54.一人ぼっちなんかじゃない
三重の城壁で区切られた街区を持ち、その最も内側にあるのが皇帝の住む宮殿――水晶宮殿なんて言われるくらい、白い外壁は有史以来、血で汚れた事がない。
その皇宮を中心に広がる街並みは教会設置の街灯で明るく照らされ、夜も昼間のように明るい。
貴族の屋敷が集まる中心街には芸術家のサロンなども軒を連ね、眠らない夜を過ごす町とたたえられているのだ。
なんて、いつか読んだ本に書いてあったっけ……。
実際に見た帝都の町並みは、煉瓦と漆喰で作られてて、全体的に赤みを帯びた明るい色合い。
そんな明るい色彩の建物が並ぶ大きな通りのほとんどは石で舗装されて、その綺麗な道を車が通ってた。
乗合馬車の方が多いくらいだったけど、自動車もたくさん走ってて、そんな車の中には大勢が乗れる大きな車――前世でいうならバスみたいなものだと思うけど。
そういう便利そうなものがたくさんあって。でも、その分、空気は悪くて、空はいつでもぼんやりとした灰色のまま。
そんな空の色なのに、町を歩く人達が着ている服はぱっと鮮やか。
南部ではほとんど見た事がない色合いの染物がほとんどで、ほんとにびっくりしちゃった。
建物も道も、そこで暮らしてる人達もコントラストがはっきりしてる。
帝都ってそんな町みたい。
……でも、私がそんな町並みをきちんと眺めたのは一週間前。
帝都についた日だけ。
デアルタさんの実家――っていったらおかしいのかもしれないけど。ジレの家のお屋敷に来て一週間経つのに、私は一回も外に出てない。
左手の甲からぱちんって鋭い音がして、それから切られたみたいな痛み。
感覚がなくなるくらい熱くなって、力が入らなくなった指から落ちたフォークが、床に当たってかしゃんって音を立てた。
「食器には使う順番がある。食べる料理によって、形も違う。昨日も申し上げましたね?」
「ごめんなさ……った!」
謝って、フォークを拾おうとしたら今度は肩のところでぱちん。
オーケストラの指揮者がもってるみたいな細い棒で叩かれるのって、ほんとにものすごく痛い。もう、なんにも考えられなくなっちゃうくらい痛い。
でも、痛くても、そこをかばってたら立ち居振る舞いがよくないってまたぶたれちゃう。
それがわかってきてるから、歯をぎーって食いしばって我慢。
「落とした食器をご自分で拾われてはなりません」
「はい、ごめんなさい」
もう、自分でもなにが悪くて、誰に向けてるのかもよくわかんない謝罪の言葉を口にして、席に座りなおす。
ほんとは椅子を引いてもらうのを待たなくちゃいけなかった気もするけど、やり直しだからなのか怒られなかった。
とにかく、あまり深く腰掛けてもいけないし、だからって浅く腰掛けてもいけない。
背筋を伸ばして、居住まいを正して。
教えてもらった通り出来たってふいって一息ついて、食卓に視線を戻したら、目の前から前菜で使うフォークとナイフ。お料理ごとお皿が下げられちゃってた。
……カプレーゼ、食べたかったな。
まだ前菜なのに、びしびしひっぱたかれて。その上、その前菜も一口も食べられないまま下げられちゃって、お腹がきゅーって小さくなる。
食事時も立居振舞の事を話す時も、ずっと私の左後ろについてる家令のコゼトさん。
ところどころに白い物が混じる髪の毛を後ろになでつけてたせいなのか、どことなく長細い四角って感じの背の高いおじさんなんだけど、顔はよく思い出せない。
だって、お屋敷についた日は優しくお迎えしてくれたその人が、夜が明けたらものすごく怖い先生に早変わりしててさ。
そんで、なにかっていうと持ってる棒でひっぱたいてくるんだもん!
叩かれるのはもちろん怖いし。それに、いつも左側に立ってるからまともに顔を見る機会もなくて。そのせいで、長四角なんて変な印象でしか覚えられないままだってしょうがないよね?
お屋敷に来て一週間くらいしかたってなくて。お行儀についての勉強が始まってからだと六日くらい。
その間に叩かれた回数なんて、もう数えきれないくらい。
手の甲とか肩とか、あちこちに痣が出来ちゃって。でも、このお屋敷で一番偉いジゼリオさんは黙ってみてるだけで止めてもくれないし、かといって失敗した私を叱ってくることもない。
ただ、じっと私を見てる。
今だって、私が叱られてるのじっと見ながら――まぁ、向かいに座ってるし、他に見るものなんかないんだろうけど。
びっしびし叩かれてる私が見えてるはずなのに、自分だけちゃんとご飯食べちゃってさ。
「なんだ?」
「……なんでも、ありません」
じっとみてたら、きろってにらまれちゃった。
弟のデアルタさんに比べると角ばった印象だけど、綺麗な顔立ちのジゼリオさん。でも、助け舟なんかちっとも出してくれない。
向かい――っていっても、食卓が大きいからちょっと距離があるんだけど。
ちょっと離れたとこに座ってるジゼリオさんもそうだし、ジレの家の使用人さん達も、私をじっと見て、なんだか値踏みしてるみたい。
値踏みっていうより、なんでこの子がっていう感じの方があってる気がする。
気配しか感じられないけど、コゼトさんだってきっとそう。
このお屋敷の中で、私だけがなんだか浮いてる気がしてきちゃうし、実際そうなんだよね。
よそ者だっていうのはもちろんだし。南部から出てきた田舎者だっていうのもそう。
でも。
でも、きっとそんな風に考えてること自体がおかしいのかもしれないけど。それでもどうしても考えちゃうんだ。
この家の主人だった人。
皮肉屋で意地悪で。だけど、責任感が強くて、南部の人がどうしたら幸せになれるのか一生懸命考えてた、デアルタさん。
きっと、このお屋敷の人達にも慕われてたあの人が死んじゃったのが、私のせいなんだって思ってるんじゃないかって。どうしても思っちゃう。
怒られてばっかりで、心が縮こまっちゃってるからそんな風に考えちゃうのかな……。
自分の気持ちなのにどんな風に整理すればいいのか、よくわかんない。
誰かと話せたら――っていっても、お屋敷の中で私と話してくれる人なんて限られてて、その話してくれるはずのカレカとだってほとんど話せてないんだけど。
今だって、食堂の入口のところで立ち番してる。
一緒にご飯を食べたのも、ついた日の晩御飯だけ。
使用人さんたちと同じ黒いスリーピースは格好いいけど、服装のせいでお屋敷の人に溶け込んでるみたいで、ものすごい距離を感じちゃう。
ご飯が終わって部屋に帰るときとか、移動するときはついてきてくれるけど。そういう時、話しかけても返事もしてくれないし。
がちがちに緊張して、誰とも話さないで食べる御飯なんてちっとも美味しくないよ。
ご飯が終わって、その後も勉強の時間――お家ごとにある紋章から、どこのお家かわかるようにっていうのなんだけど。
動物と色と線の数と……それがなにを現すのか、っていう。もう、とにかく暗記するしかなくて。間違うたびにぱちんぱちんって。
もう、ぼろぼろになってからお風呂。
髪と爪の手入れとか、とにかくずーっと使用人さんが近くにいて、自分でやっていい事。お任せしなくちゃいけない事。
決まり事でがちがちに縛られた、予定でぎちぎちの一日が終わるのは、真夜中。
「おやすみなさいませ、トレ様」
「はい。おやすみなさい」
お部屋つきの使用人さん――ピエリさんっていう、背の高い女の人なんだけど。
あまり抑揚のないピエリさんの声を頭の上にききながら、ドアを閉める。
足音が少しずつ遠ざかって、これでようやく一人の時間。……なんだけど、手とか肩とかあちこちじんじんして、ちっとも眠る気持ちになんかなれなくて。
だから
「カレカ、そこにいますか?」
ドアの向こうに声をかけてみた。
部屋の前までついてきてたのは見てたし、離れてった足音は一個だったから。だから、そこにいるんじゃないかなって。
「……あぁ、どうした?」
呼びかけてから少し間があって。ちょっと抑えた声が返ってきた。
声が聞けただけで、胸がきゅーってなっちゃう。
相変わらず涙は出ないんだけど、それでも鼻の奥がつんとして
「トレ。もうお家に、帰りたいです」
「わたし、だろ?」
「……カレカまで」
涙の代わりにぼろぼろってこぼれた弱音。なのに、カレカが変なこと指摘してきて、なんだかいらっとしちゃう。
自分の事、名前で呼んじゃダメだって言われたけど。十年近くそうしてきたのに、急に直せる訳ないじゃん。
カレカにまでそんな風に言われたら、もう力なんか出なくて。
ドアに背中を預けて座り込むしかなくなっちゃった。
ふかふかのじゅうたんが敷かれてるけど、人のぬくもりなんかないからお尻が冷たい。
冷たいけど、もう別にいい。
もうやだ。
「まだ一週間しかたってないんだぜ。どうした?」
「だって……」
カレカだって見てたでしょ?
そう言いたかったんだけど。でも、それをはっきり言っちゃうのって格好悪い。
口ごもってたら、くくって笑った。
「怒られてばっかで嫌になっちまったか?」
「……それも、あります、けど」
「まぁ、飯時のあれはきついよな」
澄ました顔して遠くで見てるだけのカレカも、そんな風に思ってたんだね。
だったら、助けてくれたらいいのに。
「おれも色々怒られてるよ」
「カレカもですか?」
「まぁな」
ドアの向こうで、ふうって息をつくのが聞こえて、頭の上から聞こえてた声が、背中に近づいてくる。
カレカもドアにもたれかかってるのかな。
背中合わせに聞こえる声は、ちょっぴり疲れてるみたい。
「帝都じゃさ、ちびみたいな“選ばれた子”とおれたちみたいな“授かり物”がある奴ってのは厳密に区別されてるんだと」
「そう、なんですか?」
いつだったか、アルエさん――エウレのお姉さんもそんな事言ってたっけ……。
「胸のとこのくすんだ色のチーフみたか?格好悪かっただろ?あれもなんだけどさ。なんか、服の色とか仕事とか。まぁ、色々あるらしい」
「よくわかんないですね」
「南部じゃそんな事なかったもんな」
そんなの全然気づかなかった。
びしっとして格好良かったけど、チーフの色、ダメだったの?
よくわかんない。
「まぁ、そんなだからさ。お前と話してるだけでどやされたりしてんだよ」
「それで、ずっとよそよそしかったんですね」
「なんだそりゃ。ちびは言われないのか?」
「なにをです?」
「おれと話すなって……」
一週間の記憶をさらってみるけど、そんなの言われたことない。
それにさ。
「言われたことないです。……言われても、守れません。そんなの」
「そっか」
「そうですよ。家族なのに、話しちゃダメとか意味わかりません」
それでなくても、決まり事とかお勉強の予定とか。ご飯だって好きに食べられないし、お風呂ではよってたかって身体洗われたり、マッサージとかなんとか。
これ以上、変な事言われたら壊れちゃうもん。
きーって勢いだけで言ったら
「家族、か。そうか……」
背中を預けたドア越しに、なんだかふわっと。ほんとになんとなくだけど、ふわっと柔らかくカレカが笑った気がした。
「そろそろ寝ろ。明日も朝からぎっちりなんだろ」
「そう、ですね」
明日どころか、士官学校が始まる春までぎっちぎちらしいんだけどね。
「また、明日。な」
「カレカも、ちゃんと寝てくださいね」
「あぁ。おやすみ」
「おやすみなさい」
一週間くらいで弱音はいてちゃダメだよね!
なんて。カレカと話しただけで元気になっちゃって、我ながら、私って単純だなあ。
とにかく、明日も頑張ろう!
うん。
今回は、行儀見習いでひどい目に遭うエピソードをお届けしました。
予告では帝都周遊って書いてましたけど、周遊しませんでした。
イメージとしては、ハイジがロッテンマイヤーさんにビシバシやられる感じにしたかったんですけど、ああいうの難しいです。
もうちょっと書きようがあった気もします。
頑張ろう。
うん。
次回更新は2013/10/24(木)7時頃、今度こそ帝都周遊のエピソードを予定しています。




