第四話
騎士爵家当主マンフレート、少女を前に昔を思い出す
翌早朝、ベッドが違うから眠りが浅くなったなど体験したこともない私は、いつもの時間に目を覚ますと階下へと降りた。
ワイン一本で深酒になるはずもなく、程良い寝起きで体も軽い。
「おはようございます、シリングス卿。
昨日は色々とありがとうございました」
昨夜とはうって変わって明るい様子の少女───遅い夕食の最中、一つ前の町に続いてまたもやレティーツィアが暴走したと酷く落ち込んでいた───が、女将よりも先に声を掛けてきた。
今は男物の旅装束ではなく、どこぞのご令嬢らしい格好の上からマントを被っている。
若干青い顔をしたメイド服のエルフがその後ろに控えていたが……打ち所が悪かったのだろうか?
「おはよう、えーっと……」
少女の名を口にしようとして、自己紹介が途中だったことを思い出す。私の名は、女将が口にしたのだろう。
メイドのレティーツィア嬢の名は聞いたような覚えもあるが、彼女の名は聞いていな……いや、レティーツィア嬢が口にしていたか。男称がヴィルヘルムなら、たぶん間違いないと思うのだが……。
「ヴィルヘル『ミーナ』嬢、昨日はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
私の推測は、間違っていなかったらしい。
にっこりと笑った彼女はフードを取り、思い出したように付け加えた。
人狼族のようで、青銀毛の犬耳が頭の上でピンと立っている。
彼女は淑女らしく膝を折り曲げて、スカートの端をちょこんと摘んだ。
「ご挨拶が遅れました、わたくしはシュテルンベルク辺境伯が第五十二女、ヴィルヘルミーナ・アリアネ・フォン・シュテルンベルクにございます。
貴方様にご挨拶を申し上げるべく、シュテルンベルクより旅をして参りました」
その名にはもちろん、聞き覚えがあった。
昨日出した手紙の一通は彼女の父、もう一通は彼女の兄に宛てたものである。
そうか彼女が副団長の妹君で私の未来の妻なのか、しかし縁談も中途で正式な取り交わしも済んでいないのに何故ここにいるのかと混乱しそうな頭を意志の力で無理矢理押さえつけていると、青い顔の侍女が一歩進み出て跪いた。
「し、しししし、しし、シリングス卿、お、お嬢さまの未来の旦那様とはつ、露知らず、昨夜はた、たた大変失礼を致しました!」
平伏する彼女に、主人の未来の夫に抜き身の剣を向ければ、なるほどそれは青くもなるかと同情する。あの程度は危険のうちに入らない私としては、全く気にしていなかった。許しを与えて立ち上がらせ、腕は悪くないと伝える。
主従はほっと息をついた。ヴィルヘルミーナには昨日のうちに伝えていたが、内心では少し心配していたらしい。
結局、私は丸一日帰還を遅らせることにした。
彼女たちは訪問を告げる手紙の後を着いて旅に出たらしく、私が手紙を出しに町へと降りたお陰で入れ違いになった様子である。夕暮れまでに町へと入りたかったので一々道中の村の広場まで立ち寄らなかったから、行商人や配達人が居たかどうかも確かめていない。
「しかし、長旅は大変だったでしょうに」
「とても楽しかったですわよ。
わたくし、旅に出るのもはじめてでしたもの」
落ち着いて話そうにも、この町には喫茶店のような気の利いた店はなかったので、仕方なく朝から開けている食堂に案内し、軽食と茶などを注文する。アイゼンブルクは商談こそ盛んだが、余人に聞かれぬよう組合の小部屋を使うか、宿の一部屋を間借りするのが普通だった。
「まあ、こちらでは蜂蜜が黒いのですね」
「シュテルンベルクの方だとツメクサの蜜が好まれますが、こちらでは今の季節ならクロモリソウの蜜が多いかと思います。
まあ、気にするのは女性と商人と菓子職人と養蜂農家ぐらいで、ただの男連中は私も含めてあまり詳しくはありませんよ」
「あら、シリングス卿はその男性ですのに、よくご存じですこと」
「うちの村にも養蜂農家がありまして、そのおかげです」
茶杯を傾けながら、よそ行きの態度を崩さぬ彼女たちに内心で嘆息する。
家同士……というにはこちらは断れぬまま状況に流されつつあったが、兄が勧めて親が決めた縁談にしては、彼女の様子は妙に明るかった。
それにだ、付き人たるレティーツィア嬢もお嬢さまの世話を焼きつつ、こちらの様子を静かに観察している。だが注視されているのには違いなくとも、お嬢さまの身を守るためではなく、世話すべき主人たちの一挙一動から次の行動を量っているように思えた。
▽▽▽
私も騎士団に入団した当時は見習いの従士として主人たる騎士───今更天の采配は思えなくなってきたが、彼女の兄レオポルト公子である───の次の行動を先回りするべく、真剣に主人の動きを見つめていた覚えがある。
当時は銀鱗騎士団第四小隊長であった騎士レオポルトは、とんでもない膂力と面倒見のいい性格を兼ね備えた一廉の人物であった。訓練で練兵場の壁に叩きつけられたことは数え切れないほどあるが、それを恨んだことは一度もない。
『稽古をつけてやるからかかってこい。
俺の剣を真っ正面から受けられるようになれば、並の騎士など子犬同然にあしらえるぞ』
三年ほど毎日のように練兵場の壁に叩きつけられていたような気もするが、合間に剣の手入れや申し訳程度の礼儀作法も仕込まれ、効率の良い魔力の編み方や回復術なども身についてきた頃。
十六の誕生日の翌日、何故か余所の騎士団の駐屯地に引っ張っていかれたのは……今となってはいい思い出だ。
『実はな、お前が勝てばいいお宝が手に入るんだ。
あっちはお前の全敗に賭けたが、俺は五人抜きに賭けた』
お前なら楽に勝てるし、勝ったらいいものをやるからと送り出された私は、軽めの騎士槍を握る正騎士に相対して名乗りを上げた。紅牙騎士団の団色に塗られた派手な全身鎧が、若干目に痛い。対する私は、従士に許された銀色の胸当てと手甲のみを身に着けていた。
正騎士の強さは主人のことを思い出すまでもなく、良く知っている。
しかし賭事を抜きにしてもいい機会だと、私は頬当ての下でにやりと笑った。
なにせ賭けが絡んでいるなら相手も従士だからと容赦するはずないが、裏を返せば全力で戦う正騎士が稽古を付けてくれるのと変わらないのだ。私はまだ見習いで負けても恥ずかしいの一言で済むし、掛けの支払いは主人任せで懐は痛まない。田舎領主のうちとはちがって、騎士レオポルトのご実家は裕福な辺境伯家だった。
勝っても負けてもいいならば、落ち着いて全力で挑もう。
私は刃を潰した騎士剣を力を込めて握りなおした。
だが。
決意に反して、正騎士達は弱かった。
剣筋は見切れないほど早くもなく、受け止めても蹈鞴を踏むほどの威力はない。
主人レオポルトと同じ騎士とは思えないほどだ。隊長格と平の騎士では、これほど差があるのだろうか。
これなら実家で時々稽古をつけてくれていた父や『剛腕』の方が強いかなと首を傾げながら剣を振っていると、気付けば五人目が練兵場の壁の手前まで吹っ飛んでいくところだった。
その時は考えもしなかったが、帝都に来て三年、主人レオポルト以外の騎士とまともに打ち合ったことは一度もなかった私であった。
『そこまで!』
大音声に振り返れば、見覚えのある魔法銀の半鎧に見間違えようもない双頭竜の紋章を刻んだ偉丈夫が、笑顔の騎士レオポルトと苦い顔の紅牙騎士団長を従えて練兵場内を睥睨していた。
十六の騎士団全てを束ねる帝国総騎士団長、皇太子テオドール殿下である。
何故と思うより先に慌てて跪き、お声掛かりなり御退出なりを待っていると、足音が近づいてきた。
『やりすぎだ、馬鹿者!』
『うおっ!?』
何かが殴られて飛んでいく風切り音がして思わず振り返れば、騎士レオポルトが壁に穴を開けていた。
流石は帝国最強で世間に名を知られる殿下だ。今の自分では力不足で、どうやってもあの頑強な主人を吹っ飛ばせはしない。
『レオポルトよ、確かに見習い従士がやがて一人立ち出来るよう、心身を鍛え技を仕込みその面倒を見るのは正騎士の重要な役目。
……疎かにしておらぬようで結構だな?』
『そ、そうでありましょうとも!
こ奴、気が利く上に最近はなかなか力もつけてきておりまして、もう二年ほど鍛え上げれば立派な騎士として堂々と殿下に推挙できると期待しておるのです』
騎士の叙任には下限があって、人間族とその近縁種族ならば、体と心の出来上がる十八歳が目安とされる。
遅ければ三十手前頃だが私は昨日十六になったばかりで、もう二年ほど……つまり、十八の誕生日すぐに推薦して貰えるとなればこれは大変な名誉だった。
私はこっそりと笑みを浮かべた。
騎士レオポルトは、やはり目を掛けて下さっていたのだ。
だが、殿下は怒り心頭のご様子であった。
しばし靴先が小刻みに震えていらっしゃったが、再びの大音声が耳を打つ。
『だから鍛えすぎだと言っておるのだこの魔筋馬鹿が!!
相対した紅牙騎士団の騎士も顔をよく見れば中堅どころではないか!
手抜きなしの正騎士を余裕で五人抜きできる従士など育てるなこの阿呆!!』
『そんなご無体な!?』
『お恥ずかしい限りであります』
と、これは紅牙騎士団長。
中堅でこれなら、騎士団は大丈夫なのかと僅かに同情する。
『まったく……。
この者が従士の平均とすれば、我が騎士達の大半が従士に逆戻りでも俺は首を傾げぬぞ。
……ところでレオポルト、この者の名は何と申す?
出自は? 歳は?』
『従士マンフレートは齢十六、オストヴァイセンフェルズ=アルテンブルクの出身で、軍役にて帝都に参じております』
全て騎士レオポルトが答えているが、正騎士でもないマンフレートには皇族に対する許可なき直答は許されない。
『ふむ、騎士の家の出か。
騎士団で面倒を見て何年になる?』
『十三で故郷を出て三年、昨日十六になりました』
『一昨日まで十五か。
フン、まあいいだろう。
……第一皇位継承者テオドールは、我が名に於いて宣言する。
従士マンフレートは、本日ただいまを以て帝国騎士に叙する。
見届け人は紅牙騎士団長、騎士ヴァルデマール。
後見人は銀鱗騎士団第一小隊長、騎士レオポルト』
『は!?
殿下、無茶を申されますな!
こ奴がおらねば、明日から洗濯と掃除と武具の手入れと書類の下準備と……』
『うるさい黙れ。
もう決めた』
騎士レオポルドが何やらわめいているが、マンフレートには緊張でよく聞こえなかった。祝福を授けるための剣が、殿下の御手によって既に肩口に当てられていたのである。
ちなみに賭けの対象は、騎士ヴァルデマールが最近手に入れた騎士鎧、騎士レオポルトの方が魔法の細剣で、それぞれうちの従者の方が強いと酒場で喧嘩になり、あげく譲れぬ両者がお宝を賭けて選りすぐりの正騎士と戦わせてみることになったそうであった。
また、紅牙騎士団の正騎士達は弱かったのではなく、私が騎士レオポルトにみっちり鍛えられていると耳にした上で、ならば主人同様打たれ強いはずだが欠点も同じと膂力よりも手数で攻める巧者を集めた結果、裏目に出てしまったとのことである。
だが殿下のご登場は騎士レオポルドらにも予想外だったらしい。銀鱗騎士団と紅牙騎士団の一部に揉め事ありと影で動く者たちから報告を受けた殿下が、自らの目で確かめようと御出座なさった結果であった。
『マンフレートが十八になるまで毎日磨かせて、今日からこれはお前の物だと叙任祝いに贈ってやりたかったのだが、失敗したな……』
騎士ヴァルデマールが巻き上げられた騎士鎧は叙任されたその日のうちに私の物となり、団の銀色に塗り替えられた。口ではぼやきながらも、どうだいいものが手に入っただろうと笑顔の騎士レオポルトに、買えばいったい幾らするのかと恐縮しつつその心遣いを私は喜んだ。
その後、両親の死に帰郷して実家を継ぐまで、私は騎士であり続けた。
▽▽▽
「ところでヴィルヘルミーナ嬢、お聞きしたいことがあるのだが……」
「はい、なんでしょうか?」
小首を傾げるヴィルヘルミーナに、私は口を開いた。