66.準備が一番大変だよね
士官学校に入学して五ヶ月目。
南部だったら少しずつ秋の気配が強くなって、朝夕はなにかはおらないと肌寒いって感じる頃なんだけど。
もう、なんか。
帝都はまだまだ温度が低い蒸し風呂にいるみたいな気分になっちゃうくらい暑い。
前世の記憶にある夏に比べれば、湿気がない分いいのかもしれないんだけど。
それでも、過ごしにくいっていうのはほとんど変わんない。
しかも、夕方と夜の境目くらい――一日の中では涼しい時間帯のはずなのに、全然手加減なしって感じ。
ほんとならこの時間帯はもう余暇の時間だから、寮のお部屋だったらだらだらな格好でもいいんだけど
「おい、トレ。きいてるか?」
「……ごめんなさい。きいてませんでした」
校長先生からのご褒美――なのかなんなのか。
野外演習の準備は、まだまだ全然進んでなくて。
だから、上級生が集まるサロン――っていっても、男子寮と女子寮と座学をする校舎を結ぶ通路の一角を軽く仕切った空間なんだけど。
その隅っこで、ホノマくんと打ち合わせ。
他に男子と女子が打ち合わせできるスペースとかないんだよね。
仕切ってあるっていっても、ほんとに仕切ってあるだけで。
なんか隙間も多いし、ほとんど外と変わんないの。
さっきから蚊もぶんぶんいってるし。
ポットがあるからお茶くらいは好きに飲めるけど、サロン的な要素なんかほとんどない。
それにね。
正直、もう眠いんだよ。
ごめんね、ホノマくん。
「おい、寝るなって!」
「……寝てませんよ」
うそ。
ほんとは寝てました。
第一から第七まで、各士官学校の新入生全員が、帝都から鉄道で東に一日のヘリテ駅まで行って。
そこから歩いて半日くらいのところにあるサンテ山と、その周りに陣地を構築。
三日間の野営中にいくつかの競技演習をするっていう、毎年恒例の行事。
その実行委員長をするっていうのが校長先生からもらったご褒美。
……だったんだけど、仕事が増えただけで、なにがご褒美なのかなって思っちゃう。
思っても、無理やり飲み込むしかないんだけどね。
なんか、煮込みの甘いスジ肉みたいでのどに詰まりそうだったけど。もう、ほんと無理やり。
校長先生のお話的には、この実行委員会ってものすごく名誉らしい。
今年の学校総代を務めるジデーアさんもやった事があって……っていうとこまでは覚えてるんだけど。
でも、話しが長すぎて、なんだかよくわかんなかったんだよなあ。
う~ん。
「とにかく、委員会は男女各三人。やってくれる奴を集めるところからだな」
「……これ、やりたい人なんかいるんでしょうか?」
もらった資料を見た感じ、他の学校だけならまだしも。
実際に働いてる軍隊の人とか、軍隊とあんまり関係なさそうな商会とか。
あと、そういうところから届いた荷物の仕分けとかも含めて、全部新入生でやらなくちゃいけないって書いてある。
私達第七校が準備するのは野営中に必要な資材のほとんど。
テントとか寝るときに使う毛布にご飯のセット――戦闘携行食っていうんだけど、それをどれくらい用意するのかとか。
価格はどれくらいで、どこで手配するのかなんていうのを考えて、補給課に申請して……。
っていうか、なんでこんな複雑なことしないと物が動かせないの?
いつもの訓練なら、学校の中にある売店っていうか。
なんだろう?
正式名称は購買部にお願いすれば用意してもらえるんだけど、今回の準備はぜーんぶ自分たちでやらないといけないんだって。
これ、いつもの訓練をこなしながらって、出来るのかなあ。
少なくとも、私の部屋だけだと無理な気がする。
人数少ないもん。
「おれもあんま自信ないけど、交渉してみる。トレも頑張れ」
「わかりました」
前途多難で目の前がもやもやしてきちゃう。
ほんとに、もうどうしようかなあ。
なんて悩みだしてからもう二日も経っちゃった夜。
お互いどんな感じかなって報告するための打ち合わせなんだけど
「こりゃあ、大仕事だな」
「ですね……」
目の前にはどっさりと置かれた書類。
もう、実際に活動してる軍隊の各部局への要請書とか、色々な商会への依頼書。
それに、各学校からから上がってきた必要物資についての書類とか。
準備に使うからってあっちこっちまわって集めてはみたんだけど、あんまりにもあんまりで。
そんな山積みの書類の前で、私とホノマくんは茫然とするしかなかった。
授業で物品管理とか補給についてとか、そういうの勉強したけど、実際の事務作業ってどんな風になるのか想像出来て無くて。
そういうのが実地になって、急に押し寄せてきちゃった。
そんな感じ。
っていうかね。
替えの靴下とか、ここぞとばかりに余分なものまで発注してる第一校とか、どうなの?
暑くて大変だろうな……とか思ってた、私のいたわりの気持ちを返せ!
「ひとつひとつ片づけていこう。当面は部屋の連中にも手伝ってもらうしかないかな」
「あー。うちの部屋は無理かも」
「なんで?」
「人数少なくて、普通訓練でいっぱいいっぱいなので……」
「あー」
簡単に納得したホノマくん。
なんか、ごめんね。
「他の部屋にきいてはみます」
とは言ってみたものの。どの部屋も、その部屋の中の連帯感があって、入り込むのって難しい。
それに集団とかつくるの好きな子も多いし、そこに割り込んで行って協力してっていってもうまくいかない気がするんだけど。
でも、こんな沢山の書類を二人でどうこうっていうのは、無理だよね。
頑張ろう。うん。
なんて言ってる内にまた二日。
いたずらに時間だけ経って、三回目の打ち合わせなんだけど
「んで。そっちはどうだった?」
「あんまり芳しくないです」
積極的に協力してくれるっていう人はちっともいなかったんだよね。
チギリさんとクルセさん。
それからフェンテさんが立候補してくれたけど、二人には、私が準備でばたついてる分、色々負担がかかっちゃってるし。
フェンテさんも、部屋の子達に気を遣いながらみたいだったから、ちょっとお願いしにくくて。
他の部屋の子達にしたって、届いた物の仕分けとかは分担してもいいけど、事務作業に直接関わりたくないっていう子の方が多んだよね。
私もそうだもん。
それだけならよかったんだけど
「仕事を引き受けるから、余分な石鹸を頼んで。ね!」
とかなんとか。変な要望出してくる子がいたりして。
もうしっちゃかめっちゃか。
「男子寮の方はどうですか?」
「ダフィアが手伝ってくれるってだけで、ちっともだな」
あー。
適材適所さんだけかあ……。
まぁ、この間言ってたもんね。
殴り合いとかなんとか、ホノマくん、他の子ともめてるって。
なんて人望のない二人!
もう溜息も出ない。
「とりあえず、お茶煎れますね」
「うん」
備えつけのポットのお湯はちょっと温くなってて。置きっぱなしの茶葉も香りがほとんど飛んじゃってて。
色の付いたお湯くらいにしかならなくって。
そんなふにゃふにゃな感じのお茶はやっぱりぼんやりした味で、元気がしゅんとしぼんじゃう。
二人してあんまり美味しくないお茶を飲むともなく飲みながら、山積みの書類を見ながらぼんやりしてたら
「唐変木に眼帯。準備は順調か?」
通りがかりに声をかけてくれたジデーアさんに二人して最敬礼。
余暇時間だからなのか、ちょっとゆったりした格好なんだけど、そのせいで余計大柄に見える。
ゴリラからオランウータンに変身!
……そんな風に思ってるってばれたら、なんか罰がありそうだけど。
まぁ、いいや。
「人員が集まらなくて難渋しています」
「ふむ」
びしっと背を伸ばしたホノマくんが、おっきな声で答えると、ジデーアさんは顎に手を当ててなにか考えてる。
あー。
ジデーアさんって腕にも毛が生えてるんだ。
ほんとにゴリラみたい。
「二人とも、準備委員会の人間には外出許可が与えられるというのは知っているか?」
「「はい、存じております!」」
直立不動のまま二人でお返事。
誰もいないテラスにわあんって声が響く。
「ならよし」
なにが?
なにがよしなの?
それだけ言うと、ジデーアさんはにっこり笑ってどしんどしんと歩いてった。
なにがなんだかわかんないんだけど!?
「あー。なるほどなあ」
背筋の緊張を解いたホノマくんがそんな風に言うから余計焦っちゃう。
なにがなるほどなの?
「あの、どういう意味なんですか?」
「だからさ……」
訓練を休んでお出かけできる許可……ね。
そんな気楽なものじゃないと思うんだけど
「ねぇ、野外演習実行委員会に入ると外出許可が出るって本当?」
「そうですね。でも、お仕事だから、あんまり自由時間はないですよ」
「じゃあさあ……」
外出許可についてジデーアさんから教えてもらった次の日。
ホノマくんが朝のランニング前にそんな話をしたお陰なのか、午後になってからこんなやりとりが増えてる。
女子側の残りの枠は二個。
男子の方は一個だけ。
そこに入りたくて仕方がないっていう子がもりもりいるみたい。
訓練の後片付けを手伝ってくれるのは嬉しいんだけどさ。
この間頼みに行ったときは、部屋の皆でめんどくさいって言ってたよね。
そこまであからさまなのとか、どうなんだろ?
その次の日も、朝御飯の時とか訓練の時とか。
なんか、皆が有利って思ってること――配膳の子は私の好きなもの。
えと、トマトとかの盛りをよくしてくれたり、一番後ろの席を積極的に譲ってくれたり、そんなのが増えてきてて、なんか居心地悪い。
「私が選ばれなくてもいいから、部屋の子を指名して!」
なんていう人も出てきて。
でも、そんなの全部覚えとけないから、話半分にきいとく。
「じゃあ、よろしくねー!」
「……はい。考えておきます」
人がいなくて苦労してたはずなのに、いつの間にか全然違う悩みがもいっこ増えちゃった感じ。
もう、頭痛い。
自分を選んでほしいっていう圧力は男子側もおんなじみたいで、夜の打ち合わせに来たホノマくんは眼に見えて疲れてた。
あと、なんかほっぺに擦り傷とかあるけど、気にしない方がいいのかな?
「お疲れ」
「お疲れ様です」
どさって音を立てて、ホノマくんが椅子に深々と腰かける。
足とか投げ出しちゃって、だらしないなあ……もう。
まぁ、お疲れみたいだし、お茶くらいは煎れて上げよう。
仕方ない。
「人、集まりましたか?」
「んー、まぁ……」
こぽこぽとポットからお湯を注ぎながらきいてみるけど、なんだか歯切れ悪くもぢもぢしてる。
なんでもはっきり言う方だと思ってたけど、ホノマくんももごもごな時があるんだね。
ちょっと面白いかも。
「やってくれるって奴がいるんだけど、条件出してきててさ……」
「どんなです?」
女子寮側でも無茶苦茶言ってきた子いたし、ホノマくんも滅入ってるのかもしれない。
いいよいいよ。
お姉さんがきいてあげよう。
なんて。
はじめて会った頃、ほんとに駄々っ子みたいだったホノマくんを知ってるからなんだかおかしい。
おっきくなったのに、ちょっと子供っぽいところもあって。
けど、背丈だけはにょきにょきにょきにょき大きくなって、座って向き合っててもちょっと見上げなきゃいけない。
前世の私に、どうやったら背が伸びるのか教えてあげてほしい。
……きいてももういかせないんだけどね。
死んじゃってるし。
「そいつが引き受ける条件なんだけど、アカテ・シンビゼ候補生が委員に入ってる事、らしいんだよ」
「アカテさん、ですか?」
なんで?
どうしてアカテさんを委員にしたら、その人が引き受けてくれるんだろ?
なにがなんだかわかんない。
「とにかく。シンビゼ候補生に声かけてみてくれ」
「はぁ、まぁ……」
そんな顔赤くして、熱でもあるの?
ホノマくんの様子は明らかにへんてこで。
だけど、理由をきこうとすると別な話題を繰り出してきたりするもんだからちっとも聞けない。
なんなんだろ?
「アカテさんには声をかけておきます。女子側のもう一人が決まったら、手分けして作業開始ですね」
「そう、なんだけどさ……」
今日のホノマくんはずーっとしどろもどろだなあ。
具合が悪いんだったら早めに寝た方がいいのに、まだお話し続けるつもり?
「トレは、そういうのないのか?」
「そういうのって、どういうのです?」
「いや、だから。誰かが一緒ならやってもいいとか、そういうさ」
なんだそりゃ。
計算が出来て、いろんな準備を一緒にちゃんとやってくれるなら誰でもいいよ!
楽させてくれるならもっといいけど。
でも、誰かと一緒じゃないとやだとかそんなのいってもしょうがないでしょ!
っていうか、なんでそんな怖い顔して私を見んの?
そういう顔、嫌い。
「私はそういうの、特にないです」
「そっか」
「ホノマくんこそ、どうなんですか?」
人にそんな事きくんだもん。
ホノマくんにはそういう人いるんでしょ?
その人誘っといて上げるから、それでいいじゃん!
「いや、おれは……」
まーたもごもご。
もう、なんかめんどくさくなってきちゃった。
「今日はもうおしまいにしましょう」
「え。あ、うん……」
お茶のカップを片づけて、書類を行李に収めて。
今日の打ち合わせはこれでおしまい!
あっちもこっちも好き勝手言って!
もう、どうなっても知らないからね!
今回は、野外演習の準備をするエピソードをお届けしました。
こういうイベントって、準備が一番楽しいって言いますけど。それを楽しめるかどうかはその人の資質次第なんだろうなって思います。
……私は楽しめないタイプかも。
色々してる内に零れ落ちてくなにかがある気がして、落ち着かないんですよね。
損なタイプなのかも……。
次回更新は2014/02/06(木)7時頃、へんてこりんな人が登場するエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




