62.早起きは三文の徳、だよね
士官学校に入学してからもうすぐ二週間。
暦の上では春を迎える帝都、なんだけど、もうものすごく暑い。
南部の暑さと違って、帝都の暑さは身体にまとわりつくような感じがするんだよね。しかも、寮の環境が最悪!
隙間風が入るところは懐かしい我が家とあんまり変わらない。
だけど、風だけじゃなくて虫も入ってくる。
もう、五ヶ所も蚊に刺されちゃった。
気温のせいなのか。それとも標高の問題なのか、南部よりも身体が大きくて。そのせいで羽音もうるさいから、夜も寝苦しいし大変!
蚊の幼虫って、水があるところで育ってくって小さい頃本で読んだし。湖の流れが緩いところにびっしりいるのを見た事もある。
だから、水なんかちっともないはずの帝都でぶんぶん蚊が飛び回ってるのって、ほんとに不思議。
……とはいえ、私はそんなに刺されていない方。
ルームメイトの身体に出来たぷつぷつを見た後だと、なんだか我慢しなくちゃいけないかなって思っちゃう。
「うぅ、足の指さされたぁ」
隣のベッドで右足を顔の高さまで持ち上げたチギリさんがうめき声を上げてる。
……あー。
ショートパンツの隙間から、パンツ丸出しになってるってば!
っていうか、パンツの隙間から見えちゃいけないところも見えてるし。
入寮数日はお嬢様然としていたチギリさんなのに、たった二週間でひどい有様だよ。
そもそも、お嬢様らしくしていたくても、かなり厳しい環境なのは確かなんだよね。
服はもちろん、下着も身の回りの物も全部支給品だし。
軍隊の支給品だから、可愛さとか一切考慮されてないもん。
礼服と靴だけは採寸してきちんとしたサイズのを作ってもらえたけど、それ以外――入学式の後に支給された運動服とか作業服とか。
あと、ブラとかパンツも大中小とそれぞれの中間でサイズが分かれてるだけ。
ブラなんてシャツにカップが入っただけみたいな――スポーツタイプとかいえば格好つくのかな?
これはほとんど手直しいらなかったけど、パンツはサイズが合わなくて、ゴムを取り換えなきゃいけないくらいずるずる。
そんなだから手直ししようとするんだけど、そのための裁縫道具も支給品。
これがすっごい使いにくくて、全然上手にできないんだよ。
もう、散々。
それでいて消灯時間は早いし、朝も早いから、手直しが間に合わなかった初日。
ちょっと長い距離のランニングの間、ずーっとパンツがずり落ちそうになるのとの戦いだったしさ。
使い慣れた道具だったら全然違ったはずだけど、入学式の後、身ぐるみ全部引っぺがされて、私物は全部保管庫行き。
裁縫道具はもちろん。
歯磨きとか櫛とか細々としたものも。
それどころか、生理用品も自分のを持ち込んじゃ駄目って言われて。かわりに支給されたのは差し込むタイプ。
ずーっと自分で作った布ナプキンだったから、どう使うのかとか全然わかんないんだよなあ。
次の月のものって来週くらいじゃなかったっけ?
うあー、不安だー!
なんていう状況でも、四十万さんからもらった手帳だけはいまも手元にある。
どういう仕組みなのかはわかんないけど、使いたい時には手元にあって、使い終わるとどこへともなくなくなる。
ちょっと不気味。
まぁ、忘れそうな色々をメモしておいて、消灯までの空き時間――今がまさにそうなんだけど。
こういう時間に思い出したり復習できるっていう意味では便利かな。
なんて、手帳片手にちょっと物思いにふけってたら、相変わらずの甘い声で
「トレぇ、背中かいてぇ!」
「あぁ、はいはい」
なんて言いながら、チギリさんがシャツを胸の辺りまではぐって背中をこっちに向けてた。
真っ白な背中に何箇所か赤いぽっちがあって。でも、どうしても手が届くような場所でもなさそうで。
しょうがないなあって、手を伸ばして背中をかいてあげる。
「んぁあん!」
……気持ちがいいのはわかるけど、変な声出さないで!
他の人の迷惑に
「ちょっと、静かにしてくれる!?」
ほら、怒られた。
少し高いところ――私がいる二段ベッドの二階部分から声をかけてきたのは、この部屋で家格が一番高いクルセさん。
入学式の日、綺麗な金髪と後姿が印象的だったあの子。
入学式の日はつんと澄ましてたし、入寮当初だって私とかチギリさんよりよっぽど余裕ありそうだったのに、最近は随分かりかりしてる。
「あんたもかいてもらえばいいじゃない」
「そういう問題じゃないわ!その子、あんたのなんなの!?召使でもあるまいし、そんな事させてるの自体、おかしいのよ!」
……お気づかいありがとうございます。
でも、別にこれぐらいどうってもんでもないと思うよ。
ほんとに。
なんて知らんぷりしてたら、今度はクルセさんの怒りの矛先が私の方に向いてた。
「あなたもあなたよ。なんで唯々諾々と人のいう事を聞いてるの」
「いえ、あの。嫌だったら嫌だって言いますから」
「プライドってものはないの!?」
「はぁ……」
背中かくくらいで傷つくような繊細なプライドは、持ってなかったな……。
クルセさんは私の返事が気に入らなかったのか、喧々なにか言ってたけど
「新入り。うるさい!」
遠くから、監督生――一部屋に一人、上級生が監督としてついてるんだけど、その人の声が聞こえたら急に静かになった。
物凄く不満そうに「もうっ」って唸る声が聞こえて。
そんなクルセさんに、怒られる原因になったチギリさんが「怒られてる」なんて笑って。そのまま、シーツにくるまっちゃう。
ルームメイトとは一蓮托生なんてゴリラ……的な外見の人が説明してた気がするけど、この部屋大丈夫なのかなあ。
寮の部屋は一部屋に三脚の二段ベッドがある。
だから、基本的に六人部屋。
それなのに、この部屋は入学してきた人数の関係で三人しかいない。
でも、寮で割り当てられる作業とか業務って六人単位で仕切られてるから、人数が少ないとどうしても負担が大きいんだよね。
掃除当番なんかは特に厳しくて。だから、早起きしてはじめないといけないんだけど
「ほら、チギリさん。起きてください!」
「んー。まだ、起床のラッパなってないでしょ」
「今日から掃除の当番ですよ」
この調子だもんなあ。
ごろりと寝返りを打って、私に背を向けるチギリさん。
転がる時に、入学式の時にからかわれたおっきいおっぱいがむにゅーって少し横に広がるのにちょっといらっ!
これ――朝起こしてあげるの、別に掃除当番の時だけじゃないからね!
いつもだから。
基本。
二週間も経つんだし、いい加減自分で起きろっての!
いらいらむかむかしながら、無造作にほっぺをつねる。
「いぎぎ……」
「起・き・な・さ・い!」
起床時間より前に起きてるのって、ほんとは禁止。
だから、声はなるべく落として。だけど、耳元ではっきりしゃべる。これはもう、お部屋の事情だもん!
仕方ない!
でも、ばれたら行進二時間とかになるんだろうなあ……。
先週、起床に遅れた部屋がやらされてたっけ。
っていうか、いいから起きろっての!
「トレ、ひどい……」
「うっさい」
もそもそ着替えるチギリさんを放っておいて、クルセさんのベッドを覗く。
寮にいる間、収納はロッカー一個だけだし、それ以外だとベッドだけが自分の空間。
ロッカーに入らないのは枕元っていう決まりがあって、しかもそれを整理整頓しておかなくちゃいけない。
服は正方形か長方形にたたまないといけないし、ベッドリネンも乱れてては駄目。
そんな決まりがあるっていうのに
「クルセさん……」
「な、なによ!」
ちょっと覗き込んだクルセさんのベッドは、もうぐっちゃぐちゃだった。
上でごそごそ音がしてるから起きてるんだろうなって思ってはいたけど。
なんだろう。
昨日の夜、たたんだり整えたりしとけばよかったのに、なんでここまでぐっちゃぐちゃに?
っていうか、起床のラッパまでに片付け終わるの?
「手伝いましょうか?」
「必要ないわ!」
今日もやっぱりつんけん。
っていうか、眼元が真っ赤だけど。もしかして泣いてたの?
でも、きいたら怒りそうだしなあ。
だいたい、どうしたらこんなに下着がしわだらけになるのやら。
「とりあえず、今日から一週間。掃除当番なので、ちょっと早く起きておかないと……」
「わかってるわ!」
「うわわ……声が大きいです」
耳がきーんってなるくらい大きな声を出したクルセさんの口を大慌てで押さえた。
押さえたんだけど。
それはもう無駄な努力だったみたい。
声が終わるより早く、どかどかって革靴で床を叩く音がどんどん近づいてきてた。
……あー。部屋の前で止まったよ。
「眼帯。これはなんの騒ぎ?」
「うげ」
監督生の声が部屋の中にびりびり響く。
あんまりおっきな声だったから、ちょっと変な声が出ちゃう。
うあー!
もう、どうしよう!?
「クルセの寝相が悪く、物を下に落としてきたのでトレが抗議しておりました」
「そうなの?」
問い詰められてがちがちになった私のお尻の下辺りで、まだ、服のボタンがきちんと止まっていないままのチギリさんが、敬礼しながら監督生に答えてくれた。
くれたんだけど。
えと。
これ、なんて返事したらいい?
っていうか、クルセさんの顔が真っ赤になってきてるし。
もしかして、怒ってる?
いま「はい」って答えたら、後でなんか言い出すんじゃ……
「どうなの、アーデ候補生」
「あ、は。はい!」
「乳牛のいう事は事実かと聞いている。答えなさい!」
「事実です!」
……いや、ほんとは事実じゃないですけど。
でも、事実と言い切った私をクルセさんはぎろりとにらんできた。
私にどうしろって!?
「改善に努力なさい。それから、三人は掃除当番を一週間延長。本日は課業終了後、強歩十キロを課す」
「「了解です!」」
罰則を言い渡した監督生は部屋から出て行った。
強歩っていうのは、ものすごく強行軍のお散歩。
コースはその時々で決まるんだけど、十キロって事は裏山――って言ってるけど、要は学校の裏手に広がる藪の中を行って戻ってくるコース。
……蚊がいっぱいいるから、あんまり行きたくない。
行くけど。
監督生の足音がどかどかと遠くなってくのに、チギリさんと私はふいーって大きくため息をついた。
でも、クルセさんは静かで。しかも、ちょっと顔色が悪くなってて
「トレ、そろそろ放してあげたら?」
「あ゛」
思った以上にしっかりと、口と鼻をふさいでたらしくて、クルセさんの意識がはっきりしたのは、起床のラッパギリギリのところ。
そんなこんなで、掃除のための早起きは結局まるっと無駄になっちゃった。
今日は朝御飯抜きかあ。
軍隊って厳しい。
今回は、ちょっと難儀な新生活のエピソードをお届けしました。
寮生活なんてしたことないんですけど。でも、同じ部屋の人のせいで理不尽な苦労をしたりさせたりしそうな印象があります。
義父さんのお話だと、自衛隊の新入隊員さんの学校とかはもっと大変みたいです。
楽しそうにお話してたから、悪い思い出じゃないみたいなのが救いなのかなあ。
少なくとも、部活の合宿とどっこいの理不尽ではあったようです。
次回更新は2014/01/12(日)7時頃、軍隊っぽい授業の一幕を予定しています。
ただ、体調の関係で、更新日が前後してしまうかもしれません。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にてご連絡いたします。




