99.勇者様、軍靴の音はたからか也!
戦場に来てもうすぐ一週間。
その間に少しずつ強くなった雨は、今もぱたぱたと幕舎――おっきなテントみたいなのなんだけど。
その布製の外側を叩いてる。
おとといくらいだったかな?
やることなんもなくて暇なのか、ふらふらっとやってきたくいなが得意げな顔して
「大僧正の力だよ」
なんて言ってたっけ。
もしそれがほんとなら、どうして帝都に雨を降らせなかったのかな。
旱魃で皆が大変だったときに出来なくて、戦争のときは雨を降らせるとか、意味わかんない。
旱魃が解決するから喜んだ方がいいのかもだけど。でも、やっぱり雨は憂鬱。
雨が……。
ううん。
雨なんか関係ない。
先週、気球で地形を見て。その日の内に、地図を作るって決まって出かけてっちゃったカレカ。
それからもう、一週間。一回も顔見てないんだもん。
南部に帰って、戦車に乗るようになって。一緒に出来る事、たくさん増えて。
だから、いつも近くにいたのに。急に離れちゃったら、寂しいよ。
「すぐ帰ってくるから、ちびは待ってろ」
なんて言ったくせにさ。
うそつき。
お腹の中、ぐるぐるぐるぐる変な気持ちが動き回って。それが一緒にもれてっちゃうみたい。
はあっておっきなため息がこぼれてく。
「トレ、またため息」
「ごめんなさい」
しょうがいないなあって笑いながら、手元の書類をまとめてくれてるエウレに謝って。
でも、だからってどうしようもない寂しさのせいで上手に笑えてるかわかんないけど、なんとか笑い返してみる。
地図を書くなんて大事な仕事をするカレカ。
それに、新しい道具を作るためにばたばたと動き回ってるギヘテさん。
近衛とか正規軍の人とか。
あと、僧兵の人達ともそうだけど、話し合いで色々飛び回ってる司令とコトリさん。
あと、この広い陣地全部を統括してるハセンさんもそう。
皆、それぞれ仕事があるのに、私とエウレにはそういうのなかった。
新型戦車――私のせいでかめむしなんて名前になっちゃったんだよね。
ごめん。
さておき、戦車は五両。
それぞれ乗員は四人――私達のとこは三人だけど。戦車を維持して動かすのって想像以上に大変で。
戦車に乗ってる私達以外に、整備の人が一両に二十人くらいいるっていうけっこうな大所帯。
だから、手紙もたくさん来る。
来るんだけど、宿営地とか司令部にいる時と違って、そういうの担当してくれる係の人がいないから
「トレ、南部に送るお手紙はどれ?」
「ここの束です。あと、さっき預かったお手紙の配送料、計算終わったので、教会に請求書も持って行ってください」
戦車を動かさない間、幕舎の隅っこで郵便局みたいな業務を引き受ける事にしたんだけど
「なんだか、ずいぶんどっさりだね」
「そうですね」
なんかもう。
物凄い量の手紙と、それを届けるために払うお金の請求書。
もりもりな荷物をかばんに詰めたエウレが、よいしょって声をかけて立ち上がって。
でも、立ち上がったのに、気配はちっとも離れてかなくて。
どうしたのかなって、視線を上げても、エウレの背中しか見えなくて
「……なにしにきたの?」
そんな背中越しに聞こえたのは、低く作った声だけで。
紅茶色の髪と同じ色の毛皮でふわふわのエウレの耳がぴんと立ってて。その毛皮がそわって逆立ってて。
だから、きっと嫌な人が来たんだなって思ったんだけど
「郵便物を届けに来た」
「どうだか!」
聞こえたのは耳になじみがある声。
ちょっと低くて、ぶっきらぼうなホノマくんの声で。
嫌な人なんかじゃないって思うんだけど。でも、エウレはホノマくんが来るといつも不機嫌になっちゃう。
疎開組の子達と同窓会してくれた時も、ホノマくんと私を遠ざけようとしてた気はするけど。
その頃は、こんなにあからさまじゃなかったんじゃないかな?
なにがあったんだろ。
よくわかんない。
よくわかんないけど、エウレはホノマくんの前に立ちふさがってて
「トレは南部の子だからね!帝都に行ったりしないから!」
叫ぶみたいに言って。
それから、ホノマくんの足をどんって思いっきり踏みつけて、走ってくのを見送るしか出来なくて
「ってぇなあ!」
振り返ったホノマくんが、エウレの背中を追っかけるみたいにおっきな声で言って。でも、そのすぐ後、足を押さえてしゃがみこんで
「……どこも連れてったりしないっての」
ぽしょって言ったのがふいって耳に飛び込んできて。
そんなの別になんでもないことなのに、なんだか胸がときんって跳ねた。
いつもなら、そういうの気づかないのに、今は痛いくらいはっきりわかっちゃったんだもん。
「えと……」
「ん?」
御用はなんですかってきかなきゃいけないのに、喉のところで言葉がひっかかっちゃって。上手く声に出来ないよ。
士官学校にいた頃、ホノマくんが私と話してたら急にしどろもどろになったりしてたけど。
あの時、こんな気持ちだったのかな?
なんなんだろ、これ。
「手紙、持ってきた」
「ありがとうございます」
「ん」
持ってた紙束をテーブルに置いて、すぐ向かいにとさって座る。
陣地に来て。
久しぶりに会って。
元々高かった背丈なんだけど。でも、会わない間にずいぶん背が伸びたんだなって思ったのが一昨日くらい。
ちょっとしか経ってないのに、またおっきくなった気がするのって、気のせいかな?
「あのさ」
「……なんでしょう?」
「あー……」
さっきまでもごもごしてたのは私。
今度はホノマくんがもごもごし始めちゃう。
制帽を脱いで。
がしがしって髪をかきむしるみたいに頭を掻いたホノマくんがかきまぜた空気に、埃っぽい。
でも、ちょっぴり懐かしい、ホノマくんの匂いがふわって混じる。
「あとで正式な命令来ると思うんだけどさ」
「はい」
「今日の夜。大規模な攻勢があるらしいんだ」
攻勢?
でも、今も雨は降り続いてて。
今朝だって、のんびり朝ご飯食べたし。
麦畑を挟んだところにある敵陣と、ずーっと続いてるにらめっこが終わる感じなんかちっともなかった。
それなのに。
「おれも。たぶん、トレもだけど。戦場に出る事になると思う」
「そう、なんですか?」
「うん」
あの雪の日もそう。
軍隊にいて。そこで仕事をしてるんだから、そういうとこに行かなきゃいけないかもって。覚悟してなきゃいけないはずなのに。でも、そんなのちっともで。
大砲を撃つ音とか銃を撃つ音とか。
そういうの、いつも聞こえてるのに。だけど、なんだか遠くて。
「……明日、朝。また会えたら、話したい事があるんだ」
そんな話ししない方がいいんじゃない?
こういうの、なんていうんだっけ?
“死にフラグ”とかなんとか。
前世で聞いた事ある言葉だったと思うけど、そんなの知らなくたって、帰ってこないかもって心配してるみたいで嫌だ。
「今じゃ駄目なんですか?」
「いや。うん、でも……」
「なら!」
なら、今聞きたい。
そう、思ったのに
「ちび。明日にしとけ」
「……カレカ」
幕営の入口からかけられた声に、もうそれ以上言えなくなっちゃった。
ぱたぱたと降り続く雨と、その雨を落としてる雲のせいでくらい景色に溶け込むみたいな黒い外套。
そこから見える、少し濡れた髪も同じくらい真っ黒で。
でも、それだけで誰だかわかる。
どかどかって乱暴に、音を立てて歩いてきたカレカは、ホノマくんの横まで来て、羽織ったままの外套のフードを外した。
眉と眉がきゅーってよって、なんだか不機嫌そう。
「ハーバの坊ちゃんも、そろそろ作戦下令がある。持ち場に戻った方がいい」
「……わかってますよ」
お互い目を合わせないで言い合ったカレカとホノマくん
二人がじーって私を見てて。
その視線が胸の奥の方まで突き刺さってきちゃいそうで、なんか怖い。
視線がすっと流れて、ホノマくんがカレカをちらって見るまで八秒くらい。
「じゃあ、明日。また来ます。“お兄さん”」
「……おれはこいつの兄貴じゃねえよ」
それだけ言って。
ゆるく手を振ったホノマくんが幕営から出てくまで、十五秒くらい。
二人の空気が重たくって、息も出来なくて。ようやく深呼吸出来るまで十八秒。
「ふはっ!」
「なにやってんだよ、ちび」
ぐしぐしって髪をかき混ぜるみたいにカレカに撫でられるまで、身体もぴきーんって動かなくって、びっくりしちゃった。
二人とも、もっと仲良くしてくれたらいいのにな……。
それから一時間もしない内に、南部から来た私達にも作戦指示が来た。
地図に書き込まれた塹壕線。
その線に沿って大砲を撃って、向こうからわあって出てこない様にして。そこに正面から攻撃するんだって。
敵がどれくらいいるかわかんないから、なるべく有利な条件で押し寄せて。一気にやっつけるっていうのが 表向きの狙い。
だけど、私達、南部から来た戦車は、その大騒ぎの影に隠れて、大きく南側に回り込んで。
元々は湖だった。でも、旱魃の間に水が少なくなって、背の高い草が生い茂って。
それなのにどろどろにぬかるんで、重たい正規戦車も。あと、北側に向かっての視界が悪くて、歩兵も渡れない。
そんな悪条件を北上して、向こう岸にある物資集積所を叩く。
……みたい。
この世界ではまだ実用化されてなかった気球とか双眼鏡とか。ギヘテさんが作った道具と、僧兵の人達の能力。
それから、南部方面軍とは別行動で、近衛の人達とカレカが測量をして作った地図。
大勢の力とか知恵とか。そういうの、集めて考えたんだもん。
うまくいくに決まってる。
きっと大丈夫。
大丈夫なんだって、思いたいんだけど。
でもさ。
やっぱりこんなの、おかしいよ。
司令とコトリさんからの作戦告示が終わって、少しずつ人が少なくなって。少しだけ冷たくなった幕舎の中の空気。
その空気が凍って落ちてくるみたいな、かちゃかちゃちゃりちゃりって金属がこすれる音に囲まれたまま、私とエウレ。
それから、テアはまだ、幕舎の中にいる。
「トレ、そんな顔しないで。可愛いのに台無しだよ」
「でも……」
擦れあってしゃりしゃりって音を立てる、鎖を編み込んで作ったチョッキ。
それから、ぴかぴかの金属で出来た膝当てとか脛当てとか。
野外演習の時、一校の子達がつけてたプロテクターより大仰な防具を身につけてくテア。
お手伝いしたくてここにいたはずなのに、私もエウレもなんにも出来なかった。
なんにも出来なくて。
ただ、二人で立ってただけの私達に、テアはふわっと笑ってくれる。
少し控えめで。穏やかで。でも、整った顔立ちのせいで、ちょっぴり冷たい。
いつもと同じ笑顔。
なんで、今、そんな風に笑えるんだろ?
今夜、一番先頭に立つのは、テア。それと、クイナ。
なのに、ぱきぱきって、何度もつけた事があるみたいな手つきで防具をつけてく。
外から差し込む、雨雲に隠されてるだけじゃなく。もう、ずいぶん傾いたお日様の光は夜の気配と混じって灰色。
それから、カンテラのオレンジの光があっても、幕舎の中はまだぼんやり暗くて。
もうすぐ、命のやり取りをするんだって、ぴりぴりって張りつめた空気が、そういうあったかい明りを拒絶してる。
なのに、照らし出されたテアの横顔は、いつもと変わらない温度で。
だから、余計不安になっちゃう。
だって、もうすぐ命のやり取りしなくちゃいけないんだよ。
今、この戦場にいる誰より前で。
それなのに
「怖く、ないんですか?」
「……んー、まぁ。でも、ぼくは強いからね」
「でも……」
でも。なんだろ?
私、なに言いたいんだろ?
「トレはトレの仕事をちゃんとしてきて。ぼくも、トレの仕事が楽になるように、ちゃんと持ち場を支えてくるからね」
きちんとつけ終わったテアは、私の髪をくしゃくしゃってかきまぜてくれて。
でも、その手はちょっぴり。
ほんとにちょっぴりだけど、小刻みに震えてて。
「頑張ってきてください。私も頑張ってきますから」
「エウレも!エウレも頑張るから!」
「うん。エウレも、当てにしてる。二人とも、頑張って」
いつも通りに見えるテアだって、怖い気持ちはおんなじなんだって気づけたから。
私は。
きっと、エウレも。
今出来る一番の笑顔で、テアを見送ろうって、決めた。
「じゃあ、いってくるね」
「気をつけて」
「無理、しないでね」
濃い紺色の鞘に収めた、私達が持たされてた軍用のサーベルより少し反りの浅い長剣。
南部から持ってきたそれは、クリーネ王国から取り寄せた、大砲の弾だって切っちゃう特別製。
そんな剣を腰に二本。
背中に二本。
全部で四本の剣を革の紐でくくりつけたテアの背中は、ちょっぴり怖くて。
でも、頼もしい。
見慣れてるはずなのに、でも、いつもとは違うその背中が、雨の中に消えてくのを見送って。
でも、その背中はどんどん遠くなって
「トレ。私達も行こう」
「そうですね」
雨の中にテアの背中が消えたのと同時に、すいって一回おっきく息を吸い込んだエウレの手が私の手をきゅっと握った。
そうだよね。
私達が頑張らなくちゃ、テアが頑張ってくれたのが無駄になっちゃうかもしれないんだよね。
「エウレ、私達も……」
「うん。行こう」
ちゃんとしなくちゃ!
怖いのは私だけじゃない。
つないだエウレの手も、やっぱりちょっぴり震えてて。
だからかな?
いつかテアとした決闘の事、なんとなく思い出しちゃった。
あの時だって、今日だって、命懸けなのは変わんない。それに、私だって元男の子だもん。エウレは私が守らなくちゃ!
雨の中、ふたりでとぼとぼ歩いてかめむしくん――私のせいでへんてこりんな名前になっちゃったんだよね。
ごめん。
でも、かめむしくんの方が可愛かったんじゃないかな。
夜の暗さに紛れるために、真っ黒に塗られたかめむしくんは、遠目から見るとなんていうか。
こう。
お台所に出てくる茶色いあれみたい。
南部ではめったに出なくて。あと、ジレのお屋敷でも一回も見た事なくて。
どっちかっていうと、士官学校のお風呂とかでよく見た、あの、黒光りする感じとはちょっと違うんだけどね。
光を反射しない、ざらっとした感じの塗料でべったり塗られて真っ黒になったかめむしくんがどろどろと重い音を響かせてる。
そのすぐ近くに集まってた、南部から一緒に来た整備の人とか主計さんとか。
あと、戦車のてっぺんに追いつきそうなくらい、ぴんと伸びた背筋のギヘテさん。
主計さんはともかく、整備の皆もギヘテさんも、台所のあの虫みたいなんて思ってたのばれちゃったら怒るんだろうな。
なんかおかしい。
「遅いよ、二人とも。あんたも、にやにやしないの」
「ごめんなさい」
「ちょっとお見送りしてたから、遅くなっちゃった」
舌をぺろって出して、てひひって笑って。エウレは戦車の上にとんとんって登ると、するするって戦車の中に消えてった。
そうだね。
ちょっとお見送りしてただけ。
明日、また会える様に。
そう、言えたらよかったんだけど。言えなかった。
「お別れなんて、言わなくていいよ」
「どうしてですか?」
「あの馬鹿が言ってたんだ。
明日会えるって信じてる方が、よっぽど力になるって。
だから、あんたもお別れなんかしなくていい」
でも、ギヘテさんはちょっぴり泣きそうだった。
ちゃんとハセンさんと話せたのかな?
一番先頭はテアとクイナ。だけど、そのすぐ後ろは、近衛師団だから。
明日会えないかもって、そんなの絶対ないなんて思いたいけど、約束なんか出来ないから。
二人の間になにがあったのかなんて、私にはわかんないけど。でも、きっとそうだよね。
お別れなんか言わない方がいいよね。
だからね。
「じゃあ、ギヘテさん。いってきますね」
「ん。きをつけて」
「はい」
綺麗な歯並びを見せて、にいって笑ってくれたギヘテさんを背中に、戦車に登る。
……登る。
登ろうとして、履帯に足をかけたんだけど。
けど。
あれ?
おかしい。
いつもならするするって登れるんだよ!
けど、なんで!?
滑って上手く登れないんだけども!?
この、黒い塗料。なんで履帯にまで塗ってあるの?
ずるずる滑るよ!
「なにしてんの?」
「いえ、その。あの……」
別に、足が震えてるとかないのに。なんでうまく登れないんだろ。
おかしい!
「しょうがない。皆、手伝ってやって」
「「おー」」
「あ、いえ。大丈夫、大丈夫ですから!」
整備の人がおっきな声上げて、わーってにじり寄ってきて。
そしたら、断る間なんか全然ないまま、ぐいぐいぐいーって戦車の上に押し上げられちゃった。
もたもたしてた私が悪いって、わかってるんだけどさ。
でも、なんかおかしくない?
別に、ちゃんと登れるし!
……今日は、たまたま登れなかったけど。でも、いつもはちゃんとさ。
登れてるんだから。
っていうかね。
押し上げてもらってる時、お尻をぐにぐにむぎゅむぎゅってつかまれた気がするんだけど。
あれ、誰!?
「やせっぽちだと思ってたけど、あんたいい尻してるよね」
「ギヘテさんだったんですか!」
私の顔と自分の手を見比べて。それからこう、なんかにぎにぎ開いたり閉じたりしてるギヘテさん。
……なにしてんの、ほんとに。
お見送りしてくれて、ちょっと嬉しかったのに台無し!
重い金属の蓋をごりごりってずらして、狭い穴ぽこみたいなハッチに身体をもぢもぢすべり込ませて。
席についたら、今度はもっかい蓋をごりごりって戻す。
そしたら、ギヘテさん自慢のディーゼルエンジンのごうごういう音しか聞こえなくなる。
やかましく反響するエンジンの音にお腹を揺さぶられながら、小っちゃい椅子にお尻をごしごし押しつけて。
お尻がぴたって納まったら、喉のところにマイクをつけて。
無線機のスイッチを入れて、それからヘッドフォンを……
“おせえぞ、ちび!”
“そうだよ。遅いよ、トレ!”
って、えー。
ヘッドフォン越しに聞こえた、わあって怒鳴るみたいなカレカの声と、半笑いのエウレの声。
自分だって、ついさっき来たばっかなのに、ずるくない?
エウレってば、ずるくない!?
って、別にいいけどさ。
もう。
「ごめんなさい。お見送りをしたり、されたりしてました」
“あぁ!?”
マイクがあっても、お腹に力入れて、おっきな声出さなきゃ聞こえない。
そういうの、わかってるんだけど。なんでだろ?
いつもなら絶対聞こえてるって思う、私が出した声が、カレカには聞こえなかったみたい。
ちょっと不機嫌そうに聞き返す声が返ってきた。
まぁ、そんな時もあるよね。
もう一回、マイクをしっかり喉に押しつけて、お腹に力入れて。ちゃんと聞こえるようにって。
そう思ったのに
“ちゃんと見送ってきたか?”
「ふへ?」
“ちびは、エウレちゃんと違って泣き虫だからな”
“エウレはちゃんとお見送りしてきましたよ!”
「わ、私だって泣き虫じゃないです!」
“どうだか”
なんだよ、もう!
泣き虫なんかじゃないもん!
あの日。
あの時、デアルタさんとした約束、ちゃんと守ってるんだから!
なんか言い返さなくちゃって思ったんだけど、ざしってヘッドフォンにノイズが走って
“全車、聞こえるな”
ちょっとかすれたみたいなコトリさんの声が、聞こえてきた。
声が聞こえて。それからちょっと間が空いて。また、ざしってノイズが走って
“二号車、良好”
“三号、同じ”
“四号も以下同文だよ”
点呼みたいに順番に声が聞こえてきた。
無線機のご機嫌もいいみたい。
皆の声、ちゃんと聞こえる。
「五号車も大丈夫です」
ちょっと遅くなっちゃったけど、マイクを喉におしつけてお返事。
ほんとはそんな気軽なはずないんだけど。でも、なんだろ。
こういうの、ちょっぴり楽しい。
“各車、車長は外を見ろ”
外?
せっかくお尻がいい位置に納まったんだけどな。
でも、指示に従わないと、後でひどい目にあわされちゃうもんね。
ごりごりと蓋をずらして、椅子の上に立って、ハッチの外に身体を乗り出して。
それから、くるっと周りを見渡す。
まだ強い雨で、髪があっという間にびしょびしょになって、ぺったりおでこにくっついて。
服もすぐびしょ濡れになっちゃって、すっごく気持ち悪いはずなのに、視界はなんだか晴れやかだった。
車高が低い私達のかめむしくん。
だけど、普段立ってるより高いところから見る景色は、なんだかすごく広々してる。
これなら遠くまで見えるよね。
きょろきょろと周りを見てたら、砲塔がない私達の戦車よりちょっぴり高いところにあるハッチから、他の車長さん達も顔を出してて。
ぱたぱたって手を振ってくれてるのが見えた。
……そういうの、後で怒られるんじゃないかな。
別にいいけど。
でも、なんだろ。
訓練の時は戦闘室――さっき、お尻を押し込んでた椅子がある、戦車の中の事ね。
ハッチを開けて、顔を出したりしちゃ駄目って言われてて。だから、こんな景色、全然知らなかった。
一人でちょっぴり浸ってたら、だあんって鈍い――ヘッドホンをしてなかったら、耳をふさぎたくなっちゃったかもだけど。
お腹をゆすぶるみたいな振動と音がして。
しばらくすると、そんな高い視界よりずっと高いところに、ぱふんってお日様みたいな明かりが一つ。
もう一回音がして、光は二つに。
“照明弾が上がったのは見えたな?
砲撃開始を合図に我々も戦闘を開始する”
ざしざしとノイズ交じりのコトリさんの声に、今度は誰も返事をしなかった。
ただ、ハッチから顔を出してた車長さん達も、私も。皆が一番先頭の戦車の上のコトリさんを見てる。
ひりひりするくらいの沈黙。それから
“隊形は一号車を先頭に縦一列”
今、指示をくれてるコトリさんの車両が先頭。私達の戦車は最後尾。
作戦告示の時に決められた通りの順番を、もう一回指示されて。皆が短く“了解”って答える。
そのコトリさんの声から四秒。
ごわーん
ごうごうってうるさいエンジンの唸り声にも負けないで、お腹の奥を震わせるみたいな音が響いて。
その音と同時に、コトリさんの声がヘッドフォンの中で膨らんだ。
“戦車前進!”
ごろごろと音を立てて、ゆっくりと。
それから少しずつスピードを上げて、夜の影より真っ黒な私達は、雨の中を進みはじめる。
戦うために。
今回は、いよいよ戦争……の前に、なエピソードをお届けしました。
ちょっと、格好悪い理由で病院のお世話になっていて、更新が送れちゃいました。
最終回まで駆け抜けるつもりだったのに、更新が遅刻なんて、格好悪い(泣)
身体には十分気をつけていきたいです。
次回更新は2014/09/30(火)7時頃、戦闘シーンのエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




