51.傷つくこともいとわない
分割投稿の三話目です。
花が終わっても、まだ匂いを残したままの林檎の木。
るいゆさんのお墓代わりに植えられたその小さな木の脇を通り抜けて、納屋から塔に向かう階段まであと一息。
でも、もう足はぼろぼろで、これ以上走り続ける事も出来そうになくて。
それでも、重くなった足を無理やり進める。
走ってるなんてとても言えないくらいの速度。
これじゃ、すぐ追いつかれちゃうのに。そうわかってるのに、どうしても力が入んない。
「おい、いたぞ!」
背中にそんな声がぶつかって。振り返って、そこに黒い服の人達が見えて。それがわかってるのに、スピードを上げられない。
悔しくて、涙が出そう。
「だ、れか……」
でも、デアルタさんに泣くなって言われたんだ。涙が視界を曇らせるって。
だから、泣かない。
だから
「どぅえとさん、カレカ!……誰か、助けて!」
走り続けて、肺が痛くて。おっきい声を出すのは辛いけど。それでも、精一杯。
もう目一杯の声で叫ぶ。
『なんなんだい、こりゃあ』
叫んだら、あり得ない声が帰ってきた。
『け、むりさん?』
銀色の髪が風にふわりと揺れる。
クリーネ王国に帰る日。
母さんから借りた服を着て、そのまま帰ってったずうずうしいお婆ちゃん。
王様のかわりに来たって言ってたのに、ご飯をつまみ食いしたり、買い食いして人にたかったり。
でも、いつだってぴんと伸びてた背筋はあの日のまま。
『けむりさん、どうしてこんなとこに!?』
『お前の親父に連れてこられたんだよ』
そんなの全然聞いてない!
でも、いまはそんなの気にしてる場合じゃないんだ。
『船を降りたらすぐに箱詰めされて荷物みたいに運ばれて。ついた端から難しい計算やら、扱いの難しい捕虜の話やら。それが終わったら鉄火場って、どんなもてなしだい!?』
すごく不機嫌そうに言って、けむりさんは腰に挿してた剣を抜いた。
月明かりを反射して青白く光る、少し反りの入った剣。
『ちびちゃんを追ってきてる連中。ぶった切って構わないんだね?』
『……え?』
『え?、じゃないよ、まだるっこしいね』
いらいらしてるみたいに、けむりさんは剣で自分の肩をとんとんって小刻みに叩く。
なんて答えたらいいのかわからなくて、口ごもってる間に、私を追ってきてた人達はもう近くに来てた。
「……どけば、楽に殺してやる」
その中の一人が、なんだかすごく聞き取りにくい声でそう言って。それをけむりさんは顎を少し上げて見下ろしてる。
『なにいってんのか、さっぱりわかんないね』
少し首をかしげて。それでもけむりさんは私を背中にかばってくれた。
『ちびちゃんは、あそこの塔まで行きな。どぅえとと、あの若いのがいるはずだ』
そういうと、けむりさんは両手を大きく広げて、通せん坊するみたいに構える。
少し前に出した右足に少しだけ重心が寄ってるみたいだけど、剣術の心得がない私には、なにをしようとしてるのかちっともわかんない。
わかんないけど
『こっから先はちびちゃんに見せられる様なもんじゃないからね。振り返るんじゃないよ』
『はい。あの、けむりさん。ありがとうございます!』
『いきなさい』
けむりさんの背中から離れて、納屋から塔に向かう階段に向かって歩き出す。
そしたら、ぞわっと気配が動いた。
それから、背中を追ってくる足音。
だけど
『こんないい女を前にして、他の女を追っかけるのかい?』
そんな声がしたかと思ったら、男の人の悲鳴が聞こえて。その後すぐ、びしゃって地面に熟れすぎたトマトが落ちるみたいな音がした。
『背中見せると死んじまうよ、坊やたち。……っても、どうせわかんないだろうけどね』
少しだけ楽しそうなけむりさんの声を背中に、階段を上る。
急がなくちゃ!
ずっと全速力で走ってきた私の足はもう、けいれんを起こしててまともに歩くのも厳しい。
それでも足を止めたりしない。
お屋敷に着いたら。ううん。
塔までついたら、きっと父さんやコトリさん。カレカもどぅえとさんだっている。
助けを呼ばなくちゃ!
尖塔に続く階段を登って、塔と母屋をつなぐ渡り廊下まで、もう少し。
もう少しなんだから。
もうちょっとだけ頑張って、私の足!
そう思ってたのに、その声は私の進行方向――お屋敷の方から投げられた。
「随分、ちょろちょろと逃げ回ってくれましたね」
声の主は、いつか私を捕まえた人達と同じ、真っ黒な制服を着てる。
パーティが始まる時は煌々と明るかったのに、廊下のランプは壊されて、壁や柱は脂で汚れてた。
夜の闇はあちこちにあって、そこに溶け込むような黒い制服。深くかぶった制帽と制服の隙間から覗く肌だけが白くて、気味が悪い。
「君といい、デアルタといい。随分と手間をかけてくれましたね」
歯を剥きだすようににぃっと笑ったその人が手をあげると、私の前になにか重たい物がどさっと落ちた。
金色の絹糸を玉にしたみたいなところ以外、全部が赤黒く染まって。布地のいたるところに鉤裂きが出来てる。
これは。人だ。
人だった物だ。
……そして、赤黒い血だまりをこねて集めたみたいになったのが誰なのか、私は知ってる。
襟につけられた鷲のマークは、南部を支配するあの人だけがつける事を許された印。
「殺しも殺したり、私の部下が十六人も殺されてしまった」
どうしてここまでしたの?
どうしてここまでできるの?
もう、誰なのかわからないくらいずたずたにされたデアルタさん。
なんとか動かす事が出来ていた足からすとんと力が抜けちゃった。もう動けない。
動いても、もう。
デアルタさんは戻ってこない。
助けは、間に合わなかったんだ。
ごめんなさい。
デアルタさん、間に合わなくてごめんなさい。
血だまりみたいになっちゃったデアルタさんに縋りついて、謝りたくて。でも、声も出なくて。
涙も出なくて。
そんな私に。それからデアルタさんに、金属をこするみたいに気持ち悪い笑い声をあげたその人は言葉を投げる。
「ずたぼろになって、その時になってようやく命乞いをしたけどね。無様だったよ」
違う。
この人は、命乞いなんかしない。
「君も無様に命乞いをしながら死んでいくといい。主従そろってお似合いの最後だ!」
その言葉と同時に、周りに人の気配が増えた。
剣をさやから抜くりんという音が……全部で六。
相手は大人。こっちは子供。
人数だってあっちが多いし、私よりきっと力は強い。
勝てっこない。
でも、私は。
私は絶対に、命乞いなんかしない。
お前らなんか絶対許さない!
この日のためにクレアラさんがせっかく作ってくれた教会服は、もう、あちこちに引っかけてかぎ裂きだらけで。
でも、ぼろぼろになった服だけど、お腹のところの重みはまだ残ってる。
さっき、デアルタさんから預かった銃。
お腹に銃が差してあるのは、この人にだって見えてたはずで。でも、小娘が銃なんか撃つ訳ないって思ってたんでしょう?
だけどね。
銃の操作くらい、私は知ってる。前世で映画の中のヒーローが、たくさんの悪漢を倒してたのを見てきた。
銃の操作だって!
「デアルタさん。この人達、やっつけます。敵討ちです」
デアルタさんの耳元――だったと思う、頭の横で断って、私はデアルタさんの身体に一度覆いかぶさる。
そして、手元を隠しながら帯のところに差し込んである銃を抜いた。
引き金を引いてみる。
動かない。
安全装置がかかってるから。
手探りで、引金の上のところにある金具を下げる。
うん。
デアルタさんが教えてくれた通り、ちゃんと下がった。
「じゃあ、デアルタさん。行ってきます」
もう、棒みたいになった足にもう一回力を入れる。
立てる。私はまだ、歩ける。
それだけで充分。
立ち上がった私の前に、剣――デアルタさんや父さんが使うのより短くて、小回りが利きそうな、短剣。なのかな?
とにかく、剣を持った黒づくめで覆面をつけた人が三人向かってくるのを“見る”。
初めて撃つんだもん。
狙いなんかつけたって、思ったところに当たる訳ない。
だから、未来視Ⅰで当たりをつけて
「1、2……」
適当に引き金を引いた。
ばあんって、お腹の底をゆすぶるみたいな音が銃を持った手から、衝撃になって身体にぶつかってくる。
それから、銃が跳ね上がって、それと同時に肩が抜けちゃいそうな痛みも。
その衝撃と、撃たれた人が倒れるのはほぼ同じタイミングで、それを見た二人の足が止まった。
止まったところに二回。
狙いなんかつけてないから、どこに当たるかなんてわかんない。
でも、私は銃で撃たれた痛みがどんなものか知ってる。
当たっちゃったら動けっこないんだ。
だから、適当に撃つ。当りさえすればいいんだもん。
「この、糞餓鬼があ!」
うるさい!
黒い制服の人にも適当に撃つ。今更逃げようとしたって無駄だよ。
「1、2」
「撃つな、撃つな!やめろ!」
……ばあん。
どっちに行こうとしてるかなんて、全部見えてるんだから。
撃った直後、嫌な気配がして、胸元を“見る”と剣がにょきっと生えてた。
うん。刺されるんだね、二秒後に。
剣が身体から生えてるのが見えなくなる様に動き回る。動き回る間に見えた人影に銃口を向けて、引き金を引く。
「1、2」ばあん、「1、2」ばあん、「1、2」ばあん。
まだ動いてる人がいる。
でも、銃は引き金を引いても、金属が噛み合うがきんって音を立てるだけになっちゃった。
弾切れ?
まだ動いてる人がいるのに!?
その、まだ動いてる人影――多分、最初に撃った覆面の人は、息苦しかったからなのか、覆面をはいだその顔は酷く歪んでて、たくさん血を流したからなのか青白くなってた。
血がだらだら流れてる左足をかばうようにして。倒れこむみたいな歩き方で近づいてきて。
その後、ほっぺたにものすごい衝撃。
右から横殴りにされて、ごろごろと床の上を転がる。
「ふざけやがって……。いたぶりつくして殺してやる!」
ほっぺたが痛いのはもちろんだけど、頭がぐらぐらしてなんにも考えられない。
脳が揺れるって、こういう事なのかな。
もう、頭がぼんやりして、なんにも考えられない。
でも、服の襟をつかまれて、無理矢理身体を引き起こされそうになってるって事だけはわかった。
「ぅ……あ」
「ぉらぁ!」
今度は左目の上辺りに衝撃。
目に火花が散るとかそんな話じゃなくて、眼の奥に鈍い痛みが走る。
すごく痛いけど、襟をつかまれてるせいで衝撃の逃げ場なんかなくて。
そのせいで喉がしめつけられて。それが苦しくて、一生懸命咳き込もうとするけど、今度はお腹に強い衝撃が来て、それも出来なかった。
「ぁが……ぁ」
お腹の中がぐちゃぐちゃにかきまぜられたみたいな不快感に、喉の奥から変な声が出た。
声も出なくなった私を、壁に向かって叩きつけるみたいに投げ飛ばしたその人が、その辺に転がってる人の手から剣を取り上げるのが“見えた”。
それから、傷が軽かったのか、倒れてた人達が一人。また一人って起き上がってくるのも。
帯で止まっていたはずの服は、乱暴に扱われたせいでぼろぼろにはだけて、左肩に――大きな傷になっちゃった銃創が残ってる左肩に夜風が当たる。
「ちょろちょろと手こずらせやがって。一番苦しい方法で殺してやるからな」
「ゃぁあ」
そんな言葉が聞こえて、でも、もう声を上げるのもめんどくさくて。
だけど、まだ身体はあきらめてないのか、変な声を上げて逃げようとしてる。
そんな、本能的に逃げようとしてる身体を、後から起き上がった人がぎゅっと抑えてきた。
触られたとこから、ぞわっとした気持ち悪さがせりあがってくるけど、もうどうしようもないよ。
手も足も動かない。
頭の奥に靄がかかったみたいに、意識がぼんやりする。
生あったかいどろっとしたの――きっと、さっきごちんって殴られた時に眼の上とか切れちゃって流れ出た血液だと思うけど。
とろみのある液体がだらだらほっぺの辺りを伝ってく。
周りの全部が、その流れていく血と同じくらい緩やか。こういうのが走馬灯とかいうのかな。
デアルタさん、ごめんなさい。
仇とれなかった。
借りた銃もどっか行っちゃった。
そんな事より、私。ここで死んじゃうみたい。
せっかく希望を託してくれたのに。ごめんなさい、ごめんなさい。
「知ってるか小娘。喉笛を切られると、意識がなくなるまで十分間。たっぷりと苦しんでから死ねるんだ」
息が出来ないまま死ぬって、苦しいんだろうな。
酷い痛みが来る事をあきらめて。覚悟して、深く息を吸い込んだのに、痛みは来なかった。
「そう」
痛みのかわりに、少ししゃがれた声が聞こえて。それから、その人は喉の辺りをおさえようとしながらどさって倒れた。
「な、貴様!?」
飛び散った血しぶきは青い教会服にぱっと赤い模様をつける。
テアはそんなのちっとも気にしてないみたいだけど。そんなテアの様子に気をとられた、私の手足をおさえてた人達の力はちょっとだけゆるんだ。
それから
「うちのちびから、そのきたねえ手ぇ放せ」
聞きなれた声がして。そうしたら、足をおさえてた人の手が、変な方に向かってねじられて。みしって音がした。
それから、ものすごい悲鳴。
「か、れか?」
「探すのに手間取った。待たせたな」
遅いよ。もう。
でも、ありがとう。
「不本意ですけど、トレの事は貴方に任せます」
「あぁ。死ぬなよ。こいつが泣くからな」
「こんな連中相手に、ぼくが遅れをとるとでも?」
ふふんって笑う声が聞こえた。血が目に入っちゃってるし、頭もぐらぐらでテアの顔、よく見えないけど。でも、心配しなくていいよね?
仲間がカレカに腕をやられて、私から離れてたのか。手をおさえてた人の声は、少しだけ遠くから聞こえる。
「お前、帝都の大会で勝ち残った奴だな」
「よく知ってるね?」
「実戦と試合は違うって事、教えてや……」
その人の声は最後まで聞こえなくて。だから、なにが起こったのか、よくわからなかったけど。
でも、隙間風みたいにひゅーひゅーって音がして、それから誰も動かなくなった。
それだけはなんとなくわかる。
「少し気が立ってるんだ。余計な事しゃべってると、苦しい思いをすることになるよ」
胸がきゅーっと苦しくなるくらい冷たい声でテアが言うのが聞こえて。その後すぐ、私の意識は闇の中に落ちてった。
今回は、主人公が戦うエピソードをお届けしました。
手を汚さない主人公であるべきなのか。それとも、自分の力で戦う子なのか。
色々悩んで、結果的にこういう事になりました。
もし、これで主人公の事が嫌いになっちゃう人がいたとしたら、ほんとにごめんなさい。
でも、大事な事のためには、自分の力で立ち向かう子になってほしかったんです。
そんな回でした。
次回更新は2013/09/28(土)7時頃、四分割したエピソードの四話目を予定しています。
四話目は比較的穏やかムードになると思います。




