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第2章 「人形師」 (6)


 平伏するヒューイットを前にして、西方軍第一大隊大将ゴードンは怒りに顔を赤く染めた。

 軍議の為の部屋には十数人が座れる卓が置かれているが、今いるのは四名のみ、窓を叩く雨音が言葉を縫って室内に響く。


「よくも貴様等だけがのうのうと戻ったものだ。自らの役割を何だと思っている」

「申し訳ございません、咎はいかようにも受ける所存です」

「貴様の命一つで足りると思うか!」

「申し訳ございません――」


 ヒューイットは弁解もなく、ただひたすら平伏を続けている。

 正規軍総司令部の一室、楕円形の長い卓に西方軍第一大隊大将ゴードンと西方将軍ヴァン・グレッグが座っている。

 卓の対面には正規軍副将軍タウゼンが座り、ヒューイットの報告を聞いている間ずっと、事態を推し量るように唇を引き結んでいた。


 あのマレル地区の戦闘から一刻、ヒューイットは兵を退いてすぐここへ来た。

 アスタロトが自ら敵の手の内に入って、既に一刻。


「公をお守りする為に身命を張るのが我等の役目だろう、それを」

「もう良い」


 タウゼンが組んでいた腕を開き、ゴードンは口を閉ざした。


「しかし、副将軍閣下」

「ここでヒューイット一人を叱責しても始まらん。もとより公は兵を犠牲にして良しとする方ではない。お前もそれは良く知っていよう」

「閣下、ですが、だからこそ我々が」

「そもそも、公のご気性を知っていながら、正体の判らない相手に対して公ご自身が出向かれる事を止めなかったのは、我等の失策だ」


 タウゼンは立ち上がり、ヴァン・グレッグとゴードンの横を過ぎてヒューイットの前に立つと、厳しい視線を落とした。


「ヒューイット、貴様はまだ機会を全て失った訳では無い。貴様とてこのままでは終われまい。右軍中隊全隊を率いてもう一度人形師を捜し出し、必ずや公を無事お救いするのだ」

「――ッ」


 ヒューイットは更に平伏し、それでいて顔を伏せたまま返答を躊躇った。

 右軍中隊、凡そ千名の兵を動かせとタウゼンは言い、それは通常の市街地作戦であれば十分過ぎる数だ。

 失地を回復する、最後の機会を与えられる事でもある。


 だが、それでも確実に、兵に損害が出る事がヒューイットには判っていた。

 ユンガーの手にある人形が先程のあの数、およそ十体であれば、中隊の五分()から一割。

 それを一割で済むと捉えるか――


 いや、確実な一割だ。

 一割が死ぬ。


 タウゼンも戦況の報告から判っているはずだ。判っていて、ある程度の損害を想定した上で指示を出している。

 この状況下に於いて、タウゼンの選択は間違いではない。正規軍副将軍として取るべき選択だろう。


 ――だが、アスタロトの意思とは違う。

 あの時アスタロトは、(いたずら)に軍を動かすのではなく、ただ一つある、確実な方法を指示した。


『王から剣を借りてきてよ』


 正規軍にとってそれは名誉に関わる事でもある。

 他者の――近衛師団の手を借りるという事は、自らの力不足を曝け出す事を意味している。


 それでもタウゼンの選択をそのまま受ければ、アスタロトがあの場で兵を助ける為にした事が意味を失う。


「すぐに態勢を整えて向かえ」


 タウゼンは未だ頭を上げないヒューイットを見て、訝しそうな視線を向けた。


「どうした」

「恐れながら――」


 ヒューイットは息を吸い込んだ。今この状況でこんな事を口にするのは、ヒューイット自身の地位と軍での未来を閉ざしかねない。

 だがアスタロトの意思と、ヒューイット自身の目にした現実からは、打開策はそこしかない。


「閣下、私の分を逸していると承知で申し上げます! 現時点で近衛師団第一大隊に協力の要請を!」


 呆気に取られ、次いで椅子を蹴たてて立ち上がったのは大将ゴードンだった。


「ヒューイット、貴様、何を――正規の面目を潰す気か!」


 ゴードンは激怒したが、それも当然と言える。

 そもそも今回の件は近衛師団が関わる要素はなく、正規軍がその責務の範疇において解決すべきものだ。

 それを一度隊を出しただけで近衛師団に救援を求めるなど、他の方面軍から謗りを受けるのは目に見えている。


「面目よりも、結果を重視すべきです!」

「黙れ、ヒューイット! 元はといえば貴様の用兵の甘さが招いた事だ!」

「それについては否定致しません。しかし、公は、王より剣を借りよと仰せになりました。それ以外に――」


 タウゼンは動じた様子も無く低く呟いた。


「剣士か」


 タウゼンの語尾を掴み損ねないように、ヒューイットは膝を乗り出した。


「そうです。五班五十名を殺戮せしめた人形の糸を断ち切るには、通常の剣では通じません。中隊を出せば捕えられましょうが、兵や娘達に被害が出るでしょう」


 ゴードンが追い払うように腕を振る。


「もういい、退れ! 貴様には追って処置を下す! 公の救出には中軍を当てる」

「大将、どうかご検討を」

「退れ! そのまま官舎に戻り、五日間の自宅謹慎を命じる。行け!」

「――」


 ヒューイットは三人の顔を順番に見つめ、その上に意見を差し挟む余地が無いのを見て取り、唇を引き結んだ。

 頭を低く下げ、黙って退出する。





 ヒューイットが出ていった後の扉を眺め、ゴードンは自分を落ち着かせるように息を吐き、ヴァン・グレッグとタウゼンに向き直った。


「申し訳ございません、閣下。あれも本来は優秀な男、数日頭を冷やせば自らの軽率な発言を悔いるでしょう」


 ヴァン・グレッグがゴードンに顔を向ける。


「――炎帝公は確かにヒューイットにそう指示したと思うか?」

「……それは、この場では」


 ヴァン・グレッグはゴードンから視線を外し、今度はタウゼンの面を計るように見つめた。


「閣下、いかがなさいますか。――彼が公を救う為に動く事に関しては、疑念はありません」


 ゴードンも口をつぐみ、タウゼンの横顔を注視する。

 本当は、アスタロトが指示した事を疑っている訳ではない。

 アスタロトならばそう指示するだろうと、タウゼン達は自ら信奉すらしている将軍の気質を判ってもいる。


 ただ、アスタロトは政治的な事への関心が低く、平時であればそうした考えに対して、タウゼン達が理を説いてみせる所だ。

 正規軍の面子とは、単に個人の意地の張り合いとは違う。

 激しく窓を叩く雨の音が束の間、翳った室内を満たす。


「陛下に対し、正規軍の無能を晒せと?」


 低く呟いたタウゼンの表情は、苦悩に近く張り詰めていた。


 やがてタウゼンは息を吐くように、ゆっくり言葉を吐き出した。


「――今、余計な動きをしている猶予は無い」








 総司令部を出て、激しい雨に瞬く間にずぶ濡れになりながら、ヒューイットは足早に歩き出した。

 厩舎で自らの飛竜に乗り、叩きつける雨を気にせず、西へと飛ぶ。


 五日間の謹慎――謹慎の明ける五日後には、事件は終わっているだろう。

 結末はアスタロトを無事救い出しユンガーを捕えはしても、兵と攫われた少女達は命を落とす。それはアスタロトの望む所ではない。


 けれど、例えヒューイットが近衛師団第一大隊に協力を要請したところで、個人の独断など近衛師団第一大隊にとって著しく不利益な内容でしかなく、彼等が容れるとも限らない。


 中将の権限を逸脱した上で結果不調に終わるのなら、いっそ今から戻って陳謝し、もう一度自ら隊を動かし、ヒューイット自身の命で責任を取った方がましかもしれないが――


 行くべきか戻るべきか――ヒューイットが迷いを振り切る前に、飛竜は目的の建物に着いてしまった。








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