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89.緑の瞳は王者のように

 自分の悲鳴なのに、どこか遠くで聞こえてるみたい。

 天井が高くて、声がよく響いて。


 もっときれいな――声楽とか、聞いて楽しい声ならよかったのに、お腹とか喉からあふれてきた鉄とすっぱいなにかを混ぜた。

 すごく気持ち悪いものと一緒に吹き上がる私の声は、ざらざらしててすごく耳障りで。


 なのに、お腹の上に足をのせてるクイナは笑ってる。



 なにが楽しいのかなんて、わからないしわかりたくもないけど。


 貧血の時みたいに、身体の節々から力が抜けてく。少し暗くなった眼の前は、眠くなる時と同じ。暗いどこかに引きずりこまれるような感覚。

 でも、意識を手放したりなんかしない。


 こんな奴に、なにもしないで負けたくない。

 負けない!


「クイナ、聖下の御前であるぞ。狼藉は控えよ」

「……よいのです、アシタ僧正。こたび、一番大きな手柄首を上げたのはクイナ。些事に触れるは無粋というもの」


 勲章をつけてくれたおじさん――アシタって名前、どこかで聞いた気がするけど、思い出せない。

 頭がぼんやりする。


 踏みつけられて、ぐいぐいって押されるお腹。足に力を籠められるたびに、げぷげぷって喉の奥から溢れてくる、粘ついたなにか。


 こんなに苦しくっても、なんでもなく見えるって、どんな感覚なんだろう?

 痛いっていう感覚がわからなくなるくらい苦しいのに、これってほんとはなんでもないのかな?


「という訳だから、アシタ僧正」


 血反吐とかいうなにかなんだと思うどろどろを床にまき散らしながら。それでも、涙が出ないって、もう私もどうかしてるんだろうけど。

 ただ、大僧正の声は、穏やかなまま。


「それで、クイナ。そうまでその子にこだわる理由はあるの?」


 知りたくもない。

 そんなの。


「ほだされたか?」

「まぁ、そうかもね」


 玉座とは全然違う方向からかけられた声を、クイナは否定しなかった。


 ほだされるってなに?

 こんなの、好きな子に意地悪したいとかって次元じゃないでしょ。


「これだけ痛い目にあわされても、まだ眼が死なない」


 ひどい事してるって自覚はあるんだね。

 でも、そう。


 あんたなんかに負けない。


 絶対、負けない。


「ちょっと前まで、そこの椅子に座ってた奴も。南部の厄介者も、皆そう。こういう目をした奴を」


 ……南部の厄介物って。


「いたぶって」


 誰の事言ってんの?


「恥かしめて」


 あの人を。馬鹿にしたな!


「許してって言わせて、泣きわめくのを見るのって、面白いでしょう?」


 そんな、意味わかんない事のために。


 もう、死んじゃったあの人を。デアルタさんを、馬鹿にするなんて。


「そんな事のために、皇帝陛下を……」


 絶対許さない。


「デアルタさんを殺したの?」

「あの時手を下したのは、ぼくじゃないけどね。能力を使って、兵隊を送り込んだだけだよ」


 あの時、どこからか出てきた兵隊は、こいつが送り込んできたんだ。


 そのせいで、デアルタさんは死んじゃったんだ。

 こいつのせいで、デアルタさんは。それから他にも大勢の人が、殺された!


「でも、そこの玉座に座ってた奴は滑稽だったよ。自分は死んでもいいけど、周りの皆は助けてくれって……。馬鹿だよね。自分が死んだら、確かめられる訳ないのに」


 へらへら笑わないでよ!

 自分が死んでも誰かを助けたいって気持ちの、なにがおかしいの!?


「それで、どうしたんですか……」

「どうって。決まってるだろ、皇帝の首を落とした後、そこらにいた連中全部、皆殺しにしてやったよ。人の口に戸は立てられない。死人にく……」

「しぃっ!」


 お前なんか、殺してやる!


 殺してやる!

 殺してやる!

 殺してやる!


 眼の前が真っ赤になるくらいの衝動。


「……っと」


 さっき、抜けなかった剣を、床に転がったまま引き抜く。

 ぎりぎりと踏みつけられたままのお腹。その上の辺り、身体の中でぺきって音がしたけど、そんなの知らない。

 どうでもいい。


 野外演習の前、クイナにやられて肋骨がおれた時と同じ、鈍い痛み。

 なおったばっかりなのに、また折れちゃったのかもしれない。


 きっと、ジゼリオさんに怒られちゃう。


 でも。それでも、こいつは。

 こいつだけは許さない!


 殺す!


 そう思って、精一杯振ったはずなのに、刃挽きされた儀礼用の剣をクイナは、いつかテアの剣を受け止めたみたいに、右手でかちって握って止めた。


 力比べで勝てる訳なんかない。

 そんなの知ってる。


 だけど!



 ぎいって歯を食いしばって、剣を引きもどそうとしてたら、お腹の上が急に軽くなった。

 見下ろしてたクイナの顔が、黒いなにかにさえぎられて見えなくなって。それから


「クイナ、悪ふざけが過ぎるぞ!アーデ候補生も、剣をしまえ。聖下の御前だぞ!」


 どんってアシタ僧正に押されたクイナが「っち!」って舌打ちしたのが聞こえた。


 お腹は楽になったけど、背中とか腰とか。頭のてっぺんも熱を持っててじくじくするし、吐きもどしたなにかで服の中までどろどろ。


 どこもかしこも痛いけど、無理やり起き上がって。それから、ぶるぶる震える足に力を入れる。



 立ち上がらなきゃ。

 こいつを――クイナをやっつけるんだ。


 へらへら笑ってろ!

 お前なんか。


 おまえなんか!


 オマエナンカ!


「玉座の間で剣を抜いたのはあっちだけど?」

「う゛る゛さ゛い゛っ!」


 自分の声なのに、がらがらしてとげとげで気持ち悪い。

 でも、そんなの関係ないんだ。


 剣を杖にしなくちゃ立ってられないなんて、情けないけど。それでもって、思ってたのに


「おやめなさいな、クイナ。トレさんも」

「その方がいい。トレ、剣をしまいなさい」


 気がついたら、すぐ隣に赤と白の服がはたってひらめいてた。

 小さい頃からきいてた、懐かしい声。


 でも、あんまり好きじゃなかった声。


「く、れあら、さん?」


 私の記憶の中よりは整えられた――それでも、眉毛にかかってうっとうしい蜂蜜色の髪の隙間で、エメラルドみたいに輝く緑色の瞳。

 随分長い間会ってなかった気がする。


 どうして、クレアラさんが、こんなところにいるんだろ?

 それに


「トレ、もう、いいから……」

「テア?」


 よろめいてた私を支えてくれたのは、テアだった。

 剣術大会は野外演習と同じ日にやってたから、もう終わっちゃってるはずだし、帝都にいる訳なんかないのに……。


「剣術大会を観戦に来たんだけど、雪で中止になってしまってね。鉄道も動かないし、町もこの有様。帰るに帰れなかったんだよ」


 きろってクイナを見て。それからぱちってウィンクしたクレアラさんは、大僧正に向き直った。

 私と私を支えてくれてるテアを背中にかばうみたいに、玉座との間に立つと、ふいって溜息ひとつ。それから、くっと胸を張って


「聖下。私の教区から出た者の御前にてのご無礼、ご容赦ください」

「いいのよ、クレアラ。些末な事だもの」


 そのまま、腰を折って、綺麗にお辞儀したクレアラさんに、大僧正はなんでもないって。さっきと同じように言ったけど。

 全然なんでもなくないよ。


 身体中痛いし、服とか床とかどろどろ。

 支えてくれてるテアの服にも赤黄色のしみが出来ちゃってる。


「けれど。その子の眼はどういう事かしら?」


 首をかしげた大僧正は、クレアラさんにそう問いかけた。

 さっき、私に言ったのと同じ。


 “授かり物”があるじゃないかって言いたいんだ。


「どう、とは?」

「“授かり物”のある人間は、この世界に必要ないわ。なのに、この子が教会の……私の庇護の下にあるというのは。という事よ」


 でも、クレアラさんは大僧正の言葉になんて動じなかった。


 ぼやかしても駄目だってわかったのかな。

 大僧正は、はっきりと、“授かり物”がある人を、自分達は認めないって、そう言って、クレアラさんをきろっとにらんだ。


 この国では――もしかしたら、世界全体でも、“授かり物”がある人の方が多いかもしれないのに。はっきりそう言って、笑った。


 それはとっても残酷で。表情の柔らかさなんか関係なく、恐い。


「なるほど。ですが、この娘の出生を認めたのは、我が師であるマレ。取り立てたのは、聖下であると聞き及んでおります」

「クレアラ、貴様!」

「なにか?」


 私達の前に立ちふさがってくれてるクレアラと同じように、玉座とクイナを背中にアシタ僧正が声を荒げた。

 背中越しだから見えないけど、アシタ僧正に向けられたクレアラの声が、氷みたいに冷たくなったのだけはわかる。


「我が師の誤りであるとすれば、弟子である私がお詫び致します」

「いいのよ、いいの。把握しきれなかった私が悪いのだから」


 また、腰を折ってお辞儀をしたクレアラに、大僧正はそう言って


「どのような理由であれ、“授かり物”を持つと疑われる者を士官として置く訳にはいかない」

「私は……」


 だけど、アシタ僧正は大僧正の言葉とは正反対の言葉を私に投げてくる。


 この眼は“授かり物”なんかじゃない。けど、そういって、父さんや母さんが傷つくなんて、絶対嫌!


 どうすればいいのかわからなくて。呼吸が一瞬止まった。


「ならば、どのように?」

「士官学生としての資格ははく奪。“授かり物”ではないと証明されるまで、それがあるものとして振舞え」

「その程度の事ですか」


 きっと、ほんとはおっきな事で。だけど、クレアラはなんでもないって、アシタ僧正の言葉を受け流しちゃった。

 決めるのは私のはずなのに、大人同士がそこで全部を終わりにしようとしてる。


「だが、お前が我らに与するというなら、考えなくもない」

「アシタ僧正……」

「僧兵となり、オーシニアを焼き尽くせば、この世界でのあらゆる栄誉が約される」

「そうね。その程度なら、造作もないわ」


 無茶苦茶な話だよね


 強い能力を持った人が大勢いて。そうすれば、タリア連邦を消しちゃったみたいに、なにもなかった事に出来るのかもしれない。

 それくらい簡単だって、大僧正も笑ってた。


 けど、そんなに簡単なはずなんかないんだ。


 国は真っ平らに出来るかもしれない。焼き尽くす事も、もしかしたら出来るかもしれない。

 でも、神様同士の喧嘩でだって、そこに憎悪は残ったんだもん。


 全部なくなったりなんか、しない。


 この人達は、うすらいのあの目――家族とかお家とか友達とか、全部なくなって。それでも生き残っちゃった人の目を見てないから、そんな風に言えるんだ。


「さほど魅力的とは思えません」


 そういうの、クレアラさんが知ってるかどうかはわかんない。

 けど、もしかしたら物凄く価値のあるかもしれない提案を、クレアラさんはあっさり否定した。


「クレアラ!」


 二人の間で何度か繰り返されてきた話なのかも。


 私が小さい頃は、クレアラさんもオーシニアの人がどうなってもいいって言ってた。

 けど、そんな理由じゃなく、クレアラさんは教会の。

 僧兵の。

 きっと、皇帝陛下がいなくなったこの国で、一番力がある人達の提案を、断って。それで


「行こうか、トレ。テア」

「……あの」


 玉座に背中を向けて、私とテアの肩に――血反吐でねばねばなのに、そういうの全然気にしないで、手を置いて。にこって笑うと、ゆっくり歩き始めた。


 大僧正にも、アシタ僧正にも。

 誰にもあいさつしないで。でも、誰にもとがめられずに歩くクレアラさん。


 その背中に玉座から声がかかった。


「貴方は、私の敵になるのかしら?」

「私は、私の望みをかなえうる側につく。それがわかるまでは、様子見するつもりです」


 そういって、クレアラさんはぱたぱたって後ろ手に手を振る。

 目上の人とか先生とか。ましてや、大僧正になんて絶対しちゃいけない、失礼な身振り。


 なのに、誰もなにも言わない。


 ただ、私の隣で、テアだけがくくって笑ってた。




 この日、騎士勲章を授与された私は“授かり物”がある人だからって、士官学校の在籍資格をはく奪された。

 扉の外で待ってた、さっきの女狐さんがぽいって投げてよこした書類に、そう書いてあったから。


 そんな書類だけで人生が変わっちゃう。

 理不尽だって思うけど。でも、そんな理不尽を押し通しちゃうのが教会なんだって、ようやく分かった気がする。

今回は、いたぶられ終わるエピソードをお届けしました。


つらいつらーい帝都編後半も、ついに終了。

次回から、ふわんとした日常に戻っていきます。


今度は、お友達と一緒に、内外の色々とどうやって向き合っていくのか考えてく予定です。


頑張る。



次回更新は2014/07/10(木)7時頃、日常に戻ってくエピソードを予定しています。


更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。

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