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R2PG  作者: 匿名な人
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現実での少しの変化(X+21話)


電車が定刻に駅に着いた頃、つまり今日は僕が「何も変わらないな」と思った時の一つだった。自動ではない扉が開くと溢れてくる人、人。それに反比例するかのように、無感情さを堂々と表に出して、人混みに揉まれるとこのようになる、と警句をしているみたいだった、電車が到着したと同時に駅へとやってきた一人と先程の人間がぶつかり、使命感から解放される。僕の目にはそう映った。ぶつかられた、そう思う側には怒りが奇に浮かび上がる。やっぱり僕が見ている彼は絶対神で、自分と衝突した存在を岩蔦のようにでも思っているように、


事実、彼の世界では自分こそが神なのだろう。随神自分の価値観で人を裁き、制裁を下すわけでもなく、ただ、ルサンチマンのように憎んでいた。神であるのにルサンチマンであるというのは、僕らのような本物からしたら、甚だしさが極まりない。この発言はおこがましいな。本物というのはおこがましい。僕は「そうであろうとする人」だ僕らは自身が自身を保つために、常に自らを最底辺へと落とす。これが憎むための条件だ。彼はそれを満たしていなかったのだ。


自分が「この世界に生かされている」という事実に自覚症状をもち、その上で自分が憎むものがあれば、彼は立派に独り立ちを試みる人だ。自分がのし上がるのではなく、人を蹴落とす側だ。彼は気づくことはない。僕は確信を持って言える。何故ならば、彼の肩から下げられている荷物は、彼が何らかの目標に向かって歩いている状態を表す切符であるし、何よりも彼の坊主頭がそれを物語っている。彼は僕たちとは違い、人を蹴らずに、自分が自分の絶対性を露わにして、人から蹴落とされることを夢見ている造形だからだ。


先程に、使命感から解放されると言ったのは、そんな彼が「人にぶつかってもらえる程度の価値を自分は持っている」と認識し、自分は蹴落とされる程度までには上に登りつめ、その達成感で使命感から解放されるのだ。そんなことを考えていたら、電車は動き出した。彼とはまた別の日、見かけることがあり、そして彼が誰かに肩を擦り合わせられたのだとして、それを僕が見かけたら、また同じように思うのだろう。少し名残惜しいが、この感情ともお別れだ。


「また会う日まで」とだけ捨て台詞を残し、もう同じ状況は起こりませんようにと願う。僕の感情が朝から高ぶらないのはこんなことがあったから。そして、「何も変わらないな」と呟くのが億劫になってしまった。呟いてしまったらまたあの感情に出会ってしまいそうで。だから、僕はついに枷を外した。自分の怖さが枷を外させて、逃げる、いいや、変わるための努力をし始めた。ただ心の持ちようだが。僕にはそんなことすら難しいのが悔しい。枷を外した僕は本当に僕なのか?偶然に外れてしまっただけではないのか。どうでもいいや、ただの視点の違いだ。



電車が僕が乗った駅から次の駅に立ち止まった。僕が乗ってきた駅ほどに多くはないが、この車両には人が入ってくる。人と人がせめぎ合い、持ちつ持たれつの関係を上辺では保っていた状態を壊しにやってきた。実は自分たちだけが自分達固有のスペースを持っていた人間を新たな乗客が奪いにくる。考えてみればその様は傍からみれば死刑執行人と何ら変わらない。自覚症状のない彼らは、彼らこそが新たに自分固有の場所を作りにやってきた。執行人も、次の駅につけば執行される側だ。それが僕にはたまらなく嬉しかった。


彼らには、ざまあみろって言ってやりたいけれど、彼らは無自覚なのだ。無自覚な彼らには痛みも苦しみもない。だから僕は自分の罪の重さに苦しめられた。無自覚なのは悪辣だ。電車が駅に停車するときは、本当に僕は汗水漬く。無自覚であるのを所望しなかったことはない。ずっとそれを考えていたわけではないが、幸福に見える人を見る度、感じざるを得なかった。自分が変わるための努力をする、なんてことを言ってしまったときがあったが、努力というものは、結果に付随するものだ。逆ではあり得ない。


努力をしたのに、結果が出なかった。つまりそれは努力ではないのだ。結果さえ出れば少しでも「行ったこと」は称えられる。だから、努力は結果に付随する。無駄になった努力を努力へと仕立て上げるには、結果を出さなければならない。僕が出さなければいけない結果は単純だ。僕が弱いと言っている汚さだ。確かに僕はダメな人間ではあるが、それ以上に自分を過小評価している。そして、それがさも免罪符であるかのように振舞っているのが汚さだ。ただ、この汚さは誰にも知られることがないため、変わる変わらない、なんてやっぱり心の持ちようやみたいだ。そのとき、停車中の電車がまた走り出した。揺れたため、僕の保有していた場所は誰かの保有するものに塗り替えられた。



今のでついに次降りる駅に来てしまった。今まで考えてきた事柄も、この小さな旅路の終わりでゴミ箱にガムの封と一緒に捨てることに決めた。駅に着いて、外の世界に出るのなら、人との関わりは避けては通れない。本当き一人は楽だが、大勢の中の一人は、自分が惨めに思えてきて、それが自分が自分を見下す程には自分が蹴落とされる立場にいるのを悟った。自分で今の自分を捨て、生存競争に勝った存在が残っていくのはなんとも自然の摂理の様で美しく思えた。でも間違いなく、今美しいと讃えた自分は負ける。一番上から見下している僕は一番蹴落とす対象になりやすいからな。


生存競争が終わるのはいつだろう。消えても新しいのが現れるだろうから、決まるとしたら、僕が消えて、そのときの誰かの印象の中に残った僕が勝利者だ。僕みたいな奴でも勝利者になれるのだと考えられるなら、死んだ後が一番の幸福なのかもしれない。でも、今主導権を握っている僕は蹴落とされるだろうから、僕は負け組か。それでもいいか。自己犠牲なんて大体自分のためだって言うし、真に僕のための自己犠牲も悪くないか。でもまだ。まだこの僕は終わらない。終わっていない、僕は「美しいと感じた僕」から「自己犠牲も悪くないと考える僕」に今しがたなったばかりだ。


心の持ちようは変わる。僕は努力をせずに変わった、結果が現れた。努力は結果に付随する。だから今僕は「考える少しの努力」を行ったことにする。結果のある存在に誰も罵倒を浴びせることはできない。僕の結論付けが丁度終わったとき、電車が駅で停車した。人波を掻い潜って改札方面へと歩き出す。そのとき前から人が来たんで、彼のようにはなるまいと左に避ける。運悪くも人とぶつかってしまった。だがこれで僕はぶつかった側だ。一人の人を解放出来た。言い換えて、「救った」ということにさせてもらおう。

今回の話は部誌での提出分でした。


誰かはこれに目をかけていることを期待しつつ

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