92.風の行方は旅路のように
かとこんかとこんと規則正しい音を立てて走る列車。
その振動に揺られて、八日も経っちゃった。
帝都に来る時は、乗り物酔いでどろどろで、トイレにこもりっぱなしだったけど、今回は平気。
……だった訳なくて。半分の四日間くらいはトイレにこもってたんだけど。
そんな、ぐらぐら揺れる地面も、あと三時間でおしまい!
やったー!
なんて、喜んでていいのかって、よくわかんないんだよね。
近衛師団を通じて、ギヘテさんが連絡してくれてるって言ってたけど。それでもやっぱり不安なんだ。
嘘ついてたって責められたら、どうしよう。
そのせいで、父さんと母さんが困ってたら、なんて言えばいいんだろう。
そんな心配ばっかりで、ちょっぴり寝不足気味なんだけど
「なぁ。この服、変じゃない?」
「……似合ってると思いますよ」
帝都ではあんまり着てる人がいない、ふかふかのファーがついたベージュのコートを着たギヘテさんが鏡の前でくるっと回る。
南部に入って最初の駅で、ちょっと外に出てみたギヘテさん。
だけど、思ってた以上に寒かったみたい。
持ってきたコートを着て、ファッションショーの真っ最中。
すらっと背が高くて、ぴんと伸びた背筋。
士官学校に通わなくなって、髪を伸ばしても怒られなくなったのに、肩にかからないところで切りそろえられた髪。
ちょっと鋭角的な眼元。
少し抑え目の色のコートを着てても、どっちかっていうと格好いいとか、男前とか。
そんな感じのギヘテさん。
でも、恋して、泣いて、べそべそに乙女な部分も私は知ってる。
「どうしたの?」
「いえ……あの、その」
ファッションショーの最中だからって、じろじろ見るなんて失礼だったかな。
気をつけなきゃね
うん。
それにしても、ギヘテさんのコートって縫製がきちんとしてるなあ。
生地だけは南部から取り寄せたって言ってたけど、造りは南部の感じじゃなくて。縫い目がぴちっとそろってて、綺麗。
帝都の縫製機械で作ったんだって言ってたけど、こんなに違うんだね。
手作りで、こんなに均一に縫える人って、あんまりいないんじゃないかな。
そういう機械もシノワズの家――っていうより、ギヘテさんの設計なんだって。
ほんとにすごい。
「やっぱり、変なの?」
「そ、そんなことないです!」
「さっきからじーっと見てるしさ。なんか、心配になるよ」
「ごめんなさい」
そんなつもりじゃなかったんだけど。でも、じーっと見られたら、やっぱり気になるよね。
それに、私だって、人の準備をぼんやり見てる場合じゃないんだった。
ちゃんと準備をしなくちゃ。
南部から持ってきたコートもあるんだけど、袖を通してみたら、袖とかつんつるてんになっちゃってた。
けど、ジレのお屋敷の皆が用意してくれた冬物は、南部だとちょっと薄いかなあって……仕立てはいいんだけどね。
重ね着するしかないかなあって、とっかえひっかえして。でも、どんどんもこもこになっちゃって。
なんか格好悪い。
着てみて、鏡の前に立って。それを三回。
「ギヘテさん、変じゃありませんか?」
「似合ってるんじゃない。でも……」
「でも?」
「なんか、すっぱい臭いがする。げろの臭い?」
えー。
駅に着く前に、ポプリか香油用意しないと……。
ととんって軽やかな音を立てて、ギヘテさんがステップを降りてく。
その後ろ姿は、やっぱりすっと背筋が伸びてて格好いいんだけど。でも、直前まで
「ほんとに変じゃないかな?」
「大丈夫、お似合いです」
「格好いいですよ、ギヘテさん」
なんて、格好悪いやりとりしてたのを知ってるから、ちょっぴりおかしくて。
顔がゆるんじゃってる気がして。
「ちび、早く降りろ」
「え!?」
こんな顔のままじゃ、降りてけないよって思ってたのに、ぐいってカレカに背中押されちゃった。
シノワズの家が――設計したり考えたりしてるのは、目の前にいるギヘテさんなんだけど。
生活を便利にするような機械を作ってる、大貴族の御令嬢をお迎えするからって事なんだろうね。
最後にあった時よりちょっぴりしわが増えて、おじいちゃんぶりがパワーアップしたサルカタ司令。それに、告名の祝いで会った気がする顔がちらほらあって。
その周りを南部方面軍の濃いグレーの制服が固めてる。
「名高いシノワズの御令嬢が、南部方面軍に力を貸して下さると聞き、感激しております」
「サルカタ司令、お顔を上げてください。いまだ若輩の身。こちらこそ、よろしくお願いします」
お嬢様モードのギヘテさんに、平身低頭っていう感じであいさつする司令の頭越し。
すぐ後ろに控えてるコトリさんが見える。
……ぱたぱたって手を振ってくれてるのは、ちょっと嬉しいんだけど。それ、怒られない?
ちょっと離れたところに、生まれた時からずーっとお馴染んでるおっかない顔のおじさんが見えてますよー。
って、いいけど。
一応、助手っていうか。
下働きとしてギヘテさんにくっついて南部に来たっていう建前だったはずだから、カレカと一緒に荷運びしてたら
「トレ・アーデ、司令がお呼びです」
って、声だけはしかつめらしく低く作ったコトリさんに呼ばれた。
……って、コトリさん、顔!
顔!
荷物降ろしてる間にご挨拶は終わってたみたいで、ちょっと離れたとこでギヘテさんは父さんと話してるみたい。
おまけの私になんの用なんだろ?
「久しぶりだね。あんたに会うのは二回目かな?」
「はい。あの……私になにかご用ですか?」
「うん。あぁ、ちょっと屋敷まで来ておくれ」
開いてるのか閉じてるのか。どっちかわかんないくらい、中途半端に開いた眼。
ぼんやりした印象はあんまり変わってない。
でも、ぼんやりしてて、やる気がなさそうっていう印象だったおじいちゃんっていう雰囲気はなくなってる。
それが、すっごくいや。
「ギヘテさんと一緒に行かなくちゃいけないので……」
「あの娘さんは、千人長に任せたんだ。親父さんを信用できない訳じゃないだろう?」
「で、でも……」
なんとか断れないかなって思って。でも、無理そうで。困ったなって思ってたのに
「トレ様、参りましょう」
なんて、コトリさんにまで言われちゃったら、私もカレカもそれ以上言い返せる訳なんかなかった。
だって、一応上司なんだもん。
州都ルザの中心にある駅から二十分くらいのところにあるお屋敷――デアルタさんがいた頃と、たたずまいは変わってなかった。
けど、ちゃんと警備の兵隊さんが立ってたり、懐かしいはずなのになんだか別の場所みたいになっちゃってる。
ドアの前にも、やっぱり兵隊さんがいるしね。
昔はノックするのもちょっぴり怖かった司令室のオークウッドの扉。
今は明るい色のパイン材になってるけど、ノックしにくいなって思うのはあんまり変わらない。
案内してくれたのがコトリさんじゃなかったら。あと、カレカがついてきてくれてなかったら、入口のドアより前――門のところで回れ右だったよ。
ほんとに。
「トレ・アーデをお連れしました」
扉の向こうにいる人におっきな声で呼びかけて、コトリさんがドアを開けた。
そしたら
『よぉ、ちびちゃん。久しぶりだね』
銀色の髪に紺色の左右あわせの服。
ちょっとかすれた、ハスキーな声のおばあちゃん。
こんなとこにいちゃ、絶対駄目なその人は、にって笑った。
『け、むり、さん!?』
なんか、軽々しい感じで手を上げてくれちゃってますけど。そんな軽い感じってどうなの?
すぐ後ろに控えてるライオンみたいな――比喩とかじゃなく、ほんとにライオンそのものな顔のどぅえとさんも苦笑いしてる。
……っていうか、笑ってないでとめようよ。
ねぇ。
『なんでこんなとこにいるんですか!?』
『理由はそこに座ってるじじいに聞くんだね』
くいって顎を動かして、ソファーを示すその姿は、相変わらず偉そうで。この部屋の持ち主なんかかすませちゃうくらい。
王様の代理って、これくらいじゃなきゃ駄目なのかも。
そういう迫力みたいなとこでも、ソファーにちんまり座ってるサルカタ司令は、単なるおじいちゃんって感じ。
「まぁ、空いてるとこにかけなさい」
「だって、こんな。おかしいじゃないですか」
「まあまあ、いいから……」
よくない!
でも、座らないでいたら長くなりそう。
とりあえず、勧められたとこに座ったんだけど。そしたら、司令のすぐ後ろで、コトリさんがワインの栓を開けてた。
「え、あの……」
「トレ様には、お茶をお出ししますからね」
そういうんじゃなくて。
あの、これ、どういう事?
お酒飲んじゃうの?
なんで!?
こぽこぽってグラスに琥珀色の液体――ボトルにレンカ村のワインのマークがついてるってことは、高いお酒だよね?
貴腐ワインとかなんとかって。
グラスに注がれたワインを、まず司令が一口。
それを見て、けむりさんも口をつけて。そのまま、かぱーって飲み干しちゃった。
「いいのみっぷりだ」
そんなけむりさんを見て、司令が笑って。それから、司令もくいーってグラスを空にする。
『なかなかの上物だね。呼び出された甲斐があるってもんだよ』
なにいってんの、このばばあは。
王様の代理なんて偉い人が、呼ばれたらほいほい来ちゃうとか。それで、お酒飲んでご満悦とか駄目じゃん。
満足そうな様子の偉い人二人。
「あの、うちのちびをここに呼んだ理由はなんなんです?」
「ビッテ従士……だったかな?」
「はい」
「これはね、お祝いなんだよ」
「お祝い、ですか?」
「ああ」
返事をした司令のグラスに、コトリさんがもう一度ワインを注ぐ。
空になったけむりさんのグラスにも、なみなみと。
「今までの経緯は、アーデ千人長からぜーんぶ聞いたよ」
「え?」
「今、ここにいる私達に友情を。それから、南部に繁栄をもたらした、ルザリア南部自治州の最大の功労者が、帝都から無事帰ってきた」
そんな……。
そんな風に言ってもらえる事なんか、私、してない。
「教会やら帝都とつながりの深い連中の手前、おおっぴらに祝えないのはすまないけど。
ここにいる年寄り二人の顔を立てて、ささやかだけど、祝賀の会をさせてはくれんかね?」
「あ、いえ。その……」
司令に呼ばれたとき、絶対怒られるんだって思ってた。
どうして嘘をついてたんだって、責められるのかもって思ってた。
それなのに。
こんな。
どうして?
頭の中ぐっちゃぐちゃになって。どうしていいのかわからなくて、カレカの方を見て。
そしたら、カレカも私の方見て固まってて。
どうしようって、けむりさんの方見たら、司令と同じ様ににこにこ笑ってて。
その後ろに立ってるどぅえとさんも、司令のすぐ後ろでワインのボトルをクーラーに戻してるコトリさんも。
みんなみんな。
私を見てて。その顔は笑顔で。
「帝都でなにがあったのか、話しておくれ。これから、あんたを守るためになにが出来るのか、考えなきゃいけないからね」
そう言って、司令は膝に肘をついて、身体を前に乗り出してきた。
帝都でなにがあったのか。
どんな話をしたらいいのかって。一年間しかいなかったはずなのに、いろんなことがありすぎて。
よくわかんなかったから、帝都についてから起きたいろんなこと。出会った人の事。
……クイナにちゅーされた事とか、そんなのはぼやかしたけど。
野外演習とか雪の日の事。
それから、大僧正に会った事。
そこで聞いた全部――クレアラさんが、大僧正の見方にはならないって言ってたのとか。
“選ばれた子”じゃないって言われたこととか。
あと。
皇帝陛下を殺したのは誰なのかっていうのも、全部全部。
勇者候補の話はしなかったけど。でも、大僧正の周りにいる、僧兵――きっと、あの人達も私と同じ転生してきた人達で。
だから、クイナみたいに魔法みたいな力を持ってるんだって事も。
もう、なにもかも話した。
話しながら、手元の手帳におんなじ内容をオーシニアの言葉で書き込んで、けむりさんとどぅえとさんにも見てもらって。
そんなだから、すっごく時間がかかっちゃって。
窓の外が少し暗くなってきても。要点のまとまらない私の話を、部屋にいる皆は、じっと聞いてくれた。
「大変な思いをしたね」
「はい。でも、友達もたくさん出来ましたし、帝都に行ってよかったって、思ってます」
「そうかい、そうかい」
しわしわの顔をくしゃっと小さくして笑う司令。
人のよさそうな笑い方だなって思っちゃう。
一年前、この部屋で会った時は、机に足をのせて、水虫の薬を塗ってたおじいちゃん。
感じ悪いなって、なんとなく思ってた。
でも、今日はどこか引き込まれるようなマレ僧正と似た雰囲気。
せっかく南部に帰ってきたんだし、会いに行きたい。
しばらくは無理かもしれないけど。
『その、大僧正ってのは、ちびちゃんと同じくらいの年恰好じゃなかったかい?』
『そう……です、けど』
『ふん』
反対に、けむりさんの顔はすっごく険しくなってた。
目許がつり上がって、ぎゅーっと寄せられた眉間には深いしわが刻まれてる。
『あの。けむりさんは、大僧正のこと知ってるんですか?』
『いいや。会った事はないね』
『じゃあ、どうして……』
険しい眼をしたまま、けむりさんの視線は窓の外に向けられた。
南向きの窓から見えるのは、裏手の森だけ。
でも、その眼はきっと、クリーネ王国に向けられてるんだなって思う。
『うちの国にもね。いるんだよ』
『どういう、ことですか?』
『現人神って奴がね』
あらひとがみ?
人間なのに神様として崇められる人っていう意味の言葉だって、辞書に書いてあった気はする。
大僧正がそういう人だって、けむりさんが思っても不思議じゃないけど。
でも、そういう人だからって、見た目が似てるなんて、あるのかな?
「なにか、難しい話かい?」
「いえ。けむりさんが、大僧正を見た事あるみたいに言ってて……」
「そむ。しかし、大僧正の容姿は今もって変わらないんだね。
西部司令叙任の頃と変わらないままってのは、どうも……」
「あの。それ、何年前ですか?」
「かれこれ二十年は経つかな?」
二十年も見た目が変わらない人なんて、いるのかな?
そういう特典を持った人だっていうなら、もしかしたらって思うし。それに、玉座の間にいた全員が“勇者候補”だったなら、そういうのもあるかもしれない。
けど
『出来れば、ちびちゃんの思い出話を肴に、もうちょっと飲んでいきたいところだったんだがね。用事を思い出しちまったよ』
『けむりさん?』
『そんな顔おしでないよ』
くしゃって私の髪を一度かき回して、けむりさんはゆらりとソファーから立ち上がった。
そんな顔ってけむりさんは言うけど。でも、ひどい顔してるの、けむりさんの方だよ。
いつだったか、テアと切り合ったときみたいな。誰かを切り倒そうっていう、そういう目。
剣なんか持ってなくても、視線だけで相手を切り殺せそうな。そういう、嫌な迫力。
『ちびちゃん、この爺さんに別れの言葉を。よろしく言っといとくれ。どぅえと、国に帰るよ』
『い、いや。しかし……』
立ち上がったかと思ったら、すたすたと扉の方に歩いてくけむりさん。
護衛のはずのどぅえとさんは私の方を一瞬見て。口をぱくぱくって、なにか言おうとして。
それでようやく、けむりさんを追っかけてった。
なんか、あんな風にあたふたするどぅえとさんなんて、始めてみた気がする。
「けむり殿はどうしたのかね?」
「急ぎの用事が出来たから帰るって。よろしく伝えてって言ってます」
「……そうかい。じゃあ、すまないけどね。追っかけてって、穏便にって伝えてくれるかい?」
「わかりました」
穏便に。
あんな顔したけむりさんを見て、それでもそんな風に言えるって、すごいなって思っちゃう。
大人の世界はよくわかんない。
けど、考えてもわかる訳ないし、なんにも始まらないから。
「おれも行く」
「うん。じゃあ、失礼します」
手を引いて立ち上がらせてくれたカレカに、ありがとって目で合図。それから、扉を開けて、紺色の衣を着た。ぴんと伸びた背中を追いかける。
もう、ずいぶん遠くなった背中。
「相変わらず、突風みたいなばあさんだな」
「そうですね」
名前と違って、もやもやっとしたとこなんかちっともないけむりさん。
私もあんな風に、いろんな事をかちかちって決められる。
そんな大人になれるかな?
今はまだ、なんにもわかんない。
けど、少しずつでも。大人になっていかなくちゃ。
今回は、お迎えされるエピソードをお届けしました。
主人公が故郷を離れてる一年間に、いろいろな変化があったんだぞ!
っていう一幕。
次回から、南部での日常。
それと、主人公が自分でなにをするべきなのか考えて。それが結末につながっていくっていう、終幕のひとまとまりになる予定です。
次回更新は2014/07/30(水)7時頃、故郷でなにをしたいのかなって考えるエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




