65.ご褒美くれるって言ったよね
士官学校に入学してもうすぐ五ヶ月。
夏の気配はまだまだ濃くて、毎日すっごく暑くて、もうべったべた。
炎天下のランニングなんかまだいい方で、銃を担いで二時間行進とかなんの冗談なのって思っちゃう。
とはいえ、ランニングとか行進とかそういう外でする訓練で暑いのは当たり前だし、あきらめもつくんだけど、座学もあんまり変わんないっていうのがもう。ほんとにつらい。
教室と外。
日差しのあるなしで多少は違うはずなんだけど。外が死んじゃいそうな暑さだったら、教室の中がぶっ倒れちゃいそうな暑さ。それくらいしか差がないくらいなんだもん。
雪国の南部生まれとか、そういうの関係ないよ。
帝都生まれの子達も、もうだらだら汗かいてるし。
私達の部屋ではまだそんなこと起きてないけど。
脱衣所とか井戸の脇の洗濯スペースで他の子の下着をもってっちゃって、予備の下着を蓄える子とか出てるみたい。
それ自体は、被服科の教官が厳しくて。パンツを限界まで使ったのかとか、そんなの臨検したりする人だっていうのも無関係んじゃないんだけど。
そういうの、全部ひっくるめて、暑さは人を駄目にするって、声を大にして言いたい!
しかも、そんな中で背筋ぴーんと伸ばして延々お話聞かなくちゃいけないとか、どんな悪い事をしたんだろうって話でしょ。
けど。これ、授業なんだよね。
かれこれ二十分、教官――入学式の時、ものすごく長いスピーチをしてくれた校長先生でもある、トヒト百人長のお話は続いてる。
立派なお髭をごしごしこすりながらものすごくご機嫌みたいで
「……で、物量からどれくらいの勢力が展開しているのか推測出来る。これは輜重の基礎です。手元の課題もそういった基礎を理解するために編纂されたものです。これを解く力を身に着けることで、第七校が最も得意とする兵站についての諸々が見えてくるようになります。そこで……」
入学式の時と変わらないものすごく長いお話は絶好調!
汗が首を伝って服の中に落ちてくのとか、もう、ものすごく気持ち悪い。
目の前で生徒皆が暑くてふらふらしてるのにちっともお構いなし。倒れちゃう子が出てないっていうところでほめてほしいくらいなんだけど、誰もなにも言わない。
っていうか、校長先生になんか言えるって、ほんとは異常なんだよね。
一応、百人長――軍隊だと、上から数えた方が早い階級だしさ。
ゴリラとか野生の猛獣とか、心の中でいろいろ文句言ってたけど、ジデーアさんの偉大さをかみしめるみたいに理解出来ちゃう時間をじりじり過ごす。
もう、暑い日に石壁にくっついたままじりじり干からびてくカエルみたいな気持ち。
目線を床に固定して、じっと我慢する私達の様子なんかちっとも見えてないんじゃないかて思うくらい嬉しそうな校長先生
「では、手元の課題を解きなさい。制限時間は二十分」
だけど、いよいよお話が終わる気配が。それから
「成績上位者には褒賞を与えるので、終わったものから提出に来るように」
その言葉を聞いた途端、教室にいる皆がばって顔を上げた。
もう、はっきりと音がするくらいの勢いで。
もちろん私も。
だって、校長先生がくれるご褒美って、なんかすごそうな気がするもん!
少なくとも、ジデーアさんみたいに、お風呂の時間を長くしてくれるとかそういう小さいご褒美じゃないんじゃない?
「では、はじめ!」
ご褒美につられた訳じゃないけど。
……いや、えと。ほんとは完全につられてるんだけどね。
もう、とにもかくにも「よし、やるぞ!」って思った途端、びーってすごい音で校長先生が笛を吹いた。
なんで部屋の中で。しかも、特に音がうるさいとかでもないのに笛なんか吹いたんだろ……。
それ、座学ではやめとこうよ。
っていうか、他の座学の先生。笛なんか吹いたことないよ!
別にいいけど。
えーと。
軽機関車に荷車八両。
繋げる貨車が運べるのは規定で一両で九十トンって決まってるから、この機関車一便で輸送できるのは七百二十トン。
汽車で移動する場合、標準装備が一人七キロだから、装備だけなら十万二千八百五十七人分運べる。
けど、荷物だけあってもなんにもできないから、人間も運ばなきゃいけなくて。だから、釣り合うように準備しなくちゃいけないでしょ。
整容規定とか含めて体格の限界が八十キロ上限だとすると、一人あたりは八十七キロってことになるから、輸送できるのは八千二百七十五人。
概ね八千三百人……かな?
こんな感じの問題が全部で十問。
そんなに難しくないし、これくらいの計算だったらそろばんをはじく必要もあんまりって思うんだけど。教室のあっちこっちでばちばち弾をはじく音がする。
ぱちぱちみたいな半濁音じゃなくて、完全な濁音。
ばちばち。
そんな勢いなのに、まだ誰も終わってないみたい。
しかも、校長先生のご褒美発言のせいなのか、なんだかぴりぴりとした殺気みたいなものが教室の中に張りつめてる気がする。
こんな中、一人だけ「できましたー」とかふわんふわんいけなくて。だから、別にもうやる事ないんだけど、ぱちぱちと弾を上下させてみたりして。
でも、そういうのちょっと手持無沙汰で。だから、すぐ隣でそろばんと向き合ってるクルセさんを横目で見てみる。
なにか口の中でぶつぶつ言ってて。でも、手元のそろばんはちっとも動いてなくて。時々、とがった顎を手の甲で拭って、それからそろばんに視線を戻すの。
普段は落ち着いた感じの人だし、そういうのちょっと面白いな。
「なに?」
なんて、ぼんやり見てたらちょっとぶっきらぼうに。でも、小さな声できかれちゃった。
眼が三角になってて。なんか、すっごい怖い。
暑いからいらいらしてるのか、それともご褒美のためなのか。
どっちもなのかもしれないけど、とにかく周り中の雰囲気が怖くて、課題が終わったのに立ち上がれないでいたら
「終わりました」
教室の後ろの方で声がした。
それから椅子を引く音がぎーって鳴って。音を振り返ってみたら、ホノマくんが教団に向かって歩き出すところで。
その足音を追いかけるみたいに、教室の後ろの方からざわざわとした空気が波みたいに広がってく。
波の間に「ちっ」って舌打ちの音も交じってたけど、ホノマくんは堂々と校長先生に課題を提出しちゃった。
「他に終わった者はいるかね?」
課題を受け取った校長先生が、まっすぐに私を見てる。
よそ見してたのばれてたのかな。
授業が終わってすぐ――ほんとはお昼御飯の時間なんだけど、校長先生に呼ばれた私とホノマくんは、長い廊下をゆっくり歩いてる。
ホノマくんは一問間違ってたけど、一番乗りで課題を仕上げたこと。
私は二番手だったけど全問正解。
二人の成績上位者っていう事で、ご褒美を受け取りに行くとこ。
ほんとはうれしいはずなんだけど、校長先生の性格っていうか、お話の長さとか考えると、どうせお昼ご飯は食べられそうもない気がするんだよね。
だったら、別にゆっくりでいいやって思っちゃった私に引きずられるみたいに、ホノマくんの歩調もなんとなく緩やか。
監督生がいるところとか、教官がいるところではせかせか歩いてるんだけど。お昼御飯の時間帯は廊下に上級生もいない――上級生達もご飯の時間は同じだからね。
それから、教官もそれぞれお昼とか次の授業の準備でほとんどいないもん。
たまにはゆっくり歩いてもいいと思うんだ。
角を直角に曲がるのも、ちょっとお休み。二人っきりだから、おしゃべりだってしちゃうんだから。
「ホノマくん、校長先生のご褒美ってなんだと思います?」
「なんだろうな。トレはなにがほしいんだ?」
「んー。肌荒れがひどいから軟膏がほしいかなあ……って」
「夢がねえなあ」
けっこう切実なんだけど、ホノマくんはおかしかったみたい。
なんだか楽しそうに笑ってる。
南部にいた頃からそうだったけど、ずーっとしかめっ面してるイメージだったからちょっと珍しい表情かも。
初めて会った頃、お母さんに反発してた子供っぽいホノマくんとは全然違う。
同い年のはずなのに、ちょっぴり大人びて見える不思議な笑顔。テアもときどきこんな顔してたっけ……。
ホノマくんはあんなお色気大王じゃないけどね。
「ホノマくんはなにがほしいんですか?」
「自由時間かなあ」
「夜の余暇時間を長くしてもらうとか?」
「いや。友達と出かけたりしたいだろ」
「ホノマくんは帝都の生まれですもんね……。そっか、友達とお出かけかぁ。ちょっとうらやましいかも」
別にさみしかったりそんな気持ちじゃなかったんだけど、さっきまでのちょっと格好いい笑顔をどこかにしまっちゃったホノマくんの顔は微妙な表情のまま固まる。
私にだって友達くらいいるから大丈夫だっつーの!
……帝都で友達って言って思い浮かぶ人なんか、フィテリさんとか疎開から帰ってきてるはずの南部で一緒に過ごした子達だけで。それ以外の知り合いなんてほとんどいないけどさ。
いんだよ。
誰もいなくたって、カレカと遊びに行くもん。
「トレは休みもらったらなにする?」
「南部に帰りたいです。父様にも母様にも会いたいし、村の皆がどうしてるのかなって、ちょっと気になるし」
「……そっか。そうだよな」
あれ?
今度は眉が眉間によっちゃった。
もしかして、私の返事って、ホノマくんの期待と違ったのかな。
二人でぽしょぽしょおしゃべりしながら歩いてたら、あっという間に校長室の前までついちゃった。
目の前には樫の木の一枚板で作られた重そうな扉。寮の部屋とかで見慣れた合板の扉に比べると、ちょっぴり――じゃないね。かなりおしゃれに見える。
「ホノマ・ハーバ候補生、トレ・アーデ候補生両名。参りました!」
そんな重い扉の向こうに届くくらい大きな声でホノマくんが呼びかけると、ごそごそごそってちょっと物音がして。それから、なにかごとごとって落ちる音が聞こえた後
「入りたまえ!」
ちょっと上ずった声で返事が返ってきた。
校長先生、明らかになにか隠した気がするんだけど。
机の隅っこに、女の人の絵が描いてある本がちらっと見えたの、気のせいかな?
ともあれ、上官に会ったらとりあえず背筋を伸ばして、かかとを鳴らし胸に手を当てる最敬礼。
もう、なんだか条件反射みたいに出来るようになってて、お屋敷とかお家に帰っても思わずやっちゃいそうで怖いんだよなあ。
やだなあ。
「君達を呼んだのは他でもない。先ほどの授業で約した褒賞を与えるためだ」
「はい。ありがとうございます」
難しい話はホノマくんが聞いてくれるだろうし、いいか……って、現実逃避気味の私。
そんなふにゃふにゃな頭の上を、背筋を伸ばすといやがうえにも背が高いホノマくんの声が通り過ぎてく。
反面、校長先生はそんなに背が大きくなくて。そのせいなのか、ホノマくんの方が先生みたいだなあ。
って、もうどんどん関係ない事ばっかり考えてたら
「これに目を通したまえ」
そういって、ものすごい笑顔で校長先生が私達に冊子を手渡してきた。
表紙には『野外演習の手引き』って書かれてて。
ぱらぱらっとめくってみたけど、準備とかなんとか。ものすごく大変そうな作業とかそんなのがびーっしり。受け取った私達から少し離れて。
それから「うんうん」ってちょっと頷いて
「ホノマ・ハーバ候補生、トレ・アーデ候補生を準備委員に任命する!」
ものすごくいい笑顔になった校長先生が、高らかに宣言してくれた。
……くれた。
ん?
私達、ご褒美をもらいに来たんだよね?
なんでお仕事増やされてるの!?
課題で好成績だったのにお仕事を増やされるって、どういうこと?
でも、断る権利なんかない。
それが軍隊なんだよね。
がっかり。
今回は、計算問題を解くエピソードをお届けしました。
剣とか銃とか、そんな事ばっかりしてるんじゃないんだよっていうところを出したかったんですけど。
実際、軍隊の学校ではどんな勉強をしてるもんなのかな?
って、疑問に思いながら書いていました。
本当は、お休みについてのエピソードになる予定だったんですけど。こんな感じに……。
次回かその次回くらいで、お休みのエピソードを入れていきたいです。
その前に、デートのエピソードを挟むやも。
次回更新は2014/01/29(水)7時頃、カップルを応援するエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にてご連絡いたします。




