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56.世界は平和なんかじゃない

 帝都に来てから一ヶ月半。

 初めてのお休みにうきうきだったんだけど、こう。

 なんだろう?


 ビロードで手触りよく作られた内装。

 ふかふかの椅子はちょっとくらい揺れてもお尻も背中も痛くならない。


 南部の舗装されてない道を車で行き来してた頃を思い出したら天国みたいな乗り心地――なんて言ったらリクヤさんはがっかりするかもだけど。

 でも、毎日毎日車に乗って、その速度に慣れてるからなのかな。

 馬車の速度はとっても緩やか。


 窓の外を流れる景色はゆっくりで。

 だから、街並みをじーっくり見られるっていうのはいいと思うの。

 でもね。

 ゆっくりっていうより、動かないっていう感じはどうなのかなあ。


「やっぱり、バスに乗ればよかったですね」


 隣に座ってるコゼトさんに話しかけたら、表情こそ動かさないけど、私から目をそらした気がする。


 まぁ、いんだけどさ。



 お勉強とおけいこでずーっとお屋敷の中にいたし、どうしてもお出かけしたくて。

 だから、バスの時刻表とかもらおうとしたら


「トレ様。“選ばれた子”はああいった乗物をあまり使わないものなのですよ」


 ってコゼトさんは言うし。

 ほんとに?って思って、ピエリさんとセレさんを見たらうんうんって首を縦に振ってるし。

 南部では便利なものはなんでも使う感じだったし、南部からは汽車で来たんだし。

 でも、そういうものなのかなって思って。

 それで、お屋敷の馬車でってことになったんだけど……。


 なんていうか。

 すっごい渋滞なの。



 ジレの家のお屋敷は、貴族のお屋敷が立ち並ぶ区画――皇宮から続く大通りに面した中央区の南の端っこ。

 その中でも大通りから少し離れた辺りにある。


 「大通りまでに貴族のお屋敷がたくさんあるから、紋章学の実地練習を……」なんてコゼトさんが言い出して。

 近所をぐるっと回って、それから大通りに出るっていうルートになったんだけど、大通りに出る辺りでものすごい渋滞にはまりこんじゃった。


 お休みって自分で言ったのに、結局勉強させようとするからこんなことになったんじゃないかなあ……。

 まぁ、いいけど。



 ゆったりした作りの室内。

 居心地のいい空間。

 でも、コゼトさんはほとんどしゃべらない。


 ほんとはカレカと二人で出かけたかったのに、どうしてこうなっちゃったんだろ?



 馬車の中にカレカはいない。

 窓の外、すぐのところを歩いてる。

 変なところに乗り上げたり、落っこちたりしないように走ってついてくるっていうお仕事なんだってコゼトさんは言うんだけど。御者さんと話して、時々笑いあったりしてるのが見えてなんだか面白くない。

 ……私だってカレカとおしゃべりしたいのにな。


 溜息しか出ない。




 渋滞を抜けて北に向かうと、すごく高い塔が見えて来た。

 皇宮とはちょっと違う。

 少し濁った白い石材で作られたその塔の先っぽには、神様をかたどったシンボルが飾られてる。


「コゼトさん、あれはなんですか?」

「トレブリア教会のカテドラルですね。美しい建物ではありますが、トレ様は一人で近づかないようになさってください」


 教会だって答えてくれたコゼトさん。だけど、その声は後半になると少しだけ低くなった。


 馬車は教会に少しずつ近づいて。まだ、塔しか見えないくらいの距離のはずなのに、通りには色とりどりの教会服の人が歩いてて。

 でも、その色で一番多いのは黒。気のせいなのかもしれないけど。


 黒い教会服の人ばっかり目についちゃう。

 理由は……多分、怖いからなんだよね。




 大通りに出たら、少し傾斜した道を西に向かって進んでく。

 皇宮を中心にしたすり鉢みたいな地形の帝都。

 だから、坂を上ってくっていうだけで、中心から遠ざかってるんだなってわかるようになってるみたい。


 ……ガイドブックにはそう書いてあったんだけど。坂を上るにつれて、町は少しずつにぎやかになってく。


 町を歩く人達が着ている服はぱっと鮮やかな色合いの染物がほとんど。

 建物も道もはっきりしたコントラスト。


 華やかな街。

 そう思っていたのに、何個目かの大通りを横切った途端。町が静かになってく。


「この先が西の市になります」

「そう、なんですか……」


 フフトの町もそうだったけど、市場は賑わいの中心だったし。その周りの通りだってわいわいがやがや。

 人がたくさん集まるはず。

 それなのに、人はまばらでなんだかさみしくなって来ちゃった。


「静かでございましょう」

「はい。どうしてこんなに静かなんですか?」

「このたびの戦で、帝都の西側は何度か砲火を浴びたことがございます。町が静かなのはそのせいです」


 言いながらコゼトさんはいくつかの建物を指さして、その建物に残された傷跡について説明してくれる。

 この辺りが戦場になった訳じゃなくて。

 それでも、建物にははっきりと傷が残ってて。それはきっと、この辺りに住んでる人達の心にも傷になって残ってるんだ。


「“炎侯”が押し返しはしましたが、帝都はまだ戦場にほど近いという事。トレ様も覚えておいてください」

「わかりました」


 南部にいた頃は戦争の気配は遠くにあっただけ。

 でも、疎開組の子達は、こんな風景を目にしてたんだって、そう思うと胸がきゅーっと痛くなった。


「そろそろ市につきます。こんなお話をいたしましたが、市はまだ賑わいがありますから、少し散策なさるとよろしいでしょう」


 角ばった顔。ほとんど表情を変えないコゼトさん。だけど、コゼトさんはなんだか無理やりみたいに笑顔を作ってくれた。

 きっと、私がひどい顔してたから。




 西の市――市場っていうより、噴水の周りに屋台をたくさん連ねたちょっとした広場っていう感じだった。


 お店はまばらで、それが一番盛り上がる時間帯――フフトの町でも州都でもそうだったけど、市場が一番盛り上がるのは朝早くなんだよね。

 もう、お昼も近い時間帯だからなのか。それとも、もともとこれくらいなのかはよくわかんないけど。

 大きな取引をするようなお店はほとんど出てなくて、ちっちゃな屋台が軽食を売ってるだけだった。


「これ、おいくらですか?」

「大鉄貨一枚だよ、お嬢さん」

「じゃあ、二つください」


 ハゼッカさんのお店で買うお菓子の十倍近い値段で買ったのは、薄く焼いた生地にジャムを塗って、フルーツをつつんだもの。

 お財布があっという間に空っぽになっちゃった。


 コゼトさんは馬車で御者さんと打ち合わせしてるし、カレカは飲み物を買いに行ってくれてる。

 でも、おなかぺこぺこだし、ベンチに座って先に食べちゃう。


「んー。美味しい!」


 甘いのかと思った生地はちょっぴり塩気があって、小麦で作ったクレープとはちょっぴり違う香りがする。

 香りがいいのはもちろんなんだけど、生地に塩気がるおかげで、包んである果物の甘みがすごく鮮やか。

 ちょっとびっくりしちゃうくらい。


 南部で食べたクレープとはちょっと違うのかな?

 ガレットに似てるかも……なんて、お菓子に夢中になってたら、左隣に人が座ってた。


 なにもなかったところからしみだすみたいに現れた気がする。

 でも、左目は眼帯で見えないし、私が気づかなかっただけかもしれない。


 真っ黒い教会服を身に着けたその人の髪は、光の加減なのか緑色に光る。

 あまり高くない鼻。

 目が細くて笑ってるみたいなどこか親しみのある顔だけど、顎先に向かってのラインは細く整ってて、表情の柔らかさを裏切ってる。


「君がトレ?」

「そう、ですけど。貴方は?」

「クイナ。君と同じ、勇者候補だよ」


 元々の顔の作りなんだと思うけど、笑みがはりついたみたいなその顔は不気味で。そんな不気味な人が名前を知ってるっていうのが気持ち悪くて、肌が泡立った。


 なんていえばいいのかよくわからないけど、はっきりと気持ち悪い。


「それ、美味しい?」

「美味しいですよ」

「君のふたつなの祝いでも出てたね」

「……なんでそんなこと知ってるんですか?」


 参加した人皆を覚えてる訳じゃないけど。でも、会場では黒い教会服を着てた人達ってすごく目立ってた。

 もし、あの時、あそこにいたなら思い出せないはずなんかないのに


「ぼくもあそこにいたから、さ」


 そういってクイナって名乗ったその人はにいって笑うと、お菓子を持ったままの私の手をぐいって引っ張った。

 つかまれたところから上ってくるぞわっとした気持ち悪さのせいで、手から力が抜けて。まだ食べかけだったお菓子はべしゃって音を立てて手から落ちる。


「や、めてください!」


 強く手を引くけど、びくともしなくて。逆にぐいっと手を引かれて、身体がクイナに向かってかしいでく。

 背中にぎゅっと力を入れて離れようとしたら、握る手に力が込められて。それでも身体を離そうとしてたら、身体の中でみしって音がした。


 痛くて声が出ない。


 つかんでるその腕は細くて、そんな力なんかある訳ないって思うのに。でも、びくともしないんだ。



 一生懸命抵抗して。でも、ちっとも振りほどけなくて。もう、クイナの胸につかまっちゃうって思った時。その手を黒い革の手袋がつかむのが見えた。


「なにしてくれてんだ、てめぇ」


 言いながら、カレカの手は私の手をつかむクイナの手をひねりにかかる。

 どぅえとさんとの格闘訓練と同じ。関節を変な方にねじるとする動き。

 ちょっと力を入れられただけで痛いはずなのに、クイナは私の手を離さないまま笑ってる。


「なかなかの剛力だね、カレカくん」

「なんでおれの名前を知ってる」

「邪魔だから……かな?」


 笑顔が深くなって、そのせいで歯をむいたみたいになったクイナの顔はすごく気持ちが悪い。


 カレカも同じ気持ちだったんだと思う。

 その左手が腰に伸びて、ベストで隠されたズボンの隙間から金属の塊を繰り出した。

 それと同時にクイナの手から力が抜ける。


「こんな街中で銃なんて、思い切りがいいね。君は……」

「うるせぇ」


 抜き取った銃をクイナの頭に突きつけたまま、カレカは動かなかった。


 っていうより動けなかったんだと思う。

 クイナが私のお腹にナイフを突きつけてたから。


 息もできないくらい張りつめた一瞬。

 でも、それは本当に一瞬で、クイナはすぐにナイフをどこかにやった。


「悪ふざけが過ぎたね。今日はここまでにしておくよ」


 そういって、カレカの突きつける銃を「よいしょ」ってどかして、立ち上がる。

 座ってる時は気がつかなかったけど、クイナの背はカレカより頭一つ高い。


「近いうちにまた会うと思うけど、そのときまで決着は預けておこうか。カレカくん」


 カレカの返事なんか待たずに、クイナはベンチから少し離れてった。

 二歩くらい歩いたように見えたけど、次の瞬間には空気の中に溶け込むみたいに消えてく。


 夢だったのかなって思っちゃうくらい現実味がない光景。でも、手首の痛みだけははっきりしてて、夢だなんて思えなかった。



 せっかくの休日は、悪夢みたいな出来事でどんより暗くなっちゃった。

今回は、ようやくもらったお休みにお出かけするエピソードをお届けしました。


新しい登場人物が登場して、少しずつこのお話の本題だったこと……神様同士の戦争っていう部分にも触れるように、仕立てていこうと思っています。


その前に、士官学校でしごかれたりする予定。

とにもかくにも、楽しく書き続けていけたらいいかなあって思います。



次回更新は2013/11/06(水)7時頃、えらーい人と面会するエピソードを予定しています。

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