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第2章 「人形師」 (4)


 夜のように暗く閉ざされた空を何度となく稲妻が切り裂き、雷鳴が響いていた。


 激しい雨が容赦なく身体を濡らしていく。

 革鎧の胸当てや手甲、腰に()びた剣の先からも、雫が滴り落ちる。

 そのくせ、空気は妙に蒸し暑かった。革製の軽装とは言え、鎧の下に汗が滲む。


「あの建物だ、予定通り動け。一班は突入の準備をしろ。二班は廊下、三班は階段下で待機、残りは建物を囲む」


 正規軍西方第一大隊中隊右軍中将ヒューイットは雨の幕の中で、雨音に掻き消されない程度に声を抑えて指示を出していく。張り詰めた空気の中、兵士達は整然と動いた。


 目標はこのマレル地区の外れ、旧倉庫街と住宅街の境目に建つ古い建物だった。

 この先を奥へ入って行くと、倉庫街に沿って運河がある。船が川を上下する為の堰が設けられているが、この雨が続けば堰を開けるだろう。


 その運河やマレル大通りから離れているこの辺りは、以前は荷役関係者の一時宿泊施設が並んでいた。

 しかし倉庫が使われなくなったせいもあり、今は打ち棄てられている。

 目標の建物もそうした一時宿泊施設で、現在地政院への登録上では無人のはずだった。


「公、準備は整いました」


 ヒューイットは路地を振り返り、右腕を鋭く胸に当てて敬礼を捧げた。

 その面にはこれから行う任務へ向けたもの以上の、緊張の色がある。

 それもそのはずだ。正規軍将軍――炎帝公わざわさのお出ましなのだ。


 路地に佇んでいたアスタロトはヒューイットの視線を受けて頷いた。

 兵士が差し掛けていた傘を手で軽く押して断り、激しい雨の中を数歩進み出る。


 レオアリスが地政院から得た情報を元に丸二日、徹底的に聞き込みを行い、この建物に辿り着いた。

 ユンガーという名前では辿れなかったが、もう一つの方面では反応があった。仕入れ面からだ。


 ここ最近上質の布の買い付けが多く、しかも毎日違う布を届けさせる客がいる、と。

 その割には届け先はこんな裏寂れた旧倉庫街で、建物に住んでいるのはその購入主のみのようだと、布を売った店の者も気味悪がっていたという。


『部屋はいつも鎧戸を閉めてて暗くて……それに、何だか気味の悪いほど精巧な人形があって――』


 その言葉が決め手だ。

 ただ、人形師と術士。

水晶と、攫われた少女達との関連は不明なままで、ともすれば余り趣味の良くない想像に辿り着く。


「人形師か――自分の人形だけ愛でてろっての」


 呟いて、アスタロトは黒い艶やかな髪が濡れるのも構わず、建物を睨んだ。

 ヒューイットが片手を上げる。兵士達が雨の中を、素早く動き出す。


「建物の出口は全て押さえろ。出て来る者がいたら無関係に見えても留めおけ」


 最初の一班が人気の無い建物の玄関を潜り、中庭に視線を走らせる。

 四角く覗き込んでくるような壁と、そこの窓には人の気配は無い。


 先頭に立つ少将のブレンが手を上げて合図すると、続いて二、三班も中庭に入った。開け放した玄関の向こうで、残りの兵士達が展開していく。


 彼等は建物を囲み、ブレン達が対象を発見したら、呼び()を鳴らして合図する手筈になっていた。

 一回であれば『標的を発見』、二回で『交戦』、三回鳴らした時は『少女達の発見』だ。


「行くぞ、二階の一番端だ」


 建物内へ入る扉は、中庭を挟んで今潜ってきた建物玄関の正面にあった。

 ブレン達は雨の降りしきる中庭から雨音が壁面を叩く棟内へと入り、すぐそこにある古びた鉄製の螺旋階段を見上げた。


 建物自体がしんと息を潜めたように静まり返っている。

 兵士達は足音を抑え、螺旋階段を駆け上がった。






 建物のすぐ横を流れる運河は、次第に水嵩を増し始めた。鍋に豆を流し入れるような水面を叩く雨音が、室内にまで響いている。

 ユンガーは二人の女に両側から支えられて身を凭れ、雨音を聞くように閉じていた瞳を上げた。


「おいで」


 低い呟きと手招きに、正面に居た別の女が歩み寄る。キリキリと微かな音が流れる。女は、精巧な、人形だ。

 ユンガーを支える二人の女も、やはり精巧で美しい人形だった。


 彼の人形がどのように動いているのか、人形はユンガーの顔に、自らの陶器の顔を近付けた。

 ユンガーがその瞳を覗き込む。その奥に映るものを。

 唇が笑みの形に歪んだ。


「彼女がいるな。自分から来てくれるとは、なんと嬉しい事だ」


 人形の瞳の中に、雨に濡れそぼる建物と路地が映っている。

 正規軍の兵士達と、その中にあって一際目立つ少女。

 すぐ近くにいる事を思い、ユンガーは痩けた頬に愉悦の笑みを浮かべた。


「エマ」


 ユンガーが囁くと、正面の人形の唇も同じ形に開いた。






『エマ』


 目の前に居た人形の唇が動き、エマは忌々しさと恐れを含んだ瞳を向けた。

 エマの髪や顎からも、雨の雫がひっきりなしに伝って落ちている。


『彼女を傷付けず、連れて来るんだ。髪の毛一筋もだ』


「――判ってるよ」


 エマは少しぶっきらぼうに答えて下を見下ろした。

 雨で煙る中にも正規軍兵士の動きは見て取れる。エマのお気に入りの少女も先ほどちらりと姿が見えた。


「でも炎帝公だ、傷付けずったって」


『戦えとは言っていない。そもそも私の人形と戦うのは、炎帝公と言えど難しいだろう』


 どうかしら、と言う言葉をエマは飲み込んだ。

 自意識過剰な物言いにも思えたが、実際にはエマは、彼の人形を恐れてもいたからだ。

 下にいる人数程度なら、今いる十体の人形で十分抑えられる。


「それより」


『判っている。ちゃんと君の取り分もある』


「――約束だよ。できれば生きてる内がいいわ」


 エマはうっとりと笑みを浮かべ、雨を滴らせて立ち上がった。






 一班を率いて二階へ上がったブレンは、廊下奥の扉の前で、兵士を扉の左右に潜ませた。二、三班もまた、廊下と階段下に待機する。

 正面に立った兵士が扉を叩く。耳を澄ましても、中からの返事は無い。


「開けろ」


 ブレンの指示に、兵士は躊躇わず扉を蹴り開けた。

 内側に弾け飛んだ扉を追って飛び込もうとした瞬間――目の前に立つ人影に気付き、兵士は思わず後退った。


「!」


 剣の柄に手を掛け、一呼吸の後、再び――慎重に、扉に近付く。

 華やかな服を纏った髪の長い女が、扉のすぐそこでうな垂れ、立っている。

 両手をだらりと垂らし、灯りの無い暗い室内に浮かび上がるような姿は、ひどく気味が悪い。


「どうした?」

「誰かいるのか!?」

「い、いえ」


 踏み込むのを躊躇っている兵士の肩を押さえ、背後にいたブレンが室内を覗き込む。


「女?」

「お前、ここの――」


 眉を顰めつつもブレンは女に話しかけ、それから訝しんで俯いた顔を覗き、呆れと驚きの入り交じったように唸った。


「人形だ――」


 拍子抜けして、兵士の一人が剣の先で人形の頭をつつく。ぐらり、と倒れかかり、慌てて手を伸ばして支えた。


「はぁ……気味悪いな。例の人形師って奴の持ち物か?」


 兵士達は立ちはだかるような人形を避けて暗い室内に入った。人の気配は無い。


「灯りを」


 ブレンの指示で、素早く角灯に火を入れる。

 角灯を受け取り、箱状の硝子から零れるぼんやりとした光を部屋の中にかざして、一瞬ブレンは凍り付いた。


 女の顔が、闇から突き出すように彼に向けられていた。

 見開かれた硝子玉の瞳が、角灯の灯りをちらちらと映している。

 浮かべた、硬質な笑み。


「……っ、何なんだ、全く」


 腹立ち混じりの息を吐き、角灯を再びかざす。

 他にも火が灯り、兵士達は浮かび上がった室内の様子を見て取った。


「うわぁ、何だこりゃあ」


 数名が恐る恐る近寄り、そこにあったものを検分して唸る。


「人形です――全部」


 室内のあちこちに、等身大の人形が立っていた。

 手足は差し伸べられたり曲げられたり、思い思いの格好で静止し、まるで今まで踊ってでもいたかのようだ。


「全部女か……着飾った美人ばっかでも、こうも並んでたら気持ち悪いな」

「人形師ってのは、日がな一日こんなモンを眺めてんのかね」

「それでも人形だけじゃ飽き足らず、ってとこですか」

「かもしれん――。人形師はどこだ?」


 見回した一人が、右手の壁に近寄った。そこに扉がある。


「こっちに部屋があります。――こりゃあ作業場だな……布やら服やら、やたら積んである。うわ、こっちも人形かよ」

「失踪者の物がないか探せ。二、三班には他の部屋や階もくまなく探すよう伝えろ」

「はっ」


 悪趣味な室内の様子にうんざりしつつ、二名の兵士が布の山を仕分けし始めた。

 残った者達は、気味悪そうに、ただ興味を惹かれた様子で、この精巧な人形をためつすがめつ眺めている。


「全く」


 ブレンもうんざりと息を吐き、壁に並んだ人形達を眺めた。


「無駄足か?」


 失踪者に関するものが何も出なければ、見当違いに隊を動かした事になる。


「扉まで壊しといて……」


 そう呟きかけて、ふとブレンは気が付いた。

 先ほど蹴り開けた扉は、真っ直ぐ室内に弾け飛んだはずだ。


 それなのに、あの人形は扉の正面に立っていた――


 他の六体もの人形達も、室内に転がった扉に当って倒れる事もなく。

 唐突に、嫌な予感が背中を這い上がる。


「……離れ――」


 振り返りかけたブレンの声に、兵士の悲鳴が重なった。

 扉の前にいた人形の両手がバネが弾けたように動き、覗き込んでいた兵士の首を掴んだ。


 ごきん、と音がして、兵士は糸の切れた人形のごとく床に倒れた。

 まるで彼の命を吸い取って生命を得たかのように、人形がゆるゆると身体を揺らす。


「し、少将! こいつら」


 慌てて剣を抜き放った兵士達は、まだ何が起ったか理解できないままに、そこにいた人形達が動き出すのを呆然と見つめた。






 雨の音を貫き、甲高い呼び()が鳴り響く。

 アスタロトは深紅の瞳を二階の窓に向けた。


 笛は一度止み、再び、高い音を発する。

 交戦の合図だ。


 だが二度目の笛の()は、長くは響かず、ぷつりと途絶えた。






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