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75.誰にでも苦手な事物があるもの

 近衛師団の宿営地は帝都の外。

 自動車の速度ならすぐだって。道も舗装されてるから大丈夫だって、言ってたのに。


 カレカのうそつき!


「おい。あんた、だいじょぶか?」


 大丈夫な訳ない。

 昨日、クイナにやられてあんなに吐いたのに、なんで、こんな……


「そんなけろけろ吐いてたら、宿営地につくまでに干からびるぞ」

「ちび、我慢できるか?」


 無理って答えたいけど。でも、口を開いたら、出ちゃ……


「うえぇぇー」


 ……った。

 私が乗物苦手って知ってるはずなのに、どうして自動車移動にしたのって、カレカを問い詰めたいんだけど。今は置いとく。

 意地悪なのか気づかいなのかわかんないけど、後部座席に置かれた、頭がすぽっと入っちゃいそうなくらい大きな口の壺に顔を突っ込んだまま、げえげえ吐く。


 この壺。私がいくら戻しても大丈夫なようにっていうなら、大正解だったと思うよ。

 せっかくのドレスを汚さなくてすむしさ。

 でも、問題は大きさ。ぐらぐら揺れる車の中だから足は突っ張ったまま。その上、股関節にもぎゅーって力を入れてないと、こぼれちゃいそう!


 お屋敷中探したら、もっと手ごろな大きさのあったよね?

 カレカ、その辺どうなのかな?

 ねぇ!?



 後部座席がどんな状態でも、自動車はすり鉢みたいな形に広がる帝都の街並みを北に向かって走ってく。


 馬車と自動車。

 手押し車と徒歩の人。

 速度が違う色々が、一緒になって道を行きかうその賑わいは、州都とは比べ物にならないくらい。

 道に沿った建物がお店だったりすると、張り出した軒とか、並んでるお客さんとか。もう、ぐっちゃぐちゃ。

 これが、帝都の東西南北にある大きな門を結ぶ道路――地図で見るだけなら、一番広い道のはずなのに、自動車は真ん中に押しやられて、ときどき割り込んでくる馬車とか手押し車とか。

 あと、徒歩の人がいるたびに止まる。


 止まると当然のように走り出すんだけど、ぐいーって身体を後ろにおしつけられる感じがもう。ほんとに最悪!


「なんでこんなに走ったり止まったりするんですか……」

「あんたこそ、なんでこの程度で酔うんだ?」


 この程度!?

 こんなにゆすぶられて平然としてる方がどうかしてない?


 だいたい、ギヘテさんなんか乗る前からうきうきだったもん。乗る前から吐きそうだった私の気持ちなんかわかる訳ない。

 自動車の中で壺を抱えてげろ吐いてる私の気持ちなんかさ。

 わかんないんだよ!


「しかしこう、あれだな。気の毒になってくるな……」

「じゃあ、降ろしてください」

「だーめー」


 壺に顔を突っ込んだままだからなのかなんだかくぐもって聞こえる私の声。

 声は間が抜けてても。それでも必死のお願いなのに、ギヘテさんはけたけた笑いながらあっさり否定する。

 運転席のカレカもふふって鼻で笑うばっかり。


「しかし、ここまでだと生活に支障あるんじゃないか?」

「申し訳ありません。何分、田舎者なので勘弁してやってください」

「カレカだって、村から来たく……っぶ」


 おっきな声出したらすぐ、のど元までこみあげてくる吐き気。

 頭の中ぐらぐら。えずいてうごめく喉の辺りも気持ち悪いし、止まって走り出す瞬間のお腹の中をこね回されるみたいな感覚も。もう、全部が私を駄目にする。


「ぎもぢわるい゛……」

「帝都出たら走りっぱなしだから、もうちょっと頑張れ」


 そんなカレカの言葉を信じて、とにかく我慢。



 ……したんだけど、もうそんなの全然嘘だった。


 北の大門を抜けて少しのところで、少しスピードが上がったのか強く背中側に引っ張られるみたいな感覚があって。その後すぐごどごどごどって車全体が揺れ始めた。


「すごいな、全然揺れない!」


 なのに、ギヘテさんの感想はこんなだもん。


 嘘つけ。すごい揺れてるじゃんか!

 こんなに揺れるなら、帝都の中で走ったり止まったりしてる方がましだよ。


「足回りが違うそうですよ」

「油圧かなにかか?」

「板ばねが……」


 二人とも楽しそうでいいよね。

 たまには、後部座席でつぼを抱えてる私がいるのも思い出して。


「しかし。こう、あれだ。……臭うな」


 やっぱり忘れて、ギヘテさん。「確かに」ってカレカは笑うけど、責任の半分くらいはカレカにもあるんだから。そんな風に笑うな!


「窓開けていいか?」

「そこの金具を外して、ガラスを押し込んでください」

「へぇ、蝶番がないのに外側に向かって開くんだ……。面白いな。閉じるときは、取っ手を引くのかな?」

「御明察」


 がこって音がして、その後繰り返しもう二回がちゃがちゃがこがこ。音がするたびに「おー」とか「へー」とかギヘテさんの楽しそうな声が聞こえるんだけど。

 もうね。後部座席は地獄だよ。


「もうちょっと速度出る?」

「そうですね。少し余力はあります」


 眼をきらっきら輝かせて――るかは、つぼに顔を突っ込んでてわかんないけど。もう、声が弾んでるのがありありとわかるくらい楽しそうなギヘテさんの言葉が、私の絶望を加速してく。


「止めて。降ろして!もう、無理!」


 窓を全開にしてくれたのか、吹き込んでくる風が冷たくて、胸の辺りは少し楽になったけど。それでも、もう限界。

 これ以上、なんにも戻すものとかない!


「そういえば、あんたら同郷なのか?」

「はい。こいつとは……っと。こいつとか言ってたの、お館様には黙っといてくださいね」

「あぁ。でも、くせなら直した方がいい。官憲沙汰になるから」

「気をつけます。トレ様のお父上に……」


 昔話とか、もう。ほんとにいいから。




 ぐらぐらごとごとと走り続けてた車が、大きな国旗を掲げた建物のエントランスに止まった。

 くたくたふらふらなの、わかってるはずなのに


「ちび、しっかりな」


 ちょっと強い口調で言って、カレカは車を降りてった。

 そんなカレカを追いかけるみたいにギヘテさんも車を降りてく。


「背筋伸ばして。笑顔をわすれるなよ」


 置き土産みたいにそんなこと言われなくても、ちゃんとわかってるよ。

 ……わかってるけどさ。

 こんな状態で、そんな簡単に笑顔なんか作れる訳ないじゃん。


 そう思いながら、旅のお供みたいに抱えてたつぼを置く。


 抱えてた腕はもちろんだし、挟み込んで押さえつけてた股関節もそう。

 揺れを我慢するために突っ張ってた足とか膝とか背中も。とにかく、身体中がぎしぎししてて、ドアもうまく開けられない。


 こんな状態で笑顔とかさ。

 無理だよ。


 そう思ってたのに、車に乗る時と同じようにカレカはドアを開ける。

 演劇なんか見た事もやった事もないけど。でも、舞台の幕が上がる時ってこんな気持ちなんだって思う。


「お疲れ様でした、お嬢様」


 それはカレカにとっても同じなのかもしれない。

 今まで見た事ないくらいきらっきらの笑顔で、手を差し伸べてくれてる。


 そっか。

 今日はジレの家の御令嬢になりきらなきゃいけないんだった。

 だから、カレカもちゃんとなりきってくれてるんだ。


 私も頑張らないと!


「ありがとう、カレカ」


 お礼を言って手をとったら。カレカの手にきゅっと力が入った。

 それだけで、ちゃんと支えてもらえるんだってわかる。だから、がくがくと力が入らない身体に勢いをつけて、立ち上がる。


 うん。

 だいじょぶ。

 ちゃんと立てた。


 頭の中はまだふらふら揺れてる気がするんだけど。足の裏から感じる地面が揺れてないのはちゃんとわかる。


 帝都を出てからそんなに時間は経ってないはずだけど。それでも、揺れない地面の感触は久しぶり。


 しっかり足を踏みしめて。

 それから、帝都より少しだけいがらっぽい。ちょっと火薬まじりの空気を思いっきり吸い込む。


 それだけで、むかむかしてた胸が少しすっきり。


 あとは笑顔。


 口角を上げて、目尻を下げて。

 意識しなくちゃ笑えないなんてちょっぴり変だけど。

 でも、百面相が再発しちゃってるっぽいからね。


「ほら。身体、かしいでる」

「え?」


 頑張って笑顔を作ったら、車を回り込んできたギヘテさんが、カレカとは反対の手をつかんで支えてくれた。


「あの、二人共。ありがと」

「あ、ああ」

「うん」


 二人はそれぞれ返事をしてくれたんだけど。なんか、二人ともそっぽ向いてんだよね。


 おかしいならはっきり言えばいいでしょ。

 らしくないって笑ってくれた方が気が楽な時だってあるんだから!




 手が届きそうなところに、タイトスカートに包まれた形のいいお尻が揺れてる。


 士官学校に通い始めてすぐ、支給された衣服が身体にぴったりじゃなかったから。 この人もきっとそうなんだってわかる。

 わかってるんだけど。


 なんていったらいいのかな。

 スカートにうっすら浮きあがるパンツのラインがね。気になってしょうがないんだ。


 もう、視線がずーっと釘付け。


「まだ具合悪いのか?ふらふらしてんぞ」

「あ、いえ。あの。大丈夫です」


 お尻が動くのに合わせて頭が動いちゃってたみたい。

 カレカに言われるまで、自分でも気づかなかったけど……。


 べ、別に、見ようと思って見てた訳じゃないもん!

 私の背が低くて。階段登ってて。だから、お尻が目の前にずーっとあっただけ!


 ……って、誰に言い訳してんだろ。

 なんか、あれだ。

 駄目だ、私。



 心の中で必死に言い訳して、ごめんなさいって思ってる内にハセンさんのお部屋がある階についてたみたい。


 三階の廊下に出たところで、案内してくれてたお尻――じゃない!

 事務官のヴィビさんは、私達の方を振り返るとふわっと笑顔を浮かべた。


「皇兄殿下のお部屋は、廊下を突き当たったところになります」


 大きく張り出した鼻から口元とおっきな眼。小型犬を思わせる可愛らしい顔立ちなのに、襟元には十人長の階級章。


「ご案内ありがとうございました、エオン十人長」

「いえ」


 ヴィビ・エオン十人長。

 それが彼女のフルネームと階級。


 可愛らしい顔立ちに似合わない階級章。


 なんだろう?

 組み合わせに、ちょっぴり違和感がある。


 魚の小骨が喉に刺さったみたい。


「行きましょう、トレ様」

「あ。うん」


 その違和感の正体が気になって、階段を下りてくヴィビさんの背中を眼が追いかける。

 でも、その正体はよくわかんなかった。




 かかとの高い靴を履いてる私の足音は不規則で。

 でも、すぐ後ろを歩いてるカレカとギヘテさんの足音は、軍人らしく規則正しい。


 その規則正しい足音が、私を思考の迷路に誘い込む。



 さっき感じた違和感はなんだったんだろ?

 南部にいた頃は感じた事がない感覚。

 でも、帝都に来て。お屋敷で暮らし始めて、漠然と感じた違和感と似てる。


 半年の間に忘れちゃったなにかが、どうしても思い出せない。


 なんなんだろう……。

 えーと……。



 考え事しながら歩いてたら、鼻がなにかにぶつかった。


「ふぎゃ」


 上半身。というより、頭が後ろにかしいで、私の身体はあっさりとバランスを失う。

 履きなれてないかかとの高い靴は、踏ん張りがきかなくて。

 だから、なにかつかまなくっちゃって、両手で空中をひっかくみたいに手を伸ばすんだけど、その先にはつかむものなんかなにもなくて。


 お尻とか背中とか。

 ぶつけそうなとこにきゅーって力が入って。だけど、どこにも痛みは来なくて。かわりに、耳にふいーってため息がぶつかった。


「ちゃんと前見て歩けって……」


 腰に回されたカレカの手が、私の事を支えてくれて。おかげで転ばなくてすんじゃった。



 それにしても、ヴィビさんと別れた時に見た廊下はもうちょっと長かったはずなのにどうして……。そう思って視線を上げたら、その壁には顔があった。

 っていうか、壁じゃなくて人だった。


 壁に間違っちゃうくらい、大きな人。


 筋肉ではちきれそうな制服。

 その上にどーんとのってる頭は、ぐしゃぐしゃの赤い髪に覆われてる。

 同じ色の髭でおおわれた顎のラインは横に広い。


 髭で見えにくいけど、完全に噛み合わさらない口元には、普通の人にはあり得ない、肉食獣みたいな牙が見える。

 それから、髭に隠れてたのがもう一個。

 襟元に千人長の階級章。


 階級章。

 ……階級。


「あ!」

「んあ?」


 思わず指さしたら、その人も間の抜けた声を上げた。

 さっきの私といい勝負の格好悪い声。


 大声上げて人を指さすとか、御令嬢としてどうなのかなって思うけど。でも、ようやく分かった。

 これが違和感の正体なんだ。


 この国の軍隊には、士官になれるのは“選ばれた子”だけっていう決まりがある。


 南部では“授かり物”がある士官さんもいた――知ってる人だと、コトリさんとか。


 だけど、中央の方が厳密なのかな。今日までそういう人、見た事なかったもん。

 さっき、案内してくれたヴィビさんも。

 いま、目の前で自分を指さしてるにこの人も、ぱっと見てわかる“授かり物”がある。


 きっと、私が感じてた違和感はそこ。


「ちびちゃんが、面会を申し込んだってお客か?」

「ちびじゃありません!」


 そんな事に一人で納得してたら、頭の上から失礼な言葉が降ってきた。


 なんで、どいつもこいつも私の事ちび扱いすんのさ!

 周りが大きいだけだからね。


 ……たぶん。


「お嬢様、お言葉が……」

「え。でも、だって」


 馬鹿にされたから言い返したのに。でも、カレカの目が思ったより厳しくて、首がきゅーってなっちゃう。

 怒るなら、腰から手を放してからにしてほしいんだけど。

 耳元で低い声出されるの、なんかやだ。


「そんなところで通せん坊しても、無駄だからな!」

「そういうな、ギー坊」


 おっかなくて首を縮めて。さっきより小っちゃくなった私の頭の上を、ギヘテさんの言葉が飛び越えてった。

 切りつけるみたいに強い言葉に、壁みたいに大きいその人は髭に覆われたほっぺをぽりぽりとかく。


「あの馬鹿、いるんだろ?」

「あぁ。いる」

「話があってきたんだ。通してくれ!」

「んー、あぁ……」


 そんな目で見られても、私だってなにしていいかわかんないからね。

 だって、こんな風に興奮するギヘテさん。見た事ないもん。


「あの。皇兄殿下にお目通りいただけると、ここまで通されたのですが……」

「んー。だが、ハセンが会うのはちびちゃんだけなんだ。ギー坊には、会わない」


 だから、ちびじゃないってば!

 私が心の中で抗議するより早く、ギヘテさんがつかみかかってた。


「なんでだ。理由を言え、バナ!」


 いつもの穏やかなギヘテさんとも、どこに出しても恥かしくない貴族の御令嬢だったギヘテさんとも違う。

 こんな風に怒るなんて。

 それも、千人長の階級章をつけた人に掴みかかるなんて、普段のギヘテさんだったら絶対する訳ない。


「なんで、あいつは。あの馬鹿は、私を避ける!利用しようと思っただけかもしれないけどな、私は仮にも婚約者だぞ!」


 って、こん、やく!?

 なにそれ。

 なんだそれ。


 なんなんだ、それ!


「だから会わんのだ、ギー坊。聞き分けろ」

「い・や・だ!」


 頑強に抵抗するギヘテさん。だけど、体格の差は埋めようがなかった。

 襟の辺りにしがみついてるみたいになってるその腰を、丸太みたいな腕がくるっと包む。


「ギー坊。バラオが作った新しい戦車が来てる。見ていけ」

「あんな奴が作ったぽんこつなんて、知るか!どうせ、蒸気機関で動くがらくただろうが!いいから離せよ!」

「お前さんがよく言ってる、なんとかってので動く奴だ。音がでかくてびっくりするぞ」


 じたばたと抵抗するギヘテさんにあやすみたいな口調で話しかけながら、バナさんはギヘテさんを強引に担ぎ上げた。


 もう、なにがなんだかわかんなくて。その様子をぽけーっと見てるしかなくて。

 そんな私達を、バナさんはぎょろりと大きな瞳で見ると


「騒がせたな。ハセンは中で待ってる」


 それだけ言って、私達の横をすり抜けてった。



 肩の上に担ぎ上げられたギヘテさんは、叫んで。暴れて。噛みついたりもしてたけど、バナさんはびくともしなくて。それでも一生懸命抵抗して。

 だけど、バナさんが歩き出すと、その肩の上で動かなくなった。


 すれ違うその時、眼の端っこから涙が流れてたのは心にしまっとく。

 きっと、見られたくなかったと思うから。


 そんな騒ぎが遠のくのを見送った私とカレカの後ろで、扉が開いた。


「行ったか……」


 お尻を触っただけじゃなく、婚約者を泣かせる最低男。

 一応、皇帝陛下のお兄さん。

 私の中で、ハセンさんの肩書きにマイナスイメージのがもう一個増えた。

今回は、自動車酔いで大変なエピソードをお届けしました。


セクハラ親父との交渉は、次回に持ち越しになってしまいました。

計画性とかそういうの、すごく大事だと思います。


思いはするんですけど、この有様。

どうにかしないといけません。


次回更新は2014/04/10(木)7時頃、今度こそセクハラ親父と交渉するエピソードを予定しています。


更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。

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