73.よその庭の芝はいつでも青いもの
半年ぶりに帰ってきたお屋敷はほんとに別の場所みたいに変わってた。
落ち着いた雰囲気は元のままだけど、ところどころにあしらわれた明るい色の花とか、壁に飾ってあった絵とか。ぽつりぽつりと灯る明かりみたいに、ぱっと目を引く物が増えてる。
一ヶ月したら帰ってくるっていうお嬢様のためなんだろうけど、明るい色合いは素敵なんじゃないかな。
お嬢様、喜ぶといいけど。
「そんで、ちび。お前、誰にやられた?」
「やられたって、なにをです?」
ちょっと低い声でカレカにきかれて、胸の辺りがまたずきずきと痛くなる。
昨日の今日だし、心当たりはあるんだけど。でも、あんなのカレカに話したくないもん。
とぼけちゃおうって思って聞き返したら、カレカはちょっぴり怖い眼になった。
「やせ我慢すんなよ」
「我慢なんかしてません」
ちょっと痛いくらいで、我慢とかそんな感じじゃないもん。
カレカこそ、どうしてそんな風に突っかかってくんの?
別に張る必要ない意地なんだけど。でも、強く言われると、なんだかいらいらして。もう、絶対言わない!なんて、思ったんだけど
「……ったく」
口の中でもごもごってなにか言って。そのもごもごが終わるより早く、カレカにつかまれた右手がぐいって引かれた。
え!?
なに、なんで?
ふーってカレカは大きくため息ついて。そのせいで抜けてった息を吸いなおすみたいに、どうしてもそれが必要だからっていうくらい必然的な力で引き寄せられて、その勢いのまま鼻があったかいものぶつかった。
むぎゅーって押しつぶされるみたいに強い力のせいで、胸の辺りが痛い。でも、それだけじゃなくて
「身体、どっか痛いんだろ。右側をかばってる」
「かばってませ……ぁう」
包み込むみたいに背中に回された手がぎゅっと縮まって。圧迫された胸の辺りが、焼けた鍋をつかんだみたいに痛い。
ぎゅっとされたから痛いっていうだけじゃなくて、背中に回された手もくっついた身体も。それに、すぐ近くに感じるカレカの息遣いと匂い。
全部が心臓を早くしてく。
どんどん送り出されてくる血液が熱くて、ほっぺも耳も。もう、あちこちがどんどん熱を持って、頭の中まで沸騰しちゃいそう。
こんな風にぎゅーってするからでしょって言いたかったけど、胸が痛くてしゃべれないよ。
胸の辺りが痛いのなんて、昨日、変な風に体をよじったからなんだって思おうとしてたけど、ほんとは怪我してるのかも。
学校に戻ったら医局に行かないと……なんて思ってたら
「相変わらず、お前らの声は頭に響くな」
不機嫌そうな声が頭の上に降ってきた。
その声が聞こえるのと、カレカがばばって音がするくらい素早く離れて。少し離れたとこでお辞儀するのはほとんど同時。
そんな勢いよく離れなくてもいいんじゃないかな。
帝都に来たばっかりの頃、私との距離感がどうとかってコゼトさんに散々怒られてたの知ってるし、しょうがないのかもだけどさ。
なんかそういうの、避けられてるみたいでやだ。
……そんなこと、それこそ言わないけど。
「お久しぶりです、ジゼリオさん。二日酔いですか?」
「酒はやらん」
セレさんが差し出す上着に袖を通してながら階段を下りてくるジゼリオさんは、不機嫌を煮しめて固めたみたいな眼元できろっと私をにらんだ。
半年会ってなくても、ジゼリオさんはほとんど変わってない。
後ろになでつけられた秋の麦畑みたいな色の髪と、ターコイズブルーの瞳。それから、眼の下にはひどいくま。
少し離れたところに従ってるコゼトさんは、ちょっとしわが増えたかな。
でも、老け込んだっていう感じじゃなくて、笑いじわが増えたっていうか。ちょっと柔らかい雰囲気になったかも。
さっき、カレカがギヘテさんに患者がいてって言ってたけど、あれ嘘だったんだろうな。
もう、すごい眠そうだもん。
「シノワズの令嬢を連れて、なんの用だ?下らん話だったらどうなるか……」
「お館様」
お腹を空かせたライオンみたいな目になったジゼリオさんに、コゼトさんが一言だけ声をかけた。
その声に明確に舌打ちはしたけど、ジゼリオさんはそれ以上の文句は言わない。
もしかして、コゼトさんが私に気を使ってくれたとか?
……そんなのありえないと思うけど。
「まぁいい。用向きは茶でも飲みながらきく」
「それがよろしいかと……」
あんまり待たせるのも失礼だし、ほんとにその方がいいと思う。
あと、セレさんがぱちってウィンクしてるのはなんなんだろう。なんとなく、からかわれてる気がする。
部屋に入るとギヘテさんもジゼリオさんも丁寧にお辞儀して、それぞれ席に着く。
コゼトさんとカレカがそれぞれ同じタイミングで椅子を引いて、座るのもほとんど同じタイミングだった。
二人とも身ごなしがすごくきれい。
そんな二人の後ろにくっついてきた私は、どっちの隣に座っていいのかわからなくて、扉の前でまごついてる。
カレカが「こっち」って目で合図してくれるまで、どっちの席に座っていいかも分かんなかった。
こういうの、すっごく格好悪い。
でも、そっか。
今日は私、お客さんなんだ。
引いてもらった椅子に座る。
学校の椅子に慣れてるから、ふかふかで変な感じ。
それに、すぐ隣に座ってるギヘテさんがにこやかなのもちょっと違和感。
さっきまでの不機嫌な感じを嘘みたいにひっこめたジゼリオさんも、なんだか不気味で居心地悪い。
「少し涼しくなってきましたね」
「えぇ。でも、学校の寮は少し冷え込むので夜は苦労しております」
「今しばらくの辛抱ですよ」
とかなんとか、世間話みたいなのが始まって。その間にピエリさんとセレさんがお茶を煎れてくれた。
ちゃんとしたお茶なんて、ほんとに久しぶり。
食堂ではよくて香りのとんだお茶。それがないときは湯冷ましだったから、お茶が飲めるってだけで、すごくうれしい。
シロン産の発酵茶葉に比べて色は濃いのに口に含むと渋みは薄くて、そのままだとちょっと物足りないかな。
でも、ミルクで煮出したら美味しいかも。
どこの茶葉だろう?
すごく好み。
お給料もらったら買いに行こう。あとで銘柄教えてもらわなくちゃ……
「いい香りね。トアスかしら?」
「御明察です」
そう思ってたのに、隣に座るギヘテさんは香りだけで銘柄を言い当ててた。
身ごなしっていうか所作っていうか。振舞いもマナーの教本みたいだし、馬車もすごかったし。
ほんとに学校にいるときとは別人みたい。
やっぱり、ギヘテさんのお家っておっきいのかな。
お茶についてやりとりするギヘテさんとカレカは、すごく様になってて。
なんていうか、ギヘテさんは全体的に優雅だし、カレカだってぴちっとしてて格好いいし。でも、それがなんだか面白くない。
私だってカレカと話したいのに。カレカは私よりギヘテさんと話したいのかな。でも、ギヘテさんはお客様だし。
でも、私だって今日はお客様なんだよね?
自分でもよくわからない気持ちは、お腹の中でぐるぐるまわる。
変なやきもち焼いて、子供みたい。
「野外演習が終われば非番も始まります。それまでの辛抱でしょう」
「だとよいのですが……」
そんな私の隣に座るギヘテさんがジゼリオさんと向き合う姿は、もう大人みたい。
私と話す時はいつだってとんでもない仏頂面のジゼリオさんも、ギヘテさんと話す時は穏やかに笑ってる。
別にお屋敷が自分の家だなんて思ってないけど、少なくとも、今この場では私はよそ者で。だから、カップをソーサーに置く音も二人の邪魔になっちゃいそうで。
そんな私は手で包むみたいにカップを持ったまま、静かにしてるしかなくて。だからって、話に口を挟む隙間なんかもちろん。気持ちの行き場もなくて、仕方なくもう一口お茶をすする。
一口目は渋みが少ないと思ってたのに、二口目はなんだか苦かった。
カップのお茶が半分くらいになったところで、お茶受けのフィナンシェが置かれた。
二人の会話は途切れることなく続いてる。
ほんとは、お茶会の席で一人でだんまりってあんまりよくないけど。でも、割り込んでいける雰囲気なんかないし。
なにより、焼菓子なんて久しぶりだもん。
お話の邪魔をするより、お菓子食べて静かにしてる方が子供な私にはお似合いだよね。
一口かじるだけでバターの香りがふんわり広がった。
うん、美味しい!
お皿にはもう一個あるし、これはお茶と一緒に……って、あれ?
「あの、どうかしましたか?」
視線を上げたら、ジゼリオさんもギヘテさんも私をじっと見てた。
コゼトさんもピエリさんも。背中側だけど、多分カレカとセレさんも。部屋中の視線が私に集まってる。
「お前、学校でもそんな感じか?」
「……あの、ごめんなさい。みっともなくて」
向かいに座ってるジゼリオさんは大きくため息をついた。
そんなにがっかりされちゃうほど、みっともなかったのかな?
「学校ではしっかりしてらっしゃいますよ。繕い物も手馴れてますし、走るのも速くて。それに、学業でも野外演習の実行委員に選ばれるほどですから」
フォローしてくれるのは嬉しいけど、ギヘテさんのそういう大人な感じが胸にちょっぴり痛い。
やっぱり来なければよかった。
「そうでしたか。では、今日いらしたのは野外演習についてのお話ですか?」
「えぇ。輸送手段について少し困っていまして、お力を借りられるかもしれないと、トレ様から提案がありましたの」
「そうなのか?」
「……はい。そう、です」
急に話題の中心に据えられて。しかも、その前から視線は集まってるなんて、話しにくいよ。
ジレのお屋敷に行くって言ったのは私だけど、こんな思いするなんて思ってなかった。
唇が重い。
緊張で喉の辺りが強張ってくる。
ちゃんと話さなきゃいけないって、頭の中で言葉を選べば選ぶほど、話しだせないよ。
重くなった沈黙は、身体にのしかかってきて。だから、どんどん話しにくくなってく。
もう、どうしていいのかわかんなくなっちゃって。背中がきゅーって丸くなって。でも、そしたらすぐ後ろでがしゃんって音がした。
「あ、すんません」
その音にかぶせるみたいに、カレカの声が聞こえた。
皆の視線が私から、音のした方に向いた。もちろん私も振り返る。
そしたら、カレカが配膳用カートに足を引っ掛けてて。その上にのってるポットから、ちょっぴりお茶がこぼれてた。
誰もなにも言わないけど。
でも、皆――私も含めて、部屋にいる全員が全員、「あ、これわざとだ」って思うくらいはっきりと
っていうかね。
カート蹴ったでしょ。
ちょっと上がってた足が戻るとこ、見ちゃったもん。
きっと、皆も見てたよ。
カレカのしたことに、さっきまでの沈黙とは全然違う雰囲気の。なんていったらいいのか、間が抜けた感じで、皆が静かになって。
でも、そんな沈黙は「ぷっ」って、すぐ隣から吹き出す様な音でなかったことになっちゃった。
「あはは。この屋敷はほんとに変わったね。面白くなったよ」
きっと、笑いだすのを我慢して。でも、うまくいかなかったんだろうね。
ついさっきまで、御令嬢っていう感じだったギヘテさんが、学校にいる時みたいに笑い出した。
私にとってはこんな感じのギヘテさんの方が見慣れてるけど、お屋敷の皆にとってはそうじゃなかったみたい。
「ギヘテ。お前……」
「いや。だって、おかしいじゃないか。人間嫌いのジゼリオが、こんな粗忽な使用人を雇うなんて」
呻くみたいなジゼリオさん。
……あの。ギヘテさん、笑いすぎ。
あと、カレカは粗忽なんかじゃないよ!
急に足組とかしちゃうギヘテさんの方がよっぽど粗忽だって思うよ。
「猫を被るのはもうやめだ。トレ、この偏屈親父に要件を教えてやりなよ」
「……誰が偏屈だ」
親父は否定しないんだね。
って、変なとこに感心してる場合じゃなかった。
きっと、あとで絶対怒られるのに、嫌な空気に穴を空けてくれたカレカの気持ちを無駄にしちゃ駄目だもん。
「えと、ジゼリオさんにお願いしたいのは……」
学校の中で色んな人とネットワークを作っちゃうホノマくんはすごいとか。
ギヘテさんが大人っぽくて、気品があってとか。
将来を約束した男の子と一生懸命なアカテさんとか、もうすぐ赤ちゃんが生まれるって笑ってたアールネさんとか。
すごいなって思って縮こまってても仕方ないもん。
今、目の前の出来ることを精一杯やらなくちゃ!
今回は、お屋敷の変化をめぐるエピソードをお届けしました。
お客様として御呼ばれしたとき、時々思うんですけど。
お茶うけって、どれくらい食べていいものなんでしょうかね。
主人公は手を付けてため息されちゃいましたが、手を付けないのも失礼なんじゃないかって思ったりもします。
手作りのものを出した時とか、食べてもらえないと寂しいですし……。
でも、自分がお客様の時は食べれなかったりもしています。
うーん。
次回更新は2014/03/28(金)7時頃、正装してお出かけするエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




