76.一人で背負うには重いもの
部屋に通されて、一番最初に見えたのは二本の剣だった。
机の後ろ。椅子に座ったら、ちょうど頭の上になる位置に飾られた二本の剣。
執務机の上も、書棚の中も。額や絵画も、部屋の中のなにもかもが几帳面に整理された空間。
整ってはいるけど、その分、人間味が薄く感じられる執務室の中には、必要以上の生真面目さがにじみ出てた。
そんな部屋の中で、その剣は不気味に光る。
剣術の稽古で使う模擬剣とか。士官に支給される、少し反りの入った剣とは違う。
真っ直ぐに伸びる刃。
握り手を守るための柄飾りもない、古い拵えの剣。
刃先が鋭い目みたいに見下ろしてるその先に座ったハセンさんは、ひどく疲れてるみたい。
それでも、私の視線の向く先を読み当てた。
「剣が珍しいか?」
「いえ。でも、変わった拵えだなって」
あの日。デアルタさんが死んじゃったあの時だって、疲れ切った顔はしてた。けど、こんな顔、してなかった気がする。
なのに、今はまるで、ハセンさんの方が死んじゃったみたいな顔色で
「普段目にする剣とは違うだろう」
「そうですね。なにか、不気味な感じがします」
だから、剣の印象もそうだけど。いま、目の前にいるハセンさんの憔悴が、すごく不気味だった。
すっと目を細めて、私の事をきろっとにらむ。
「この剣はな。首切り役人が使う物だ。戦闘ではなく、それでいて純粋に人を殺すために作られた剣だ」
「どうしてそんの飾ってるんですか?」
「私自身が何者か忘れぬため」
何者かって、どういう事ですか……って、ききたかったけど。怖くてきけなかった。
それに、話してもらっても、きっと私にはわかんない。
ううん。
わかりたくなかった。
「……それで」
背もたれにぐいって身体を預けると、ハセンさんは少しだけ顎を上げて私を見る。
いくら背が低いっていったって、座った人に見下ろされるなんてある訳ない。
それでも、ハセンさんの視線には、高所から見下ろされているような威圧感があった。
「面会に応じてくださってありがとうございました。今日は、野外演習について相談しに来ました」
「計画書は確認したよ」
机の上に置かれた資料を、ハセンさんはとんと指差す。
協力をお願いした駐屯地とか、商会の人に渡したのと同じ表題が書かれた資料。でも、近衛師団にこの資料は提出してない。
提出以前に拒まれたってギヘテさんは言ってたのに。そのはずなのに、ハセンさんの机にはそれが置かれてる。
どうしてその資料を持ってるの?
ハセンさんもギヘテさんの事、気にしてるんじゃないの?
なら、なんで会ってあげないの?
「……あの。余計な話をしてもいいですか?」
駄目って言われても話すつもりだったから、少しだけ深く呼吸をためる。
そのせいかもしれないけど、さらしを巻いて楽になったはずの胸がちくっと痛んだ。
でも、言葉は止めない。
「ハセンさん。ギヘテさんが言ってたのって、本当ですか」
「婚約の件を言いたいのであれば、事実だ」
話し始めた私の肩に、すぐ後ろに従ってくれてるカレカが軽く手を置いた。
今、話すべき事じゃないって言いたいんだよね?
そんなの、私だってわかってるよ。
でも。
それでも、確認したいんだ。
ハセンさんの気持ちを。
「どうして会わないんですか?」
「もともと、周りから勧められただけの案件だ。お互い、それに縛られる必要はない」
言い切ったハセンさんは、目を伏せた。
機械が再生するみたいに抑揚のない。
だから、それだけ何度も繰り返してきたんだってわかる言葉は、雪の中で冷やされたブリキのマグみたいに冷たかった。
素肌で触ったら火傷しちゃいそう。
どうしてこんなに冷たくなっちゃうんだろう。
冗談めかしてお尻を触ってくる。そんな軽薄な感じの人だと思ってたのに。
それなのに、目の前のハセンさんからはその軽薄さだけじゃなく、生物としての熱も感じられない。
今話してる全部が、何度も何度も繰り返されて。繰り返すごとに熱がなくなって、こんな風に冷たくなっちゃったのかな?
機械みたいに繰り返したせいで、気持ちも一緒に擦り減っちゃったの?
「弟に子が生まれなければ、兄である私の子が皇帝になる。
そういう下心を出したシノワズの家と。婚姻絡みの案件を繰り返し持ち込まれるのが面倒になった私。 互いの利害が両立した。それだけだ」
「……ギヘテさん、すごく会いたがってました」
「聞こえていたよ」
ならどうして。
なんて、言えなかった。
会いたがってたって言った時。窓から入る光に陰影の濃くなった顔に、少しだけ温度が戻った気がしたから。
「本題から離れてしまったな。仕事の話をしよう」
「……わかり、ました」
まるで別人みたいに表情が変わる。
あの時、お尻を触ってきた、軽薄なイメージのハセンさんに戻ってく。
でも、どうしてだろ?
今はそれが、少し寂しい。
寂しいよ。
資料をぱらぱらってめくって、ハセンさんは視線を私に投げた。
きっと、話し合いを始める前に全部目を通して、内容は全部わかってるんだと思う。
「お前の考え……ではないな。恐らくは、ギヘテの考えだろう。大体はわかった」
「じゃあ……」
「理解はしたが、この計画は駄目だ」
けど、それでも、放り投げるみたいに資料を机に戻したハセンさんは、そう言って背もたれに身体を預けた。
かかる燃料の計算とか輸送量の限界値とか、それに基づいた台数の算出だって、現実的な数字だったのに、どうして駄目なんだろう?
理由がわかんなくて、声も出ない。
そんな私がおかしかったのか、ハセンさんはふふんって鼻を鳴らして笑った。
「理由をきくか?」
「教えてくれるなら……」
「理由は三つある」
そう前置いて、ハセンさんは立ち上がって、窓の方を見る。
窓の外になにが見えるのかわからないけど、窓に映るハセンさんの目は、すごく優しかった。
「一つ目は道」
「道、ですか?」
「あぁ。汽車と同じで、自動車も通れるところは限られてる。そういう意味では牛馬の方がましなくらいだ。人間が背負って運ぶ方が効率的な場合すらある」
せっかく輸送計画を立ててくれたギヘテさんには申し訳ないけど、ハセンさんの言ってるのは正しいって思う。
帝都みたいに道が整ってるところなら、自動車は確かに便利だけど。
南部で学校に行くのに自動車に乗ってた私は、自動車には限界があるって知ってる。
雪の中で走れなくなる時もあったし。なにより、今日、ここに来るまでもそうだけどすっごく揺れるんだ。
あんまり揺れると、瓶詰とかもろい容器は壊れちゃうかもしれないし。
……人間だって。
っていうのは、私だけかもだけど。
「二つ目は人」
「操縦する人の問題でしょうか」
「いや、それはこちらで手配するから問題ない。トレ、自動車と同じ速度で走れるか?」
荷物がなくて短距離なら、もしかしたらいけるかもって頭の中で考えちゃうけど、それはちょっと違う。
車と一緒に移動できる人員の問題の話なんだ。
長い距離を自動車と同じ速度で移動するなんて、どう考えても無理。
「自動車の速度を人間にあわせるのは無駄だ。かといって、逆もまた無理だろう。そのためには、この台数では賄えない」
「そうですね」
せっかくの両方の利点をつぶし合っちゃうのは、ほんとに無駄だもん。
この計画は、確かに一緒に移動する人がいるのを忘れちゃってる気がする。
でも、それは修正できる範囲なんじゃないかな?
「最後が燃料」
「燃料については計画の中に織り込まれてると思います。全量確保の目途もついていますけど」
親戚同士とは思えないくらいホノマくんと似てない、あのカエルみたいなおじさんと相談して燃料も手配出来てる。
逆に、今から辞めるって言い出せない感じなんだけど……。
「宿営地からヘリテ駅まで移動するのにどれくらいの燃料がかかると思う?」
「それも考慮して計画を作っているはずですけど……」
「そうだな。だが、この間を鉄道移動した場合、燃料の消耗は四分の三ですむ。臣民の税金で賄われている消費財だ。湯水のように使う訳にはいかない」
物を運ぶなら自動車より機関車の方が効率がいいっていう意見は、委員会の中でも何回か出てた。
それが正解だったんだって、大人の目から指摘されるのってちょっぴり辛い。
説明が終わるとハセンさんは窓から離れて、椅子に座りなおした。
「とはいえ……」
ん?
「今後の事を考えると、若い連中を自動車に慣らすという意味では有意義かもしれんな」
そう言って、ハセンさんは笑った。
カレカとかジゼリオさんとか。あと、ホノマくんも時々する「しょうがないなあ……」って感じの笑顔。
「計画を大幅に修正して、かつ第七校の負担が大きくなるが、その覚悟があれば支援は可能だ。どうする?」
「あの、私一人では決められません」
委員会の皆と相談してからじゃないと、そんなの決められる訳ないよ。
それに、負担って一言だけじゃ、どんな負担が増えるのかわかんないし……
「トレ。士官は時に兵に無体を命じなければならない。なにもわからないまま、たった一人で決断を求められる事もある。お前が、今決めなさい。決められないなら、この話は無かったことにしよう」
「そんな……」
さっきまでの、氷みたいな冷たさはどこかに行って。柔らかくなった話し方で、口元は笑ってる。
けど、その眼は切りつけるみたいに私を見てた。
視線の圧力に耐え切れなくて、すぐ後ろに立つカレカを見るけど。
目が合うと、ゆっくりと首を振る。
自分で決めなくちゃいけないよ……って。
どうしよう。
負担が増えるって、どんな風になっちゃうのかな?
罰掃除が増えるとか、そんな軽い感じじゃない。
私は。
私自身はどうしたいのかな?
準備期間に関わってきた色々な人の顔が頭の中をぐるぐる回る。
完成したのこそここ数日だけど、ギヘテさんの移送計画を前提に皆で準備してきた。
そういうの無駄にしたくない。
クルセさんとかチギリさんとか。
フェンテさんや寮の他の皆に負担がかかっちゃうのもほんとは嫌だけど。でも、出来るならやってみたい。
「計画の修正に応じます。協力をお願いします」
「……わかった」
回答に満足したっていうのとはちょっと違うと思うけど。でも、ハセンさんは私の答えにゆっくり頷く。それと同時に、扉がばたーんって開いた。
背中がびくってなるくらい、ものすごい勢い。
お作法を教えてくれてた頃のコゼトさんがいたら、びっしびしに叩かれちゃうくらい駄目なドアの開け方。
っていうか、誰のかわかんないけど、ドアが開いたとき足が見えてたよ。
蹴って開けなかった?
あ。
足でドア抑えた。
「「「失礼します」」」
おっきな声で挨拶するのはいいけどさ。もう、入ってきてるじゃん!
両脇におっきな書類を抱えた、軍隊の人にしてはちょっと線が細すぎかもって不安になっちゃうくらいの体格の人。
それから、鳥みたいに蹴爪の生えた三本指の人とほっぺたにぎざぎざの傷がある女の人。
二人は組み立て式の机と椅子を持ってきてた。
その三人にどいてどいてっていう感じで、私とカレカを端っこに追いやられて。その空いた隙間に、机といすをてきぱきと設置。
机の上に地図とか算盤とかペンとか。事務用品もどんどん配置されて。
簡易事務スペースが出来たと思ったら、私達と逆側に三人はびしーって整列。
ブーツのかかとを鳴らして、かちっと敬礼。
「うちの主計課の人間だ」
「「「よろしくお願いします。トレ様」」」
一糸乱れぬって、こういう感じなんだね。
なんか、ちょっぴり怖い。
「では、計画の修正を始めよう」
「あの。お手柔らかに……」
きっと、お手柔らかな人なんかいないって、雰囲気だけでそれがわかっちゃうくらいの迫力に、私の声は小さくなってく。
「……まぁ、あれだ。頑張れ、ちび」
ひどいよ、カレカ。
もう、帰りたい。
今回は、一人で色々考えるエピソードをお届けしました。
これから展開するエピソードのために
「ちょっと冗長かも」
と思いながらも引っ張ってきた、帝都と士官学校での日常も今回で最後!
……に、なる予定だったんですが。うまくまとめきれなくて、分割する事にしました。
一万字くらいだったので、ちょっと悩ましかったんですけど。一話分が六千字を超えるとどうするか悩んじゃいます。
うーん。
次回更新は2014/04/11(金)7時頃、泣きながら連れ去られたあの人のエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




