終幕
騎士爵家当主マンフレート、少女の手を取って誓いを立てる
「わたくしも、マンフレートさまにお伺いしたいことがありますの」
「はい、なんなりと」
理知的な瞳に、ぴんと立てた耳が凛々しかった。
それでいて、少女らしい柔らかな雰囲気は保ったままだ。
彼女は十四と、先ほど聞いている。
ぎりぎり適齢期だが家格も上なら見目も麗しく、本来ならシリングス家に来るようなご令嬢ではない。
それにしても、『置いていかないで下さい』とは……。
家同士の縁談は───と言うには既に本人らが直接交渉している───得てしてこんなものなのだろうが、本当に良いのかなと私はこっそり胸中で溜息をついた。
▽▽▽
この縁談はあちらからのお声掛かりで、家柄はお互い問題視されないと確認が取れていた。
彼女は妾腹のご令嬢だが継承順位も低く、私は末席に近いながら正式な貴族で、騎士団は辞めたが不名誉除隊ではないので帝国騎士の称号も剥奪されてはいない。
元より平民出身の嫁も考慮……というかその方が当たり前という意識が強かったので、私としては名家のご令嬢を嫁に貰っていいのかという戸惑いの方が大きかった。レオポルト副団長は気さくに接して下さっていたが、騎士団を一歩出れば、やはり雲の上の人である。
それでも幾度か届いた辺境伯閣下の手紙を見るに、ご令嬢は大事にされてきたこと、私もそれなりの評価をされた上で嫁ぎ先に選ばれたことが伺えた。
人族の女性なら子供が産めるようになる十三、四あたりから二十代そこそこ、男性ならば仕事上で一人前と認められる十六あたりから生活基盤が安定する四十頃までが、いわゆる結婚に於ける適齢期である。女性は身体……つまりは子を成す健康と年齢が優先されるが、男性は社会的地位や財力も絡むので幅が広い。農家は早くに嫁を迎え、身代を整えるのに時間のかかる職人や商人は遅いと相場が決まっていた。
貴族は背景次第で大きく変わりすぎるが、年の差十歳はそう問題とならない。
彼女は一見したところ、銀青色の犬耳を見るまでもなく人狼族の血が濃く出ている様子だ。それ以外は推測だが、身体の成長が人族よりも多少早く頑健な身体が長い寿命を約束するのと、後は変化をするとか嗅覚が敏感だとか、目くじらを立てるような心配事は少ない。
対して私は雑多な血が混じっているが、比較的人族に近いらしい。……らしいというのは、我がシリングス家は人族、エルフ、ドワーフ、魔族に水精に竜人と節操なく混ざりすぎていて、確かなことが言えないのだ。大爺ちゃん───千八百年生きる村一番の古老───には『よくわからん。よくわからんがおもしろい。病気もせんようだし気にせずともええじゃろ』と投げ遣りに評されていた。家系図を紐解けば大まかな出身は書かれているが、そのご先祖様達も半人半獣の職業軍人から純粋魔族の姫君までずらりとならんでおり、母に至っては駆け落ち同然の結婚だったとかでそれさえ伝わっていない。
水精族と火精族のように、触れあうだけで互いに命の危険が伴う物騒な恋でもない限り、種族の違いについて表立ってとやかく言われることはない。恋敵の横槍や利権の絡む拝啓の方が、余程騒ぎになるだろう。
まあ、概ねこちらも問題ないとしておく。
私もいい大人だ。
嫁を貰うことそのものは家を継ぐ前から時々は思案していたし、女性嫌いの男色家などでもないので、家の存続や私の人生だけでなく、嫁に来る女性の人生も左右するからと大真面目に考えていた。
縁談を匂わせる手紙を貰ってからはその回数も時間も多少増えたが、別に女性問題に頭を悩ませていることもなく、それどころか実家に戻ってからは問題の起こしようがなかったので、時間だけがずるずると過ぎただろうか。
そして遂に届いた、三度目の手紙。一生の問題を片付けるには早すぎるかも知れないが、いよいよ返事をせねばと数日考えた結論は『嫁に来てくれるだけでもありがたい』ということになってしまった。
その上で、ヴィルヘルミーナお嬢さま本人が寒くても大丈夫、田舎暮らしでも平気、私でもいい───いや私がいい、置いていくなと口にしているのだ。
これだけ条件が揃えば、後は男と女の問題だった。
▽▽▽
こほんとかわいらしく息を整えたヴィルヘルミーナ嬢は、少しだけ耳を立てて口を開いた。
何某かの緊張を読みとったのか、レティーツィア嬢も姿勢を正す。
「あの、マンフレートさま、恋人は……いらっしゃるんでしょうか?
もしもシュテルンベルク家が縁談を持ち込んだことで、ご迷惑を掛けたお方がいらっしゃるのでしたら、わたくし……」
黙っておいて良い問題なのになんとも律儀なことだと、私は苦笑した。
その心意気と少女の勇気には、真摯に答えるべきだと直感する。
……もっとも、見栄の張りようもないので正直に答えるだけの話ではあったが。
しかし、これで粗方の覚悟も決まったかと、私は肩の力を抜いた。
美人の卵でいい女予備軍である少女が、私に真っ直ぐと想いを向けてくれているのだ。
これに応えずして、何が男か、何が騎士か。
「あまり大きな声では言えませんが……」
「……」
「恥ずかしながらいつぞや帝都で振られて以来、そのような関係に至った女性はおりません」
「……はい」
幾分ほっとした様子で、ヴィルヘルミーナ嬢は破顔した。
そのまま小さなこぶしをぐっと握り、私に向けて勢い込む。
「では、わたくしをお嫁さんにしていただけますね?」
「ヴィルヘルミーナ嬢、それは……」
「……ダメですか?」
耳をしおしおと垂らしてしょげかえったヴィルヘルミーナ嬢と、上手く行ったと喜んだ瞬間に私の表情を見て絶望に転じたレティーツィア嬢。
ああ、いや、そう言った意味で返事を保留したのではなく……この主従は、まったく気付いていないらしい。
私はやれやれという気分で、言葉を足した。
「……駄目ではありませんし、むしろ喜んでお迎えしたいところです。
しかしですね」
「……マンフレートさま?」
「結婚の申し込みは普通、男の側からするもの。
それにこの縁談、家同士の話し合いが先に来ていますから、いまこの場で約束を交わしては、ヴィルヘルミーナ嬢のお父上を蔑ろにしてしまうのです」
「……あ!」
「ですから、家同士のお約束が正式にまとまるまで、しばらく待って貰えませんか?
その上で……」
「……」
「ヴィルヘルミーナ嬢には、私から結婚の申し込みをいたします」
騎士の名誉に賭けて誓いますと、私は彼女の手を取って口づけた。
▽▽▽
ここまでくれば両家に反対を受けているわけでなし、後はめでたしめでたし、騎士とお姫様は幸せに暮らしましたと昔語りなら話を締めくくるところなのだが、我が家の場合はここからが大変なのである。
なにせ田舎、とことん田舎だ。
この町からでもシリングスまでは道に慣れた軍馬で一日、ヴィルヘルミーナ嬢の実家までは徒歩でひと月半、馬車でも三週間はかかる。
先ほども、彼女たちがシリングスへ訪問出来るよう馬車か馬を借りようとしたが、知り合いの数軒にさえ一週間は困ると拒否されるぐらいには田舎だった。
代官にはあまり借りを作りたくないし、さりとて彼女たちに三日歩けと言うのも酷である。二人をアウドラに乗せて私が歩くのもどうかと迷った末、その分シュテルンベルクに戻るのが早くなるから結婚式も早くなるよと落ち込んだ彼女を宥め何とか事なきを得たが……結婚そのものも大変だろう。
式はそのシュテルンベルクで行うにしても、少なくとも私は足を運ばねばならないし、可能ならハルトヴィヒも連れて行きたい。
その後は花嫁が快適に暮らせるよう館の模様替えもあるだろうし、シリングスでも小さな祝宴ぐらいは開きたい。どうやらレティーツィア嬢もついてくる様子で、彼女の受け入れ準備も必要だ。……やはりハルトヴィヒを連れていくのは無理か。
これから数ヶ月は忙しくなるだろうなと、私は溜息をつきかけたが……。
「マンフレートさま、もっともっと、いっぱいいっぱいお話ししたいことがあるんです!」
未来の花嫁が大変楽しそうなので、まあいいかと全て受け入れることにした。
彼女との出会いには冒険もなく、その瞬間に運命も感じなかった。
しかし、私と彼女のこの小さな出会いも、後代になれば『騎士とお姫様は幸せに暮らしました』で一括りにされるのだろう。
それに気付いたのは、惚れられたはずが惚れた弱みになり、息子がいつぞやの私と同じように帝都の騎士団へと出仕した後のことである。
本編はこれにておしまいですが余話を一つ用意しています