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82.不自然すぎて気づかない時だってある

 帝都から北東に汽車で一日――地図だと百キロくらいの距離だったかな。

 歩いて戻るのはちょっと難しいところにあるサンテ山は、東部との間を仕切るみたいに横たわる山脈の端っこ。


 なのに、ぴょこんと高いてっぺんは黄色に。

 そこからなだらかに広がる裾に向かって、ふんわりとしたグラデーションで緑にかわる。


 標高差があるから、私達がいるくらいのところとてっぺんだと気温が違うのかも。


 緩やかに衣替えしてる山に見下ろされるレジの村に着いたのは、お昼を少し回ったくらいの時間だった。


「ここで小休止した後、現地まで荷物を運びまーす。村の人に迷惑をかけない様に!」


 先頭の車から真っ先に降りたアカテさんがおっきな声で指示して。

 その声に「うぇーい」とか、なんだかくぐもった感じの返事が返る。

 それを合図に、荷物の運び出しが始まった。


「アカテさーん、私はなにしますかー?」

「休んでてー!」


 えーっ!?


 そんな、一瞬も考えないで、なんもないって……。私、もしかしてお邪魔虫なの?


 荷物の検収とか、事務作業はできると思うんだけど。そういう作業も割り振ってもらえないって、ちょっぴり辛い。


 返す言葉もなくって、ぽつんと立ってるしかない私の頭を、カレカがぽんぽんってしてくれた。

 それから


「気にし過ぎだ」


 そう言って、にって笑う。


 そうかな。

 そうなのかな。


 よくわかんないけど、役に立てそうなところで頑張ろう。

 しょんぼりしてても仕方ないもんね。

 うん。




 山の裾に広がってた緑は、ぼさぼさの森で。自動車はとっても入れない。


 レジの村まではすいすいって――ほんとは、全然すいすいじゃなくて、でこぼこで、ぐらぐらで。おえーってなりそうだったけど。

 それでも、汽車で走るより短い時間で来られた。


 ここから先、四キロは徒歩移動。

 しかも、荷物を全部運ぶために二往復半。



 そんな道のりを歩いてきたクルセさんとチギリさん。


 頑張ったよね!

 大変だったよね!


 往復どころか、演習場にたどり着いた後は、荷物の検収しか仕事がなかった私。

 だから、晩御飯の当番を買って出た。



 明日の朝、一校から七校までが合流したら、野外演習もいよいよ本番。

 サンテ山に敵がいるっていう想定で、塹壕を掘って、三日間はそこで生活しなくちゃいけない。


 今日はテントを張って手足を伸ばして寝れるけど、それも我慢しなくちゃだし。

 ご飯だって、塹壕戦用の味気ない戦闘糧食――色んな物を混ぜて焼しめたビスケットみたいなのとか。

 ちょっと塩気の強い、瓶詰の魚とか。


 あと、ミルクもお肉もぜーんぶ缶詰。



 弾薬に燃え移っちゃうとか。そんな事故を防ぐためにって、火も必要最低限しか使わせてもらえなくなっちゃう。

 缶詰をあっためるくらいは大丈夫だろうけど、あったかい料理もしばらくお預け。


 そんな生活になっちゃう前に、頑張ってきた二人に美味しい物を食べさせてあげなくちゃ!



 なんて、使命感に燃えてはみたものの。

 支給された食材を使ってできる料理って、すごく限られてるんだよね。



 ごりごりして粉に戻した乾パンを、ちょっと塩気の強い瓶詰のバターで炒めて。ふつふつしたところで、ミルクをどばーって入れる。

 普通に作るホワイトソースなら、塩胡椒で味を調えるんだけど、じゃがいもとたまねぎ以外、ぜーんぶ塩気の強い保存食だし。

 そもそもそんなの支給されてない――汗をかいた時に舐める岩塩はあるんだけどね。

 だから、味つけは我慢。


 別のお鍋で炒めといたじゃがいもとたまねぎに、出来たホワイトソースを入れて。煮立ったら、ドライソーセージをいれて……。



 うん。

 出来た!



 スパイスもハーブもないから、ちょっと味気ないけど、ちゃんとシチューになってる気がする。

 味もおかしくないし、自信作かも。


 っていっても、私だけが好きな味じゃ駄目だもんね。


「クルセさん、チギリさん。味見してもらっていいですか?」

「「はーい」」


 一口ずつ味見してもらったら。なんだか、静かになっちゃった。

 固まったままのクルセさんはともかく、チギリさんなんてふるふる震えてる。美味しくなかったかな?


「あの……」

「トレと同じ部屋でよかった」

「ほんと!」


 喜んでくれたのは嬉しいんだけど。でも、泣くほどじゃないと思うよ。

 恥ずかしいし、冷めちゃうから。もう、食べよう!

 ね?




 部屋ごとにテントを張って、たき火を起こして。

 ぱちぱちって薪がはぜる音を聞きながら、部屋ごとに固まって食べる晩御飯は、学校の食堂で食べるのとはちょっぴり違う気がする。


 ほっぺがひりひりと熱くなるのとか。虫が鳴く音とか。

 そういう、雰囲気が変わったのももちろんあるんだろうけど。


 でも、たき火に照らされて、オレンジ色に染まるほっぺとか。いつも見てる二人の顔が、ちょっぴり綺麗に。大人びて見えるんだ。


「んー。美味しい!」

「おかわりある?」

「はいはい」


 まぁ、そんな風に感じてるの、私だけなのかもだけどね。

 突き出されたクルセさんのお皿に、ぺとってシチューを盛る。


 お鍋一杯に作ったシチューも、もう半分くらいになっちゃった。


 っていうのはいいとして。



 私達の部屋のたき火の周り、人口密度高くない?


 紺色の制服だけならともかく、グレーの制服の人――バナさん以外の近衛師団の人は帰っちゃったし、カレカはバナさんに群がった子達を交通整理してるから、一緒にご飯食べる感じじゃなかったし。

 ちらほら見えるグレーは、教官なんだと思うんだけど。


 なんで、みんなして集まってきてるんだろ?


「あの……。なにか?」


 騒ぎすぎとかなら、もう怒られててもいいはずだし。怒るつもりなら、もっと近くに来るはずだし。

 よくわかんなくて、一番近くに来てた子に、声をかけたんだけど


「いや……」


 もごもごーって言うばっかり。

 よくわかんない。



 かちゃかちゃ。

 もぐもぐ。

 ずぞー。



 さっき、おかわりってお皿を突き出した時はにこにこだったクルセさんも。ほっぺにシチューがついちゃってるチギリさんも、人の気配に気づくと静かになって。

 そのせいで、たき火のぱちぱちっていう音しか聞こえない、へんてこりんな空間になっちゃった。


 人にじろじろ見られながらご飯食べるなんて、あんまり楽しくないもんね。

 こういうの、嫌だ。


 だから、一言言わなくちゃって、ふって息を吸い込んだんだけど


「……眼帯ちゃん。それ、一口もらえないかな?」

「え?」


 私が声を出そうとしたところで、ちょっぴり言い辛そうに。でも、少し離れて私達を囲んでた他の子達のわっかから一歩前に出てきたのは、アカテさんの彼氏――ジェナくんだった。


 いや。別にかまわないと思うんだけど。

 でも、それっておかしくない?


 支給されてる食料は皆同じだって、ジェナくんだって。そのすぐ隣で、ジェナくんの服の裾をくいってしてるアカテさんだって、委員会なんだもん。

 絶対知ってるはずなのに、どうしてよその部屋の晩御飯を食べたくなっちゃう訳?


「別に、構いません、けど……」


 ほんとは構わなくない。

 構わなくないけど、一口二口上げたからって、お鍋全部食べられちゃう訳でもないし……って、思ったんだけどね。


 私が返事した途端、集まってた人達全員が、なんだかぴりついた。



 ちょっと。

 ううん。

 かなり怖い。


 なんでそんなにぎらついてんのさ!?


「あ。でも、お鍋から直接は駄目ですよ。スプーン持ってきてください」

「わかった」


 とんってアカテさんを肘でつつくと、二人して輪から抜け出してく。

 それとほとんど同時に、他の人が話し出した。


「おれも一口食べたい!」

「スプーン持ってくるから、一口ちょうだい!」

「おれも」

「私も」


 少し遠巻きだった人の輪はどんどん狭くなって、好き勝手にしゃべり始めちゃって。

 もう、なにがなんだかわかんないってば!




 スプーンを持って戻ってきた人がぱくぱく食べて。五分もしない内に、お鍋は空っぽになっちゃった。


「トレ、食べれた?」

「いえ。一口も食べれませんでした……」


 味見で二口くらい食べたけど、それだけ。

 お腹がくるくる鳴ってる。


 教科書に載ってた作り方だし、材料だって皆持ってたはず。工夫したのなんて、乾パンをごりごりしたくらいなのにさ。

 おかしいよ、こんなの。


 教官も口では「ごめんごめん」って言ってたけど、二匙も食べちゃって……。

 もー!



 ……って。

 なんか、どうでもよくなってきちゃった。


「ごめんね。私達だけおかわりしちゃって」

「いえ。大丈夫ですよ」


 心配して言ってくれてるんだろうけど。おかわりまでして、一番食べてたのもクルセさんだからね。

 いいけどさ。


 口では大丈夫って言ってみても、お腹はちょっぴり寂しい。

 くるくる泣き声上げてるもん。



 とはいえ。もう、シチューは戻ってこない。


 パンはあるから、これをかじってやり過ごそうかな。

 ……ぼそぼそしてて、あんまり美味しくないんだけど。


 そんなことより、このまま空っぽのお鍋をほっといたらかぴかぴになっちゃう。


「ちょっと洗い物してきますね」

「そんなのチギリがやるよ」

「なんで私!?」

「……ってなるので、いいですよ」


 お鍋が気になるのはほんと。

 二人がいつも通り言い合いになっちゃうしっていうのもそう。

 でも、それ以上に、ぺこぺこのお腹より下の方の調子が、あんまりなんだよね。



 昼間、口に放り込まれた唐辛子は、もうほんとに辛くて。そのせいで、食欲はあるのにお腹が痛いっていう変な感じがずーっと続いてる。

 なんとなく、シチューを作ったけど。そういうの無関係じゃなかったのかも。




 演習場から少し離れた場所にある沼――何年か前まではもっと大きい、湖みたいな場所だったって、バナさんが教えてくれたそのほとりに、お鍋とお皿をつけて。

 それから、藪に入って、穴を掘る。


 演習中はうんちもおしっこもこんな感じですませないといけないんだよね。

 だから、スコップは肌身離さず持っとく必需品。


 穴の上にまたがって、ズボンもパンツも降ろしてしゃがんで


「……んー」


 唐辛子のせいで、ちょっとゆるいうんちはぽたぽたって穴に落ちてく。

 お腹に力入れなくても、つるつるって出るくらいだもん。

 思ったより絶不調かも。


 お腹もそうなんだけど、お尻がひりひりする。


 どんな品種の唐辛子だったんだろ。

 まったく。



 外でお尻を出してるから、お腹が冷えちゃうのはしょうがないかもだし。太腿にびっしり鳥肌浮いちゃってるのも仕方ないんだろうけど。

 夜になって、急に寒くなった気がする。


 沼から吹いてくる風は、じっとりと湿ってて、冷たい。

 でも、それだけでこんなに寒くなるかな?



 なんて、お尻丸出しで考えてても仕方ないよね。


 お鍋とお皿洗って、戻ろう。

 たき火のぬくもりが恋しい。



 そんなに長くしゃがんでた訳じゃないけど。戻った頃には、沼の水につけといたお鍋もお皿も、だいぶ汚れが浮いてた。


 こしこしって手でこすると、ホーローのお鍋もお皿もすぐきれいになってく。

 つるつるに仕上げられてるって、それだけで洗いやすくなって便利。

 けど、とにかく水が冷たい。


 もう、秋なんだってわかってるけど。

 水だって冷たくなるかもって知ってても。それでも、こんなにだったっけって思っちゃう。


 ボイラーでお湯が沸く生活って、ほんとは贅沢だったんだ。



 レンカ村にいた頃は、ボイラーなんてなかった。

 井戸から汲んだ水はいつだって冷たくて。でも、それで食器を洗うのが当たり前。


 フフトの町にあったホノマくんの家とか、州都のデアルタさんのお屋敷とか。そういう場所で見かける珍しい機械。

 そんな印象だったはずなのに、帝都ではそんなの普通で。


 お湯で食器を洗うのが当たり前の、便利な町。

 そこで出会った人は、あったかいお湯と同じくらい穏やかな顔で暮らしてて。


 それなのに、そんな人達になにか起きるかもしれないのを知ってる私は、帝都からずーっと離れてこんなとこにいる。



 冷たい水が、私の中にあった後ろめたい気持ちを、きゅーって固めて。かちこちになったそんななにかが、お腹の中を跳ね回って。なにも入ってない胃袋をぎゅーってねじった。



 洗ったばかりで、まだ濡れたままの食器をぎゅって胸に抱きしめる。そうしてなくちゃ、喉から飛び出して来そう。

 なにかでふたをしておかなきゃ。


 そう思って、ぎゅっと。

 ぎゅーっと、身体をこごめる。


「ちび、なにしてんだ?」


 急に後ろから声をかけられて、身体が――それから、心もぴくんってはねた。

 空気に少しだけ煙草のにおいが混じる。


「カレカこそ、どうしたんです?」

「いや。ちびが一人でどっか行こうとしてたから、追っかけてきた」

「え?」

「……あ、いや。それより、冷たいだろ、それ」


 煙草を挟んだままの指で、カレカが私の胸の辺りを指さした。


 お鍋とお皿を抱えてたせいで、胸とかお腹の辺りがぐっしょり濡れてる。シャツまではしみてきてないけど、このままぎゅーってしてたら、ほんとにびしょ濡れになっちゃいそう。


「脱いだ方がいい」


 なんだか声が出せなくて、頷いてみたけど。でも、手がかじかんで、ボタンがうまく外せなかった。

 もたもたしてたら「しょうがねえな……」って、笑いながら、カレカがボタンを外してくれる。


 それが、なんだかくすぐったかった。



 細かい目の石を踏みながら、カレカと二人で沼のほとりを歩く。

 一歩進むたび、ざしざしって鳴る音が、沼の水に吸い込まれて。その上を通り過ぎた冷たい風が、腰の辺りに巻きつけた上着をぱたぱたって揺らした。


 こんな風に並んで歩くなんて、何年ぶりかな?


「なんか、村に帰って来たみたいだよな」

「そうですね」

「それ、持つよ」

「これくらい、大丈夫ですよ」


 かさばるけど、大して重くないお鍋とお皿。

 こんなの持ってもらうの、悪い気がして。だから、なんとなく渡せないでいたら「いいから」って、カレカは私の手からひったくるみたいにとってった。

 私が持つと両手で抱えないといけないのに、カレカは片手で軽々。


 空いた片手が、私の手にそっと触れた。

 洗い物で冷たくなって私の手は、そのあったかさを逃がさない様にって。きゅってつかむ。


 ただそれだけ。

 なのに、胸の中があったかくなる。



 厚い雲に覆われた空は、群青より暗い。

 そんな空の下をぽたぽた二人で歩く。


 月も見えない夜空に見えるのは、遠くなった夜営のたき火だけ。そのはずなのに、沼の真ん中にはっきりと映る星が見えた。


「あれ、なんでしょう?」

「ん?」


 指さしてカレカに伝える。


 きらきら光る星を映した水面は、ゆらゆら揺れるのがすごく綺麗で。だから、カレカにも見てほしくて声をかけたのに、私が指差す先を見たカレカの顔は急に険しくなった。


「……誰かいる」

「そう、なんですか?」


 私の眼には見えない。


 それほど広くない沼。その真ん中に近い、星を映した一面に向かって目を凝らす。



 不規則に水面が揺らぐその中心に、その人はいた。

 夜の暗さに溶け込むみたいな、濃紺の左右合わせの服。


 ふんわりと余裕のあるつくりの袖にくるまれた両手は、緩やかに。でも、しゅるしゅるとなめらかに空中を撫でてる。


「……ちびはここで待ってろ」

「え?」

「いいな」


 お皿とお鍋を私の手に戻して、カレカは腰のベルト――ホルスターに納まった銃に手を伸ばした。



 どうして私を置いてこうとするの?

 銃を準備しなくちゃいけないくらい危ないって思うなら、私も一緒の方がいい。


 私だって、銃は使える。

 一人より二人の方がいいに決まってるのに……。


「待ってください!」


 気持ちより先に口から言葉がこぼれ出て。それよりも早く、先に行こうって少し前に踏み出したカレカの背中に手を伸ばす。

 伸ばそうとした。

 ……そのはずなのに。



 こわんこわんこわん



 なんだか間延びした音が、足元から響く。

 落とした鍋の中で、一緒に入れてあったお皿がくるくる踊ってた。


「あ゛!」


 両手で持ってたのに、片手伸ばしたんだから当たり前なんだけど。

 でも、落ちるなんて思ってなかったんだもん。


 まずい!


 怒られる!


 っていうか、見つかっちゃう!


「馬鹿!」

「ご、ごめんなさい!」


 大きな声に首がきゅーってなっちゃった。

 怒られるって思ってはいたけど、そんなに大きな声出さなくてもいいでしょ!


 これで見つかっちゃったら、半分……よりは少ないと思うけど。それでも、カレカにだって責任出てくるよ。



 水の上に、カレカの声と私の声が溶けて。かなり距離があったはずの人影も気がついて、こっちを見てた。

 もう、ばればれ。



 でも、別に恐い人じゃないのかな。

 こっちを見ながら、笑った顔はふんわり丸くて、子供っぽい感じ。少なくとも、悪い人には見えなかった。


 地元の人なのかも。


「あの、邪魔してごめんなさい!」


 お腹から声を出して呼びかける。

 手で目を覆って、カレカが空を見るのが見えるけど。もう、どうせばれてるんだから、いいでしょ?



 私の声に、その人は答えなかった。

 そのかわり、軽く首をかしげて。それから、耳の辺りをとんとんって指でさす。


 聞こえないってことなのかも。

 じゃあ、今度はって、手信号で同じ内容を繰り返してみる。


『邪魔してごめんなさい』


 南部を離れてから半年くらい使ってないから、ちゃんとできてるか心配だったんだけど。

 それでも、もしかしたらって思いながら、身振りで言葉をつづってく。


「おい、ちび。よせ」

「でも……」


 眉の間にしわを寄せたカレカは、こんな顔してるの初めて見たっていうくらい、怖い顔。

 でも、手信号がちゃんと通じたのか、沼の真ん中に立ってたその人は手信号を返してくれた。


『こちらこそ』


 すごく楽しそうに笑ってて。悪い人とか、怖い人には全然見えない。

 どっちかって言えば、カレカの方が怖い顔をしてる気がするんだけど。言ったら怒るんだろうな……。

 だから、言わない。


 返ってくる手信号に目を凝らす。

 そしたら


『デートの邪魔してごめんね』



 で、デート!?



 そういうんじゃないもん!


 トイレに行って、食器洗って、そこで偶然会っただけだから!

 別に、デートとかじゃないからね。


 って、誰に言い訳してんだ、私。



 南部にいた時、手信号の勉強をしてたカレカにも、その言葉の意味が分かったのか、口の中で小さく「……野郎」って。あと、ぎりって歯を強く噛む音がした。


 そんなに嫌だったのかな。

 なんか、お腹の中がじくじくする。



 返事できないでいたら、その人は大きく手を振って、向こう岸に向かって歩いてっちゃった。


「不思議な人、でしたね」

「それだけか?」


 なんでそんな風につっかかるんだろ。

 笑顔が可愛い人だった気はするけど、ただそれだけなんじゃない?


「あいつ、水の上に立ってたんだぞ」

「え?」

「ちび、お前……」


 はりつめた雰囲気だったカレカから、がくって力が抜けた。


 そんな不自然さに気づけないなんて、どれだけ鈍いんだ、私!

 自分で自分の眼を疑っちゃう。

 それでも、あの人の足元に広がってた星空――水面に映ってたきらきらした夜空が、今は綺麗になくなってて。それだけはわかる。



 静かになった沼の水を撫でる風は、身をこごめさせるくらい冷たくなって。

 その風の向こうのなにかを見とおそうとするみたいに、カレカは眼をすっと細める。



 まだ、なにも起きていない今日を裏切るような明日が来る。

 そんな予感を見とおそうとするみたいに。

今回は、不思議な人に出会うエピソードをお届けしました。


二人でふらふらって出かける。

一緒に歩くだけで、なんとなく落ち着ける。


そういう関係の二人を大事にできたらと思いつつ。

でも、近々、不穏な展開になるんだよなあって思いながら、むにむにと書き進めるこの頃です。



次回更新は2014/05/29(木)7時頃、ついにやってくる不穏な一幕のエピソードを予定しています。


更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。

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