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第3章 「マレル旧運河」 (2)

「いつも思うが勿体ないねぇ。このまま売ってもいい金になるぜ」


 ウルドは担いでいた少女を、揺れる船倉の床にどさりと下ろした。

 エマの法術によって深い眠りに落ちているせいか、少女が目を覚ます様子はない。ただ少女の目元には憔悴と泣き腫らした跡がある。


 攫われて来てからずっと閉じ込められ、恐怖はこびりつくように彼女達を捉えていた。眠っている方がましな状態とも言えるだろう。

 エマはウルドを睨んだ。


「ちょっと、荷物みたいに扱うんじゃないよ。それに人形のがずっと高値で売れるさ。永遠に老いも変わりもしない。十年もすりゃこの子らだって感謝するかもね」

「ふん、口調がユンガーに似てきたなぁエマ。ま、俺は生身の女の方がいいね。十年くらい経った方がよ」

「あんたの趣味なんざ聞いちゃいないよ、そう真っ当でもないくせに」


 エマも少女を下ろし、片手で豊かな髪を跳ね上げる。


「無駄口叩いてないで、さっさと残りの娘を運んでちょうだい。時間が無いよ」


 堰の開く十一刻まであと半刻、残り三人の娘と――アスタロトを船に移さなければいけない。


「判った判った。そんであのお嬢ちゃんはどうするんだ? まだ眠らせてねぇみたいだが、暴れてせっかくの船を焼かれちゃ困るぜ」


 エマは少しだけ声を落とし、少しだけ眉を潜めた。


「いいんだってさ。ユンガーは観察したいんだろ――いつもの事さ。まあ娘を一人、脅しに連れてれば手も足も出せやしない」


 ユンガーはいつも、人形作りに取りかかる前は、対象を観察した。一つ一つの表情、仕草。

 何をする訳でもなく、ただ観察する。

 本来の性格や表情を丁寧に拾い上げ、人形の表情や仕草に活かす為だ。


 ウルドはうんざりと眉をしかめた。彼にしてみれば、ユンガーの趣味などさっぱり理解できない。あれを欲しがる相手がいるのだから、全く世の中判らないものだ。

 そうは言っても商売が成り立つからこそ、ウルドはこの仕事を引き受けているのだが。


「お前、ユンガーとは長いんだろ。奴はいつからああだったんだ?」


 ウルドはもともとエマとは昔馴染みだったものの、ユンガーと組んで仕事をするようになったのはここ一年ほどの事だった。

 エマがウルドの商業網を頼ってきたからで、以前から王都とその近隣で裏の仲介業を営んでいたウルドは、ユンガーの人形を引き受けた。

 だが、ユンガーの過去については全く知らない。


「長いったって五年程度よ。会った時にはもう今と同じように人形を作ってたからねぇ」


 エマが初めて見た時も、人形はユンガーの横にいた。

 今と全く変わらない、あの右側の人形だ。


 ユンガーが最初に成功させた、人間から作り出した人形なのだと聞いた。

 もう一体は何度か入れ替わったが、あの右側の一体だけはずっと変わらない。


 何度か売って欲しいと請われているが、ユンガーは全くその気は無いようだった。むしろその要望は彼を怒らせるものだ。


 あれだけは特別――


「まあ、俺は分け前さえ貰えりゃいいがね」

「そう思うならさっさと仕事しなよ。あと残り三人を運んでおいて」

「お前はどうすんだ、俺ばっかりに押し付けんなよ」


 エマは紅い唇を吊り上げてみせた。


「あたしはお嬢さんを迎えに行くのよ。お友達連れてね」






 アスタロトは完全に、待ちくたびれていた。


 もう何刻経ったか判らないのに窓を叩く合図すら無い。だだっ広く何もない部屋は考える事しかできなくて、考えるだけで行動できない状態は辛い。

 せっかくここまで来て、攫われた娘達は目と鼻の先にいるのにだ。

 きっかけがあれば、助ける為に動けるのに。


「遅い――遅すぎる。アイツ何やって」

「何が遅いんだい?」


 ふいに声を掛けられ、はっとして顔を上げると、いつの間に来たのか扉の横にエマが立っていた。

 アスタロトは息を呑んだ。エマの後ろに影のように立つ一体の人形――そして、人形の腕に抱えられているのは、十三、四の少女だ。


 眠っているのか、黒い真っ直ぐな髪が俯いた頬に落ちかかり、瞼を閉じているせいもあってあどけなさすら残っている。

 エマが少女を連れている理由は、聞かなくても判った。


「――」


 睨み付けたアスタロトの視線を、エマは笑みで受け止めた。


「おいで。これから王都を出るのよ」


 アスタロトはそっと息を抑え、素早く窓を見た。時計など無く時刻は判らないが、深夜に近いように思える。


(何やってるんだ、レオアリス……)


 エマは豊満な胸を強調するように腕を組み、満足気な笑みを浮かべた。アスタロトが軍の救援を待っている事などエマ達にはお見通しだ。

 だが、これまでこの倉庫の周辺や表の船に、兵士らしき者が近付く気配は無かった。兵士どころか、雨のせいか人影すらない。

 あと四半刻で堰が開き、船が出る。


 王都を出てしまえば、エマ達の――、ユンガーの勝ちだ。


「残念だったけど、あんたの助けは来なかったねぇ。正規軍も頼りないじゃないか。大事な総大将がここにいるってのに」


 嘲る言葉に対し、アスタロトは挑発するような瞳をエマへ向けた。


「正規軍が頼りないかどうか、試してみれば」


 エマの赤い唇が上がる。


「ふふ、そんな言葉で待ったりしないわよ。あんたは正規軍の兵を犠牲にする気なんて無いんだろ。さあ、もう船が出る、おとなしく歩いてちょうだい」

「船――」


 アスタロトは口中でその言葉を繰り返した。


 予想していなかった事態に、アスタロトの面に少なからず驚きが走る。エマはアスタロトの驚きを見て取り、再び紅い唇をにんまりと吊り上げた。


「そう、船よ。この雨で運河の堰が開く。どういう仕組みか、あんたには大体判るでしょ? 王都ってのはホントにすごいよねぇ、きちんと考えられて造られてる。お陰で堰を開いてる間は何にも邪魔されずに船を出せる。この雨はまるでユンガーの味方をしてるみたいじゃないか、ねぇ」


 だからもう諦めなよ、とエマは優しい声を出した。


「あと半刻後には王都とも永遠にお別れ――せめて別れを惜しんでおいたらいい。さあ、おいで」


 同情たっぷりの言葉とは裏腹に、エマの後ろでは人形が眠っている少女の顔に手を掛ける。


 一度はエマを睨み付けたものの、アスタロトは両手を握り締めて感情を押さえ込み、部屋を出た。


(船――)


 非常に不味い状況だ。まだこの場所すら伝えられていない状態で王都を出てしまえば、ユンガー達を追う手がかりは途切れてしまう。


 外部から完全に切り離され、助けの期待できない状態で、ユンガーの人形から娘達を取り戻さなくてはいけなくなる。


(私一人で、人形を抑えられるか? 娘達に傷を付けずに――)


 ずっとそれを考えていたのだ。けれどどう考えても、昼間の状況から抜け出せない。

 人形はおよそ二十体はいる。せめて人形達を一ヶ所に集めなくては。


(やっぱりユンガーを捕まえて、脅して解放させるとか)


 それでもユンガーが娘を殺そうとすれば、アスタロトは手を下ろす他無い。

 アスタロトはエマと人形に挟まれて、倉庫から表に出た。



 外に出ると、あれだけ降っていた雨は小降りになってきていて、上空の雲が晴れてきているのが判る。もう今にも止みそうだ。

 すぐ目の前には運河があり、暗い水の上に、白い帆を張った帆船が揺れていた。ぼんやりと浮かび上がるような姿に、心臓の鼓動が早まる。


 周囲に意識を向けても、運河の水が船底や岸壁を叩くだけで、アスタロトの待っている音を聞き取る事はできない。


 来ていないのか――間に合わなかったのか。


 ここを見つけられなかったのか。


(そんなはずはない。レオアリスは絶対に来る)


 エマがアスタロトの背中を押す。少女を抱えた人形がアスタロトの脇を抜け、船へと向かって歩いていく。

 否応なくアスタロトも船に向かった。







「準備はいいか?」


 地政院の運河管理官は堰の水量調節壁を開く為、一抱えもある円形の把手を掴み振り返った。

 雨は漸く止んでくれたが、予想通り水位は大分上がっている。目盛りの危険域まで、あと一寸、親指の先程度しかない。

 もう一人の管理官も頷いた。他の堰も用意を済ませているだろう。


「ああ、丁度いい頃合いだ。合図の鐘と同時に開こう」


 堰を開く時だけは、深夜であっても王都各所の時計台の鐘を鳴らす。

 開く時間を合わせる為と運河周辺や王都全域への周知、また万が一、運河を通行しようとする者に危険を報せる為でもある。


 待つほどもなく、すぐ近くの時計台が合図の鐘を鳴らした。


 一つ。


 管理官は両手に力を込め、重い把手を回し始めた。





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