74.女は化粧と衣装で化けるもの
どうしてこんな話になっちゃったんだろう。
鏡の中で首をかしげる女の子――目の前の鏡に映ってるんだから、私に決まってるんだけど。
もう、眼帯つけてなかったら自分でも誰なのかよくわかんないくらいの変身ぶり。
変わったのは顔面だけじゃない。
服の色合いも、目がちかちかしちゃうくらい違う。
濃紺の硬くてごわごわの制服はどこかにしまわれて、今はふわふわの生地が私の身体を包んでる。
いつでもはっきりと自己主張する私の赤い髪は、オレンジ色のドレスに溶け込んで柔らかくなってた。
ところどころにあしらわれた白いレースもすっごく可愛い。
可愛いだけじゃなくて、サイズもぴったり。
合わないのを前提にした寸法の制服を手直しするのに慣れてるせいかな?
同じ服とは思えないくらい着心地も違うんだよね。
お化粧の威力はもちろんだけど。それに加えて馬子にも衣装――自分で言うのもなんだけどさ。
でも、そんな、私自身がびっくりしちゃうくらいの変身をプロデュースしたのに
「まぁ、間に合わせじゃこんなもんかな……」
ふいっとため息をつくピエリさん。
「申し訳ありません、トレ様」
髪を整えてくれてるセレさんも、鏡の中で困ったみたいに笑いながらごめんなさいって雰囲気なんだけど。
もう、なんにも申し訳ないとこなんてないんじゃないかな?
こんな変身しちゃってるのに、まだ間に合わせっていう方がおかしいんじゃないかって思うけど……。
ちょっぴり不満があるとすれば、胸の辺りのボリュームがいつもよりもだいぶ控えめになっちゃってるとこ。
でも、原因はセレさんにもピエリさんにもない。
自前のおっぱいの問題もあるけど、さらしで押さえつけてるのがやっぱり大きい。
さらしを巻く原因になったのはクイナの圧迫だから、ジゼリオさんを恨むのは筋違いってわかってる。
でも、この胸の――いやさ、おっぱいの惨状を目の当たりにすると、恨み言の一つも言いたくなるでしょ。
いわば、乳の仇!
……ちょっと、穴的ななにかがあったら埋まりたくなっちゃった。
ともあれ、ドレスがふわっとしたデザインだからわかりにくいけど。切る前はもう絶壁みたいだったからね。
もともとボリュームに自信はないんだけどさ。
それでも。
ううん。
だからこそ気になる。
鏡の中の自分――とてもそうは思えない、着飾った女の子は、自分の胸を見つめてちょっと困った顔をしてた。
百面相、再発。かな。
お茶会の席で野外演習の資材輸送に自動車を貸してほしいから、ハセンさんと面会したい。
その紹介状を書いてほしいんだって話したら、ジゼリオさんは
「それは面白いな」
仏頂面をひっくり返したみたいに上機嫌になった。
なにが面白いのかよくわかんなかった。
わかんなかったんだけど
「紹介状は書いてやる。
だが、そのままでは無理だな。
支度が必要だ。ギヘテはここで茶でも飲んでおけ。
お前はおれの部屋に来い」
一息にわーって言いたい事だけ言って、立ち上がる。
もう、満面の笑み。
むぎゅーって押しつけるみたいな命令口調に、心の中で「えー」って言いながら、口だけは「わかりました」って答えた。
幼年学校の時もそうだし、南部の屋敷でも。
帝都に来てからももちろん、学長の部屋に呼ばれた時もそう。
部屋に呼ばれるとろくでもない事が起きるっていう経験則が私の中には出来上がってる。
紹介状を書いてもらえるのは嬉しかったけど、ありがとうなんてちっとも思えない。
「なんだ。不服そうだな」
「わかりますか?」
別に言い返そうとか思った訳じゃないんだけど。もう、条件反射みたいに答えたら、ギヘテさんがぷくくって口を抑えて笑った。
経験則って思うように外れてくれない。
部屋に着くなり
「服を脱げ」
もう、ぶん殴ってやろうかなって思うくらいはっきりと、ジゼリオさんが言ってきた。
目の前にいるちょっと疲れ気味のこのおっさんが医者だって知らなかったら、悲鳴を上げて逃げ出すしかない。
そんなとんでもない指示なんだけど、セレさんとピエリさんはすすすっと近づいてきて
「お手伝いいたします」
「楽になさってくださいね」
なんて言いながら、しゅるしゅるとタイをほどいてく。
この二人がいなかったら、服なんか絶対脱がない。
っていうか、男の人と二人きりの部屋で服を脱ぐとか、なんの冗談だっていう話でしょ。
「あの、いきなりすぎませんか?」
「ビッテ従士からコゼトに報告があった。負傷しているそうだな」
部屋に入るまで、カレカもコゼトさんも話なんかしてる時間なかった気がするけど。でも、カレカの話はもうジゼリオさんに伝わってて。
それに戸惑っている間にピエリさんが上着をするっと引き抜いてった。
帝都の気温がいくら高いっていっても、ブラウスだけになるとちょっぴり肌寒い。
タイを外された首の辺りもすーすーする。
「誰にやられた」
「教会の人、です。クイナって名乗、っていました」
あまり格好いいとは言えないデザインの、保温性を重視した支給品のシャツ――ババシャツっていうのかな。
ベージュ色のそのシャツを脱がされるとき身体をよじったら、胸の辺りがずきっと痛んだ。
「以前も会っているな」
「学校に入る前に、一度。本人は、ふたつなの祝いにも来てたって言ってました」
「ふむ。……右腕を上げろ」
話してる間に二人の作業は進んで、とうとう上半身ははだかんぼになっちゃった。
部屋の空気がちょっぴり冷たくて、少し身震い。
でも、ぷるって震えても動揺しないつつましやかな自分のおっぱいにしょんぼりしながら、指示通り腕を上げる。
痛い辺りを触られて、少し圧迫されて。
じんわりとあったかいジゼリオさんの手が肌の上を滑る。
その感触が怖くて、お腹の奥の方がきゅーって縮んじゃう。
上げた右腕にはびっしり鳥肌が浮いてた。
少し肌寒いのはもちろんだけど。
でも、それ以上に、肌に触れられるのが怖い。
意識をどっかにそらさないと……って、話題を探しても、きれいに整理された部屋の中はなにも変わったものなんかなかった。
着替えを手伝ってくれた二人も、少し離れたとこにいるし、話しかけていい雰囲気もない。
話題なんかなんにも……って思ったけど、ぱっと思い出した。
「あの。ジゼリオさん、私って腋臭なんでしょうか?」
苦し紛れだったからってなにいってんの!?
なんて、話し始めてから後悔しても遅いんだけど。
でも、デアルタさんは笑わなかった。
「気になるなら見てやる。右手を上げろ」
かわりに、すぐ後ろで空気が揺れてる。
セレさんとピエリさん。どっちかわかんないけど、笑いをこらえてるのかな。
きりって歯をこすりあわせる音が部屋に響いた。
「ぅひぃ」
「うるさいぞ、馬鹿者」
急に脇の下を触られたら、声くらい出るに決まってるでしょ。くすぐったいんだから!
身体をよじったせいで胸の辺りがずきずき痛くなってきちゃったよ。
「左も上げろ」
「……はい」
裸で万歳してるって、かなり間抜けな図なんじゃないかなあ。
あと、腕を上げてると胸の辺りが痛いんですけど……。
右で心の準備は出来てたけど、やっぱりくすぐったくて身体が動いちゃって。
動くと同じように胸の辺りが痛い。
「う・ご・く・な」
「……無理です」
「出来る限り触れないようにしてやっているという気遣いがわからんのか。押さえつけるぞ、馬鹿者め」
「ごめんなさい」
口先だけは謝って。でも、心の中でべーって舌を出す。
ほんとに押さえつけるつもりだったら、セレさんとピエリさんに言って、無理やり抑えるはずだもん。
どうせ、ジゼリオさんだって口だけでしょ。
「耳を見せろ」
「あの、なにか関係があるんですか?」
「質問をするな」
医者としてどうなのかなって思うくらい高圧的に、患者の知る権利とかをあっさり粉砕したジゼリオさん。
それだけでも嫌な感じなのに
「腕が邪魔だ。降ろせ」
先に言えよ。
殴るぞ!
「耳垢は乾質。脇汗も正常。気にすることはないと思うがな」
「でも、あっちこっちで魚臭いって言われるんです」
「気にし過ぎだ。体臭なんぞ、誰にでもある」
「そういうものでしょうか」
後ろの二人も魚臭いって言ってくれてたけど、その辺もどうなのかな。
よくわかんない。
「余り気になるなら軟膏をやる。日に一度塗れ。それから、脇はこまめに剃れ。臭いが軽減する」
「……あの。剃り残しありました?」
なんか、目を逸らしてる。
……もうちょっと念入りにしないと駄目なのかも。
咳払い一回。それから「ともかくだ」なんて、ちょっと重々しく前おいたジゼリオさん。
ちょっとへんてこりんな間はあったけど、すぐしかつめらしい雰囲気に戻った。
「恒常的にどこかが痛むといった症状はあるか?」
「身体を動かすと痛みはありますけど、それ以外では特に……」
「息苦しさは?」
「ありません」
「わかった」
問答はそれだけ。
机に戻るとジゼリオさんは何枚かの書類にざりざりと強い筆圧で書きつけた。
「第四肋骨を骨折してる。激しい運動は避けろ。出来れば野外演習への参加も……」
「嫌です!」
委員会の皆で色々頑張ってるのに、今になって参加出来ないなんてありえないよ!
そんなの嫌だって気持ちを吐き出したら、自分で思ってたよりおっきな声が出て、自分でもびっくりしちゃった。
「まぁ、お前の性格だとそうだろうな。診断書と薬の処方を書いておいた。医局に出せ。
それと……」
ふいってちょっとため息をついて。手元の紙をもう一枚手に取ると、今度はさりさりってなめらかな手つきで文字をかきいれて。
その紙をくるくるって丸めると、封蝋で留めた。
「封書は学長に渡せ」
丸められてもわかる箔押しは、梟を意匠にしたジレの家の紋章。
お屋敷に来てからもそうだし、軍隊に入ってからはもっとだけど。紙って貴重品だし、箔押しの入った紙なんてものすごく高いんだ。
そんな紙を使った仰々しい手紙を、ジゼリオさんは無造作に私の膝に置いた。
「さらしを巻いておけばいくらかましになる。痛みが気にならなくなるまでは巻いて過ごせ」
言葉と一緒に私の頭越しに目配せ。
背後で空気が動いて、それから「失礼します」ってセレさんの声。
返事をする間もなくくるくるってさらしが巻かれた。
きつくもなく、かといってゆるくもない。
絶妙な力加減だとは思うんだけど。
だけどね。
元からそんなに自己主張をしてない胸元が、かなり内気な感じになっちゃったのはどうしたもんだろう。
「診察は終わりだ。支度が出来たら部屋に戻れ」
「はぁ……」
言いたい事だけ言って、あとは知らぬ存ぜぬっていう態度は相変わらず。
そういうの、直した方がいいと思うよ。
それで支度っていうのがお化粧とドレスだったんだけど。
「……誰だ、あんた」
部屋に戻ったらギヘテさんが開口一番、ものすごい失礼発言をしてきた。
鏡に映ったのを見て、私だって自分で「誰だよ!」って思わなくもなかったんだけどさ。
でも、面と向かって言われるのって、なんか嫌。
「……トレです。わかりませんか?」
「わからないな」
声と眼帯でわかるでしょ!
真顔で首をかしげるギヘテさんはほんとに失礼。
「馬子にも衣装だろう」
意地悪く笑うジゼリオさんの背中を思いっきりどつく。
理由も話さないで着替えさせたのに、自分でそんな事言うとか、無神経にもほどがあるっての!
「ハセンに面会を申し込むのだろう?
恐らくは、ギヘテが正面切って向かってもあの馬鹿は応じるまい」
「あの、ギヘテさんって、ハセンさんに恨まれでもしてるんですか?」
「軍属でもなく、知人でもなく。ジレの令嬢として面会を申し入れれば断れん。そういう話だ」
なんか話をぼやかされた気がするんだけど……。
どうしてギヘテが面会を申し込んでも断られちゃうんだろう?
ジレの家は皇兄陛下との面会スルーパスでも持ってるのかなあ。
話がちっとも見えてこない。
「とにもかくにも。トレ様が行けば話がおさまるという事でございます」
「……よくわかりません」
説明しない周り以上に、コゼトさんが一番雑だった。
別にいいけどさ。
シノワズの家の馬車で乗りつけると門前払いされちゃうっていう話になって、ジレの家の車――そんなのあったんだね。
学校はいる前のお出かけの時はちっちゃな馬車だったのにな。
……あの時クイナに会ったんだったっけ。
お出かけの事を思い出したら、一緒にあまり嬉しくない事実までふわんと浮き上がってきちゃった。
今日は会わないといいなあ。
ともかく。エントランスに寄せられたのは、黒くてぴかぴかの車だった。
南部で学校の行き返りにのせてもらっていた車より大きく見えるのに、エンジンの音は小さい。
「すごいな!」
歓声を上げたギヘテさんが軽やかな足取りでエントランスに降りてく。
それに比べて、ドレスを着た自分の足取りの重い事重い事……。
ドレスっていっても、特別裾が長い訳じゃない。
でも、運動を考慮した支給品の靴に比べると、かかとの高い靴って歩きにくいんだよね。
興奮したギヘテさんが自動車の周りをぐるっとまわって。
それを見届けたみたいに運転席のドアが開いたところで、ようやくドアに手が届くところまでついた。
ほんとにもどかしい!
「お待たせして申し訳ありません、お嬢様方。こちらにどうぞ」
運転席から降りてきたカレカが後部座席の扉を開けて、ギヘテさんをエスコートしようとするんだけど
「いや、私は前に乗る」
子供か!
明けてもらったドアに見向きもしないまま、ギヘテさんは素早く助手席に納まった。
こんな風にはしゃぐ姿を見るのは初めて。
っていうかね。
そんなに急いで乗らなくても、私、割り込んだりしないからね!
カレカの隣に座ってドライブとか、ちょっと思っちゃってたけど。
「では、お嬢様。お手をよろしいですか?」
「え。あ、はい」
空振りしたエスコートにちょっと恥ずかしそうに笑うカレカの手を取る。
少し狭い扉を潜って後部座席に身体を押し込間なきゃいけないから、カレカの手に少し体重を預けた。
そしたら
「似合ってる。見違えた……」
って、耳元で声。
息遣いがわかるくらい近い距離。
胸がどきどきして、さらしを巻いていくらかましになったのに、胸が痛くなっちゃう。
そういえば、ちゃんとほめてくれたのカレカだけだ。
けど、それが一番嬉しくて、ほっぺが緩んできちゃう。
まぁ、それから何分かで車酔いして、それどころじゃなくなっちゃうんですけどね。
今回は、お化粧とドレスで大変身なエピソードをお届けしました。
お話の中はこんな調子ですが、我が家には髪形を変えても気づかない人しかいません。
あるいは、気づいてても指摘しない人というのか……。
背中の真ん中まであった髪を肩ぐらいまで切っても、指摘されないよりは、失礼なくらいいじられる方がましなんじゃないかなあ。
次回更新は2014/04/03(木)7時頃、セクハラ親父と交渉するエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




