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第3章 「マレル旧運河」 (3)

 濡れていて滑りやすそうだと思いながら、アスタロトは梯子に手を掛けた。

 船体の腹の(へり)に立て掛けられた、二十段ほどの長い梯子だ。船の揺れに合わせて不安定に揺れるそれを登る。


 身体を持ち上げて縁を乗り越える。降り立った暗い甲板の中程に、ユンガーの姿があった。


 ユンガーは人形を両脇に従え、アスタロトへ笑みを向けている。


「浮かない顔だね。生まれ育った王都を去るのはやはり名残惜しいだろう。だが安心していい。私が君に(かしず)く充分な娘達と、永遠に変わらない美しさをあげよう。これまで作った娘達、全てを君に傅かせてもいい。――さぞ美しい光景だろうね」

「……お前は歪んでる。永遠に変わらないなんて、どこにもいないのと一緒だよ」


 アスタロトはユンガーに視線を向けたまま、彼との距離を測った。およそ二間。

 彼の人形はこの場に七体、半数ほどしか出ていない。

 残りは当然、娘達の所だ。


「判らないんだろうけど」


 ユンガーを抑えても、娘達を人質に取られればまた同じ事になってしまう。アスタロトは周囲の気配を探りながら、口を開いた。少しでも長く、船をこの場に止めておきたい。


「一つ聞かせてよ。何で人形を作ろうと思ったんだ」


 ユンガーが笑う。優位を確信した者ならではの、宥めるような口調で両手を広げた。


「時間稼ぎなら乗る気はない。その話はまた今度ゆっくり聞かせてあげよう。ほら、私の人形が待ちくたびれている」


 アスタロトの横で、娘を抱き上げた人形がキリキリと歯車の音を鳴らす。


「船室は娘達と同じだ。本当は君の為に特別な部屋を仕立てたかったが、この通り貨物船でね。だが皆君の為の娘達だ、不満は無いだろう」


 自分を睨み付けたまますぐには動こうとしないアスタロトへ、ユンガーは彼女の後ろにある階段を示した。船倉への階段だ。


「さあ――船室へどうぞ」


 人形の手が娘の首にかかる。

 アスタロトは漆黒の髪を跳ねさせ、くるりとユンガーに背を向けて船室への階段を降りた。



 梯子に近い階段を降りると細い廊下の左右にそれぞれ扉と、正面にもう一つ扉がある。この廊下の扉はそれだけだ。

 左右の扉が通常の船室になり、正面の扉は貨物の為の仕切りの無い船倉になっていた。娘達が入れられたのはこの正面の船倉で、アスタロトは人形に促されるままに、その扉を潜った。


 船尾まで、船の半分以上を占めるほど広い。窓が一つも無くて不思議に思ったが、壁の向こうはもう一層、船を漕ぐ為の櫓が据えられた部屋があるのだと思い至った。


 薄暗い部屋を見渡そうとしてはっと息を呑み、アスタロトは駆け出した。部屋の中央に、数人の娘達が横たえられている。


「大丈夫――?」


 一人、一番手前に寝かされていた自分と同じ年頃の少女を抱え起こし、顔を覗き込む。目を固く閉じたまま返事は無かったが、肌の暖かさにひとまずは安堵を覚えた。


「しっかりしろ」

「眠っているだけだよ」


 ユンガーが扉の脇に立ち、アスタロトを面白そうに眺めている。


「ただ余り動かさない方がいい。人形みたいに首が落ちるかもしれない」


 冗談めいた言い方だったが、それが単なる脅しで無い事ははっきりと判った。少女の首元に、細い糸が巻き付いている。


 アスタロトは瞳に怒りを昇らせた。少女を下ろし、立ち上がってユンガーを睨み付ける。


「いい加減にしろよ! こんな事して何が楽しいんだお前!」


 部屋の四隅には、娘達を監視するように、一体ずつ、四体の人形が立っている。あくまでも、娘達をアスタロトへの脅しに使うつもりなのだ。

 ユンガーは人形に支えられた身体を僅か揺らした。


「楽しいという言葉は適切じゃない――」


 両脇の人形が動く。ユンガーもまた人形に運ばれるように歩いた。


 今気付いたが、ユンガーは余り足を動かしていない。少しばかりぎこちない動作で、アスタロトの前に立った。

 手を伸ばせば届く距離――炎なら確実にユンガーを捉えられる。


 アスタロトはゆっくり息を整えた。


「この()達は帰してやれ。今すぐ」

「それは交渉とは言わない。提供できる利も切り札もない言葉に誰が頷くのかな」

「交渉? 笑わせんな。お前は操り人形みたいに誰かを頷かせた事しかないんだろ」


 ユンガーは喉を反らせて笑った。


「ははは! 君は本当に面白い。公爵家の姫君とはとても思えないな。もっと令嬢らしくとさぞ周りを嘆かせているだろう」


 人形に背を預け、ユンガーはゆったりと腕を組んだ。


「でもこの先はもう、そう嘆く必要も無くなる――私が高貴な姫君らしく仕立ててあげよう」

「ばっかじゃないの、そんなの私じゃないよ。大体周りは嘆いてるって、そんなことないし」


 ユンガーは座ったまま顔を伏せるように笑った。

 ユンガーは今なら、優位を確信して油断しているように見える。

 好機に思えた。


(今のうちに、私が――)


 呼吸を整え、炎を指先に宿そうとした時、ふと遠く鐘の音が聞こえた。


「!」


 夜の静寂を打ち破り、かぁんと高く一つ。

 ユンガーの面に笑みが広がる。


「十一刻――堰を開ける合図だ。我々の船が出る」


 アスタロトは再び辺りに意識を巡らせた。

 本当に、来れなかったのだろうか。


 水の音が遠くで鳴り、足元に振動が伝わる。

 堰を切った水が流れ降りてくる。


 アスタロトは娘達を見、四隅の人形達を見、そしてユンガーを見た。


(レオアリス――)


 船は一度大きく船体を揺らし、それから速い流れと風に乗って運河を下り出した。





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