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68.人は時間とともに変わっていくもの

 士官学校に入学して五ヶ月。

 帝都に来てからだともう半年より長く過ごしてるんだけど……。


 だけど。

 だけどね。


「おい、トレ。ふらふらしてると危ないって!」

「はえ?」


 ぐいーって右手を引っ張られて、身体が傾いて。あんまり急だったから、踏ん張るひまなんかちっともなくて。

 そのままよたよたふらふら。

 そんな状態の私が立ち直るより早く、身体のすぐ近くを車が走り抜けてった。


「あぶねえぞ、馬鹿野郎!」


 がらがら声と黒い煙を置き土産に通り過ぎる車をぼんやり見送ってたら、またぎゅって引っ張られる。


「ほら、こっち」


 ホノマくん、痛いってば!



 人――っていうか、男の人に触っても大丈夫にするために、バスで皇宮に出かけるのが精一杯。

 帝都を一人で歩いた回数なんて、指で数えるくらいの私。



 綺麗な街並みと見た事もない物を売ってるお店。それから、たくさん通る自動車。

 手元には、今日中に回らなくちゃいけない商会のリスト――予定より早く進んでるから、次が最後の一軒なんだけど。

 でも、なにを扱ってるのかのメモがあって。色々なものが一辺に飛び込んでくるから、どこ見ていいのかちっともわかんなくて


「トレ、そっちじゃないって!」

「ご、ごめんなさい」


 あっちふら、こっちふらする私をその度にホノマくんが呼び戻してくれるけど、なんかもう。

 私、気づいたらぺちゃんこになっちゃってる気がする。



 そもそもさ。

 帝都の道路って、馬車とか車とか。もちろん歩いてる人も多くて。それなのに、歩道ないから、元から危ないんだよね。

 私がおのぼりさんだからじゃないんだよ……うん。



 フフトの町では大きい方だったホノマくんち――というか、ハーバ商会の商館。

 小さい頃の記憶だからかもしれないけど、すっごく大きい建物だって思ってて。でも、州都で暮らす事になって、もっと大きな建物の商館を見て、びっくりしたのもちょっと前の話。

 まだまだびっくりしててもおかしくないと思うんだけど


「はー……おっきい建物ですね」

「何度目だよ」


 なんて、一人で感心してたら、ホノマくんに笑われちゃった。


 だって、五階建ての建物なんて、なかなかないよ!

 ……少なくとも、南部ではほとんどないもん。


 あんまり高いと雪で潰れちゃうかもしれないし。あと、雪が落ちた時、下にいる人がひどい目に合うかもだしさ。

 まぁ、細かい理由とか全然知らないけど。

 でも、高い建物って、珍しいと思うんだけどな。


 ……笑いたきゃ笑えばいいじゃん!



 そんな、五階建ての商館――ペベーデ商会の御主人は、なんて言ったらいいのか。ガマガエルみたいな人だった。


 ふくよかって言ったらいいのかな?

 それとも、こう。

 なんだろう。


 脂身をたくさんとるためにぶくぶくに太らされちゃった子豚みたいに、あちこちたるみにたるんだおじさんが、黒く磨き上げられたオークウッドの救えの向こうでにこにこしてる。


「あの、小さかったホノマ坊が軍人さんか。立派になったね」

「ありがとうございます。パパトおじさん」


 普段、ものすごいしかめっ面な時が多いホノマくん。

 なのに、今日はものすごくいい笑顔でカエルみたいなおじさんにご挨拶。


 なんか別人みたい。


「そちらのお嬢さんは、例のコービデのお気に入りの子かね?」

「……えと。コービデさんとは仲良くさせてもらっています」


 水を向けられたから、お屋敷で習った通り、きちんとお辞儀したんだけど。パパトさんは「ふんっ」って鼻を鳴らしただけ。

 その後は、私の方を見もしなかった。


「それはそうと、ホノマ坊。南部で塩田を見つけたそうじゃないか。大手柄だな」

「商機を見誤るなとおじさんが口を酸っぱくして教えてくれたおかげです」

「そうかいそうかい」


 南部の塩――って事になってるけど、ほんとはクリーネ王国から運んできてる塩なんだけど。

 真っ白で、料理の味がよくなるって評判らしいその塩のおかげで、ハーバ商会はずいぶん大きくなったみたい。


 そんな難しい話が二人の間でびゅんびゅん飛び交って。

 もう、大人の世界っていう感じのそのやりとりにちっとも入れないままだったんだけど


「それで。今日の要件は?」

「例年、軍の野外演習にご支援いただいているとききまして。そのために来ました」

「ふむ」


 急に話の流れを断ち切ったパパトさんは、ホノマくんの返事にたるんだ顎を伸ばすみたいにむぎゅーっとつかんで左右にむにむに。

 その様子がなんだかおかしくって、奥歯をぎゅーって噛んでないと吹き出しそうになっちゃった。


 ちょっとひょうきんな感じに早変わりしたパパトさんは、でも、やっぱり数字をきちんと見てる商人だった。


「例年、この時期に取引があるっていうのは喜ばしい限りだが、少しずつ取引量が細っていてね」


 顎をむにむにするのをちっともやめないまま、パパトさんはいくつかの数字を上げてく。

 その中にはガラス容器の保存食の注文数も入ってる。


 ガラス容器は南部ではもう使われてない――温度変化に耐えられないからなんだけど。それが帝都まで同じ事情なのかはわかんない。

 わかんないけど、今回の発注についても瓶詰のものは缶詰に置き換えようと思ってる。


 煮炊きに使う器具の持ち込みを少なくして、その分、軽快に移動しようっていうのがギヘテさんが立てた輸送計画の大事なところ。

 缶詰なら直接火にかけられるから、荷物がちょっぴり減る。


 なにより、瓶より軽いしね。


 訓練生の私達が考えつくくらいだし。もっと偉い人達にも同じように考える人がいたって不思議じゃない。

 それを見越したみたいなパパトさんの言葉に、お腹がきゅーっと冷えてく。


 これ、どうするの?

 ご機嫌損ねちゃ駄目なんだよね?

 だって、瓶詰だっていらない訳じゃないんだよ。

 どうするの、ホノマくん。


 もう、どうしていいのかわかんなくて、ちらっとホノマくんを見たら、ぱちって目が合って


「そうですね。軍としては缶詰を携行食の主力にしようとしているようです。軍で一般化すれば、市井に広がるのも早いと思います」


 なんだか決まりきった話みたいにホノマくんはパパトさんにそう言い切っちゃった。


 それ、大丈夫なの?

 もし違っちゃったらどうするんだろう。


 でも、ホノマくんは堂々と胸を張ってて、高い位置にある背中がなんだか頼もしくて……。でも、ホノマくんって、前からこんな感じだったっけ?


 どんなに私が戸惑ってても、二人の話はまだ終わってなくて


「瓶詰はうちの主力だから、そうなるとたまらないな」

「なにを弱気な……。ペベーテには缶詰製造に必要な塗料の扱いがあったはずです」

「ふむ。ならば、それの値を釣り上げるかな?」

「それは逆効果でしょう。

 缶詰を生産する装置はシノワズの独占。

 その生産原料をペベーテはどこにも出来ないくらい安く売るのです」

「利益を削れというのか?」

「結果的には。ですが、そうする事で缶詰生産に関わる一角を独占する事が出来ます。

 その分野で高い利益を上げる必要はありません」

「では、それ以外に活路があるというのだな」

「塗料の売れ行きで缶詰の流通量をはかる事が出来る。その情報を手に出来るのは大きいはずです。

 流通量を予期出来れば、おのずと見えてくるものもあります。

 例えば、瓶詰の封に使用しているコルクと違い、缶詰は開封に特殊な道具がいります。

 それを独占生産できれば如何です?」

「悪くないだろうが、行き渡れば先はないな……。しかし、周辺に商機があるというのは確かだな」

「はい」


 二人の話はわーっと進んじゃって、私にはよくわからないまま。

 だけど、話が終わりに差しかかる頃には、パパトさんも顎をむにむにするのをやめて、ホノマくんに向かって身体を少し乗り出すみたいになってた。


 普段はどっちかといえば寡黙な印象のホノマくん。

 なのに、今日はものすごくおしゃべりで。しかも、大きな商館の偉い人を相手にあんな風に自分の考えを話せるなんて……。


 ほんとに、なんだか別人みたい。


「それから。今回は自動車用の油を少し多めに買付けたいのですが、流通量そのものが少ないので、入手に難儀しています」

「ホノマ坊のためだ。手配しよう」

「価格についても、その……」

「わかった。それなりに色をつけるよ」

「ありがとうございます。発注量については、こちらのアーデ候補生が後程書面でお知らせします」

「早めにな」

「あ、はい」


 結局、私は自分の言葉を話さないまま。ただただ立ってるだけだった。



 その後、いくつかの話題でホノマくんとパパトさんが話をして。その間ずっと黙ったままだった私。


 なんか、ホノマくんにくっついてきただけみたい。

 こういうの格好悪いよ。


 別に誰が悪い訳じゃない。

 っていうか、私がなんにも知らないのが悪いってだけなんだけどさ。



 ペベーテの商館を出て、大きな通りまで少しだけ歩く。

 少し前にあるホノマくんの背中はいつもより大きく見えて。元からそんなに大きくない私の背丈は、きゅーって縮んじゃったみたい。


 それがちょっぴり苦しくて、下を向いて、自分の足だけ見て歩く。

 南部で一緒に勉強したんだし、士官学校でだって同じ勉強をしてきたはずなのに、どうしてこんなに差があるのかな?


 私もいつか、あんな風にわーってしゃべれる様になるの?

 ……そんな未来、きっと来ないよ。


 後ろ向きな考えがぐるぐるぐるぐる胸の辺りをしめつけて、そんな考えばっかりが回転する速度を上げて。そんな上がった速度のせいで視界はどんどん狭くなって。

 それで



 どん



 ホノマくんの足が視界に入ってきたのと同時に、おでこの辺りに硬い布地がぶつかった。

 私が着てるのと同じ、紺色の制服。

 だけど、少しだけ潮のにおいがした。


「トレ。酷い顔してるぞ」

「うぇ!?」

「干からびたかえるみたいだ」


 物凄く近い位置で向き合った私達。

 距離が近すぎて、見上げても顔が見えないくらい。そんな距離で、頭の上から降ってきたホノマくんの言葉はものすごく失礼だった。


 ほんとにそんな顔してるの?

 ぺたぺたって顔を触ってみるけど、乾燥してる感じはしない。


 だましたなって思って、ちょっと離れたら。ホノマくん、なんかにこにこしてんの!


 うぐぬぬ。

 人の事、そんないい顔で笑うな!

 いっつも無愛想なくせに!


「トレ、自分が役に立たなかったとか思ってる?」

「そりゃ……、そうですよ。お話の間、なんにもしないで立ってたんですよ、私」


 自分で言っといてなんだけど、胸にちくっと刺さる事実。

 でも、ホノマくんはふわっと――ほんとに、ふわっと口元だけ柔らかくした、なんだか大人みたいな表情で笑って。

 それから、私の頭をぽんぽんって軽く叩いた。


「トレは今日、自分の役割をちゃんと果たしたよ」

「どういう事ですか?」

「おれを支えてくれたろ」

「はい?」


 そういうの、なんもした覚えないけど?


 なにがなんだかよくわかんないまま、ホノマくんに手をひかれる。

 さっき、私がふらふらしてた時とは違う。


 ぐいっとかぎゅーとかじゃなく、ちょっと優しい力加減。

 こういうの、ちょっぴり恥ずかしいんだけど……。


「この間、連れて行きたいところがあるって言ったの覚えてる?」

「はい。……って、今日。これからですか!?」

「そ」


 短く言ったホノマくんは、前を見たまま「走るぞ!」って、路面バスに向かってばーって速度を上げてく。


 あの……あれ?

 路面バスって、こういう乗り方でいいの?

 外側の手すりに二人でって、ちょっと危なくない?


 っていうか、ホノマくん。

 これ、地面近いし怖いってば!


 下を見るだけで落っこちそうで、もう怖くて怖くて、だから両手でぎゅーって手すりをつかんでたら、ふわって背中があったかくなって。

 なんなの!?って思ったら、ホノマくんが包み込むみたいな形で守ってくれた。


 あの、ホノマくん。

 路面バスにはちゃんと乗ろう。

 こういうの、すごい危ない。

今回は、交渉事をするのを見てしょんぼりするエピソードをお届けしました。


自分が全部出来なくてもいいって、小さい頃から何回も実感しているはずなのに。

それでも、自分が役に立たないとしょんぼりしちゃう。


主人公はそんな子です。


まぁ、頑張れ(他人事か



次回更新は2014/02/21(金)7時頃、お仕事をちょっとお休みするエピソードを予定しています。


更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。

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