8.勉強だって頑張ります
ちょっと重いところがあります
生まれて四回目の春。
村はまだ雪に包まれているのに、町にある教会は花に包まれて、その傍らにある学び舎に今日からやってくる子供達を祝福している。
なんて思うのは、毎日雪ばかり眺めて過ごしてきたからかな。
そんな花に包まれて、私は今日から学校に通い始める。
今日から私が通う幼年学校っていうのは教会がやってる幼稚園みたいなもので、年齢別に三組ある。
三歳、四歳、五歳で組分けされてて、私は三歳の組になるんだけど ――なんて言ったらいいのか。
もーだめだー
っていうしかないくらい、教室の中が混乱してる。
入学式みたいなセレモニーはなくて、教室に行ったら自分の名前が彫り付けられた木札(首から下げる名札を兼ねるみたい)のある席に座るんだけど、その段階から
「せんせー、あたしどこすわるー?」
「あ、ちょうちょだ」
「どいてよ、ここギーちゃんがすわるの!」
「ぎゃー、おかーさーん」
まず、木札を読めない子が十二人しかいない教室に八人。
よくわかんないけど、お花が見たいとかってどっか行こうとする子とか泣く子とか。とにかく皆好き勝手にしたいことをしようとする。
三歳児ってこんなもんなの?
組を担当するエアーデ先生はおっとりした人。ちょっとふくよか(特におっぱいが)で、優しい目元のお嬢さんっていう感じ。
でも、ふんわりした巻き毛を、栗色の髪をした男の子に引っ張られて
「やめてー!」
なんて涙眼だし、子供をまとめるっていう雰囲気じゃない。
とりあえず、どうにかしなくちゃって思う辺り、私って子供っぽくないんだろうなあ。
手始めに一番手近でぼんやりしている子に話しかけてみる。
人間なら耳があるはずのところから、紅茶色の髪と同じ色の毛皮に覆われた、狼みたいに大きな耳がある女の子。
だぶっとしたオーバーオールを着ているけど、おトイレどうするのかな?って余計なお世話だね。
「私はトレ。貴方のお名前は?」
「エウレだよ」
「じゃあ、隣同士ですね。仲良くしてくださいね」
エウレは私の席の隣にちょこんと腰かけた。
にこーって笑うと耳がピコって動いて可愛い!
この調子で他の子も誘導しちゃおう。
今度は先生の髪の毛を引っ張ってる男の子。 まずは先生を解放しないとまとめられないもんね。
この子は丸みを帯びた顔で可愛らしい印象だけど、口を開くと発達した犬歯が見える。噛みつかれたりしたら痛そう。
「ねえ、髪の毛引っ張られたら痛いよ。やめよう?」
「でも、先生の髪綺麗なんだ」
手帳に書いた前世の気持ち悪い記憶的には、髪の毛を触るのはエッチな行為だってあるけどねえ。
おませさんだ。
「じゃあ、お席に座った方がよく見えるよ」
「んー」
「貴方の名前は?」
「グルーア」
「グルーア君はこの席ね。 私はトレっていうの、仲良くしてね」
なんていうか、骨が折れる。
先生も解放されたし、後はお任せしようかなあって思ったら
「トレちゃん、ごめんね。先生はお外に行った子を探してくるから、みんなのお手伝いをお願いしてもいい?」
えー。
全員が席に着いた頃には、私も先生ももうなんかぐったりしてました。
恐るべし、三歳!
私も三歳だけどさ。 でも、ナチュラルな三歳に比べて好き勝手に行動できない分気疲れしちゃうんだろうね。
ぐったり机に突っ伏してたら
「トレちゃん、頑張ったね」
って、隣の席のエウレが頭を撫でてくれた。 「ありがとー」って笑いかけたつもりだけど、ちゃんと笑えてるのか自信がない。
だって、みんなを席に誘導してる間、二回もトイレに行くって言って、そのたびに
「トレちゃんも一緒に来て!」
って言ってさ。
そのたびにオーバーオールの肩紐が自分で上手にとれなくて、脱がせてあげなくちゃいけなくって、一番手間がかかったのもエウレだったんだけどね。
まぁ、可愛いから許そう。
軽くお歌とお遊戯をしたら ―― 一曲ずつしかしないかったし、ものすごく時間が推してたんだろうなあ。
組でコミュニケーションをはかる時間みたいだし。 私はお外に行っちゃった二人組以外、全員と話せたしよかったんだよね?
お遊戯の時間が終わったら勉強の時間。
日当たりのよかった三歳組の教室を出て、本堂から離れるように廊下を歩く。
四歳組、五歳組の教室も通り過ぎた、本堂から一番遠い教室は、南向きに建てられた教会の中で一番日差しの弱い部屋になる。 元気のないこの世界の太陽が柔らかく降り注ぐその教室に生徒は一人しかいなかった。
夜空みたいな黒髪のその子は、私が教室に入って来たのに気づいたのかゆっくりと振り返ると、席を立って私の方に歩いてきた。
青と白の左右合わせの服 ――教会服っていうんだって。 青い服の長い裾はその子が足を動かすたびにふわりと翻る。
私のすぐ近くまで来ると、少し垂れ気味の大きくてルビーみたいに赤い眼が細められて、薄い唇がすっと笑みを作った。
「おはよう」
「お、おはようございます」
五歳かそこらなのに、ぞわっとするような色気を感じさせる笑みを浮かべて、その子は私に手を差し伸べた。
「ぼくはテア。今日から一緒に勉強するんだよね」
「えと、トレっていいます」
掌を上に差し出された手。
きっと、エスコートしてくれようとしてくれている手を、でも私はとることにためらって、胸の上で手を合わせたまま。 子供相手でも年上の男性に触れるのが怖いんだって自分でも驚いてしまう。
「あ、あの。ひとりで行けます」
「そう?子供扱いしてごめんね」
「いえ」
なんだかものすごくドキドキして、だから教科書が広げられたままの席 ――多分、テアの席から離れた廊下側の席に座る。
「クレアラ様から聞いた通り、同じ勇者候補が可愛い子で嬉しいよ」
なんでその名前が?どうして勇者候補だって知ってるの?
って思ったと同時にドミナ先生が教室に入ってきた。廊下側の席で縮こまっている私に一言。
「トレ、テアの隣に座りなさい」
うげえ。
淑女にあるまじき――っていっても、記憶が薄らいだとはいえ元男の子だから別にいいんだろうけど、あんまり上品とは言えない悲鳴を心の中で上げる。
というか、勇者候補ってすごい美人しかいないのかな?
だとしたら、私は相当微妙な容姿なんだろうねって、ちょっとしょげる訳ですよ。
授業は教科書で基本的な解法を説明されて、先生が大きな黒板に書く応用問題を書きとって解くっていう形式。 一人に一枚ずつ小さな黒板が渡されてて、それを使ってカリカリ解いてく。
紙のノートと違って書いたものをとっておけないから、ちょっと緊張感がある。
この世界。
紙はまだ貴重品らしくて、無駄な使い方はされない。
私の持っているあの女がくれた手帳も、この世界ではものすごい貴重品らしくて、母さんに出所をきかれたっけ。
嘘をつくのはちょっと嫌だったけど、デアルタさんからもらったって応えたら信用してもらえた。
送ってくれる本が多いからね。
色々な事を書き込んだのにページが尽きる気配はないし、なにか思い浮かべながら開くとその事と関係ありそうな事を書いた頁が勝手に開く。
いつも手放せないくらい便利だけど、ちょっぴり不気味な手帳はいま、お道具箱の中にある。
行き返り大荷物なんだけど、前世の私と今の私をつないでくれる手がかりだから、なんとなく身近に置いておきたいんだ。
それにまぁ、紙がなくてもね。 計算問題くらいなら珠算の暗算と同じ要領でちゃきちゃき解いていけば大丈夫だし。
白墨がちょっと扱い辛いけど、そこはなれなのかなあ。
でもね、どちらかといえば、いま私が目にしている教科書の方がね。 問題なんです。
なんで幼稚園みたいな場所で、しかも初日からこんな難しい事をやらせるの? ってくらい難しい。
他の組が勉強の時間にどんなことをしているのかはよくわからない。
幼年学校を卒業する頃には商家の奉公くらいはできるようになるってカレカがいってたから、私が知っている幼稚園よりも難しい内容をこなしているんだろうなって、想像はできる。
今やってるのは鶴亀算みたいなものだと思うんだけど、こんなのやり方忘れちゃったって! まぁ、前世でもできたか微妙だけどね。 十六歳だったのにね。
問題を見ながら完全に手が止まっていた私に
「トレ、わからないの?」
「だ、だいじょぶです!」
テアがすっと自分の席から乗り出してちょっかい出してくる。細い首筋に落ちる黒髪は、変に色気を強調してどぎまぎしてしまう。
「これはね。とりあえず、全部が二本足だって考えて説き始めるんだ。そうすると指定された本数から何本足りないかわかる。だから……」
「そこから四足が何匹いるかを考える、ですね?」
授業の内容から逸脱しないからなのか、ドミナ先生はその吊り上った眼を細めて笑ってみてるだけ。 私語はやめなさい。 自分の席に戻りなさいって、言ってよ。
久しぶりに頭を使ったから、これはこれで楽しいんだけど、気疲れはね。
します。
主に勉強以外の部分で。勉強の時間が終わりしな
「明日も会えるの楽しみにしてる」
とか言ってくる五歳児はどうなんだろ。 向こうも前世の記憶があるんだろうし、大人びていてもおかしくないけど、私の前世は十六年間あんなこと言ったことないよ。 きっと。
なんだかものすごく心臓がどきどきする勉強の時間が終わったら、三歳組に帰ってお昼の時間なんだけど。 私がいない間に教室はしっちゃかめっちゃかになってて、エアーデ先生は涙眼。
「トレちゃん、助けて」
って、まぢですか!?
なんとかかんとか教室内を整えて、大麦のミルク粥と、なんだかよくわからない黄色い果汁 (かもよくわかんないなにかジュース) というメニューの給食を食べる。
ちょっと甘く味付けされたミルク粥は私には新しい味だった。 いうなればお腹に優しいというか、ほっとする味。
冬の間、母さんの作った保存食とかピクルスとか。とにかく極端な味付けの料理が中心だったからかな。
正直いって物足りない。
そんな物足りないご飯なのに
「トレちゃん、ちょっとちょうだい!」
なんて隣の席から匙が伸びてきて、早々に自分のお皿を空っぽにしていたらしいエウレがぱくぱくっと私の分を食べちゃったりする。
んで、にこーって笑うんだよ。
可愛いよ、可愛いけどもさ!
あんまりお腹がいっぱいにならないまま給食終了。
なんていうか、なにをしてても気持ちが休まらない。 ずっと子供と一緒にいるお母さんって大変なんだろうな。
こんな感じで一日の課業は終了。 なんだけど、私はカレカと馬車で帰るからもうちょっと学校で待ってないといけない。
他の子もお父さんお母さんがお迎えに来るのを待ったり、町から通ってる子はそのまま帰ったり、放課後の過ごし方は色々。
お庭で遊んでてもいいって言われたけど、ばたばたと忙しかったからなのか、ドキドキ緊張したからなのかちょっと眠い。
せめて毛布くらい借りられないかなって、ふわふわくらくらする足取りで職員室に行くとなにやら話し声がする。
「私、自信がなくなってしまって……」
「いや、エアーデさんはよくやっていると思います」
「でも、今日なんて、面倒を見てあげなきゃいけない生徒に助けを求めちゃって。 きっと頼りないと思われちゃった」
ドミナ先生に涙ながらに相談するエアーデ先生。 ってところかな?
ちらっとのぞいてみると、ドミナ先生は真っ赤になってうろたえていた。
勉強の時間。 テアが私にちょっかい出してきたときほっぽってたのを考えると助け舟を出す必要はないんだけど、とにかく眠い。
「先生、お昼寝したいんですけど、毛布を貸してもらえますか?」
「あ、ああ。わかった。ベッドを用意するから待っていなさい」
ドミナ先生がベッドを取りに職員室を出て行くと、エアーデ先生は私を膝の上に乗せてくれた。 先生からはふんわりと甘いミルクのにおいがして、眠気を誘う。
「トレちゃん、疲れちゃったんだね」
「んー。ちょっと、きんちょう、しちゃって」
段々ろれつが回らなくなってきた私を、胸に優しく抱きしめてくれたから、私も先生の胸に顔を埋める。
「せんせい、なかない、で、ね」
ちゃんと言えたかわからないけど、エアーデ先生、また泣いてた気がする。
目が覚めたらベッドの中にいた。
多分、ドミナ先生が用意してくれたんだろう、組み立て式のベッドの上。 掛けられていた毛布のぬくもりにまだぼんやりした頭だけどはっきりとわかる事がある。
服がびしょ濡れ。
おもらしした?って、びっくりしたんだけど。 でも、それにしてはパンツはちっとも濡れてない。 どっちかっていうと背中側がじゅくじゅく濡れてて、なのにふわっとあったかい。
おかしいなって思って起き上がってみたら、エウレがベッドにもぐりこんでました。 腰のところにぎゅーってしがみつかれちゃってて動けないから大きな声で呼びかける。
「エウレちゃん、起きて!」
「んー」
これ、完全に巻き添えだけどさ。 カレカに笑われるよ。 「おもらしとか、やっぱガキな!」とか絶対言う。 カレカにだけは子供とか思われたくないのに。
といっても、濡れたままでいると風邪をひいちゃうので、エウレの手を引いて職員室に。 今度はエアーデ先生に相談する。
さっきまで泣いていたからなのか、目の下がちょっぴり赤いけど、エアーデ先生は優しく笑ってくれた。
「あの、おもらししちゃって……」
「あらあら」
言いながら、エアーデ先生は職員室の一番隅っこ。 外から見えないところまで引っ張って行ってくれて、そこで
「二人とも服を脱いでね。 着替え出してあげるから」
「「はーい」」
エアーデ先生が出してくれた着替えは、教会の人が着ているのと同じ左右合わせの服。 色はヨモギ色なんだけどところどころ色が薄くなっちゃってて格好悪い。
「あの、あんまり可愛くないですね」
「そうかしら?」
教会の人とかさっきテアが着ていたのは多分、ある程度のオーダーメイドなんだと思う。
だから、着ている人がしっかりした感じに見えるんだけど、出してもらったヨモギ色の服は、私にもエウレにも少し大きい。
着替えを手伝ってみて分かったんだけど、合わせを留めるための紐がつるつるの素材で、きちんと固定できないのもあんまり。
くるくるっと蝶結びにしておいたけど、そもそもゆるいから、すぐ肩が出ちゃうし、紐がほどけると胸のところまではだけてくる。 こんなの着たくないなあ。 って、ちょっと思ったりして。
着付けが終わるとエウレは、くるっと回って見せてくれた。
「可愛く着れてる?」
「「可愛い!」」
エアーデ先生とはもったよ。
でも、エウレに着せておいてなんだけど、とんでも服よりは、母さんが刺繍で可愛くしてくれたスリップだけでいる方が精神衛生的によさそうかなあ。
なんて思ってたけど、結局、肌寒くて着るんだけどね。
エアーデ先生がシミにならないように洗ってくれた服が、教室の窓に渡された紐にかけられて風に揺られてパタパタ揺れてる。
母さんが袖口に白い糸でお花を刺繍してくれた青いワンピース。
(お気に入りなのになあ)
エウレのパンツとオーバーオールもぶらぶら。 この世界の太陽はちっとも元気がなくて、帰る時間までに乾きそうもない。
この服で帰るのやだなあ……なんてちょっぴり元気の出ない私にエウレが背中からキュッと抱き着いてきた。
「トレちゃん、ごめんね~」
「大丈夫ですよ。 でも、どうしてベッドに入ってきたんですか?」
「トレちゃん、あったかくていい匂いだったから」
いい匂い?
まぁ、いまはおしっこの匂いしかしないけどな。
「あのねー、猫と同じ匂い。おさかなみたいなね」
生臭いのか、私。
少し日が傾いてきた頃、外校の授業が終わって迎えに来てくれたカレカは、窓のところに干してある洗濯物を見ながら半笑いだった。
案の定だよ。
「という訳なんです」
にやにやとあんまり可愛くない顔で笑っているカレカに説明する。
格好良くないヨモギ色の服を着て、一生懸命説明している自分を想像すると、自分でもちょっと嫌だなぁって思うけど、それはそれ。
でも、説明を聞いたカレカは笑わなかった。
「そっかそっか。お前の事だから、服を汚されたとか言ってキレたかと思ったけど、ちゃんと面倒見て偉いじゃん」
それどころかにって笑ってほめてくれた。
いつも仏頂面のカレカが笑ってくれると私も嬉しくなる。 でも、その一方でエウレがしょんぼりした顔になってましてですね。
「トレちゃん、服汚れると嫌なの?」
「まぁ、汚れない方が嬉しいです」
「おすまししてんなあ。 この間、おれが服を汚した時なんて、は ……いてえな、やめろ馬鹿」
馬鹿カレカ、友達の前でくらいいい格好させろ馬鹿。
おもらしに関する顛末はともかく、私とエウレはカレカに今日教室でどんな事があったのか話した。
カレカは「ふーん」とか「そうか」とか短く相槌を打つばっかりだったけど、ずっとにこにこして聞いてくれて。 それが嬉しくって楽しくて、空の端っこがちょっぴり赤くなって
「トレ、そろそろ帰るぞ」
ってカレカが言うまで、時間がたつのに気が付かなかった。
ちょっと周りを見てみると、お庭で遊んでいた他の子もみんな帰ってしまって、人の気配がすっかり消えてる。
「そういえば、エウレはお家に帰らないんですか?」
「おい」
カレカが強い口調で私をとがめる。
なにか悪い事言った?
「エウレは帰らないよ。 お父さんもお母さんもエウレの事いらないんだって」
「どういうことですか?」
「“授かり物”のある子供は不名誉だからいらないって。 だからエウレのお家は教会なの」
確かにエウレには“授かり物”がある。私は可愛い耳だと思うけど、この世界では。
ううん、もしかしたらこの国だけなのかもしれないけど“授かり物”のあるなしの差別が厳然とあるんだ。
「ごめんなさい、エウレ」
「気にしないで。 エウレは気にしてないよ」
にこにこ笑うエウレは、でもなんだか寂しげで、私はエウレをギュッと抱きしめた。
エウレは元々帝都帝都の貴族として生まれたらしい。 代々“授かり物”のない一族だったそうで、その中で一人だけ“授かり物”を持って生まれたエウレは、帝都から遠く離れたこの教会に預けられたんだって。
そういう身の上はやっぱりショックだった。
村の人達は“授かり物”のあるなしで態度を変えたりしないから、そういうの全然知らずに過ごしてきた。
でも、実際に差別を目の当たりにすると、少し怖くなる。 無自覚だったけどエウレに可哀想な事をきいちゃったかもしれない。
気持ちのやり場がないから手帳を胸に抱えて商館通りをとぼとぼ歩く。
「そんな顔すんな」
「んー」
この世界は神様がきちんとしてないから畸形が生まれやすいっていうのは知ってた。
カレカや村の人みたいに人間にはあり得ない特徴を持った人がたくさんいるのはもちろんだし、手足がない人とか、他にも色々な人がいるのも町に出てわかってきた。
でも、エウレみたいにそれが原因でいらないって思われちゃうなんて思ってもみなかった。
“授かり物”を持たないっていうだけで、この世界では特別なんだ。
「そんな顔してても始まんねえぞ。明日取り戻せ。 あの子と仲良くなりたいんだろ」
「でも、もう嫌われてるかも」
「そんときゃそんときだ。 みんなに好かれて生きてく奴なんかいねえよ」
そんな事を話しながら停車場まで来ると、なんだか大勢の人が集まってるのが見えた。
なにやってるのかな?
「カレカ、あれなにしてるの?」
「ありゃあ……。 いや、お前は見ない方がいい」
なんなの?
特に見たいと思わなかったけど、停車場は人だかりの向こう側だったし、人ごみをうまく抜けられなくてカレカと二人で足を止めた。
人ごみの真ん中には四頭立ての大きな馬車が止まっていた。
鉄格子のついた荷台には、けむくじゃらのなにか。 動物にしては背筋が伸びているし、ぼろぼろだけど服を身に着けてるようにも見える。手足は細いけど立派な筋肉がついているんだろうなっていう身体。
二匹?
二頭?
それとも二人はどちらも真っ赤な目、とがった大きな耳をしている。大きい方はらんらんと周囲を見まわし、小さい方は膝を抱えるような姿勢でうなだれたまま。
体中についている大小の傷は、手当もされていない。
「カレカ、あれは?」
「オーシニア人。 戦争でつかまって、奴隷になったんだ」
「奴隷?」
人ごみのせいでカレカの顔は見えない。
でも喉の奥から絞るような不機嫌な声。
なにもわからないまま様子を見ていると、御者席から降りてきた、ピエロみたいにカラフルな格好のおじさんがしゃべり始める。
「さて、お集まりのお歴々。 こちらは彼のにっくきオーシニア人。 帝都の軍から払い下げられた特別な奴隷だ。 でかい方は砲兵陣地で一人で気絶してた大間抜け。 もう一人はなんとも珍しい、オーシニア人の雌だ」
人間、なの?
なんで人間を売るの?
「立たせろ」
言われた御者が鞭を一振り。
小柄なオーシニア人の背中から血が飛び散る。
それをかばおうと大柄なオーシニア人が「ぎー」って大きな声を上げながら立ちふさがるけど、それにかまわず鞭はひゅんひゅんと空気を切り、大柄なオーシニア人の血が飛び散った。
やがて彼は倒れて、でも鞭はやまなくて。
小柄なオーシニア人はそれをかばうために立ち上がって、「ぎゅー」って泣いた。大きな赤い目から涙がこぼれる。
千切れてぼろぼろの服は彼女が女なんだっていう証拠を隠せていない。
「これこの通り。この珍しい雌を……」
奴隷商人が大きな声で購入者を募り始めるのを待たず、カレカに手を引かれた。
「おい、チビ。 いくぞ」
「……うん」
今日、この世界は私が知っているよりもずっと残酷だって初めて知った。
町からの荷物がいっぱい積まれた荷馬車の上はあまり気持ち良く無い沈黙に包まれてる。 普段なら眠気を誘うだろう二頭の馬のぱかぱかという足音を聞いていても、安らかな気持ちにはならない。
「カレカ、あの人達どうなっちゃうんですか?」
「多分、売られた後、ひどい条件で働かされて死んじまうんだろうな……」
少しずつ離れていく町を見ながら、カレカはぽつりとつぶやく。
「命の浪費だ」
町を少し離れると、そこはまだ真っ白な雪景色で、真っ白の間に見える木には少しずつ緑の新芽が見え始めている。 春の気配はするのに、私の心には少しだけ寒い北風が吹いた。
んで、お家に帰ってきたんですけどね。
ヨモギ色の教会服を着た私を見るなり、母さんはちょっと意地悪く笑うんだよ。卒業生だから事情は知ってるんですよーっていう、なにかにまにました感じ。
やだやだ。
「しっかりしててもトレはまだ三歳だもんね」
「かーさま、トレはおもらししてません!」
「はいはい」
初めての学校はなんだか賑やかで。 でも、ちょっぴり大変で、楽しいところだったよ。
父さんにも母さんにもたくさん話そうと思ってたのに、おもらしの言い訳ばっかり話した気がする。
むー。
今回は転生先の世界の社会事情をちょっぴり盛り込みました。
普通に生まれたっていうことが価値のある世界だって伝わるといいんですが……。
同級生や年上の子は、これから主人公と同じように年齢を重ねて成長していく予定でいます。
次回更新は新年2013/1/8(火)7:00頃、主人公と勇者候補テアが戦うエピソードを予定しています。