72.環境が変わると誰でも不安になるもの
学校の前でクイナに、その……ちゅーされてから一晩明けた。
口の中はまだ気持ち悪いし、喉の奥の方がいがいがする。
胸の辺りの痛みもずきずきって自己主張してくるから、絶好調とは言えない。
言えないけど、野外演習まであんまり余裕もないし、お休みする訳にいかないんだよね。
「トレ、顔色悪いよ」
「無理しないで医局に行きなさい。委員会の仕事なら、私達だって手伝えるんだから」
胸の痛みが気になって、もたもた着替えてたらチギリさんとクルセさんが声をかけてくれた。
消灯時間すれすれだったのもあると思うけど、二人とも昨日も。それから今朝も、なにもきいてこない。
それがすごく嬉しいんだ。
何回もあんなの思い出すなんて嫌だもん。
「ありがとうございます、二人とも」
「無理しちゃ駄目よ」
「はい」
ただでさえ人数が少ないこの部屋。
学校ではなんでもかんでも部屋単位だから、私がいないとほんと大変なはずなのに気遣ってくれる二人
って、ほんとに大事な友達だよね。
「じゃあ、今日も一日外に出てます。よろしくお願いします」
「うん、行っといで」
二人に恥ずかしくない様に頑張ろう!
……と、思って部屋を出たんだけど。
なんだろう。
もう、心折れそうなんですけど。
校門に横づけされたのは四頭立ての馬車。
真っ白な金属製の車体はあちこちが金の象嵌で飾られて、前世で見た絵本から飛び出してきたみたい。
後ろ側にある御者席から降りてきた人も、その隣に座ってた人――銃と剣で武装してるから、護衛かなにかなのかな?
どっちも馬車と揃いの白い服で、ぴしーっとしてる。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
「ありがとう」
二人にかしずかれたギヘテさんは、間違いなく御令嬢だった。
整容規定通りのおかっぱ頭はちょっと様にならないけど、それでも人にかしずかれるのに慣れてる感じがする。
全然知らなかったけど、ギヘテさんちっておっきなお家なのかな?
こんな馬車で外出しなきゃいけない人って、どんな身分なんだろう。
こんなぴかぴかの馬車なんて、物凄く悪目立ちする気がするし。そこから降りてくる自分なんか想像も出来ない。
南部のワインを運ぶ荷馬車が懐かしいな。
男の人と並んでも目線がほとんど変わらない身長と、紺色の制服――見習いだって目印のはずなんだけど。そんな制服を着てるのに、ギヘテさんはすごく大人びて見える。
打ち合わせなのか世間話なのかわかんないけど、三人で話してると大人同士って感じ。
美人さんっていう訳じゃないけど――って、失礼な言い方だな。とにもかくにも、背筋をぴんと伸ばして立つギヘテさんはすらっとしてる。
私だって食事に出てくるミルクは毎日残さず飲んでるし、魚だって大好き。
運動だって一生懸命してるんだけど、寮で同じように暮らしてるギヘテさんばっかりにょきにょき背が伸びるのはなんでだろ?
神様って不公平だ。
まぁ、神様をどうにかするためにこの世界に来たんだし、嫌われてても仕方ないんだけどさ。
「早く乗りなよ」
「あ、ごめんなさい」
ぐるぐるどうしようもない考え事してた私の手を、さりげなくひいてくれるギヘテさん。
私もこんな感じになりたいよ。
馬車に乗ってすぐ、滑るみたいに――ほんとに、揺れもしないし馬のひづめの音しかしないくらい静かに走りだした。
高級車はやっぱり違う!
クッションがよくきいてふかふかの座席に落ち着かないお尻をなんとか押し込んで、ギヘテさんと向き合うように座る。
身長差があるのには気づいてたけど、座高はそんなに差がないんだね。
……もういいや。
ちんちくりんでもいいや。
この人が特別なんだって思うようにしよう。
私のお尻が落ち着くのを待ってる間、ずーっと私の顔を見てたギヘテさんはなんだか楽しそうに笑ってた。
人の顔見て笑うって失礼だと思うんだけど。
まぁ、いいけど。
「……んで、書面での面会申し込みははねられた」
「まぁ、そうですよね」
馬車の中での話題は、私とホノマくんが参加できなかった昨日の夜の打ち合わせの報告だった。
私とホノマくんがトラブルに巻き込まれてる間も、委員会の皆はきちんとお仕事してて、ギヘテさんも移送計画を作ったり、移動のための手続きとか。
主に足回りの準備をしてくれて。
そっちの方はほとんどトラブルなし。
でも、車輌を借りるために面談を申し込んだハセンさんからの返事は芳しくなかったみたい。
「あんたの名前、ほんとに効果なかったな」
「……だから言ったじゃないですか」
軍隊の組織図を考えたら、ハセンさんはトップもトップ。私達なんかもう末端も末端。
みそっかすみたいな扱いの士官候補生からの面談申込みなんて、通りっこないんだよ。書面自体は正式な様式でも、無視されちゃうに決まってる。
それに、取次の人が私の名前知ってるなんて、それこそ奇跡みたいな確率だろうしさ。
そんな低い確率なのに名前を責めるのは、あんまりだよ。
「んで、どうするつもり?」
「正面から入れてもらえないんですから、裏口から行きます」
お仕事と関係ない人間関係を持ち込むのとか、ほんとはずるだと思うけど。
でも、やるだけはやってみないと。
成り行きだったけど、交渉するってギヘテさんと約束したし。パパトさんとの燃料に関する交渉も終わっちゃってる。
今更後に引けない。
「ジレのお屋敷に向かってもらえますか?」
「わかった」
こんこんって軽く壁を叩いて、御者さんにギヘテさんが目的地を告げる。
そしたら、窓――っていっても、のぞき穴みたいに細いスリットがあるだけなんだけど。
そこから見える景色の流れる速度が少しだけ早くなった。
四頭立てだからなのか、車体がすごいのか。どっちかよくわかんないけど、普通の馬車より早い気がする。
高級車って、やっぱり違う。
……のかな?
馬車はあっという間にジレのお屋敷に着いた。
着いたは着いたんだけど
「あの、ごめんなさい」
「なにが?」
お世話になってるのにこんな言い方はよくない気がするけど、ジレのお屋敷の敷地はちょっぴり手狭で。だから、ギヘテさんのお家のおっきな馬車はエントランスまで入れなかった。
なんだろう。
すごく恥ずかしい。
「馬車、門まで入れなくて」
「そんな事?」
真面目に謝ったつもりなのに、ギヘテさんはぶははって笑った。
「別にあんたが謝らなくてもいいと思うよ。ここんちの当主は代々偏屈なんだ」
「だ、代々……」
そんな、見てきたみたいに言われてもって思うのと、まぁそうかもって思うのと半分つくらい。
お屋敷の主だったデアルタさんと、そのお兄さんのジゼリオさん。
どっちも気難し屋さんだったもん。
代々だったらなんとなく許せる気は……まぁ、あんまりしないけど。
半年ぶりのお屋敷はずいぶん変わってた。
庭の生け垣は少し低い位置まで刈り込まれて、全体的に見通しがよくなってる。
春先も抑えた色合いの花が中心だった花壇には、明るい色の花が植えられて、ほんとに別のお屋敷みたい。
「随分変わったな」
馬車を降りてすぐ、ギヘテさんもなんだかびっくりしてた。
お屋敷の関係者の私だってびっくりしたくらいだもん。前のお庭を知ってたら、誰だって驚いちゃうんじゃないかな。
って、あれ?
「あの。ギヘテさん、お屋敷に来たことあるんですか?」
「馬鹿に連れられて、何度か来てる」
馬鹿?
褒めてる様には聞こえないけど。でも、ちょっぴり楽しそうに笑うギヘテさん。
学校ではそんな風に笑わない。少なくとも、私の中にはそんなイメージがあるんだけど。
でも、笑うとなんだか可愛い。
「ほら、行くよ」
「あ、待ってください!」
背が高いギヘテさんの一歩は大きくて。スタートが少し早かっただけなのに、歩幅の差でどんどんリードを広げてく。
少し遠いギヘテさんの背中を追いかけて、足をちまちま動かして。
でも、一歩踏み出す度に痛む胸の辺りを気にしながらお庭を歩いてたら
「あと一ヶ月もしたらお嬢様が帰ってくるんだから、それまでに仕上がらないと困りますよ!」
「わかってるよ。ったく、ここんちはお嬢さんに甘いんだからなあ……」
女の人がおっきな声を張り上げて。そんなおっきな声に負けないくらい太い声で男の人が答えてた。
剪定用の大きなはさみを肩にかけてるから、男の人は庭師さんかな?
おっきな声はセレさん。
相変わらず元気みたいでよかった。
それにしても、お嬢様がいるなんて知らなかったけど、もしそうならジゼリオさん結婚してたって事だよね?
野外演習が終わったらお休みももらえるし、そしたら奥さんにもちゃんとご挨拶しないと……。
って。
考えてみたら、私ってちょっと難しい立場なんじゃない?
奥さんがいて。その娘さんがいて。二人にとって、ジゼリオさんが連れてきた私ってどんな存在なんだろ?
仲良くできるのかなあ……。
ジレのお家のお嬢様だし、あの兄弟みたいにおっかない人かも。
ライオンみたいなすごい目つきでさ
「貴女が居候?
よそ者相手に言葉を選ぶなんて、馬鹿馬鹿しい」
とか言われちゃったりして。
だとしたら嫌だなあ。
「おかえりなさいませ、トレ様。ギヘテ様もようこそお越しくださいました」
「ただいま、セレさん」
胸の痛みとかジゼリオさんの娘さんの事とか、重りがついたみたいな足でとぼとぼ歩いてたら、庭師さんと大声で話してたセレさんが気づいてくれた。
お部屋付きの時はつんて澄ました感じだったけど、お庭ではこんな風に笑ったりしてるんだね。
少し先行くギヘテさんとセレさんが話してるとこにようやく追いついたんだけど
「セレ、久しぶり。旦那様は?」
「ご在宅です。少々お待ちください……トレ様も、待っててくださいね」
私の顔を見てすぐ、セレさんは口元をおさえてドアの向こうに消えてった。
お屋敷にいた頃とギャップがありすぎて、ちょっとびっくりしちゃう。
「あの子、いつもあんなだったかな?」
「前はもっとしかつめらしかった気がするんですけど……」
「うん。私もそう思う」
やっぱり、ギヘテさんもそう思うんだね。
なんだか変化が激しすぎて、こっちが不安になっちゃう。
これで、コゼトさんが明るく楽しい人になってたりしたら、笑うの我慢出来ないなあ。
慌ただしくセレさんが扉の向こうに消えてって少しして、がこんって重い音を立てて扉が開いた。
「いらっしゃいませ、お嬢様方」
「あ、え?あれ?」
背筋がぴんと伸びたその人は、私が知ってるようなどことなくラフな印象じゃなかった。
お屋敷の皆を取り仕切るコゼトさんと同じ、黒くて裾の長いベスト――執事さんが着てるのをよく見るけど。
そんな、どこかかしこまった服を着てて。服と同じ真っ黒な髪に雪みたいに白い肌がはっきりしたコントラストで。
そこまではなんとか見覚えがあるんだけど。
シャツもきちんとのりがきいてぱりぱり。
真っ白な手袋にもしみ一つない。
礼儀作法っていう部分では私よりコゼトさんに怒られてたはずなのに、どうしてこんな
「ギヘテお嬢様。お館様は患者を診ておりますので、しばしお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、もちろん。だが、今日は……」
もっと不機嫌そうに話してたのに、なにその笑顔!
なんでそんな社交辞令をさらっと話してるの?
空いた口がふさがらないって、きっとこんな感じ。
もう、なにがなんだかわかんない。
家令のコゼトさんに負けないくらい仰々しいカレカはまぶしいくらいきらきら。
なんだこれ。
なんなの、これ?
「ご案内いたします」
「ありがとう」
扉を開けてギヘテさんをエスコートするカレカ。
エスコートされる方もエスコートする方もきちんと様になってて、淑女をお出迎えする紳士そのもの。
でも、なんか面白くない。
「ギヘテ嬢、恐れ入りますがこちらでお待ちいただけますか?」
「あぁ、わかった」
案内されたのは、お屋敷で一番立派な客室。
そのドアの前でお腹の辺りに手を当てて、すってお辞儀。
もう、全然似合ってない!
……とは言わないけど。でも、なんかすごい違和感だよ。
でも、案内されたギヘテさんは極々自然な感じでお部屋に入って、そこからはピエリさんが引き継いでた。
私がお屋敷を出る前は、カレカだって扉を後ろ手に閉めたりしてたのに、音もなく扉を閉めるなんてほんとに別人みたい。
「あの。カレカ、なにかあったんですか?」
「なにって。来客を迎えに来たのですよ」
いや、そうかもしれないけど。
そうじゃないんだってば!
「だって、なんか変です!」
「似合わないですか?」
「そうじゃないですけど。なんか、言葉遣いとかも……」
そんな風に話されたら、なんか緊張しちゃう。
だって、カレカが正装してるところなんか見た事なかっもん。
それなのに口調まで変わっちゃってるなんて、ほんとに別人だよ。
軍隊の礼服着てるところはみた事ある。
すごく格好良かったし、その時も別人みたいって思っちゃったけど、そういうのと全然違う。
今はなんだか、静かで落ち着いた雰囲気のお屋敷に溶け込んでるみたい。
私なんて、お屋敷に馴染む間もなかった気がしてるのに……。
お客さんのはずのギヘテさんも堂々としてたし、セレさんはお庭でジゼリオさんの娘さんの話してたし。
それでカレカまでお屋敷の人みたいになったら、私だけよそ者みたい。
そういうの、寂しい。
胸の辺りがきゅーってして。自分でも、眉毛が真ん中に寄っちゃってるってわかるくらい嫌な気持ち。
「お前、また訳わかんないこと考えてるだろ」
「考えてまひぇん」
ちょっと、鼻つままないで!
痛い。
鼻とれる!
うぎーってカレカの腕を引っぱってみるけど、胸の辺りと引っ張られた鼻が痛くなるばっかりでびくともしない。
格闘技の訓練だって受けてるし、それなりに力だってついてるはずなのに、どうしてこんななんだよ、もう!
鼻も胸も痛くて、いーってなっちゃってる私。なのに、鼻をつまんでる本人は、ギヘテさんを迎えた時の澄ました感じで笑ってた。
あー、いらいらする!
「ちび、ちょっと力強くなったか?」
「ほりゃ、ふんれんひてまふもん」
鼻つままれたままだから上手く話せないじゃんか!
せっかく会えたから、たくさん話ししたいのに……。
もう、なんか泣きたくなる。
涙なんか出ないけど。
「ごめん。泣くなって」
「泣いてませんよ」
「まぁ、涙は出てないよな」
「そうですよ」
頭をぽんぽんってしてるけど、そんなんでごまかされないからな。
ごまかされないからって、なにする訳でもないけどさ。
「とりあえず」
「はい」
「おかえり、ちび」
さっきまでの取り澄ました感じじゃなく、にーって笑うカレカ。
「ちびじゃないですってば!」
半年でちょっとは身長伸びたし、体重だってちょっと――なんて言えないくらい増えたんだから。
ちびって言うな!
今回は、久しぶりに幼馴染くんが登場するエピソードをお届けしました。
執事さんが来てる服って、正式にはなんていうんでしょう?
資料を当たってみると、平服での勤務が認められていたって書いてあったりするんですよね。
まぁ、平服とはいえ、失礼がない服装ではあったはずなんですけど。
『黒執事』の映画であの人が来てたのは、日本独自の風俗なのかなあ……。
難しいです。
次回更新は2014/03/19(水)7時頃、主人公が余計な心配をするエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




