85.燃える炎は悲鳴のように
帝都の城壁みたいに大きな背中。
その向こう側に、オーロラみたいに揺らめく、オレンジ色の光のベールが揺らめいてる。
逃げ水とかかげろうとか。
そういう光の揺らめきと同じ。だけど、その幕がふわふわと風に舞うたび、ちりちりって肌が渇いてく。
伏せたまま、顔も上げられない子ばっかりで。そんな中で、一人だけたってるバナさんは、きっとすごく目立ってて。
だから、飛んでくる銃弾は、どんどん増えて。
なのに、バナさんには傷一つついてなかった。
飛んできた銃弾は、その光のベールに触れると、じゅって音を立てて消えてく。
「……銃弾が、溶けてる」
顔を上げたカレカはそう言ってた。
けど、きっとそれだけじゃない。
金属が溶けて、そのままなくなるくらいの熱。
そんな、溶鉱炉みたいな熱量が、バナさんから立ち上って。それは足元の雪も溶かして。
ぶすぶすと沸騰させる。
吹きつける風に冷やされて、それはすぐもやもやって蒸気にかわって。熱にあおられて、渦を巻いて吹き上がった。
おっきな背中のすぐ後ろは、その渦の中心。
台風とかつむじ風とか。
くるくる回る空気の中の、凪。
だからなのかな。
銃を撃つときの雷管がはぜる音とか、悲鳴とか。さっきまで聞こえてた色んな音は小さくなって。
かわりに、カレカの息遣いとか。すぐ近くの音が鮮明に聞こえてる。
「ビッテ。動けるな?」
「う、動けます!」
「お前は左。傾斜の緩い側から登れ。おれは正面から行く」
背中越しに聞こえたバナさんの声は小さくて。
でも、返事なんか待たない、強い調子で言い切ったバナさんの言葉に、カレカは頷く。
背中を向けてるバナさんに見える訳なんかないのに。でも、バナさんにはそれが伝わってるみたい。
大きな頭がこくって動く。
「私も……」
「ちび。お前はお嬢さんと一緒に隠れとけ」
「でも!」
目の前の危ない場所――もしかしたら死んじゃうかもしれない。そんなとこに、カレカだけ行かせたくない。
そう思ったのに。
一緒に行くって、カレカは最後まで言わせてくれなかった。
どうしてってききたくて、ふいって大きく息を吸って。でも、その瞬間
「総員、射撃準備!」
森が。雪が。
胸の中の空気まで、全部をびりびりって震わせるくらいおっきな声が、凪の壁を切り裂いて。
声に揺らされた木に降り積もってた雪がどさどさって、あちこちに落ちた。
銃声もかき消されるくらいの声。
それから、森を震わせるくらい大きな音。
落ちてくる雪。
いろんなものに邪魔された斜面からの銃撃は一瞬止まって。そこに割り込むみたいに、バナさんの足がだあんって踏み出された。
「ううぅぅらああぁぁ!」
それから、咆哮。
なにか、大きな。人間なんかぺしゃんこにしちゃうくらい、凶暴な声を上げて、大きな背中が目の前から離れてく。
「みんな、銃を!撃ち返して!」
その後ろ姿を追っかけるみたいに、ギヘテさんが叫んだ。
一部屋に一挺ずつしかない銃。
けど、長い隊列皆が持ってる銃を合わせれば、斜面から撃ってくるより多い。
教則通り撃ち返せば、撃たれにくくなるはずなんだって気づいたのは、ギヘテさんだけじゃなかった。
「千人長を見殺しにするな!ダフィア、弾持って来い!」
声を上げたホノマくんが、銃を腰だめに構えて、弾丸を装填するための金具――銃身の真ん中くらいにぴょこんと飛び出たボルトを身体に向かってひきつける。
かきんって金属音が二回。
それからすぐ、だあんって雷管の弾ける音。
それがあちこちから聞こえ始めるまで、何秒か。
さっきまで聞こえてたよりも大きなその音は、耳を通り抜けて、お腹の奥の方を重くした。
こっちが撃ち返し始めたら、斜面から飛んでくる銃弾はちょっぴり少なくなって。
だからって、ぼんやりしてちゃ駄目だって、銃声が響くたびに重くなるお腹に力を入れる。
「クルセさん、チギリさんを木の影に隠します。手伝って!」
「わ、わかった!」
銃を放り出したクルセさんの手をかりて、チギリさんの身体を持ち上げて
「傷がひらかない様に、そっとです!」
「わかってる!」
頭を低くして、チギリさんをそのまま木の影まで運び込む。
大声上げてバナさんが走ってったって、カレカが斜面を回り込んだって。皆も銃を撃ち始めてて。
でも、斜面の人が全部いなくなった訳じゃない。
なにもしないで見てるなんて、駄目なんだ。
だから、木の影から頭を出して、首をめぐらせて斜面を見る。
大きな身体に似合わない俊足で、上り坂を駆け上がったバナさんが、吼えた。
遠くにいる私のお腹の中まで鷲掴みにするくらい、鋭く突き刺さる声。
その声に弾かれるみたいに、バナさんのすぐ近くの地面が――地面みたいに見えてたなにかが、もそっと動く。
青とグレーと白のまだら模様の外套。その隙間にカーキ色が覗いてる。
雪上迷彩っていうんだったと思うけど。
雪と木の幹くらいしか見えない白い景色に溶け込んでた姿は。だけど、動いた途端、景色の中に浮き上がってきてた。
その雪山みたいに見える人影に、黒い外套を翻してカレカが突っ込む。
「おらぁ!」
雪の積もった斜面を大きく回り込んでたカレカの位置は、その雪上迷彩の人より高くて。
その高い位置から、構えようとした銃の先端を拳銃で足元に向かって押し下げて。
そのまま、足を捌いて、上体をひねって。
手の甲をこめかみ辺りに叩きつけた。
でも、訓練を受けてる人を倒すには不十分で。
手が届きそうな位置で向き合った二人が、銃を引き戻して構え直そうとするまで一瞬。
同じタイミングで始まった動作は。でも、拳銃を使ってるカレカの方が、一拍速くて。
けど、相手に撃たせずに引金を引くには、時間が足りなくて。長い銃に身体を押しつけるみたいに、大きく踏み込んだ。
格闘技の教官が見てたら、絶対不合格って言いそうな。不格好な投げ方で。そのまま、倒れ込んだ二人の周りで、雪がばっと飛び散った。
釘づけにされて動けなかったさっきまでと違って、撃たれる回数は減ってる。純粋な人数だって、銃の数だって、私達の方が多い。
はずなのに
「作動不良った!」
「こっちも!」
ほとんど同じタイミングでホノマくんとギヘテさんが声を上げた。
弾丸を送り込むためのボルトが戻らなくて、ぎーって力を入れてるホノマくん。
その近くで腰の拳銃を引き抜いたダフィアくんが、声を張り上げる。
「ホノマ、拳銃弾。どこ入れた!」
「ベルトポーチに、十二発!」
「もらってくぞ。フォリア、シキテ、前に出る!」
ボルトが戻らなくなってるのはホノマくんだけじゃなくて。でも、戻そうとしてる人と放り出しちゃってる人。
どっちも半分ずつくらい。
こっちの銃は故障で動かなくて。なのに、撃ってくる人達の勢いはかわんなくて。でも、それでも、ずっと撃ち続けられる訳じゃなくて。
装填するタイミングとか、そんな少しの隙間に身体をねじ込むみたいに、ダフィアくん達が飛び出してった。
その背中を追っかけて、押してあげるはずの銃弾は、どんどん勢いがなくなって。
だからもう、私達なんかどうでもいいっていうみたいに、飛んでくる銃弾が少なくなって。
かわりに、その銃口は少しずつ、バナさんとカレカに向かってく。
向けられた銃口が火を噴いて。
でも、そこから飛び出した銃弾は、バナさんの周りに張り巡らされた、赤い光のベールに触れると、真っ赤に燃えて消えた。
その、向けられた銃口の一つ。
至近距離――十メートルくらいのところで、射撃のために頭を上げてた人影に、バナさんの大きな身体が突っ込んで。
その勢いのまま、大きく振り上げた手を振り下ろす。
銃を盾にするみたいにして防ごうとして。でも、バナさんの拳は、その銃ごとへし折って、そのまま吹き飛ばして。
ごろごろと斜面を転がったその人は、そのまま動かなくなった。
斜面を転がり落ちてくその人と。バナさんのおっきな身体。
それは注目を集めるのに充分で。
だけど、赤いオーロラみたいに揺らめく光のベールのせいで、命中しても傷つける事も出来ない。
動揺してるのかもしれないし。集まってやっつけようとしてるのかもしれない。
なに考えてるかなんてわかんないけど。
一撃で変わっちゃったその場の空気に、斜面の人影が、もそもそ動き出した。
動いてる塊は、一、二、三……九人。
違う。八人。
顔に着いた血を手の甲で拭いながら、のろのろと立ち上がったカレカ。
真っ赤に染まった足元で、カーキ色の軍服の人が、喉を抑えてもがいてる。
あの人は、もう動けない。
雪で真っ白な斜面を背中に背負ってても、はあはあってけむりみたいに白い息が吐き出されるのがはっきり見えた。
『野郎、がしきゅまで!』
だあんだあんって鳴り続けてる銃声の隙間に、不意に聞こえたオーシニアの言葉。
どこからって探して。動かした視線の中に、銃を構えて立ち上がった、カーキ色の軍服が飛び込んでくる。
銃口が向いてる、その先は……。
後ろを振り返りもしないで前に進んでくバナさんは気づいてない。
気づいてても、きっと届かない距離。
戻らないボルトに力を込めてるホノマくんも、きっと間に合わない。
撃たれちゃった部屋の子を、物陰に引きずってこうとするギヘテさんもおんなじ。
拳銃を持って進むダフィアくん達も、雪に足をとられて、思うように進めてなくて。ずっと遠いとこにいる。
誰も、間に合わない!
カレカが撃たれるなんて、嫌だ。
隠れてろって言われたけど、なにもしないで後悔なんかしたくない。
「トレ!」
背中に聞こえるクルセさんの声を振り切って、放り出された銃を手に取った。
ボルトを引いて……装填。
当たらなくてもいい。
注意を、引きつけるんだ!
銃床を肩に引きつけて、狙いをつける。
元から苦手な射撃。
こんな風が強い日に、当てられる訳ない。
それでも、精一杯狙いをつけて、引金を引いた。
耳のすぐ近くでがあんって音がして、肩がみしって音を立てる。
訓練用より火薬が多い実包の衝撃は、身体の真ん中を射抜くみたいな強さで。折れたあばら骨に響く。
痛くて力が抜けそうになるけど。倒れちゃ駄目だって、足を踏ん張る。
命中は……してない。
手元をかすめて、すぐ後ろの雪をえぐっただけ。
でも、それだけで充分。
その視線が、カレカじゃなくて、私に向けられるてるから。
その銃口も。
黒くぽっかり空いた銃口と、ぱちっと目が合った。
撃たれるのが恐いからなのかな。
ほんとは小っちゃいはずの銃口が、なんだかおっきく見える。
感覚がそこに吸い込まれるみたいに集中してく。
訓練で繰り返されたとおり、身体が勝手にボルトを引こうとする。
硬い。
ぎゅーって力を込めたら、胸の辺りがつきって痛くなった。
がぎん
ようやく動いたボルトは、歯ぎしりみたいな音を立てた。
焼けた薬莢がきーんっていう、甲高い金属音と一緒に吐き出される。
次を準備するために、ボルトを戻す。
戻そうとするんだけど、ちっとも動かない。
見つめ合ってる銃口の向こうで、私と同じ動作をする人が見える。
その動きは、私よりスムーズで早い。
あの日、きゅきぃさんを助けようとして。でも、出来なかったあの時。
銃で撃たれた、あの瞬間に感じた痛みを思い出して、身体がぎゅっと硬くなってく。
でも、眼を閉じるなんてできなかった。
恐くて。
銃口が光るのが見えて、それと同時にほっぺに焼けるみたいな痛み。
ぎゅっと歯を食いしばって、無理やりボルトを戻す。
あったかくてどろっとした感触がほっぺを流れ落ちて。
そんな気持ち悪い感触に気がついて、それが流れて。
つうって顎をつたったどろどろが、ぱたたって足元に落ちたところで、視界がクリアになった。
明確になった距離感が。
動く標的の位置が。それがどんなふうに動いて、なにをしようとしてるのか“見える”。
ぎし、がぎん
建てつけの悪い扉がきしむみたいな手応えで、ボルトが戻った。
狙いをつけて、引金を引く。
風で弾丸がそれた弾丸は、カーキ色の軍服の肩を削ったくらい。
でも、それで十分だった。
「伏せていろと言われたろう、アーデの娘!」
背中がちょっぴり小さく見えるくらい離れてたはずのバナさんが、その人のすぐ近くに立ってた。
その時間を稼いだだけで充分。
立ち上がって、逃げようとしたその人の背中を、バナさんの拳がとらえる。
ううん。
とらえ切れてなかった。
かすめた程度のその拳を、バナさんは、それでも大きく降り抜く。
ただ、それだけ。
ちょっとこすったみたいな。
たったそれだけなのに、その人の身体は松明みたいに燃え上がった。
だあんだあんって鳴り続けてた銃声も。ごおごおって森の中を通り抜ける風も。
どんな大きな音でもかき消せない、耳の奥まで切り裂くみたいな絶叫。
人の身体が燃える臭いなんて、はじめてで。
でも、吐きもどす余裕なんかないまま。その悲鳴が聞こえなくなるまで、誰も動かなかった。
動けなかった。
私達も。
斜面にいる人達も。
誰も。
今回は、皆で立ち向かうエピソードをお届けしました。
前回のあとがきで、戦闘は次回で決着って書いてたんですけど。
書きあがったら、一万文字位のボリュームに……。
なので、分割して投稿する運びになりました。
自分で予告して、守れないって、すごく格好悪いですよね。
悔しい。
次回更新は2014/06/20(金)7時頃、今度こそ決着するエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




