第五話
辺境伯令嬢ヴィルヘルミーナ、騎士を前にその想いを振り返る
「ところでヴィルヘルミーナ嬢、聞きたいことがあるのだが……」
「はい、なんでしょうか?
あ、わたくしのことはヴィルヘルミーナと呼び捨ててくださいませ」
「では私のことも、シリングス卿ではなくマンフレートとお呼び下さい」
レオポルト兄さまの手紙どおり、騎士マンフレート……ではなくてシリングス卿改めマンフレートさまは優しいお方だった。レティーツィアの暴走も意に介していらっしゃらないご様子で、今はテーブルを挟んでのんびりとされている。
まつげが長くてしっかりとした目つきで鼻筋もすっと通っていて、背は高いけれど、同じ騎士をしている兄さまたちほどごつごつしていない。もっとずんぐりむっくりのご容姿かと勝手な想像をしていたけれど、これにはびっくり。
しかも腕の立つ騎士だというのに、これでどうしてもてないのか不思議なぐらいだ。田舎暮らしがそうも悪いとは、わたしには思えないけれど……。
「私のことはおそらく、レオポルト副団長……失礼、レオポルト公子からお聞きだと思いますが、本当に私の元に嫁いでもよいのですか?」
「もちろんですわ」
喜びで耳がぴくぴく動いてしまうのを止められなかった。
椅子とお尻の間では、しっぽも窮屈そうにぱたぱたと揺れている。
子供の頃から憧れた騎士マンフレートの本物が目の前にいると思うだけで、わたしの心は舞い上がっていた。
今朝、女将さんに昨日の騎士様に御礼を言おうと名を尋ねたときは、本当に驚いた。いろいろと不作法を重ねたけれど、そこはもう今から挽回するしかない。
女将さんには引き留めて貰うようお願いして、大至急でレティーツィアに手伝って貰い湯浴みと肌の手入れも済ませた。
失礼にならないよう言葉遣いも選んでいるし、作法通り背筋もぴんと伸ばしたまま崩していない。
あとは気に入って戴けるように、精一杯頑張るだけ。
それで駄目ならレティーツィアの胸を借りて、初恋が実らなかったといっぱいいっぱい……泣く! 泣いて泣いて泣きまくって、大好きなクランベリーと生クリームのパイを焼け食いする!
でも、もしも……。
「私はもう二十四、ヴィルヘルミーナ嬢は見たところ十代前半のご様子だが……」
「先日十四になりました。
もう嫁いでも大丈夫と、お父様だけでなくお母様たちからもご許可が出ています」
「冬は雪で閉ざされる山の中だし行商人が来るのは月に一度、空気と水は美味しいが、街まで出るのに歩いて三日。
シリングスは、このアイゼンブルク周辺の農村と比べても田舎の村です。しかもこの郡で一番の山奥、近隣の村からでさえ嫁ぎ先としては忌避されるほどですが……」
「存じております。
ですからわたくし、旦那様や子供が寒くても大丈夫なように二重編みも覚えましたもの」
「……私の両親は結婚式の招待客として出掛けた先で、運悪く『災厄』……屍竜の群と出会いまして、その地の領主や他の貴族共々、力無き民を逃すため奮戦して散ったそうです。
ヴィルヘルミーナ嬢、私は騎士であり貴族です。
私は……」
「置いていかないで下さいね」
「は?」
「マンフレートさまが戦われるのなら、わたしくしは……わたしは、マンフレートさまのお母様と同じように、お側にいたいと思います」
それは二年も前に、決めたこと。
その想いだけは、揺らいでいない。
▽▽▽
騎士マンフレートのことを知ったのは、五つ六つの頃だった。
帰省してきたレオポルト兄様の土産話に登場した人物で、おもしろおかしい人だと、その時は思っていた。
レオポルト兄様に曰く。
三年間毎日練兵場の壁に叩きつけたが、痛いの一言で済ませて立ち上がり木剣を握るその根性。
精霊の加護さえ受けている真っ直ぐな性根。
見かけよりも身軽で魔法の扱いも上手く、奇手にも滅多に動じない冷静さ。
実家で仕込まれたのか、騎士に必須な武具の手入れどころか、疎かにされがちな炊事や洗濯も器用にこなす生活力。
たまたま御出座なさった皇太子殿下の目にとまり、その場で騎士叙任されるほどの幸運。
『十六での騎士叙任もそうだし見目も中身も悪くないが、あれで田舎出身の軍役出仕でなければ、相当もてただろうに……』
『きしまんふれえとは、おんなのひとにもてないの?』
『うん、いい奴なんだがなあ。
帝都からオストヴァイセンフェルズ=アルテンブルクまで嫁に行く覚悟のあるような女性を探すのは、晴れた日にカタツムリを見つけるより難しいんだ』
わたしがその人のお嫁さんになると決めたのは、レオポルト兄様が心底残念そうに肩を落としていたからかもしれない。わたしはいつも優しい兄様たちのことが大好きで、いつも素敵な姉様たちのことが大好きだった。
『れてぃ、わたし、きしさまのおよめさんになりたい。
どうしたらいいのかな?』
『まあ、ヴィルヘルミーナお嬢さまはおませさんですこと。
でも、そのお気持ちを大事になさっていれば、お嬢さまの夢はきっと叶います』
『うん!』
次の日の朝、私は騎士様のお嫁さんになると宣言をしたらしいが、後になってレティーツィアから聞かされるまで、実はよく覚えていなかった。
それでも騎士マンフレートの名はずっと覚えていたのだから、わたしの思い込みはかなり激しかったのだろう。
いま十六ならわたしの十歳年上で、十年後なら丁度似合いの年で結婚できると、やはり十歳年上の旦那様に嫁いでいったエルフリーデ姉様の嬉しそうな笑顔を思い浮かべていた。
レオポルト兄様は忙しいのか滅多に帰ってこなかったが、同じく帝都で騎士団に在籍しているアーダルブレヒト兄様が帰ってきたときにも騎士マンフレートの話をねだっただろうか。
アーダルブレヒト兄様は苦笑して答えてくれたが、他の騎士の話とくらべてみても、やっぱり騎士マンフレートはすごいらしい。
『レオポルト兄上の仕込みで腕は確かだし、騎士として有能なのは間違いないよ。
信義にも厚いし、若いのに根性も座ってる。
でもなあ、どこかこう変と言えば変だなあ……』
『へん?』
『浮き世離れしてると言うか、最近は誘わないと酒場にも花……っとごめん、遊び場所にも顔を出さないそうだし、暇があれば練兵場で剣を振ってるか、隊舎で鎧を磨いてるらしい』
真面目な人なんだなあと、わたしは頷いた。
そのうちわたしも九つ十と背も伸びてしっぽも長くなり、姉や妹と同じように令嬢として必要な行儀作法に歌舞音曲、女主人として家を切り盛りするのに必要な算術や貴婦人の嗜みを頑張っていたが、騎士マンフレートも頑張っているからと自分にはっぱをかけていた。
十代で小隊副長に抜擢されたけど相変わらずもてないとか、腕が立つのでしばらくは総騎士団長テオドール殿下直属の小隊に配属されていたのにそれでももてないとか、レオポルト兄様の引き抜きで小隊長を任されるに至ったがやっぱりもてないとか……。
まるでわたしが大人になるまで待っていてくれているようだと、少し嬉しくなった。
更に一年か二年後だっただろうか。
あの日のことは、よく覚えている。
珍しく帰省してきたレオポルト兄様に騎士団のお話をおねだりすると、驚くべきことを口にされたのだ。
『騎士マンフレートは先日ご両親が亡くなってな、実家を継ぐために騎士団を退団したのだ』
騎士様のお嫁さんになるということは、夫を亡くすだけでなく自分も死ぬかもしれないということ。
兄様の一言に、わたしは思っていた以上の衝撃を受けた。
『周辺から援軍が駆けつけるまでの半日余り、その場にいた者だけで支えきった彼らだが……』
突然の魔物の襲来に立ち向かい、大勢の兵士や騎士や貴族が犠牲になったその戦いで、騎士マンフレートのお母様は夫のそばで杖を振るっていらしたという。夫人や子供を民と共に逃がして散った者も多くいたそうだから、逃げる機会はあったはずと、レオポルト兄様は仰る。
でも、一つだけわかったこともある。
……騎士マンフレートのお母様は、愛した人と離れたくなかったのだ。
わたしは会ったこともない騎士マンフレートのご両親の為に祈りを捧げ、涙を流した。
そんなことは初めてで、レティーツィアにも母様達にも随分心配をかけたように思う。
心の動きを自分で押さえられるほど、その頃のわたしはまだ大人になってはいなかった。
その後しばらく。
なんとなく張り合いのないままに日々を過ごしていたけれど、月のものが来て胸も大きくなり、母様と同じように……とまではいかなくても、満月に近い日なら狼になれるようになった頃。
わたしは仕事棟にある、お父様の執務室に呼ばれた。
子供が入ってはいけないその場所に呼ばれると言うことは、わたしが少しだけ大人に近づいたということ。
だからと何も変わらないような気もするので、わたしは大人しくレティーツィアの後ろについていった。
『ヴィルヘルミーナ、お見合いをしてみないか?』
『お見合い……!?』
『ああ、以前から私だけでなく、レオポルトやアーダルブレヒトにも方々をあたらせていたのだが、彼なら良かろうとようやく意見が一致してな。
もちろん、我が妻達も賛成している。
まだ相手にも話は通していないし、いやなら断ればいいのだよ』
あまりそう言う気分ではなかったのでわたしは保留して貰おうと思ったが、レティーツィアに先を越された。
『まあ、おめでとうございます、お嬢さま!
旦那様、そのお相手のお方とは?』
『うむ、年は二十三、なかなかに腕の立つ男らしい。
以前は騎士で、いまは家を継いで田舎に引き込んでおる。
元はレオポルトの従士だったが、十六で叙任したほどの……』
あの方だ!!!
私はお父様の言葉を遮って、執務机越しに詰め寄った。
『お父様、お見合いなどいりません!
いますぐ嫁ぎます!!』
『お嬢さま!?』
『誰かもわからぬのにか!?』
『えっ!?
銀竜騎士団にいらしたマンフレート・フォルカー・フォン・シリングスさまですよね?』
『……なんだ、驚かそうと思ったのに相手まで聞いておったのか?』
『いいえ、お父様。
レオポルト兄様の元従士は数名いらっしゃいますが、十六で騎士叙任したお方はマンフレートさまただお一人ですもの』
『……失礼します、旦那様』
『うむ?』
『ヴィルヘルミーナお嬢さまは、ここ数年間に当家と何らかのご縁があった帝国騎士のお名前は、全員覚えておられます』
お父様はやれやれと肩をすくめ、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
その後見合いは飛ばして正式に話が進めるからと、両家で手紙のやり取りが開始されたのだが、これがとてももどかしい。
手紙は片道がほぼひと月、このシュテルンベルクから駅伝の通じているパピエルハイムまでは毎日郵便専用の早馬が走っているが、そこから先は組合や領主の依託を受けた商人達が自分の荷物のついでに運ぶので、シリングスに届くのはゆっくりだ。
半年後、お父様が正式な縁談の申し込みを送られて数日。
一度お顔が見たいと我が侭を言ったのだが、お父様は二つ返事でお認めになられた。会いに行くことそのものよりも、旅を体験させることの方が重視されたらしい。
三度目の手紙に遅れること五日、もう一通、逗留のお願いを書いた手紙を出して貰い、今から出れば丁度いい頃合いに着くだろうと、レティーツィアをお供にシリングスへと旅に出たのだ。
お父様は万が一気に入らないようならひっぱたいて帰ってこいって仰っていたし、たぶんお互いに気に入るだろうが縁談破棄の詫びぐらいならいくらでも入れてやるとレオポルト兄様も手紙に書いて下さったけど、それはないとわたしは思っている。
心配なことはただ一つ。
この歳まで一度も考えなかったけれど、今はとても気に掛かっている。
それは。
マンフレ-ト様に万が一恋人がいる場合、わたしはどうすればいいのかということだった。
▽▽▽
心臓をなだめながら、勇気を奮い起こす。
愛の女神様、どうかわたしに幸運を!
「わたくしも、マンフレートさまにお伺いしたいことがありますの」
「はい、なんなりと」
小さく頷いて、騎士マンフレートはわたしを見つめた。