄をひったくって逃げてんだ! 悪ィが通してくれ!」

「え、鞄?」


 声をかけながら走っても、逆に自分の荷物を慌てて確認する者達に阻まれ、なかなか埒が明かない。一方男は遠慮の欠片もなく通行人を突き飛ばしぶつかりながら、尚も駆けていく。

 誰か機転を利かせて足でも引っ掛けてくれ、と思った時、さっと辺りが陰った。

 同時に黒い人影が空から降り立つ。


 どこから飛び降りたのか――少年だ。


 見知った姿に、クライフは足を止めた。


「じょう――」


 ちょうど目指す男の目の前、と思った瞬間、少年の蹴り上げた踵が、きれいに男の顎を捉えた。

 男の身体がふわりと浮いて、通行人が避けた後の通りに倒れる。わあっと驚きと歓声が上がった。


 クライフは駆け寄って男を押さえ付け、手に持っていた荷物を取り戻した。

 凛とした明るい声がクライフにかけられる。


「クライフ、遅刻ぎりぎりだろ? 乗せてやろうか」

「上将、お早うございます」


 男を蹴り倒した少年、レオアリスへと、クライフは左腕を胸に当てる近衛師団式の敬礼を向けた。

 それからにやりと笑う。


「いやぁ、マジ助かります! 散歩帰りですか?」


 クライフは、レオアリスが乗せてやろうかと聞いた、その乗り物を見上げた。

 陽射しを遮ったのは、レオアリスの乗騎である銀翼の飛竜だ。三階建ての屋根の上に浮いている。

 十六の少年は歳上のクライフに対して、可笑しそうな、歳の割に少し大人びた笑みを返した。


「そう。それで、お前がこの辺走ってるんじゃないかと思ってさ。夕べ飲みに行くって言ってただろ」

「ははは。素晴らしい洞察力っす」


 というより、日々の観察力かもしれない。クライフは照れくさそうに頭を掻いた。

 彼等の周りに立ち止まった通行人達が、隣同士で興味深そうな視線を交わしている。


「何があったんだ?」

「ひったくりらしい。あの服、近衛師団だろ、あの二人。運が悪かったなぁ」

「近衛師団? 何で師団がこんなとこに。誰か通報したのか? 早いな」


 似たような会話があちこちで聞こえる。


「違うよ、ほら、クライフ中将がこの辺だから」

「ああ、第一大隊の――え、ってことは」


 驚きを含んだ視線が上空にいる銀翼の飛竜と、クライフの横のレオアリスを見比べた。


「銀翼だ」


 銀翼の飛竜――軍の大将級の乗騎だ。

 そして近衛師団第一大隊の大将と言えば、王都ではよくその名前を知られていた。その理由は一つではなく、見る位置によっても異なった。


「思った以上に若いんだなぁ」


 今はやや感心したような響きだ。

 近衛師団の士官服は細身の身体にしっくり馴染んで、纏う空気も街を行く同世代の少年達とは大分違う。


 しかし本当に、若い。


 そして次の言葉には、慎重な響きがあった。


「剣士か……」


 一歩引くような。


「剣は?」

「出してないみたいだ。けど――腹の中にあるんだっけ?」

「何だ、剣で捕まえたんじゃないのか、見たかったな」

「まさか、こんな街中で。あんた剣士を知らないのか?」


 初めは囁きだった会話もすっかり遠慮無い賑やかなものに変わり、レオアリス達にも届いた。


 クライフはレオアリスの顔を見た。自分に向けられた好奇心たっぷりの視線と会話に、少し決まり悪そうだ。

 どちらの気持ちも判るとクライフも苦笑して、取り戻した荷物を掲げてみせた。


「ほらよ、荷物。どいつのだ?」


 ざわざわと通行人達が顔を見合わせる。

 クライフはぐるりと見回したが、輪の中から持ち主が歩み出てくる様子は見られなかった。


「何だぁ? 持ち主いねぇのかよ。大事な荷物なんじゃねぇのか?」


 あんな悲鳴を上げたくせに、おかしな話だ。


「どうします、上将」


 レオアリスは少し瞳を細め、その荷物を見た。煤けたような茶色の布地の、どこにでもある肩に掛ける形の鞄。


「――そうだな。仕方ない、一旦師団で預かるか」

「ですね」


 頷いてクライフはもう一度声を張り上げた。


「今取りに来なきゃ、荷物は近衛師団第一大隊で預かるぜ! 捜してる奴がいたらそう言っておいてくれ!」


 最後の言葉は通行人と、特に通りに店を構えている商人達に向けたものだ。幸い建物に軒を連ねる店の他、路上にも露店がずらりと並んでいる。

 まだ誰も名乗り出てくる者が無いのを確認し、クライフは気を失っている男を肩に担ぎ上げた。


「こいつも一緒に連行ですね。二、三日放り込んどきましょう」

「ああ。――ハヤテ!」


 レオアリスの呼び掛けに、上空で待機していた銀翼の飛竜がすうっと降りてくる。集まっていた通行人達が慌てて場所を空けた。

 レオアリスは彼等に顔を向け、軽く頭を下げた。


「お騒がせした――失礼する」


 凛とした声が再び、秋の朝の颯爽とした空気を覚えさせる。


 飛竜は三人を背に載せて、さすがに少し重そうに浮揚すると、騎首を王城へと向けて飛び去った。





 束の間の静寂の後、すぐに普段の騒めきが戻り、大通りは活発に流れ出した。

 ただ、今日のいい話の種を手に入れたのは確かだ。


 五ヶ月前、この春に最年少で近衛師団第一大隊大将になった、その本人を見た、と言えば、例えば客との会話も弾むに違いない。

 それだけレオアリスは良く人の口に上り、興味を引く存在だった。


 二年前、僅か十四の年に王の御前試合で優勝したレオアリスを、王は近衛師団に配属した。

 元々御前試合の出場者は出世が約束され、いい成績を残せば軍であれば士官級から、法術士であれば個人の研究室と五年分の研究費を与えられる。


 物語のような立身出世はいつの世も好まれるが、特にレオアリスは貴族や富裕層ではなく北方の辺境にある小村の出身で、そうした話はより一般大衆に好まれた。


 ただ、入隊後二年での大将就任は、正規軍とは異なりその任命が王の意思に基づく近衛師団とは言え異例であり――

 そして異例の出世には相応の理由があった。

 それこそがこの若さで大将位に就く事を、周囲に――内心はともかく――納得させる理由でもあった。


 レオアリスは、『剣士』だ。

 ある特殊な、稀な種族。


 ()()()()()()宿()()


 多くはその剣を腕に宿し、あたかも肘から先の骨が外へ現れるかのように、剣を顕わした。


 人々が剣士と口にする時、それは賛辞や好奇心、物珍しさだけではなく、やや複雑な響きをその中に含んでもいた。







 飛竜が飛び去った空を、狭く入り組んだ路地の影から、沈んだ視線が見上げた。

 あの袋の中に入っていたものは――


「近衛師団……しかも剣士だなんて、間の悪いこと」


 悔しそうに呟いて、女は込み入った路地の奥へと足早に消えた。


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