88.白い石碑は墓標のように
水晶宮殿って呼ばれてて、観光名所にもなってる皇宮。
ジョギングにはちょっと距離があるかなって思うくらい、広い敷地の建物の中で、一番長い廊下――玉座がある、紅玉の間に続く鏡の回廊。
磨き上げられた大理石は、鏡みたいにぴかぴかに磨かれて、そこに行きかう人の姿を映してる。
でも、冬の。それも、降った雪がなかなか溶けないくらい冷たい空気に冷やされた大理石は、切りつけるみたいな冷たさで。
そんな冷たい空気が人を遠ざけてるのかな?
高い天井の廊下にこつこつと響く足音は、三つだけ。
「どう思う?」
「徹底しすぎているように思えます」
「そうだな」
右側少し前を歩くジゼリオさんにきかれて、私のすぐ後ろからカレカが答えた。
なにがっていうのはよくわかんないけど。呼び出しの手紙に書いてあった
「士官学生の生還に尽力したから褒章したい」
って――まぁ、ほんとはもうちょっと堅苦しい感じだったんだけど。
言葉から読み取れる雰囲気と、今歩いてる廊下に漂う冷たい空気がなじまないんだっていうのは私にもわかる。
「人払いしているくらいだ、なにをしてくるかわからんな」
「……なにか、されるんでしょうか?」
お屋敷はそんなに大きくないけど、ジレの家はそれなりに古い家で。その後見を受けてる私をどうにかするって、ほんとは難しいはずななんだけど。
でも、相手は教会で。
しかも、クイナとか、訳のわからない力を持った、勇者候補がいるから、なにがおきるかわかんない。
そういう不安が、足を鈍くして。
少し先を歩いてるジゼリオさんから、ちょっぴり遅れちゃった。
「心配するな。なにもさせはしない。ジレの家の名に懸けて、な」
いつもならすたすた行っちゃいそうなジゼリオさん。なのに今日は、私が遅れてるって気がついたら、ちゃんと止まって待っててくれて。
ちょっとびっくりしちゃった。
回廊がいくら長くても、やっぱり建物中だから突き当りはある。
そんなの当たり前なんだけど。でも、そういうの忘れちゃうくらいずっと同じ眺めを進んだ突き当りの真っ白な壁に、染み出るみたいな黒い教会服の人影が見えてきた。
「出迎え、でしょうか」
「そのようだ」
言いながら、カレカがすっと私の前に出てく。
追い抜かれたときに、手元でみしっと音がしたのは、きっと拳を作ったから。
硬く握られた拳に一瞬目をやって。でも、なにもなかったみたいに、黒い教会服を着た女の人は、吊上がった眼を少し細くして、ふわっと笑う。
「人を遠ざけてあるのに意味はございませんよ。
皆さん、大勢が死んだこの場所を忌避していらっしゃるだけです。
それに、トレ嬢に危害を加えるつもりは、今のところありません」
百メートル以上ある回廊を歩き始めた時に私達が話してた事。
それを、聞こえてましたよっていうみたいに、にたにた笑いながら話して。今のところはってわざわざ前おいて。
そういうの、なにもしないって言ってる人の態度じゃないんじゃないかな。
だからって、指摘するつもりなんかないけど。
「その様に願いたい。同じ出所の不逞者に身内を二度も傷をつけられては、家名に傷がつく」
「肝に銘じましょう」
つま先に軽く体重をかけて、いつでも動ける姿勢のカレカが目の前にいるのに、相手にならないって思ってるのか、ジゼリオに向けられてた視線は。
ゆっくりと動いて、私に――私の、左眼に向けられた。
「猊下の御前に参りますので、装身具はお外しいただけますか?」
眼帯を外せって言ってるんだって、すぐわかった。でも、ジゼリオさんからもハセンさんからも、教会の人は見せちゃ駄目だって言われてて。
だから、どうしたらいいんだろうって、ジゼリオさんを見る。
視線が一瞬鋭くなって。でも、軽くうなずいてくれた。
「……わかりました」
「おい!」
眼の前の人の動きに集中してたカレカには、ジゼリオさんが頷いたの、見えなかったのかもしれない。 ばって音がするくらいの勢いで振り向いたカレカの声が、広い廊下にわあんと響く。
びっくりさせちゃったよね。
ごめんね。
眼帯を外して、ポッケにしまう。
急に広くなった視界と、右と左で未来と今が見えて、頭がくらくらしちゃう。
その内、頭痛にかわってくんだろうけど、今は我慢。
長話なんかするつもりないだろうし、なにか起きるって前もってわかるって、きっと有利だもん。
「お美しい色の瞳ですね」
眼の前の、キツネみたいな女の人が、これからどんな表情を浮かべるのかも“見えて”る。
人を馬鹿にしたみたいな、嫌な笑い方。
「お礼を言うべきでしょうか?」
「それには及びません」
私だってそんなつもりなんかないよ。
眼帯を外した私をじろじろと無遠慮に見て。それからその人は、ようやく「いたんですか?」っていうみたいにカレカを見て、へこりとお辞儀。
優雅な動作で、廊下の右手側を手で指し示す。
「お二方はこちらに……。お茶をご用意いたしております」
「無用だ。養い子が栄誉をうける場に、家長が立ち会えないとは、いかな仕打ちか。ご説明頂けるのだろうな?」
「聖下の御遺志でございますゆえ」
くと顎をそらして、ジゼリオさんを見下ろすみたいに――でも、実際はジゼリオさんの方が背が高くて、見下ろしてるのがどっちなのかなって思っちゃうけど。
それでも、すごく失礼に見える仕草。
気持ち悪い。
この人、ほんとに気持ち悪い。
「……女狐め」
そういう態度の端々に感じるものは、ジゼリオさんも同じなのか、引き結んだ口元できりっと歯が鳴る。
「こちらへ。アーデ候補生は、後程ご案内いたします」
お辞儀をした女給が、二人を回廊から続く廊下に連れてく。
その背中が見えなくなるのと、ジゼリオが女狐と評した教会服の女が、玉座の間の扉を開くのはほとんど同時だった。
「さぁ、どうぞ。大僧正……今は、皇帝を代理しておりますので、聖下とお呼びするのが妥当でしょうか」
「皇帝陛下の、代理。ですか?」
もし、皇帝陛下の一族が代々継いでいくっていうなら、教会の偉い人がそこにいるなんて変だよね。
皇帝陛下にはお兄さんが――今は、西の国境にいるのかもしれないけど。皇兄殿下って、皆に呼ばれてた、ハセンさんがいる。
なのに、どうして……。
聞きたかったけど、その背中はついっと遠くなって。
だから、慌てて追いかけた。
回廊と同じ真っ白な――少し透明度があるから、真っ白っていうのはおかしいかもだけど。でも、磨きこまれた大理石の壁に四方を囲まれたその部屋は、しんしんと寒かった。
石が冷やされるからっていうのもあると思う。
でも、それ以上に、左右に居並んでいる黒い教会服が目に入るたび、気持ちがきゅーって冷えてく。
肋骨はもうつながったって、ジゼリオさんは言ってたけど。それでも、早くなった呼吸に押された胸が、つきつきって痛くなるくらい怖い。
けど、話し始めるより前に負けちゃうなんて駄目。
だから、お尻にぎゅっと力を入れて、胸を張って、正面を見て歩く。
レンカ村の私の家が丸々入りそうなくらい大きな空間。
その一番奥にある玉座――観光案内に、ものすごくおっきい一個のルビーを削って作ったって書いてあったっけ……。
その、大造りで派手派手しい大造りな椅子の上には、真っ白な――肌も髪の毛も。なにもかも真っ白で。でも、青い瞳だけを炯炯と光らせた女の子が、しなだれるように座ってた。
十四~五歳くらいなのかな?
歳は私とそんなに変わらない気がするのに、玉座のすぐ近くにいる人と話すために手招きする時も。ちょっと首を起こす時でも、なんだか疲れたみたいに緩やかな仕草のその子。
ぱちっと目が合って。
口元をゆるく、笑顔の形になったのがはっきり見える距離――十メートルあるかないかのところで
「聖下の御前である」
玉座のすぐ隣に立っていた、黒い教会服の男の人が大きな声でそう言った。
社交界にも顔を出さなくちゃいけないからって、ある程度の行儀作法は習ったんだけど。宮廷での作法とかそういうの、細かくは知らないんだ。
だから、軍隊式でいいのかとかよくわかんないけど、とりあえず膝をつく。
そういうものだって習ったから。
軍隊生活って、条件反射の繰り返しみたい。
「お顔を上げてくださいな?」
「アーデ候補生、聖下の仰せである。顔を上げなさい」
「はい」
顔を上げていいよって言われても上げちゃ駄目。侍従の人の指示を待って顔を上げる。
そういう決まりだって、コゼトさんからは習ったけど。
これで、ほんとに大丈夫なのかな?
よくわかんないよ。
「士官学生遭難の折の働き、見事であった。これを賞し、騎士勲章を与える」
「こちらにいらして」
ゆるゆると手招きされて、玉座のある少し高い場所に登るための階段のすぐ前まで進んでく。
階段に足がかかりそうかなって思うくらいのところで、さっき大きな声で私を制止した男の人が階段を下りてきた。
それに合わせて、十字架みたいな形のブローチ――色とかはめてある石で内容が変わるって教科書で読んだっけ。
青い教会服の子が赤い緞子にのった勲章――真ん中にサファイアがはめ込まれた騎士勲章を差し出して。
それを男の人が、胸の辺りにつけてくれた。
……勲章なんて名誉のはずなんだけど。男の人に触れられるのってやっぱりまだ慣れなくて、それが“見えた”せいで、ぴきーんって背筋が伸びちゃう。
「そんなに緊張しないで……」
入学式でチギリさんが話してたみたいな、鼻にかかった甘ったるいしゃべり方。
大僧正って呼ばれてるのに同い年くらいに見えるその子は、なんていうか。ものすごく、女性的だった。
むせちゃうくらいの色気は、視線にも混ざるみたい。
まとわりつくみたいな甘さのせいで、なんか居心地が悪くなっちゃう。
「可愛らしい顔立ちね。瞳も、この玉座の様に鮮やかな赤。その様に美しい瞳を、なにゆえ、無粋なもので覆い隠していたのかしら?」
「恐れながら。この左眼は、告名の祝いにて、悪漢の手により負傷いたしましてから、この色に変わりましたもの」
聞かれると思って、用意していた答え。
話してる大僧正も、やりとりが上滑りしてるって気づいてるんじゃないかな。
教会の人がデアルタさんを殺した。
それを仕組んだのは貴女でしょうって、そういう意味だって。
ほんとはどうなのかなんてわかんないけど、大僧正の青い眼がすっと細くなった。
「それはいたましい。許しがたい暴挙ですね」
「……はい。悲しい、出来事でした」
「デアルタ様も、さぞやご無念だったでしょう。長く待ち望んだ、意思を通ずる者を目の前に命を落とされるなんて」
「っ!」
自分で命令したくせに!
教会が。
僧兵が。
大僧正が、デアルタさんを殺そうとしたのに!
なのに、どうして平然とそんな事言えるの!?
もし、私に力があったら。
ここにいる誰も彼も、元からいなかったみたいに真っ平らにしてやりたい。
こいつら。
こいつらが!
「ところで。トレさん、一つ提案があるのだけれど」
かって耳まで熱くなって。顔に気持ちが出ちゃってるかもしれない。
それなのに、大僧正はのんびりとした口調で、話し始めた。
「貴女のその眼。“授かり物”かはわからないけれど、そうとられても仕方ない物よね?」
「それが我々の知るところになった以上、係累は身上を偽った罪に問われる可能性がある」
なにそれ!?
「……どんな罪、なんですか?」
父さんも母さんも、なんにも悪い事してない。
私が生まれた日から今まで、少なくとも、私の身分を偽ったりなんて、絶対してない。
もうぼんやりしちゃってるけど。それでも、生まれた日から今まで、なにがあったか覚えてるから、それだけは絶対だもん。
それに、私が“選ばれた子”だって決めたのはマレ僧正――教会の人が決めた事なのに、どうして父さんと母さんが悪いみたいに……
「死を以て購う罪、よ」
「……そ、んな。だって、これは!」
死!?
どうして?
「それは、嫌よね?」
重い言葉のせいで、口の中が乾いてく。喉がきゅーってなって、息が苦しい。
「だからね。貴女にお願いしたい事があるの」
「……なにをさせるつもりですか?」
無理やり絞り出した声は、自分のじゃないみたいにがらがらで。上手く話せないって自分でもわかるんだけど、でも、こぼれた言葉は、もうどうしようもなくて
「オーシニアのけだもの達と同じ言葉を話せる貴女には簡単な事よ。神殺しの武器の欠片はどこにあるってきいてほしいの。……それだけ」
神様を殺せば、勇者になれる。
そう言われて生まれ変わってきたんだから、そういう生き方を目指してる人だっているのかもしれない。
でも、どうすれば神様を殺せるのかなんて、知らなかった。
そんな武器があるなんて……。
「どうして、オーシニアにあるってわかるんですか?それに、物を探すなら他に適任の人がいるはずです」
「私にはわかるの。でも、ここにいる、私の可愛い貴方達はオーシニアの言葉をしゃべれないもの。それとも、誰かと一緒に探しに行く?」
「お断りします」
そんな武器なんか、探したくない。
それに、ここにいる誰かがついてくるなんて、もっと嫌!
「皆、嫌われたわね」
くくって声を上げて笑って。でも、その眼は、蠱惑的とかそんな風に濡れたみたいに光ってる。
じくじくとした熱を身体にふきこまれるみたいな視線を向けながら、大僧正は唇をぺろっと軽く舐めた。
蛇がするよりゆっくり。でも、獲物を食べようとするとき、こんな風にするんじゃないかな。
だからって、蛙みたいに縮こまってちゃ駄目だ!
「あの。ジレの家にも相談したいので、考えさせて頂けませんか?」
「アーデ候補生、素直に従った方が……」
とにかく、時間がほしい。
なんにもわかんないもん。
こんな状態で、全部きめられちゃうなんて嫌だ!
「いいわ。なら、相談する必要がない様に、“授かり物”があったと、ジレの家に申し入れましょう。そうすれば、ジレの家が貴女を後見する理由はなくなるものね」
「……聖下、それはさすがに」
にこにこと人懐こそうに笑いながら。だけど、大僧正は待ってって言った私の全部をあっさり否定した。
勲章をつけてくれたおじさんが駄目だって言おうとしたのを、大僧正は手をあげてさえぎって。それから、笑みを深くする。
「断ってもいいけれど。その時は、貴女に関わった全ての人……そうね。まずは、貴女の従者の彼を、皇帝陛下と同じ目にあわせて上げる」
「カレカになにをするつもりですか!?」
「そう。あの子、カレカっていうのね?」
「全身、なますに切り刻んで、最後に喉を斬るの。水先案内協会の人が言うには、大層苦しい死に方だそうね」
この人は、人間の命なんかなんとも思ってない。思い通りにならないなら、どこかにどけてしまえばいいって。そんな風に、本気で信じてる。
でも、そんなのどうだっていい。
この人が、なに考えてるかなんて関係ない。
それより、どうして……
「……どうして、皇帝陛下がそんな目にあったって、知ってるんですか?」
はじめて皇宮に来た日、私を見て「未来を変える者」って言ってくれた人。
優しい目をしてた人。
ぼんやりしてて。ちょっと気味悪くて。
でも、それでも。
誰でも、そんな風に死んでいい訳なんかない。
もし、皇帝陛下になにかしたなら。
私は絶対、許さない。
腰につるしてある、儀礼用の剣に手をかけた。
刃挽きされてるから、ただの鉄の棒みたいなものなんだけど。それでも、なにもしないでいるなんて嫌だ。
そう、思ってたのに
「鈍いね、君は」
急に後ろからかけられた声。
振り向いたら、そこにはクイナがいて。お腹に向かって固く握った手が。拳が伸びてくるのが“見え”て。
だから、防がなきゃって剣にやってなかった左手を動かして。間に合ったと思ったのに、次の瞬間には、左手ごと、身体の中心を射抜かれて
「……ぅぐ、がぁ」
背中まで突き抜けちゃうんじゃないかっていうくらい、強い衝撃でお腹の中がかきまぜられて、口に向かってこみあげてくるなにか。
そんなのお構いなしに、ふわって身体が浮く感覚。
足が床から離れて
「なぜ知ってるかって?」
今度は髪をつかまれて。ぐいって引っ張られた。
頭のてっぺんでぶちぶちって音がして。そこに、ぬるっとした嫌な感覚と痛み。
「ぼくが」
掴まれた髪を軸にして、身体がぐるって回転させられて。それから、背中に冷たい感触と衝撃。
お腹を殴られて、こみ上げたなにかですっぱくなってた口の中が、鉄の味になって
「やったからに」
ぶんって振ったクイナの手から、赤い糸がふわってまき散らされるのが“見える”。
右眼が見てる今と、左目が見てる未来。
どっちがどうなってるのか、わかんなくなって。そのせいで、頭が痛くなって。
頭打ったからっていうのもない訳じゃないんだろうけど。
それでも……。
「決まってるだろ!」
お腹を思い切り踏まれて、鉄の味だった口の中がまたすっぱくなって。それが気持ち悪くて、げほげほって咳が出て。
咳き込むたびに、お腹の中にあったなにかがだらだら口から溢れてく。
お腹を踏みつけてる、硬いブーツ踵がぐりってねじられて。
それが痛くて、自分の声だって信じられないくらい。信じたくないくらいみじめで、言葉にならない悲鳴が喉からあふれて。
それでも!
私は!
今回は、敵の姿がおぼろげに見えてくるエピソードをお届けしました。
このお話、長い会話のやりとりがあんまりなかったんですけど。今回は、皆がぶりぶりしゃべりました。
そんな状況だったので、上手にお話を終わらせられなくて。なので、後半部分を切り離して、2014/07/05(土)7時に投稿するつもりでいます。
『なろうコン』さんの最終選考のコメントに、長くかけるのがweb小説のいいところだけど、上長になる原因にもなるって書かれてました。
ほんとにその通りだと思います。
気をつけたいです。
次回更新は2014/07/05(土)7時頃、いたぶられる主人公を助けに久々の人が登場するエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




