83.迷ってちゃいけない時だってある
風に白いふわふわが混ざり始めて。それから、そのふわふわに飾られた景色の全部が真っ白に染まってく。
一年の半分くらいが雪の中な南部では、そんなの珍しくなかった。
でも、ずっと帝都で暮らしてた子――南部に疎開してきてた子と私以外の皆なんだけど。
雪が少ない地域で育った子達はそうじゃなかったみたい。
降り始めてすぐは
「すごい、雪だ!」
なんて喜んで。でも、雪は勢いを増して。その雪を運ぶみたいに、山の上から西に向かって吹く風が強くなって。
切りつけるみたいな冷たい吹雪になると、少しずつ口数が少なくなった。
ふわふわって、綿菓子みたいだった雪。なのに、今は剥き出しの肌に当たるとぴりって痛いくらいの勢いにかわってる。
起床のラッパより少し遅れたタイミングで降り始めた雪。
先行して、テントを張って夜営した私達と違って、ヘリテ駅から合流したギヘテさん達は、その雪をまともにかぶっちゃってた。
ずぶ濡れで、かちかち震えたまま
「……ごべん、とれ。しゅうご、おく、れて……」
「大丈夫です、大丈夫ですから!」
顔も唇も真っ青だけど。でも、一人で立って歩けてるギヘテさんは、まだましな方で。誰かに支えてもらって。
それでようやく歩けてるっていう子も少なくなかった。
帝都だって、夜になればそれなりに冷え込んでたんだけど。
でも、寒くて死んじゃうとか。そんなの感じた事なかった。
南部では身近だった現実。
なのに、どうして忘れちゃってたんだろ。
寒いって、それだけでどんどん体力が奪われてく。
なにもしないでいたら、動けなくなっちゃう。
「ちび、ぼーっとしてんな。動け!」
「は、はい!」
倒れ込みそうなギヘテさんを支えて。そのままの姿勢で動けなかった私のお尻を、カレカがぱちんって叩いてくれた
そうだ。
迷って、なにもしないなんて駄目だ。
なにかしないと!
「ギヘテさん、テントの中で着替えてください。皆も、テントを空けて、着いた子達を入れて上げて!」
「濡れた服はすぐ脱げ。着替えろ!死んじまうぞ!」
「テントの外に出る人は、全員雨具をつけてください。汗をかかないように気をつけて!」
「唐辛子の輪切りがあるから、これを足につけろ。その上から油紙を巻いて。靴下は二重に履け!」
自分でも言ってる全部が正しいかなんてわかんない。
それでも、ギヘテさんを手近なテントに押し込んで、他の子達にも声をかける。
早く早くって気持ちばっかり焦って。おっきな声でしゃべってるつもりなんだけど、ごおごおってうるさい風の音が邪魔してる気がする。
ちゃんと皆に聞こえてるのかな?
わかんなくても、とにかく声を上げるんだ!
なにもしなかったら、きっと後悔するもん。
手と身体を動かさなくちゃ!
胸の辺りが痛くても、そんなの気にしてられない。
でも……。
だけど……。
雪が多い南部で暮らしてたっていっても、私もカレカも、こんな吹雪の中で外に放り出された経験なんてほとんどない。
「ちび。人数そろってるか?」
「はい。でも、点呼とってないですから、他の学校の子が混じってるかも」
南部方面軍にいたから、雪の中でどう行動すればいいのかって訓練をしてきたから、カレカの指示とか確認は細かい。
でも、それはちゃんとした装備があるのが前提の知識。
今。この状況でどうしていいのかわかんないのは、カレカもきっと同じで。だから、手が空くタイミングを見つけると、私のとこに来て、細々とした確認をしてく。
雪の中で、最低限やるべきこと。それをやっとかないと死んじゃうかもしれないってこと。
私達が知ってる全部で、雪と戦わなくちゃいけないんだ。
「ちび。装備に防寒具は?」
「先輩に言われて、懐炉だけは皆でこっそり持ってきましたけど、本格的なものはなんにも」
「そっか。まずいな……」
きりって音――きっと、奥歯をぎゅって噛み締めたんだと思うけど。
口を強く引き結んだまま、カレカは制帽に積もり始めた雪を、指で軽く拭った。
そのつばの影に隠れてる眼は、どこか遠くをにらみつけてるみたい。
「移動するにしても、ここで頑張ってみるにしても、早めに決めないとやべえよな」
「そう、ですよね」
「レジの村まで戻りゃあ、とりあえず風もしのげるし火もつかえるんだけど……」
そう言って。でも、カレカはそこで言葉を切って、合流した子達のためにテントを空けた子達の方に視線を向けた。
私も、その視線を追いかける。
どの子も青白い顔をしてた。
不慣れな雪と寒さ。
限界が近い気がする。
寒いっていう現実に慣れてるだけで、私だって、寒いのが得意な方じゃない。
そもそも、そんな人、ほとんどいないと思うし。私自身、どっちかって言えば、苦手な方だもん。
……冷え症だしね。
今だって、指先とか。末端の感覚が鈍い。
「これ以上積もると、厳しいですよね」
「あぁ……」
強くなるばっかりの吹雪の向こう。雲に隠れて見えなくなった、サンテ山を二人で見上げた。
教官が移動って決めれば、移動しなくちゃいけない。
移動しないとしたら、吹雪が治まるまでどうやって頑張ればいいのか決めなくちゃいけない。
どっちにしても、野外演習のために持ってきたのは、こんな寒さに耐えられるものじゃなくて。
だから、考え込めば考え込むだけ、時間が経って。元気がなくなっちゃう。
そうしたら、なにかしたくても出来なくなって。ますます身動きが取れなくなってく。
なのに、なんの指示もないまま三十分くらい経っちゃった。
昨日の朝。
汽車の中で、帝都ではほとんど雪なんか降らないって、ギヘテさんも言ってたっけ。
他の子達だって。
もしかしたら、教官達も雪に不慣れで判断がつかなくなったりしてるんじゃないかな……。
雪がやんでくれたら、迷う必要なんてなくなるはずなんだけど。
でも、山のてっぺんを覆うくらい低く立ち込めた雲は、西の方――帝都とか、もしかしたら少し北にそれたテレル駅の方にまで広がってるみたい。
分厚い雲にさえぎられてるせいなのかな。
日差しなんかほとんどなくて、夜みたいにくらい。
……のは、私達の周りだけだな。
なんだろ?
寒くて縮こまる首に、どうしても下がる視線をんーって無理やり持ち上げる。
「お前さん達、ずいぶん手馴れてたな」
そしたら、上げた視線の先から、風と雪の音に負けないくらい、低くて重いバナさんの声が響いてきた。
私とカレカの上に、少し覆いかぶさるみたいな姿勢。
そのおっきな身体の影があったから、なんだか暗くなってたんだね。
っていうのは、いいんだけどさ。
「バナさん、半袖とか馬鹿なんですか!? そんな格好じゃ死んじゃいますよ」
「いや。おれは大丈夫なんだ」
吹雪の中で、なに言ってんだ。この人。
こんな寒いのに、ノースリーブでぶらぶらしてるとかなんなの!?
「とにかく、なにかはおってきてください」
「いや、だからな……」
「見てるこっちが寒いんです!」
あー、もう!
大人なんだから!
もう、いいおっさんなんだからさあ!
「すまん」
ほっぺぽりぽりかきながら、離れてくバナさんの背中は、ちょっぴり丸くなってた。
「ちび。千人長相手に、よくそこまで言えるな」
「あ゛!」
ただ大きいだけのおっさんだと思って、わーって言ったけど、ほんとは偉い人だって忘れてた。
へーとかほーみたいにほわんと口を開けて、カレカは感心してるけど。
そんな風に思ってたなら、止めてよ。
これ、帝都戻って怒られたりしそうな気がする。
……嫌だなあ。
荷物を取り出して空っぽになった麻袋をつなぎ合わせて――っていっても、ほんとに適当に結びあわせただけみたいだけど。
でも、なんとかかんとか、ポンチョみたいにしたのを羽織って、バナさんが戻ってくるまで十分くらい。
その間も、吹雪は手を休めたりしないで、ごおごおびゅうびゅうって吹きつけてた。
「どんな塩梅だ?」
「……特段、指示はありません」
テントの中で休ませてもらってたら、すぐ外で、カレカとバナさんが話す声が聞こえてきた。
どうしよう。
どうなるのかなって思いながら。それでも、なんにも指示なんかなくて。
だから、クルセさんとかチギリさんとか。アカテさんの部屋の子達もそうだけど。昨日、自動車で先行してきた子達と交代でテントに入って風を避けたり。
テントの中で炭を熾して、懐炉を使えるようにしたり。それと、荷物を開けて、瓶詰とか弾丸とか。
とにかく、防水のために油紙で巻かれてた色んな物を持ち込んで、靴と靴下の周りを防水してもらったり。
色んな準備をしてみたけど。でも、どれも気休めくらいのものなんだよね。
なにもしないでいるより気持ちは楽だったけど。
軍隊で使うテントだから、骨組とかそれなりに頑丈だけど。強い風に揺らされて、みしみしってきしむ。
このまま吹雪に耐えてくれるかっていったら、不安でしかなかった。
「トレ。これからどうなっちゃうのかな?」
「クルセさん……」
お腹の辺りをはぐって、手ぬぐいでくるんだ懐炉をベルトで固定し終わるったクルセさんは、ちょっぴり鼻声になってる。
寒いし、風邪引いちゃったとか。そういうのもあるかもだけど。でも、それ以上に、不安なんだ。
きっと。
「大丈夫だって。“炎侯”がついてるんだよ!トレだって。“炎侯”の従者さんだって、南部生まれで、雪に慣れてるんだから。きっと、大丈夫!」
懐炉に炭を入れようとしながら、チギリさんはそう言ってくれたけど。でも、その手は震えて。同じ動きを何回か繰り返してた。
カレカはクルセさんとチギリさんに――私にもそう。
もう、とにかく色んな用事を押しつけて。だから、それをしてる間は、いろんな事考えなくてすんでたんだけど。でも、もう、そういうのもう限界なのかも。
「私、千人長と話してきますね」
「ん」
「わかった」
声が聞こえてたから、そんなに離れてないってわかってたけど。それでも、二人に断って、テントを出た。
二人とも不安なんだってわかってたから。だから、二人があてにしてる、バナさんと話すって言ったら、安心してくれるかなって思ったんだ。
短い時間で強くなった雪は、もう膝より上まで積もってた。
ごおごおびゅうびゅう吹きつける吹雪のせいで悪くなった視界。
でも、テントから出てすぐのとこに、バナさんのおっきな背中が見えたから、それを目印に歩く。
その背中まであと少しっていうとこで、ぐりんって音がしそうなくらいの素早さで、バナさんが私の方を振り返った。
「お前さん達はどう見る?」
吹雪でごおごお鳴る耳にも、びりびりと重いバナさんの声ははっきり届く。
指示待ちみたいで格好悪いけど、士官候補生とその従者っていう私とカレカの意見なんか教官がきいてくれる訳ない。
そう思って、考えるのをやめちゃってたけど、カレカは違ったみたい。
「移動すべきだと思います」
「勝算は?」
「ここで待っていれば……」
そこでカレカは言葉を切って、それから
「おそらく全滅します」
重い言葉を、静かに。でも、はっきりと言い切った。
それぞれのテントは少しずつ離れてて。どのテントからも、それなりに離れたとこでしゃべってるはずなんだけど。どのテントにも聞こえるようにって、思ったのかな。
いつも話すよりも、おっきな声で。
そう、言ったカレカ。
全滅、なんて思ってなかったけど。それでも、ここにこのままいるのはよくないって私にもわかる。
雪の勢いは強くなるばっかりで、やむ気配なんかちっともない。
雪ももちろんなんだけど、風をさえぎるなにかがないと、ほんとに動けなくなっちゃう。
動ける内になにかしなくちゃ!
「わかった。ならば、教官達に具申してこよう」
「おれも行きます。ちびは、動ける連中を集めて、移動の準備。頼むぞ」
「はい!」
私の返事なんか待たないで、バナさんとカレカは雪をかいて歩いてく。
お腹をじんわりあっためてくれる懐炉と。それから、頼むぞって言ってくれたカレカの言葉が胸をあっためてくれてた。
頑張らなくちゃ!
吹雪の中、カレカとバナさんが歩いて行って。それから少しだけ時間が経った。
なにをしなくちゃいけないか。
どんな準備をしなくちゃいけないのかって、そういうの。まだ、はっきりしてないけど。
それでも、なにかするんだって決まると、クルセさんとチギリさんは
「じゃあ、頑張ろう!」
「そうだね」
ぎゅって拳を握って。それから、他のテントの子達を集めに行ってくれた。
私はギヘテさんに声をかけて。それから、アカテさんとジェナくんも呼んで、一番離れたとこにある、ホノマくん達の部屋のテントに向かう。
少し休んで、ぴんと背筋を伸ばして立てるようになったけど。まだまだ顔色が悪いギヘテさんに、歩きながらカレカとバナさんが教官達のとこに行ったのと。その、目的を話した。
吹雪のせいなのかもしれないけど、すっと細くなった目は、きろっと私をにらむ。
「移動するっていうのは決まりなのか?」
「バナさんは教官にそう言うって……」
「そうか」
そんなに距離がないはずのテントの間。
だけど、そんな短い距離を歩いただけで、アカテさんもジェナくんも。二人より元気がないギヘテさんは、二人よりももっと、雪に足をとられてる。
そういうの見てたら、移動するのがほんとにいいのかなって。なんだか不安になってくる。
でも、迷ってたら、どんどん時間が過ぎちゃう。
その方が駄目なんだ。
そう、思っても。やっぱり、それが正しいのかなって不安になって。その気持ちが、お腹の中をぐるぐる回る。
テントの中から聞こえる、金切り声みたいに高くて。胸の中を切るみたいに鋭い声は、私の中にある不安な気持ちを追いかけて。
駆け回ったまま、胸の辺りをぎゅーってしめつけた。
「おい、しっかりしろ!寝るなよ!いま、あったかいココアを入れてやるから」
「演習終わったら、飯おごるって約束だったろ!」
「起きろって!」
合流してきたとき、動けない子は何人かいた。
その中には、ホノマくんとダフィアくんと同じ部屋の子がいて。その子の看病のために、今は看護当番の子達が集まってる。
学校に来て半年くらい経ってるけど、男の子達と話した回数なんかほんとに数えるくらいしかない。
けど。
それでも。
それでも……。
「レシアが、死んだ……」
こんなに。
こんな風に、身近な誰かがいなくなるなんて、思ってなかった。
そんな覚悟して、演習に来てる人なんて。きっと、誰もいない。
士官学校が軍隊の一部なんだってわかってても、こんな風に誰かと別れなきゃいけないなんて。
こんな風に……。
テントから出てきて、友達が死んじゃったってだけ話して。そのまま。
地面を見ながら、ホノマくんはそのまま何も言わないまま、制帽を深く。眼元を隠すみたいに、深くかぶり直した。
「……そうか」
背丈が同じくらいのギヘテさんが、それだけ言って頷いて。それから、ぎゅっと目を閉じる。
吹きつける雪で濡れたほっぺに、すっと一滴、水が流れた。
テントの中から、ダフィアくんの泣く声が聞こえる。
ふって小さく息を吸ったアカテさんは、ジェナくんの肩に頭を押しつけて。ジェナくんは、その頭をぎゅっと抱きしめてた。
私は。
私の眼には、やっぱり涙は流れない。
悲しくない訳じゃない。
恐くないなんて嘘。
だけど、涙は瞳を曇らせる。
いま、迷ってちゃ駄目だ。
「移動の準備をしましょう。皆で、生きるために……」
立ち止まってちゃいけない。
歩き出さなきゃ。
それが正しいのかなんて、誰にもわからなくても。それでも。
今回は、いよいよ降り始めた雪に閉ざされるエピソードをお届けしました。
戦争の映画とか見ててもそうなんですけど。
自分が死んじゃったり、仲良くなった人が死んじゃったり。そういうの、想像して軍隊に入る人って、ほんとは少数派な感じがするときがあります。
だからこそ、そこにドラマがあるのかもって思ったりして……。
次回更新は2014/06/05(木)7時頃、まだまだ続く不穏の影なエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




