87.瞳の色は夜空のように
貴族の屋敷が並ぶ通りを西に向かって抜けて。皇宮まで続く一番大きな道路を、自動車が滑る様に進んでく。
聞こえるのは、どろどろと低く唸るエンジンの音だけ。
狭苦しい訳じゃないけど、窮屈な沈黙のせいで居心地悪いんだよね。
運転席のカレカも、隣に座ってるジゼリオさんも、車が動き出してから一言も話してないしさ。
もちろん私も、だけど。
いつもなら――なんて、大上段に言えるほど、出かけた記憶はないけど。
でも、覚えてる限り、人と乗物で一杯だった大通り。
道の左右にある建物は目一杯軒を伸ばしてて、そこにお店を構えてたり、オープンカフェみたいにしてたり。とにかく、賑やかで活気があった町並みは、窓の外には見えない。
雪はやんだけど。雲はまだ空に蓋をしてて、人通りのまばらな町の雰囲気を暗くしてる。
こんもりと山になった雪――きっと、人とか車が通る所だけでもって雪かきしたんだろうね。
石で舗装された道の端っこに寄せられた雪の山は、まーっ白。
雪って、そのまま山にしてるとなかなか溶けないんだ。
土とか炭とか。ちょっと汚くした方が、お日様の力が集まって早く溶けるの。
……なんて、そんな知識今更なんだよね。
それに、ちょっとくらい雪に慣れてるからって、誰かを助けるにはぜんぜん足りない。
あの雪の日。
それから、レジの村にたどり着いて、救助が来るまでの二週間の間に嫌ってほど思い知ったのに……。
そういう風になんにも出来ないって、自覚するのが辛くて、ふいってため息が漏れてく。
「……どうした。気分が悪いか?」
「いえ、大丈夫です」
いつもなら、怖くて、首がきゅーってなっちゃうのに。今日はそういう、怖いって気持ちにもならなかった。
何日か前、もっと怖い眼をした人に会ってたから。
長い廊下の一番奥にある金属製の扉の向こうに、チギリさんをのせた担架が消えて。
その扉のすぐ近くで、書類に署名した教官――二校の剣術教官なんだって言ってたけど、無精髭がぷつぷつと浮かんだ頬は少しこけてて、すごく弱弱しく見える。
「……では、生徒をよろしくお願いします!」
「力を尽くします」
でも、声はおっきくて。
狭い廊下にわあんと響くその声を、少し離れたところで聞いて、私とクルセさんはふいってため息をついた。
銃で撃たれて、血がいっぱい出て。
その血を止めるために縛ったチギリさんの右肩から先は、血流がなくなったせいでひどい凍傷になっちゃって。
倍以上の太さに膨れ上がったその腕から出る毒は、チギリさんの身体を痛めつけてて。だから
「……トレ。これで、よかったんだよね」
「はい。きっと……」
少し震えてるクルセさんの声に、頷いて答えたけど。でも、私だって自信なんかない。
ある訳ないよ。
救助が来るまでの間、怪我ももちろんだし、チギリさんと同じ様に凍傷になった子も大勢いた。
寒さで弱って、肺炎――私も小さい頃かかったけど、その時と同じ。かかると死んじゃう病気になった子だって少なくない。
真っ白に閉ざされたレジの村に救助が来るまでの二週間。
たくさんの死に触れたせいで、かじかんで、なにも感じない。感じてるんだけど、しびれたみたいになってた私達の心。
だけど、お医者さんから、チギリさんを助けるためには、右腕を切断しなくちゃいけないって言われて。
それでようやく、凍りついてた心が、握り締められたみたいにぱりぱりって音を立てて柔らかくなった。
痛み止めの薬――携行薬の中に入ってる、一日に三回までって決められてる、すごく強い薬。
でも、痛がるチギリさんを見てたらそんなの守ってられなくて、薬のせいなのか。
それとも、衰弱で起きられなくなっちゃったのか。どっちかわかんないけど。
とにかく、眠ってる時間の方が多くなって書類なんかかけないチギリさんのかわりに、腕の切断に同意するって書類を書いてくれたのは、さっきの教官。
だけど、書いてって頼んだのは私。
ほんとは、私が書こうって思ってたんだけど。でも、未成年じゃ駄目だって言われて。
でも、このままチギリさんが死んじゃうなんて絶対駄目だって思って。だから、どうしてもって頼んだのは。
私。
畸形を“授かり物”っていって、差別――なんだよね。
少なくとも、それで身分が区切られる社会。
眼帯で隠してた私の左眼だって、見る人が見たら“授かり物”だって言われるかもしれない。
南部ではあんまり感じなかったし。帝都でも、眼帯つけて歩いてて、それで変な扱い受けた事なんかなかったけど。
でも、そういう社会だから、帝都では腕がなくなるって、死ぬより重いんだって。
教官に言われるまで、そんなの気づかなかった。
気づけなかった。
それでも、チギリさんに死んでほしくなかったから……。
だから、私は……。
私は……。
「……ねぇ、トレ。聞いてる?」
「あ、はい。ごめんなさい。なんでしょう?」
「もー」
ぐるぐるってなった考え事に気をとられちゃった。
気がついたら、クルセさんの顔が目の前にあって……いや、聞いてなかったのはごめんなさいだけど、そんなちゅーしそうな距離まで近づかなくてもいいんじゃないかな?
いいけどさ。
あ、いや。
ちゅーは嫌だよ。
「ちょっと休もうって言ったの!疲れてるんでしょ、ひどい顔色だよ」
「あぁ」
って、そっか。
でも……。
でもね。
「私は大丈夫です。クルセさんこそ、休んでてください」
「あんたって子は……」
私には、責任があるから。
チギリさんに、生きてって、無理やり押しつけた責任が。
ある。
「……私が疲れたらかわってもらわないといけませんし。その時、クルセさんが倒れてたら、今度は私が倒れちゃいます」
こういうの、ただの強情なのかも。
それこそ、押しつけがましい思い込みなんじゃないかなって思う。
けど、今目を閉じたら、どうしても考えちゃう。目を覚ましたチギリさんに、どうしてって。
なんでってきかれたらって。だから、休むのが怖いんだ。
早口に答えた私をじーっと見て、それからクルセさんはおっきなため息一個。
「わかった。じゃあ、二時間で交代!」
「はい。ありがとうございます」
私の髪をかき混ぜるみたいに撫でて、クルセさんはホテルに戻ってった。
疲れてても、落ち込んでても、ぴんと伸びた背筋。
そんなクルセさんの後姿を見送って、廊下の隅っこに置かれたベンチに腰を下ろす。
大丈夫ってクルセさんに言ったけど。ほんとはやっぱり疲れてるのかも。
お尻が落ち着いたら、急に胸が苦しくなっちゃった。
自分だって右腕を骨折した怪我人のはずなのに、歩いてヘリテ駅まで救助を呼びに行ってくれたバナさん。
鉄道が止まっちゃってるのに、帝都に連絡を取ってくれたハーバ商会――ホノマくんのお家の、ヘリテ駅にある商館の人達。
それから、実際に救助を手配してくれたシノワズの家――ギヘテさんのお父さん。
士官候補生が休めるようにって、部屋を融通してくれたホテルの従業員さんと、そこに泊まってた人達。
色々な人が私達を助けてくれた。
感謝しなくちゃいけないってわかってる。
わかってるんだけど。
でも、なんでもっと早く来てくれなかったのって、どうしても思っちゃう。
だって……。
だってさ……。
ベンチの上で、膝を抱えて。膝に顔を埋めて、ぎゅーっと目を閉じる。
じくじくって膿んだみたいにどろどろで、嫌な気持ちが熱を持ってあふれてきちゃいそうだったから。
そしたら、すぐ近くでぎしって音がして
「ちび、なにしてんだ」
「……なんでも、ないです」
頭の上にごわごわした感触。
肌触りのよくない支給品の手袋に包まれた手が、ぐしぐしって撫でてくれて。
それから、ぐいって肩が引き寄せられる。
お尻だけで支えられてた私の身体は、ころんって転がるみたいに傾いて。ぎゅむって、体重を預けて。
「カレカ。私は、自分勝手だったでしょうか?」
「……なんだそりゃ?」
「わがままだったでしょうか?」
自分でもなに言ってるか、よくわかんない。
今来たばっかりのカレカに、わかるわけなんかないのに。でも、カレカはちょっと考えてから
「お前は、もうちょっとわがまま言っていい。一人でなんでもかんでもしまいこむな」
肩を引き寄せた手にぎゅっと力が入って。
膝に埋めてた顔が、今度はごわごわした制服に触れて。頭の後ろから来た手に、ぎゅーって押しつけられちゃった。
懐かしい匂い。
甘くて苦い、煙草の匂いが鼻をくすぐる。
「ちび、お前も休め」
「……でも、私は……」
休んだ方がいい。
カレカが言う通りだってわかってる。
わかってるんだけど。
膝の上でぎゅっと拳を握る。
身体のどこかに力を入れとかないと、そこから崩れちゃいそう。
なにも言えないままでいたら、頭の上でカレカがふいってため息をつく。
「さっき自分で言ってたろ。お前が倒れたらどうしようもねえんだぞ」
「……はい」
もしかして、全部きいてたの?……なんて、言い返す気力もわかなかった。
ぐしぐしって髪の毛をかき混ぜて。それから、ぐいって私の身体をどけると、カレカは「よいしょ」っておじさん臭く気合を入れて立ち上がる。
「なんか飲み物もらってくるけど、お前も飲むか?」
「……ココア」
「ん。あと、毛布持ってくる」
「はい」
雪の中、放り出されてたよりはましだけど。それでも寒い廊下。
少しずつ遠ざかっていく足音。
それから、入れ替わるみたいにもうひとつの足音が近づいてくる。
すれ違うからその人に気がつくはずなのに、遠ざかってくカレカの足音は止まらかった。
そして、カレカがかきまぜていった空気に混じる、鈴蘭の香り。
「お久しぶりです、秋久さん」
最後に会ったのっていつ頃だろう?
四歳とかそれくらいの頃、前世のお父さんお母さん。それからしおちゃんに会わせてもらって……それから、一回も会ってなかったんじゃないかな?
始めてあった頃から変わらない、黒いローウェストのワンピースと、白黒ボーダーのカーディガン。
いっつもおんなじ服って、大人としてどうなんだろ?
パンツくらいは変えてるのかな?
あの時とおんなじ、しましまのパンツだったらすごい格好悪いけど……。
「余計なお世話です」
そうですか。
「それで、なんのご用ですか?」
「クライアントからの言伝を……」
「いりません。帰ってください」
生まれ変わる前の事って、もうぼんやりとしか思い出せないけど、この世界の神様達は戦争をしてるんだって。
それを止めなくちゃいけないって、それだけははっきり覚えてる。
この人から――四十万さんからもらった手帳に、私の手で、書いたんだもん。
忘れちゃいけないからって。
書いた。
だから、こんな思い、いつかはするのかもしれないって、思ってた。
でも、甘かったって言われたら、きっとそう。
それでも、こんな。
たくさん人が死んで、悲しい思いをする人がいたのに、謝られたってなんにもならない。
「……秋久さんの気持ちはごもっともです」
わかってるなら帰って。
「……帰ってください」
思ってること、全部伝わるんだってわかってても、口に出して。はっきりと、言葉にする。
だって、今更。
全部、今更なんだよ。
言葉なんかいらない。
謝らなくていい。
そんなのいらない。
家族なんだから、話し合えばいい。
それだけなのに。
「……その通り、ですね」
「だったら!」
どうして、そう言ってくれないの?
神様と会って話せるなら、四十万さんがそう言えばいい。
「秋久さん。聞いて下さい」
「嫌です」
「……聞きなさい」
ぎゅってほっぺを固定されて、四十万さんの方を向かされた。
真っ青で綺麗な。
でも、瞳孔が開き切ってて、死んだ人みたいに表情のない眼に、ほっぺの傷も思ったよりひどくて。眼帯もなくなっちゃったからって、左半分を包帯で隠した私の顔が映ってる。
眉間にしわが寄って、カレカがいつも言ってるひどい顔してるんだなって、自分でもわかった。
でも、だからなんなの?
この人の前で、可愛くいる必要なんか、ない。
「秋久さんのおっしゃる通り、お詫びなんて無意味です。それは、私のクライアントもわかっています」
謝ってもらっても、死んじゃった人達は戻ってこない。
チギリさんの腕だって……。
家族同士の喧嘩に人間を巻き込む神様なんて。
巻き込まれて、大勢人が死んでるのになんにもしない神様なんか、いてもいなくてもおんなじでしょ!
勝手に会って話して、それで解決すればいい。
「その通りだと思います。でも、今はまだそれが出来ないんです」
「なんでですか!」
会って話すだけ。
それだけの事も出来ないなんて、神様ってなんなの!?
「理由は、私の口からは言えません。ただ、私のクライアントは、秋久さんの力に……人と人をつなぐ言葉に、強い望みをかけています」
なんの感情も感じさせない、死人の眼が私を。私の眼をじっと見てる。
サファイアみたいに深い、吸い込まれそうな青い瞳。
馬鹿にするみたいに見下ろされたり。
睨みつけられたり。
憎悪を向けられるたり。
今まで向けられたどんな視線より、その青が怖かった。
「なんで……私、なんですか?二つの言葉を話せる人は、タリア連邦にも、いたはずです。強い特典を持った人だって、大勢、いたはずなのに、なんで私なんですか?」
怖気づく。
そんな感覚なのかも。
言葉が上手く出てこない。
「……力を強く求めない方だから、と」
答えなんか返ってこないと思ってた。それなのに。
それに。
力を強く求めてないなんて、嘘だよ。
だって、私はもっと……。
私は……。
「……覚えていてください、秋久さん。少なくとも、私のクライアントは誰の命も奪いたくない。そう考えています」
抱きしめられて。
それで、強くなった鈴蘭の香りに、私の意識は黒く塗りつぶされて。闇の中に落ちてった。
目が覚めたら、カレカに膝枕されてて。ほんとにびっくりしたんだけど。
それは、置いとく。
思い出すと、ほっぺが熱くなっちゃうから。
あの時、四十万さんが言ってたのがほんとなのか嘘なのかは、わかんない。
でも、帝都のあちこちで被害はあって。死んじゃった人も大勢いて。西の国境では、まだ近衛師団が戦ってて。
神様同士の喧嘩のせいで、今も命が失われ続けてる。
あちこちの建物で、ガラスが割れてたり、漆喰がはげちゃってたり。野外演習の前と全然違う、窓の外に見える景色。
「……この辺りも荒れたな」
隣に座ってるジゼリオさんが、窓の外を見ながらぽそっとこぼした。
その言葉が、胸にちくっとささる。
『雪が降るのが合図』
っていううすらいの言葉通り、オーシニアの人達が暴れて。帝都のあちこちで被害が出たんだって。
閉じ込められてた場所のほとんどは、駅とか停車場とか。そういう場所だったから、今、自動車が走ってる皇宮までの道の周りは、被害が少なかって聞いてたんだけど。
それでも、壊されたり、焼けちゃったりした建物がない訳じゃない。
それに、お屋敷とかそんなのより大事なものを、帝都は……。
ううん。
この国は、なくしちゃった。
道の左右に掲げられた半旗。
それから、その掲げられた旗より上にかけられた黒いリボン。
それは、喪に服す印。
死んじゃったのはなにも、町の人達だけじゃなくて。皇帝陛下も、その混乱の中で命を落とした一人。
皇宮に入ってきたオーシニア人に殺されたんだって。
運転してるカレカも。隣に座ってるジゼリオさんも、真っ黒い服を着てる。
紺色の制服を着た――左腕に喪章は縫いつけてるけど。一人だけ明るい色合いの服を着てる私。
なんだかへんてこで。
居心地悪くて。
けど
「気分はどうだ?」
「……特に、なにも、ありません」
乗り物酔いの心配をしてもらってるのかな。
硬い声で問いかけられて、なんて答えたらいいのかよくわかんなかった。
これから行く場所。
そこに呼び出してきた人達。
教会の、一番偉い人。
大僧正。
きっと、嬉しくない話しかしないに決まってるのに、緊張とかそんな気持ちがないなんて。ほんとはおかしい。
……おかしいはず。
なのに、なんでだろう?
雪の日から今日まで見てきたいろんな出来事より悪いことなんか、起こりっこないんだって思ってるのかな?
波立ちもしない気持ちに押さえつけられたみたいに、抑揚のない言葉が口からこぼれてった。
「気分は、悪くないです。ほんとに、大丈夫」
自分でも、あんまりだなって思っちゃうくらいだもん。
二人の視線がきろって私の方に集まった気がして。だから、無理して笑ってみる。
心配なんかかけたくないもん。
「……なら、いい」
唇の両端をきゅーって上げて、にこって笑ったつもりの私をジゼリオさんはじっと見て。その間、ぱちっと目が合ったまま。
秋の麦畑みたいな髪の隙間から覗くターコイズブルーの瞳。
その色が、四十万さんの言葉を思い出させる。
私は。
私だって、力はほしいよ。
誰かを。
せめて、手が届くところにいる、カレカやジゼリオさん。
お屋敷の皆とか。
それから、友達を守れる力。
私には、なにもない。
そんな自覚が正しかったって、思い知らされるまで、そう時間はかからなかったんだ。
今回は、救助されて帝都に戻ってきたエピソードをお届けしました。
ひどい貧血で、日帰り入院となってしまいまして。予告どおりに更新出来なくて、格好悪くて情けない気持ちです。
しかも、久しぶりに登場のあの人も、コメディテイストゼロのまま、出番を終えてしまいました。
まぁ、今はそんなときでもないんですけど。
もうちょっと、ねぇ……。
次回更新は2014/07/03(木)7時頃、ようやく敵の正体がわかりそうなエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




