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9.友達のために頑張ります

ちょっと冗長かもです

※2013/01/10(木)に固有名詞の間違いを修正しました

 生まれてから四回目の夏。


 木皿を布巾で拭いて、それが終わったら油紙で表面を軽く拭う。

 湿度は低いけど、油断するとカビが生えてしまうので、念入りに。


「トレ、次で最後よ。 お手伝いありがとう」

「はい。 かーさま」


 夕ご飯の後、お皿をふいてお手伝いをするが最近の日課になっている私。

 でも、古い石造りのこの家は、オーブンの火を落とすと途端に寒くなって、すぐ手がこごんでしまう。


「終わったら、お茶にしましょう」



 金属製のマグに煎れられたお茶は果物みたいに甘い香りを漂わせている。

 両手で包むように持っていると、母さんが蜂蜜を一たらしいれてくれた。


「頑張ったから特別!」

「ありがとうございます」


 リビングの一番奥。

 暖炉から一番遠い席で書類を見ながら難しい顔をしている父さんにもカップを渡しながら、母さんはその隣に座る。


「さっきから難しい顔してるけど、なにかあったの?」

「あぁ。旱魃の気配がある」


 大人の話はよくわからないけど、あまり難しい顔をしない父さんが、そんな風に言うのは少し気になってしまう。


「あの、かんばつってなんですか?」

「日照りの事だよ。今年、少し暑いだろう?」


 そういわれても、家の中でも寒いのに、日照りが大変っていうのはどうなんだろう?

 よくわからない。


「帝都では機械を動かすのに水を使うからね。 日照りは一大事だ」

「麦の出来にも影響するから、大変な事なのよ。 美味しいパンを焼けなくなるかも」


 身近な話になるとちょっぴりわかる。

 でも、家の窓からも見えるレンカ湖にはたくさん水があるし、川の水も冷たくて、日照りの影響なんか全然感じられない。

 その時はそう思ってたんだけど、すぐにそうも言ってられなくなっちゃった。



 ここルザリア南部自治州は、エザリナ皇国の中でも寒い地域にあたる。

 湿度も少なくて、日本の夏をおぼろげながらも覚えている私には快適なくらい。 でも、多くの人にとってはそうじゃないみたいで、教室の中もなんだかぼんやりしてた。

 カーディガン着てるのなんて私だけだしね。


「トレちゃんはよく平気だね。 こんなに暑いのに」


 っていうエウレのふわふわの毛皮がついた耳はぺったり寝ちゃって、ちっとも元気がない。 いつも元気なグルーアくんもだらー。

 エアーデ先生も、胸元が大きく開いたブラウスを着てきちゃったり、とにかくだらけきってる。


「そんなに暑いのかな」


 ってつぶやいたら、みんながじーっと見てくるしさ。

 おかしいよ。


「トレちゃんもカーディガンを脱ぎなさい。 見てて暑いから」


 誰よりもエアーデ先生がおかしい。


 そんなちょっぴりおかしくなったエアーデ先生は、勉強の時間、突然教室にやってきて、ドミナ先生を連れ出していった。


「なにがあったんだろうね?」


 って笑いかけてくるテアも、いつもと同じ青い教会服を隙なく身に着けてる。

 エアーデ先生が見たら脱ぎなさいとか言い出しちゃうんじゃないかな?

 ちょっと気になったので聞いてみる。


「テアさんは暑くないんですか?」

「んー。 暑い、気もするけど」


 やっぱり暑いんだ。 美人さんは汗もかかないのかなって思っちゃうくらい涼しげなのにね。


「トレこそ暑くないの?」

「あんまり暑いと思わないんです。 前世が暑い国だったからでしょうか」

「そっか。 もう少し薄着でも可愛いと思うけどな」


 黒い髪の隙間からのぞくルビーみたいな瞳がいたずらっぽく笑う。

 可愛いとか平然と言う五歳ってどうなのかな。

 しかも子供なのにすごく整った顔立ちだから、なんだかドキドキしてしまう。


「今日、髪を結ってきたでしょ。 ちょっと大人びた感じだなって思ったし」

「やめてください、もう!」


 ところどころで発散されるテアの変な色気は、ちょっとだけ苦手。



 給食の時間。

 教室に帰ると、エアーデ先生が教壇にいた。

 いつもなら、どこかの席で一緒に食べるんだけど、今日は教壇のところで仁王立ち。 やっぱり、エアーデ先生は暑さでおかしくなっちゃってるのかな。

 って思ったら、私が席に着くなり。


「あまりにも暑いので、来週は川で水練をします!」


 って、どうしてかわからないけど、私をびしっと指差して言ってきた。

 カーディガンは脱ぎましたし、肩のところがスースーするのも我慢してますけど、どうしてそんなに目の敵にするんでしょうか。

 なんか怖いので、ちょっと手をあげて質問。


「あの、先生。水練ってなんですか?」

「水泳の、練習よ!」


 はー、水泳の練習。

 でもどうして川ですか?

 この間、エウレが教会の池で遊んでるのをみましたけど。

 っていう話は、いつも優しくてのんびり穏やかなエアーデ先生が、ちょっと眼を血走らせているので聞けませんです。


「みんな、来週までに水着を用意しておいてくださいね」


 最後だけにこっと笑っても、怖いものは怖いよー。



 いつも通りの放課後、と思ったけど、エウレはちょっぴり元気がない。

 耳がぺたーって寝ちゃって、伏し目がち。


「元気ないですね?」

「んー」


 普段、元気にぴょんぴょん跳ねまわっているようなエウレが、軒下に座ってしょんぼりしているなんてよっぽどのことだから。

 私も隣に同じように座って話す。


「トレちゃんは水着って持ってる?」

「多分、持っていないと思います。 着たことないですし」

「私も持ってない。 でも、準備なんてできないよ」


 お父さんもお母さんもいないエウレは、教会で暮らしてる。

 だから、急な物入りにはどうしても腰が引けちゃうんだと思う。

 ぽろぽろ泣くエウレの肩を抱きながら、私はちょっと大きなおねだりをしてみようかなって考えてた。



 お家に帰ってすぐ、キッチンにいる母さんに学校であった事をお話しするのはいつもの日課。

 でも、今日はちょっぴり違う事を話さなくちゃいけない。


「かーさま、来週、川に水練に行く事になりました」

「そうなの? 楽しみね」

「はい。 それでですね」


 ちょっと言い出しにくい。

 服を作るのってそんなに簡単じゃない。 学校に行き始めてから少しずつお裁縫を習い始めたからそれはわかる。

 ちょっと言いにくいなって思ってたら。


「じゃあ、水着を作らなくちゃいけないわね」


 って、以心伝心みたい。

 でも、それだけで喜んでちゃダメなんだった。


「そうなんです。 でも、トレのお友達が水着を用意できないって困ってて、それで……」


 言い終わらない内に、なんでか知らないけど涙が。なんだこれ?

 あんまりおねだりなんかした事ない(というか、考えてみたら生まれてから一回もおねだりしたことなかった)から、緊張したのかなんなのか。

 よくわからなくなって、ぼろぼろ泣けてきちゃうという。


「じゃあ、採寸しなくちゃいけないから、その子をお家に連れてきてくれる?」


 変なタイミングで泣き出した私の背中をさすってもらいながら、私はエウレの事を母さんに話した。

 そうしたらトレは友達甲斐があるって。

 友達甲斐ってなんだろ。



 という訳で、エウレが我が家に泊まりに来ました。

 教会の養護施設に住んでいるエウレの外泊は、実はすごく難しいらしくて母さんがお手紙を出したり、マレ僧正に父さんが口添えしてくれたり。

 エアーデ先生とドミナ先生からもなにかあったとかないとか、クレアラさんが特例がなんとかとか言ってくれたりとか。

 とにかく色々な人の手助けがあって、今日この日を迎えた。私のわがままでなんだか大変な事になったっていうのは、後で聞いた話。


 とにもかくにも、私の友達にして私のお客様第一号のエウレは、なんだか小さくなっちゃってる。


「いらっしゃい、エウレちゃん。トレがお世話になっています」

「あ、は、はい。 あの、えと、その……」


 がちがちだね。

 そんなエウレを見る母さんの眼はとっても優しくて、私もちょっとうれしくなる。

 エウレ、可愛いでしょう!

 ってちょっと自慢したくなるくらい可愛いんだけど、まぁそれは置いとこう。


「じゃあ、ご飯ができるまでお部屋で待っててね」

「はーい」


 エウレの手を引いて二階に上がる。

 そういえば、カレカも私の部屋に入ったことないんだっけ。第一号は全部エウレ。 それもなんだか嬉しい。


「さぁどうぞ!」


 でも、お部屋に入ったエウレの感想は


「男の子の部屋みたい」


 だって。

 まぁ、精神的には半々ぐらいのものだし、いいでしょう別に。



 ほくほくの新じゃが玉ねぎ。

 ベーコンをざくざく切ってオーブンで焼いたお料理(ジャーマンポテトとかいうのかな?)と、玉ねぎを練りこんだパンっていう、いつもより少し豪華な晩御飯を食べる。


「トレちゃんのお母さん、すごく料理が上手だね。どんどん食べられちゃう!」


 って、耳をパタパタさせるエウレを見て、父さんもにこにこしてる。

 可愛いでしょう!

 私の友達。


「エウレちゃんは元気だね。 トレにもちょっと見習ってほしいくらいだ」

「トレちゃん、静かだもんね」


 にしーって笑うエウレ。 さっきまでの緊張はどこに行ったんだろうかね。


「トレは学校ではどう?」

「んー。お姉さんみたいです」


 えー。


「学校でもおすましさんなのね」


 って、母さんに笑われちゃった。

 精神的な年齢はお姉さんなのかもしれないけど、そういうのどうなのかなって時々思うんですよ。



 キルシュトルテをデザートにもらった後、にこにこになったエウレと一緒にお片付けを手伝って、いよいよ採寸!

 姿見とかクッションとか、色々なものを端っこに避けた私の部屋はいつもよりちょっぴり広く見える。

 その広くなった部屋の中ですっぽんぽんになるんだけど、ちょっぴりだけ寒い。

 暖炉の熱が二階にも来てるはずなんだけど、ちょっぴり鳥肌が立ってくる。

 エウレはちっともなのになあ。

 どこに差があるのやら。

 そんな寒さに対する我慢強さと違って差がないのはお腹。 二人ともお腹一杯ご飯を食べたからなのか


「トレちゃん、お腹ポンポン!」

「エウレちゃんもポンポンですね」


 二人してお腹まんまるーくなっちゃって、この状態で測ってちゃんとしたのが作れるのかなあってちょっと不安になる。


「トレが寒そうだから、トレを先にしてもいい?」

「はーい」


 母さんが尺を当てるたびに、その冷たさに「ひぅ」とか言いながら、本当に色々なところのサイズをはかっていく。 だけどあんまりたくさんはかるから、服を作ってもらうのに慣れている私でもちょっぴり疑問。


「あの、どうしてこんなに色々なところをはかるんですか?」

「水に濡れると布って力がなくなっちゃうから、ぴったり作っておかないといけないのよ」


 そういうものでしたか。

 計測の結果、エウレの方がちょっぴり。

 ほんとうにちょっぴり背が高い事が判明したりしました。

 ウェストは私の方が太かったし、足の長さでもさんざんでしたとも。

 勇者候補って一様に美形でスタイルがいいんだと思ってたけど、私には当てはまらないんだね。

 知ってたけど、ちょっとがっかり。


 完成したらこんな感じ――紺のプルオーバーと膝丈のパンツ。襟とか袖とか裾に赤い刺繍飾りをつけた、ちょっと可愛い普段着みたいな水着の完成図を見たエウレはもうにこにこで、そんな笑顔を見られただけで、ちょっぴり満足しちゃった。



 夜は一緒にベッドに寝るんだけど、ちょっと前の事を急に思い出す。


「エウレちゃん、トイレ大丈夫?」

「んー」


 もう眠くてふにゃふにゃになったエウレは、もう多分起きられそうもなくて。

 採寸中、はだかんぼでうろうろしてたせいなのか、私もちょっとエウレのぬくもりから離れられなくてそのまま眠っちゃったから、次の日ちょっと残念な事になったのは、カレカには秘密にしとこう。




 そんな風に、ちょっと浮足立った気持ちの私の日常は、ある人のおかげで大きく変化する。


 幼年学校は託児施設的な機能も兼ねているらしくて、暑い時期、避暑に来る帝都の子供も受け入れてるっていうのはカレカから聞いた話。

 毎年、そんなに人数が多い訳じゃなくて、しかもお父さんお母さんのお仕事の間だけとか、本当に短い期間しかいないみたいで。 そんなに大きな話にならないはずなんだけど、今年はちょっぴり事情が違うみたい。

 そんな急にやってきたお客様のおかげなのか、テアはお疲れ気味。


「なんというか、帝都からやってきたお嬢様方は力強いよね」

「テアさんは格好いいですからね」

「褒めてもらってるのかな?」


 ふふんと笑うテアは、でもいつもよりちょっと力がない。


「あの子達はなにかあると“授かり物”がある子にちょっと強く当たるから、心配なんだ」

「そうなんですか?」

「うん。トレも気をつけて」


 ってテアは言ってくれたけど、どう気をつければいいのかよくわからない私は、テアが少し困った風にするのを不思議な気持ちで見ていた。


 そんなテアの真意がわかったのは放課後の事。



「ねぇ、貴方」


 一日の課業が終了して、カレカを待つ間。いつものようにエウレと一緒にお庭で遊ぼうと思って外に出る私を呼び止めたのは、帝都から来た女の子達だった。

 どの子も、町の人が着る服よりも鮮やかな色合いの服を着ているせいか、テアよりも少し大きく見える。

 五人の中でもちょっと背の大きい、エウレと同じ紅茶色の髪を結い上げたその子が私の腕をギュッとつかんだ。


「名前は?」


 少し下がった眼尻が優しい印象なのに、金色のその目はちっとも笑ってない。


「トレっていいます。貴方は?」

「アルエ。貴方、あの子達と混ざって遊ぶの?」


 とがった顎をくいっと向けたその方向には、エウレや三歳組の子達がいる。


「はい。友達と遊んではいけませんか?」


 って言った途端、取り巻くようにしていた他の四人が口元を押さえてくすくすと笑いだした。

 なんなのこの子達! って、思う私の腕をアルエは強く引っ張って、声を張って、顔を近づけて、強く強く言った。


「トレ、いい? あの子達を友達なんて呼んでは駄目よ。貴方も士官学校に来る頃にはわかるでしょうけど、帝都では召使になるのがやっとの連中を友達なんて。 笑われてしまうわ」


 そんなの関係ない!

 って強く思うのに、アルエの眼の奥の方にあるなにか暗い感情がぶつけられている気がして言葉が出ない。

 なにかしゃべったら泣いてしまいそうになる私に


「それくらいにしてあげたら?」


 って助け舟を出してくれたのはテアだった。


「テア様、私は彼女に帝都の常識をお伝えしただけですわ」

「そ?じゃあ、トレの手をはなしてあげて」


 言われたアルエは私の方をちらっと見ると、少し乱暴に手をはなす。


「ぼくと一緒に図書館で本でも読みませんか?」


 いつものお色気ぶりを発揮したテアは、私に軽くウィンクするとアルエの手を取る。

 初めて会った日、私をエスコートしようとした時と同じように優しげなテアに手を引かれていくアルエの背中を見て、なんだか悔しくてぽろぽろと涙が出た。

 私は友達のために言い返すこともできなかった。



 次の日の朝。

 まだ先生の来ていない教室でいつもみたいにふわふわした笑顔で、にこにこと話しかけてくれたエウレの眼を見て話せない私。

 あの時、どうして言い返せなかったんだろう。

 どうして大事な友達だって言えなかったんだろう。

 そんな事ばっかり思ってしまう。


「トレ、元気ないの?」


 って、私の顔を覗き込んでくれるエウレ。

 こんな風にエウレに心配かけちゃいけないって、無理して笑ってみる。


「大丈夫です。 それより、もうすぐ水着出来上がりそうですよ」

「ほんとに?」

「はい。 トレも手伝ってますから」


 ちゃんと笑えてるのか心配だけど、エウレも笑ってくれているから多分大丈夫。

 そう思っていたのに


「エウレっていう子はどなた?」


 って、昨日と同じ強い声。

 少し高めに結われた紅茶色の髪の女の子――アルエと、その取り巻きがどんどん教室に入ってくる。

 本堂から一番離れた五歳組の教室から、わざわざ来るなんてどういうつもり?


「あの、エウレはあたしです」


 って弱弱しく手をあげるエウレ。

 ふわふわの毛皮に覆われた耳がぺたーって寝ちゃって、可哀想なくらいおびえたエウレの前までやってきたアルエは


「ふぅん」


 って言いながら、エウレの顎をつかんで、無理に顔を自分の方に向けさせる。

 すごく嫌な感じ!

 エウレの眼尻にみるみるたまっていく涙を見て、お腹の奥の方がじくじくするような感情が私の中でぐるぐる渦を巻く。


「貴方、明後日の水練、お休みしなさいな」


 なにいってるの?


「え、でも……」

「でもじゃないの。 貴方、明後日の水練、お休みしなさい」


 ぷちんって、私の中でなにかが切れた。



 エウレの顎をつかんでいるアルエの手をぱちんって音が出るくらいの勢いでひっぱたいて、私はエウレを背中でかばうようにアルエの前に立った。


「そんなこと言うのはやめてください!」

「トレ、さんでしたね。 田舎者はすぐ暴力に訴えるから嫌だわ」

「田舎者とか関係ありません。 エウレはトレの友達です。友達にひどい事をしたら許しません!」


 手を出したのは私が悪いのかもしれない。

 でも、そんな私の行為を責める取り巻きの子達がつかみかかろうとするのをアルエは片手で制した。


「昨日もいったでしょ。 こんな子を。 いえ、こんな子達を友達だなんていうのは恥ずかしいことだって」


 口元だけは笑顔で、でも眼はちっとも笑わない。

 昨日と同じ表情を浮かべたアルエは、諭すみたいに言うけど、そんなの関係ない。


「エウレは大事な友達です」

「他の子はともかく、その汚い獣の子を友達というのね、貴方は」

「エウレは汚くなんかないです!」


 強くいった私を「ふん」って鼻で笑うと、アルエは宣言した。


「じゃあ、勝負をしましょう。帝都でよく行われるのと同じ、決闘よ」



 決闘ってなにをするんだろ。

 大見得切って、私が受けますって言っちゃったけど、お遊戯の時間が終わって、勉強の時間になって少し落ち着いて考えられるようになると、ちょっとずつ怖くなってくる。

 そんな私を見て


「女の子なのに軽々しく決闘を受けるなんて。 水練に一緒に行けなくても、エウレちゃんは毎日学校にいるのに、わざわざ自分から怖い目にあいに行くなんてどうかしてる」


 ってあきれたみたいに笑うテア。その言葉にはいつもと違って少し棘があるみたいに感じる。


「アルエから代理人を頼まれたよ。 トレの決闘の相手はぼくになった」

「どうして引き受けたんですか?」

「彼女から頼まれたっていうのもあるけど、ちょっと面白そうだと思ったから、かな」


 口元は笑顔のままだけど、黒い髪の隙間から除くルビー色の目はすっと細められて、ものすごくまがまがしい。


「決闘のルールは聞いてる?」


 そういえば聞いてない。

 どうしたら勝ちでどうなったら負けちゃうんだろう?

 そんな事も聞かないで勝負を受けちゃうなんて、確かに私はどうかしてたんだって思う。


「なにもきいてないんだね。 勝負は剣術。 君が一太刀でもぼくに当てたら君の勝ち。 君が勝負をやめるっていうか、泣いたら負け。 そんなルールみたいだよ」

「そう、なんですか?」


 なんだか単純なルールみたいな気もする。

 そうなるときになるのは、対するテアがどれくらい強いのかなってことなんだけど。


「テアさんは、剣術やった事あるんですか?」

「うん。 ぼくは剣聖Ⅱっていうオプションを持ってるからね」


 いつも笑顔で接してくれるからテアも勇者候補なんだっていうことを、私は忘れていたのかもしれない。

 この世界には勇者候補が大勢いて、最後に残るのは一人しかいないっていう、クレアラさんの言葉を思い出す。


「クレアラ様から、君がどんな能力を持ってるのか聞いておくように言われてたし、ちょうどいい機会かなとも思ってるんだけど……」


 そこまで言ったテアは、でも口の端を片方だけ挙げて、ちょっとしたいたずらをたくらむみたいに笑った。


「ぼくが勝ったら、君は将来ぼくのお嫁さんになるって約束してもらうっていうのはどうかな、って思って」

「え゛!?」


 なんでそんな話になるの?って私が言うより早くテアはポンポンと話し出す。


「クレアラ様の思惑はクレアラ様が解決するだろうし、決闘にしたって君とあの子達の約束でしょう? ぼくにはなんの得もない。 それじゃあぼくが盛り上がらないからね」

「や、いやです」

「将来的にぼくの気が変わるかもしれないから、明日からそう思ってつきあってくれるだけでいいけど」

「そういうことじゃなくて」


 机の上で頬杖をついて上目づかいでそんなこと言うなんて卑怯だ。

 三歳児に五歳が言う言葉でもないと思うし、お嫁さんって何年後の話? 意味が分からない。


「けっこう破格の条件だと思うよ。 この勝負、ぼくが代理を引き受けなかったら、取り巻きの子達が君を見せしめにするって言ってたからね」


 怖いことをさらっといいながらいつもと同じ様にテアは色っぽく笑う。


「ありがとうって言えばいいんですか?」

「笑顔で言ってよ」


 そんなの、言える訳ない。



 教会の庭の隅っこ。

 本堂からは見えにくい場所が決闘の場所。ギャラリーはアルエと取り巻きの女の子。

 それに私と一緒に来てくれたエウレだけ。

 渡された木製の剣を持って、私はテアと向かい合う。

 距離は、多分四メートルくらい。

 怖くて震えがくる手をどうにかなだめすかした私を見ると、テアは剣を置いて、代わりに落ちていた細い枝を手に取った。


「ぼくはこれでいいや」

「真面目にやりなさい!」

「あんなに小っちゃい子相手に真面目になったら格好悪くない?これでもまだぼくが有利なくらいなのに」

「まぁいいわ」


 テアはゆるく微笑んだままその小枝を構える。

 多分、きちんと訓練された正規の構え……なんだと思うけど、私にはよくわからない。

 陸上ばっかりやってた記憶があるだけで、喧嘩とか武術とかそんな経験皆無だもん。

 それでも、エウレのために負けられない。


「昨日も言ったけど、ぼくは剣聖Ⅱっていうオプションを持ってる。 離れているから剣が届かないって思うのは」


 言葉を切ったテアが手に持った枝の先を軽く動かす。


「失策だと思うよ」


 動きが止まると同時に、私のスカートの裾がすーっと切れて、スリットが入ったみたいになった。

 なんてインチキ能力!


「という訳で、油断しないで。 あと、決闘が終わった後、この子に手を出したら、今度は君たちをこうしてあげるからそのつもりで」


 テアは目を細め、酷薄な笑みを浮かべる。


「そんな恥知らずなことはしません!」


 ってアルエは言うけど、取り巻きの子達は顔色を失ってた。


 でも、もうそんな外野の事なんか関係ない。


 剣聖Ⅱっていう強力なオプション。

 五歳と三歳の体力的差。

 しかも、私の未来視Ⅰには、さっきテアが繰り出したなにかの正体がちっとも見えていない。

 絶望的に不利な状況は、私の胸をドキドキさせる。

 左手に持った木剣は思うよりも重くて、手の中にじっとりと汗がにじむ。


 そもそもどうしてこんなに必死に勝たなくちゃいけないって思ってるんだろう?

 テアが言ってた通り、エウレと水練に行けなくても毎日学校で会えるよ。 でも、友達を馬鹿にされて黙っているなんて格好悪いもん。

 自分でもよくわからないけど、心の中で女の子の自分と男の子の自分が戦ってる気がする。


「そうやって立っててもぼくには勝てないと思うけど」


 テアはそういうと剣を一振り。

 芝生の上にひゅっと一筋線が走るのが“見えた”と思った瞬間、私の耳元でさりっという音がして、視界の中にいくつもの赤い線がふわっと舞った。


「動かないまま降参かな?」


 耳にかかっていた髪の毛が一房切れて、辺りに飛び散る。

 髪の毛なんてそんなに簡単に切れる訳ないのに、テアの能力はそれをやすやすとしてしまう。


 じんわりと視界がにじんで、鼻の奥がつんとする。

 怖くて泣いちゃいそうなのに、同時に負けたくないって強く思う、気持ちに整理がつかない。


「トレ、おしまいにしよう。勝負にならない」


 身動き一つできない私を見て、テアは構えていた小枝を下ろした。

 やめてもいいよって、テアは言ってるんだ。でも、どんなに怖くても負けたくなんかない。


「待ってください、まだです!」

「うん、いいよ」


 テアが楽しそうに笑う。

 動かなくちゃ勝負にならない。それはテアの言うとおり。だから、動かなくちゃ。

 私は短距離のスタートみたいに前傾して身構える。

 テアは少し眉を上げると、それまでの構えを解いて右手を顔の辺りに引く。 バランスをとるために差し出された左手は、多分、枝の届く距離を測ってる。

 大きな動作の突きの構え。

 きっと、あの遠くから切りつけてくるのは直線で私に届いている。 芝生の上に走る線を“見て”、その先をかわさなくちゃ。

 小枝なら四本分くらい。剣なら三本の距離。

 今の私の身体でテアに届くには、三回くらいテアのなにかを避けて近づかないといけない。


「じゃあ、いくよ。トレ」

「はい」


 テアの手が動くのを“見ながら”、同時に走り出す。

 一瞬前まで私が立っていた場所に穴が穿たれるのをちらっと確認しながら、テアをもう一度“見る”。

 右から左へ振り抜く一閃の下をくぐるように走って距離を詰める。


(あと一回!)


 って、少し視線を上げたと同時に、胸の辺りに強い衝撃を感じて。 次の瞬間、身体がふわっと浮いて、すぐ地面にたたきつけられてた。

 剣にばっかり集中してたけど、テアはそんな私の胸をつま先で強く蹴ったんだ。

 ものすごく痛い!

 息ができないし、お腹の中のものが上がってくる苦い感じが口の中に広がる。


「トレちゃん!」


 エウレが駆け寄ってこようとしてるけど、テアがさっきのなにかを飛ばして来たら巻き込まれちゃう!


「来ちゃダメ!」


 胸を強く打たれたからなのか、全然力が入らない。息をするとひゅーひゅー音がするし、どうなっちゃったんだろう?

 でも、立たなきゃ。


「頑張ったね、トレ。 でも、もう終わりでいいんじゃないかな?」

「……ま、だ。 まだ終わってないです」


 肺が空気を求めているのに、でもなにかが詰まったみたいにげほげほとせきが止まらない。

 足がぶるぶる震えるけど、剣を支えにしてどうにか立ち上がる。

 自分でもどこにそんな力があるのかよくわからないけど、どうしても負けたくないって思いだけが私を支えてる。

 膝は震えるけど、まだ走れる。

 走れるなら。 まだ走れるなら、最後まで。 無様でも記録を出さずに棄権するよりずっといい。

 頑張ろう!


「そういえば、君の能力はなに? ぼくの技をここまでかわせるなんて、すごい能力だと思うけど」

「珠算三段、と陸上の県記録、です」

「そっか」


 ぜーぜーいう私の答えにテアはふと軽く笑うと、今までよりも大きな構えをとる。


「トレの頑張りに免じて、一番大きな技を見せてあげる。よけてごらん」


 大きな動作で踊るみたいに剣を振るのが“見える”。左右から一度ずつ。多分、左右どちらに逃げても間に合わない。

 だから私はその交差する真ん中ぎりぎりを転がるみたいにして飛び越える。

 剣の軌跡と延長にある芝生がふわっと持ち上がるのは“見えた”んだ。

 かわせるはず。

 “見えた”軌跡を避けながら、とにかく走り抜ける。

 私に当たらなかったなにかが、花壇とかベンチを吹き飛ばしているのが“見えた”。

 でも、もう遅い。

 前世の記憶のせいなのかわからないけど、今生でも足が速く生んでくれた母さんに感謝しなくちゃ。


「私の勝ち、です」


 テアの技の合間を走り抜けた私の剣が、テアの胸に届く。


 とんっていう手応えを感じたと同時に、私の意識は闇の中に落ちた。



 胸の真ん中の激しい痛みで目が覚めた。

 多分、私は勝ったんだけど、本当はよくわからないままで、医務室のベッドに横になっている。

 隣の部屋から誰かの声が聞こえるから夢とかじゃないんだろうけど、色々なことがぼんやりしていてはっきりしない。


「すみません、クレアラ様。 少しやりすぎてしまったみたいです」

「いや、いいんだ。 二人とも無事なんだから。 でも、この子の能力がちっともわからないな。よっぽど価格の低い能力なのか…… リストも十万切ると途端に思い出せないからなあ」

「オプションなしとか? でも、ぼくの技をかわし続けたのは事実ですよ」

「ただの直感でよけたとも言い切れなくはないけど、それにしてもすごかったよ。 あの技は、切っ先が動くと同時に発生してるんだろ?」


 もう少し話を聞いておくべきなのかもしれないけど、げほげほと咳が出てそれどころじゃないよ。


「眼が覚めましたか?」


 私の咳でようやく私がいることに気付いた赤と白の教会服を着た人――クレアラさんは、柔らかく微笑む。

 テアも一緒にいるから、美形二人はなんというかものすごくまぶしい感じ。

 でも、さっきの話はちょっぴり聞き捨てならない話だったもんね。


「あの、クレアラさんもテアもトレの事を試してたんですか?」

「あ、いやその」


 口ごもるクレアラさんに対して、テアは不敵に笑う。


「ぼくは試してたよ。ぼくの奥さんに相応しい人なのかどうか」

「ふざけないでください」

「ふざけてなんかないよ。少なくとも、ぼくは本気」


 もう、そういうのいいから。

 立ってるのもちょっとつらくなった私を椅子に座らせながら、クレアラさんはテアにいう。


「まぁまぁ。そろそろ彼女のナイトが来る。君は寮に帰りなさい」

「じゃあ、また明日。可愛いトレ」

「いいから、早くいきなさい。殴られますよ」



「トレ、どうしてこんな……」


 カレカには心配をかけたくなかったけど、もう身体に力が入らなくて、椅子の上でぐったりしてた私を見るなり、カレカはクレアラさんの胸ぐらをつかんでた。

 大丈夫だよ。決闘に勝ったもん。大丈夫って言いたいけど、声が出ない。


「おい。これどういうことだ?」

「同じ組の子と行き違いがあってね。 喧嘩になってしまったんだ。私の監督不行届きだ。すまない」

「あんたは?」

「クレアラ。 マレ僧正にかわってこの教会を預かっている」

「おれはこいつの両親から、こいつのこと頼まれてる。次こんなことあったら、ただじゃおかない」

「承知した、カレカくん。 必要なら車を出すけど?」

「いや、いい」


 今にも殴り掛かりそうだったカレカは、クレアラさんとしばらく睨み合ってから。 でも、殴ったりしないで、ぐったりと力が抜けたままの私をおんぶしてくれた。


「そうだ。 ご両親宛の手紙を預けてもいいかな?」

「あぁ」



「カレカ、心配かけてごめんなさい」

「あぁ」

「お父さん以外の男の人におんぶされるのって、はじめてです」

「胸を強く打ってるんだろ。だまっとけ」

「うん」

「初めての喧嘩、怖かったろ」

「うん」


 ちょっと話したら、今までなんともなかったのに急に涙がこみ上げてきた。

 私はカレカの背中でボロボロ泣いた。「うえーん」って声を上げて。

 あの日、前世の記憶が遠くに行ってしまった時と同じくらい、ボロボロボロボロ。

 鼻も出たけど、全部カレカのシャツで拭いちゃった。

 べしょべしょで気持ち悪かったかもしれないけど、カレカはなんにも言わなかった。


 私の中には女の子と男の子が同時にいるんだって、すごく強く意識した気がする。

 でもカレカの背中のあったかさを感じるのは多分、女の子の私。

今回は主人公が友達のために頑張るところを書こうと思ったんですけど、決闘につながる理由づけがどんどん長くなってしまって、予定していた仕上がりにならなかった手ごたえのようなものが……。


主人公の気持ちを追っかけるみたいに書こうとしたら冗長になってしまって、ちょっと反省です。



次回更新は2013/1/15(火)7:00頃、卒業していく上級生とお別れに憂う主人公のエピソードを予定しています。

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