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5.初めてのおつかいです

今回ちょっぴり文字数が多いです。

 生まれ変わって三回目の秋。

 冬になると雪に閉ざされるこの地域では、冬支度が忙しい。


 メープルシロップみたいに明るい赤色の髪を髪留めで後ろにまとめた母さんは、お仕事するぞ!っていう雰囲気。ちょっとした力仕事の時もあまり髪の毛をまとめない母さんがしっかり髪の毛をまとめているって事は、今日はちょっぴり大がかりな仕事をするのかもしれない。

 髪を後ろにまとめて引っ張られているせいなのか、それとも忙しいからか。 多分、両方だと思うけど、元々ちょっと吊り上った目元がいつもより鋭く、勇ましく見える。

 働く母さんは格好いいんだ。


 きりっとして格好いいのもそうだけど、作業そのものも男前。 昨日、注文していた薪 ――冬の間ずっと使うからものすごい量が運ばれてくるんだけど、一人で軒下に積み上げちゃった。

 男でも二時間かかるなんて、運んできた馬車のおっちゃんが心配していたけど、一時間ちょっとで積み終えた母さんは


「二時間もかかるなんて要領が悪いのよ、きっと」


 なんて笑ってた。

 その後、腰が痛いから踏んでーなんて言ってたのはご愛嬌だけどね。


 仕事で朝早く出かけて、夜遅く帰ってくる父さんにかわって、家の壁に漆喰を塗ったり柵を直したり。 冬の間、家にこもるための保存食もどんどん作っちゃう。

 おれの服も型紙から作っていたし、とにかくなんでもできちゃう働き者の母さん。


 おれが赤ちゃんをやってて手がかかった頃は家事をマーレに手伝ってもらってたけど、オムツ外れが済んでから ――股間の息子さんがいなくて立ってできないもんだからちょっと手間取った。

 出そうになったらトイレで出せばOKのち○ちんは偉大。

 まぁ下の話は置いとくとして、おれが一人でトイレに行けるようになってから、母さんはバリバリと家中の事をこなしている。


 一回目の冬は首も据わってなかったし、二回目の冬はようやくつかまり立ちをしていた頃。 歩けるようになった今年は少しでもいいから役に立ちたい。 なので


「かーさま、トレもお手伝いします。 なにかできることはありますか?」


 なんてきいてみる。

 前世では十六年間、家事の手伝いなんてほとんどしなかったけど、今生は女の子だからね ――精神的にはぼちぼち二十歳の男なんだけど、それは忘れよう。

 うん。


 ちなみに、一人称に「トレ」と自分の名前を使っているのは、「私」とか「ぼく」っていうのは恥ずかしいし、語感として「おれ」にいちばん近かったから。 そんなに不自然じゃないでしょ?


「じゃあ、トレには村におつかいに行ってもらおうかしら」

「おつかいですか?」

「そう。 もう少しピクルスを作りおきしたいんだけどスパイスが少なくなってきているの。 風車広場のハゼッカさんのところに買いに行ってほしいんだけど、一人で行ける?」


 実をいうと、この三年。 おれ一人で村に行ったことは一度もない。

 母さんやマーレと一緒に行ったことはあるけど、大人の足で三十分くらいかかる距離。 今の身体で気軽に遊びに行く場所じゃない。

 中身は大人だし、テレビでよく見た子供を一人で出かけさせる番組みたいに、泣きながらどうにかなるって事はないだろうけど、そこはかとなく不安はある。


「一人じゃ心配?」

「いえ、トレは大丈夫です」


 不安が顔に出ていたのかな。 母さんはしゃがんでおれと目線を合わせていた。


 今生のこの身体。 鏡で見る分にはよくわからないけど、どうも必要以上に表情が豊からしい。

 母さん父さんはもちろんだけど、はじめてあった人にもちょっとした気持ちの動きを簡単に読み取られる。


 男は感情を顔に出さないものだ、なんて前世の父さんが言ってたから、あまりよくない傾向かもしれない。

 まぁ、今生は女の子だけどな!


「たくさん歩かないといけないから着替えてきなさい。 少し寒くなってきているから暖かくして」

「はーい」


 そういって母さんは頭をぐしぐしと撫でてくれた。


 なんで、急いで部屋に行って着替え。

 ベビーベッドは片づけられて、入れ替わるように据えられた子供用の家具――休日に父さんが作ってくれた腰高の低い木製の家具は、なんだか武骨な感じで、男の子の部屋の風情がある。

 一番へんてこなのは本棚で、デアルタさんと僧正様が月に一度送ってくれる本が隙間なく並べられてる。

 デアルタさん――父さんの上司の怖い人は機械技術とか地誌とか、あと自然科学の本を中心に。

 僧正様は神話や教訓話を集めた本を選んでくれているみたいで、どれも背表紙からして勇ましい。

 女の子に上げるんだから絵本とかをチョイスすればいいだろうに、あの二人、さてはもてないな……。


 本の内容はともかく。 使っているおれ自身は快適なんだけど、ぶーぶー言っていたのは母さんで、カーテンやベッドリネン。ちょっとした小物を置くスペースに敷くマットとか。

 男の子っぽい部屋に少しでも女の子らしいものをっていう配慮なんだろうね。

 母さん手製の小物は薄い赤やレースが採用されて、部屋全体のバランスは男の子と女の子がせめぎ合っている感じ――まぁ、ある意味、おれの現状とぴったり一致してる。


 壁の漆喰をピンクにするといわれた時は、母さんの愛の重さに押しつぶされそうになったけど。

 まぁ、それは余談。


 そんな統一感のない部屋の中、唯一女の子が勝っている部分。

 母さんが 「女の子には全身映る鏡が必要なの!」 と強硬に主張して、父さんのトレにはまだ早いとかおれの小遣いでは無理とか色々な言い訳を押し切って買ってこさせたレースの覆いで飾られた姿見。

 そこには、スリップ姿の女の子が百面相が映し出されている。

 まぁ、女の子っておれなんですけどね。


 鼻がちょっと低い気がするけど、眼は大きくてはっきりしてるし、なかなか可愛らしい気はする。 まぁ、会ったことがある子供が少なくて、この世界での可愛いの基準に入るのかはよくわからないけど、少なくともおれ自身は気に入ってる。

 母さん譲りのメープルシロップみたいな色のさらっとした髪の毛と、父さんと同じグレーの瞳はとっても綺麗で自慢。

 という自己満足はさておき。


 普段は母さんが自分のお古や父さんのお古を仕立て直して作ってくれたジャンパースカートにブラウスとかぼちゃパンツで過ごしているけど、よくよく考えてみたら、この世界の女の子。 なんて広い範囲じゃなくてもいいな。

 ここいらの女の子にとってどんな服が普通なのかよくわからない。

 あんまり浮いた服を着ていくのもなんだか嫌だし、かといって自分が可愛いと思わないのを選ぶのも……。


 ん? いや待て。

 なんか、思考が女の子ナイズされてやしねえか?

 ここのところ、思考が肉体に引っ張られるようになってきてる気がする。 (精神的には)二十歳に届こうという男が、ちょっと出かけるのに着る服で、可愛いの可愛くないのって悩むのはどうなんだ?



「ずいぶん時間がかかったのね、おしゃれさん」

「ごめんなさい」


 たっぷり二十分は鏡の前でショーをやった結果、三段重ねのフリルがついたオフホワイトのカットソーに少ししっかりした生地で出来たピンクのパンツ。 裏地にボアのついたベージュのケープという格好に収まって、部屋から出てきたおれの姿に、母さんは苦笑い。


「変ですか?」

「大丈夫よ、トレはなにを着てても可愛いもの」


 そういうことじゃないけど、まぁいいや。 出かける前だけど、もう疲れた。


「買ってくるものはメモに書いておいたから、それを読んでね。 ハゼッカさんにメモごと渡しちゃうとどれもどっさり入れられちゃうから、しっかり自分の目で見て。 トレの手で山盛二回分くらいをとって測ってもらって。 あまり多く買うと香りが飛んじゃうから、ちょうどいい量が大事よ」

「わ、わかりました」


 初めてのおつかいなのにかなり指示が多いよ、母さん!

 しかも、三歳児に対して、文字が読めるって前提の指示はどうなのかなあ。 デアルタさんと僧正様が毎月毎月送ってくれている本を読んでるのを見てるからこそなんだろうけど。


「銅貨二枚渡すから、残った分はお菓子を買って食べなさい。 村まで歩いたらお腹がすくでしょ」

「足りなかったらどうしましょう?」

「大丈夫だと思うけど、もし足りなかったら足りる分だけでいいわ。 ディルだけあれば、あとはまた今度でかまわないから」


 おつりを好きに使ってもいいってのは嬉しい。

 でも、用件をよく考えるとそんなに急ぎの買物じゃないって事でしょ。 母さんの目的は香辛料じゃなく、おれを一人でお出かけさせる方なんじゃね? もしかして、今日は家にいると邪魔なのかな?


 多分、また百面相していたんだろう。 母さんにはおれがなにか考え込んでいるように見えたのかもしれない。

 少し間をおいてもう一度話し出す。


「それと、村の南側に港があるから、ちょっと様子を見てきてほしいんだけど」

「港ですか?」

「そう。 トレはまだお船を見たことないでしょ?」

「お船があるんですか?」

「小さいのだけどね」


 おお。 港に船か。

 前世は海なし県で育ったおれ。 なので港とか船を見られるっていうのはちょっと嬉しい。


「桟橋の脇にお家があるから、そこに住んでるカレカっていう人にお手紙を渡してね」

「わかりました」

「カレカがいなかったら、帰りに詰め所の当番さんに預かってもらって」

「はい!」


 母さんから白くて飾り気のない封筒を預かる。 おれの部屋とか服とか、おれには一生懸命女の子を演出しようとするけど、母さん自身は女性的な小物を使う事はほとんどない。


 しかし、長い道のりを歩いて、お買物。 預かった手紙を届けて帰ってくるって、例の番組並みの大冒険じゃん。

 なんとかクイーンズの歌が聞こえてきそうなシチュエーションですよ!

 まぁ、中身は大人だから泣いたりしないし、見せ場はほとんどないだろうけどな。


「トレのバスケットはこれね」

「おっきいですね」


 母さんが渡してくれたおれ用のバスケットは、母さんやマーレが使うものよりもずーっと小さくて、白いレースで飾られている。

 それでもその小さいバスケットを持ってみるとちょっぴり邪魔っけな大きさ。買物って大変なんだな。


「お金はこのポシェットに入っているから落とさないように」

「はい」

「手紙はポケットに入れていきなさい」


 カエルの形のポシェット――がまぐちみたいに金具で止めるつくりのやつを首からかけてもらっていよいよ大冒険(言い過ぎ)に出発!


「じゃあ、いってらっしゃい」

「いってきまーす」



 家を出た途端、冷たい風にほっぺたを撫でられた。 ちょっと身震い。

 窓から母さんが手を振ってくれていたので、おれも手を振って、精一杯元気に歩き出す。


 可愛い、おれ! ――って、どんだけ自分のことが好きなんだ、おれ。


 家の前まで来ている道は、街道から少しそれる形の支道で、緩やかな下り道。 まぁ帰りはながーい登り道になるってことだけど。

 家の向こうはレンカ湖を見下ろす崖なので、この道そのものはうちの家族――アーデっていう名字らしいのでアーデ家専用で、時々馬車や車が通る以外、ほとんど誰も通らない。


 そのおかげで、おれの足音だけが てってってっ とリズムよく響く。 他には風の音くらいしか聞こえない。

 ところどころにすーっと空に伸びるみたいに生えている木(杉かな?)が、あまり元気とは言えないこの世界の太陽光をさえぎって、不気味な影を作っている。

 その影は、木が風に揺れるたび揺らめいて、地面の中から手招きしているみたいに見えた。


 それを見るたびちょっと泣きそうになる。 っていうか、視界が涙でちょっとぼやけるくらいには泣いちゃってた。


 正直言って、家を出て四百メートルくらいでもう後悔し始めていましたよ。

 だって、ものすごく静かだし、景色全体の明暗のコントラストが不気味なんだもん。

 中身は二十歳そこそこの男だし大丈夫、とか余裕かましてたおれは、土下座して謝るべきだと思う。


 主におれに。


 ちょっと早足に ――といっても、四百を一分切って走ってたおれからすれば、恐ろしいほどの低速なんだけど、とにかく頑張って一キロくらい進む。

 少しだけ斜面が急になって、ヘアピンみたいに曲がった隘路を抜けると街道に出る。


 街道はアーデ家専用道路に比べて大きくて、馬車か車が引いた轍の平行線があって、人の往来の気配が出てきた。

 とりあえず一安心。


 轍に沿って街道を二百メートルくらい南に進むと村の入り口――少し高めの木の柵と、簡単な門が見えてくる。


 門からすぐのところに当番さん ――一応国境の村なので、出入り確認の詰め所がある。

 本当によそから来た人はここで記帳をして村に入ることになっているって母さんから聞いたけど、子供もするんだろうかね?

 まぁ、書けって言われたら書くけどさ。


「こんにちは」

「はい、こんにちは。 おや、あんたトルキアさんとこの娘さんだね?」


 今日の当番さんは女性。 全体にまあるい印象のふくよかな人だけど、その印象に反して両耳の後ろには鋭い角がある。

 これも“授かり物”の一種だと母さんが言ってたっけ。


「トレっていいます。 おつかいに来たんですけど、通っても大丈夫ですか?」

「一人でおつかいかい?」

「はい。 かーさまがピクルスを作るのに必要なスパイスが切れそうだからって」

「そうかい、小さいのにえらいね」


 小さいって言われるのはあんまり嬉しくない。 だからって突っかかる訳にもいかない。

 いかないですけど、この辺の子の中で自分がどれくらいなのかは気になるからね。

 確認ですよ。


「トレって小さいですか?」

「うちの村にはでっかくて頑丈な男の子しかいないから、トレちゃんは小さく見えるね」

「そうなんですか……」


 この世界でも、ちびの代名詞って言われるのからは逃れられないかもしれない。 四十万(しじま)に交渉して上背を伸ばしてもらおうかな。

 なんてこと考えていたら、知らずに百面相をしていたらしく


「そんながっかりしなさんな。 あんたもトルキアさんみたいな美人になるよ!」

「でも、トレはかーさまより大きくなりたいんです」

「じゃあ、いっぱいご飯を食べなくちゃね。 トルキアさんのご飯は美味しいから、すぐ大きくなれるよ」


 思いっきり慰められたし。


 でも、この村辺りの基準では、母さんは美人さんの部類に入るみたい。 美的感覚がそんなに乖離していないならわかりやすくていいな。


「じゃあ、ご飯の材料を買ってきます」

「うん。 気をつけて行っておいで。 秋口と春先は、お腹を空かしたオオカミが出るかもしれないから、村の中といっても十分に気をつけて」

「ありがとうございます」



 当番さんの詰所から少し行くと、道は小さな。 でも、少し流れの速い川 ――村の南にある湖、レンカ湖に流れ込むレニ川にぶつかる。 ぶつかった所から五十メートルくらい西に歩くと人間用の小さな橋がある。

 馬車はそのまま川をざぶざぶ渡っちゃうけど、人間には少し深いから、みんなその橋を渡る。

 渡ってもう少し行くと風車のある広場。


 村の中心にある四つの大きな風車は、湖から吹く風を受けて今日も元気に回っている。 母さんがいうには、この風車を使って井戸水をくみ上げたり、麦を挽いたりする、村のみんなの生活を支える柱みたいな施設だそうだ。

 この風車のてっぺんには風向きを教えてくれる鳥の飾りがついている。 風が強くなると前傾するようになっているらしく、日によって。 時間によって姿が変わる。

 形のかわる様子が面白くて、暇なときは家の窓からずーっと眺めていた。

 でも、いつもなら遠くから眺めるだけどの風見鶏は、三歳になったおれよりもちょっと大きいくらいの代物で、ちょっとびっくりした。

 こういう発見って大事だよね。



 風車広場には何軒かお店が並んでいて、村の外から仕入れた物を売ってる。 金物屋さんとか興味があるものは色々あるけど、今日のおれの任務はおつかいだ。

 東側の風車のすぐ下にあるハゼッカさんの雑貨屋に。


 決して大きな建物ではないけど、後ろ側に調理スペースがあるらしくて、大きな煙突と長い軒が特徴的なお店のパインの扉を開けてとりあえずご挨拶。


「こんにちは」


 でも、返事はない。

 カウンターの奥でなにかごそごそ音がしてるから、ハゼッカさんはいるんだろうけど。 お店に入ればいらっしゃいませって声をかけてくれるコンビニに慣れてるからかすごい違和感がある。


 採光に気を使っていないのか、それとも商品の日焼けを気にしているのか、とにかく薄暗い店内には、だけど整然と物が置かれている。


 少し硬く焼しめて保存できるようにしたパンは鉄貨十枚。 調味料を入れるガラス容器は銅貨二枚。 背表紙にルザリア自治州地誌って書いてある本には銀貨五枚。

 母さんと一緒に来たときは特に気にしてなかったけど、それぞれの商品につけられた値札からは、工業製品や知識に関する物が高額で、農産品は価格が安い。

 自動車があったり活字があったり ――この世界の本は、挿絵以外全部印刷でできてるって気づいたのは、お店にある本の背表紙も同じ字体だったから。

 とにもかくにも、家内制手工業の方が主流なんだって気づかされる。


 しかし、毎月一冊ずつ高価な本を送ってくれるデアルタさんも僧正様も、おれに期待してくれているんだろうな。 どうも自信が持てない。

 まぁ、今気にしても仕方ないんだけど。 でも、本の価格を見ると、二人の期待がちょっと重い物だと気がついたり。


 まぁ、二人の期待の重量感はともかくとして、ハゼッカさんにスパイスを用意してもらわないと!

 もう一回、大きく息を吸い込んで、お腹から声を出してカウンターの奥に向かって呼びかける。


「あの、こんにちは!」

「ん? おぉ、なんだちび」


 カウンターの奥からニットの帽子をかぶった髭面のおじさん――ハゼッカさんが顔を出した。 帽子はちょっと型崩れをして、髭は右側だけおでこの方に向かってくせがついている。

 寝てたな、糞親父!


「かーさまからスパイスを買ってくるように言われてきました」

「なにが必要なんだ?」

「キャラウェイとディル、ジュニパーがほしいんですけど」

「ん」


 短く唸って顎をしゃくる。 態度わりいな、じじい!

 そっちを見ると小さな麻袋に入ったハーブが並べられてた。 別に探さなかった訳じゃないよ。

 ハーブとかスパイスって葉っぱで置いてあると思ってただけでさ。


 麻袋には価格が書かれていて、それぞれキャラウェイが鉄貨三十五枚。 ディルが鉄貨三十枚。 ジュニパーが鉄貨五十八枚。


 ……うん。 高いんだか安いんだかさっぱり。


「とりあえず、一番小さい単位でください」


 そう頼むと、面倒くさそうに立ち上がって、麻袋からそれぞれひしゃく一杯ずつを取り分けて、油紙に分け、麻ひもでくるっとくくってくれた。

 手際はいいんだけど、あんまりやる気が感じられないん。


 この世界の商売ってこんな感じ? いや、そんなことないだろ!

 母さんがいたときはちゃんとしてたし!


 んで。 ポイポイポイっと渡された包みをバスケットに入れて、釈然としないけど、お金は払う。

 銅貨二枚、と。


 カウンターに硬貨を置くと、ハゼッカさんは大きめの鉄貨を九枚返してきた。

 大鉄貨九枚、か。

 九枚だから鉄貨九十枚分。

 ……九枚。


 おい、計算間違ってんぞ、じじいいぃぃ!


「おじさん、これ少しおかしいです」

「あん?」

「銅貨一枚で鉄貨百枚ですよね? キャラウェイが鉄貨三十五枚、ディルが鉄貨三十枚、ジュニパーが鉄貨五十八枚。 トレが出したのは銅貨二枚だから、大鉄貨のおつりが九枚は多いです」


 いわれたハゼッカさんはそろばん――おれが前世で扱ってきたのとは違って、五の玉が二個あるけど、その石をぱちぱちとはじく。


「ちび、賢いな?」

「そうでしょうか?」


 おめえがバカなんだよ!


「まぁ、多かった分はおじちゃんがおまけしてくれたってお母さんに伝えりゃいい。 おめえさんどこの子だ?」

「丘の上の……」

「トルキアさんの娘さんか!?」


 言い切るより前にハゼッカさんはカウンターの上に身を乗り出してきた。

 なんだこれ?

 母さんと一緒に何回か来てるんだけど、おれのこと見えてなかったのかな。


 そういえば、いつもいつも母さんだけをじっと見てたような気も……。

 なにこいつ。 母さんに気があるの?


「道理で道理で、別嬪さんだと思ったんだよ」


 嘘つけ!

 もう疲れた。 とっとと帰ろう。

 そう思ったら、お腹がきゅーっと鳴った。


「あの。 余ったお金でお菓子を買って食べてきなさいって言われているんですけど、美味しいのはどれですか?」

「どれも美味いよ! と言いたいところだけど、トルキアさんの料理と比べられると厳しいな」


 おれの問いかけにむむうと唸る糞親父。

 さっきまでのやる気のなさがあるから、その豹変ぶりが気持ち悪い。 あんたさっきと別人だろ、地味に。

 とはいえ、母さんの料理の腕前に言及したのは気になる。


「おじさんはかーさまの料理を食べたことがあるんですか?」

「トルキアさんはむかし村に住んでたからな。 祭りのときはすごい料理を作ってくれたよ」


 知らなかった。


「そうなんですか」

「あ、そうだ。 そこのジャムサンドは美味しいよ。 トルキアさん直伝のレシピで作ったてるからな」


 そう言うと、あからさまになにか下心的なものを感じさせるこのむくつけき親父は、お店に入ってきたときに見かけた硬く焼しめたパンに緑色のジャムを挟んだお菓子をさした。


「じゃあ、それを三つください」

「そんなに食べられるのか?」

「かーさまととーさまにお土産です」

「そうか。 なら一個おまけだ。 ちびちゃん、名前は?」

「トレです」

「トレちゃんの初めてのおつかいの記念に、おじちゃんからのお祝いだ」

「ありがとうございます」


 ハゼッカさんはカウンターから出てきて紙袋に入れてくれた。 最初っからそれくらいのサービスをですね ――ってもういいや。


 お菓子を紙袋に詰めてもらったんだけど、リボンまでしてくれたのはなんなんだろう? あの太い指でそんなにきれいにできるもんなの? って思うくらい可愛い赤いリボンで飾られた紙袋をバスケットに詰めて、大鉄貨4枚を払う。


「一枚十二鉄貨だから、おつりは二鉄貨かね」


 四鉄貨だよ! もういいここから出よう。

 馬鹿が伝染る。

 ちなみに、この買物で差し引き十一鉄貨の儲けが出ましたとさ。

 なんだこりゃ。



 お店を出てもう少し南に向かう。

 今度は港にお手紙を届けないといけない。 お菓子はそれから食べることにしよう。


 母さんと一緒に買物に来ても、風車の広場より向こう側には行かないから、ここから先は未知の領域だ。


 大きな通りは左右を石垣に囲まれていて、ちょっと威圧感がある。

 家から見た感じ、この石垣の向こう側はブドウ畑が広がっているはず。

 斜面に広がる畑だから、崩れちゃわないように石垣で守ってるって話だけど、実際に見てみると石垣の方が崩れてきそうでちょっと恐い。

 この村のブドウは特別製らしくて、当番さんの発行する木札がないと畑には入れないってのは、いつだったかにマーレから聞いたお話。

 石垣が切れるところまでテクテク歩いていくと少しだけ傾斜が出てきて、下りきると湖に出た。


 ちょっとした桟橋とはしけにつながれた小さな船。

 木でできた小さな家は、おれが立っているところから見ると半分くらい湖の上に浮かんでいるように見える。 桟橋と地続きだからかな。


 湖の増水に備えてなのか、少し床の高くなったその家からは、湿気が多いせいなのか、それとも手入れが行き届いていないのか、苔むしていて人の気配は感じられない。

 でも、港に住んでるってこんな感じなのかもしれない。


 とりあえず、家の外から呼びかける。


「こんにちは、お手紙を届けに来ました!」


 返事はない。

 返事を待っていると、お腹がきゅーっと鳴った。


「……お菓子食べよう」


 船がつながれていない方の桟橋に腰かけて、バスケットからジャムサンドを取り出す。

 リボンは綺麗に結べていて可愛かったけど、母さんに恋文渡されるみたいでなんか気持ち悪かったから外す。


 ミルクの香りがふんわりとするビスケットみたいに焼しめたパンに、多分この村で取れたブドウのジャムを挟んだジャムサンドは、自信を持って勧めてもらっただけあってすごく美味しい。

 美味しいんだけど。


 これ、考えてみたら、あの髭が作ってるんだよなあ。

 味と顔が結びつかない(ひどい話だけど)。


 口をもぐもぐ動かしながら湖を眺める。

 深く沈んだブルーの水面に、あまり強く照らない秋の太陽が淡く柔らかく反射して、時々緑色に光る。

 遠い対岸は靄にけぶられた玉ねぎみたいな形の屋根の大きな建物は、ちょっと神々しい。


 左右には高台が張り出していて、おれの家からはどうしても見えなかった風景だ。


「きれいだなあ」


 前世でも、もちろん転生してからの三年間でも見た事がない風景に呆けていたら、すぐ後ろから


「お前、なにやってんだ?」


 なんて声をかけられた。

 さっき、おれが腰かけた時には誰もいなかったはずなのに。

 それに、水音だってほとんどしなかったのに、多分、水から上がってきたばかりなんだろう、全身ずぶ濡れの精々十歳そこそこに見える男の子が、おれを見下ろしていた。


 着ていたシャツを脱いで絞る仕草は手馴れていて、それが普段のやり方だって言わんばかり。

 半ズボンのベルトにはナイフを二本さし、一定の間隔ごとに結び目のついた銛を背負っているから漁師の子供なのかもしれない。


 しっかり鍛えられた猫みたいな筋肉をした ――上半身裸だったから思わずじっくり見たのは失礼だったかもだけど。 そいつは水泳を日常的にしているなら、もう少し焼けていてもよさそうなのにってくらい白い肌。

 その肌と対比すると夜空みたいに真っ黒な瞳がおれの方をじっと見ていた。

 鋭い目つきが少し怖い。

 どこかで見たことがある顔なんだと思うけど、どうしても思い出せない。


「こんにちは、あのカレカさんですか」

「お前は?」

「トレ。 トレ・アーデといいます。かーさま、あ、いえ……トルキアから手紙を預かってきました」


 ポケットから手紙を取り出す。

 それを受取ろうとして差し出されたカレカの手にはしっかりとした水かきがあった。 これも“授かり物”なのかな。 泳ぐときには便利そうだけど、ペンを持つときには不便そうだ。


「おい、どうした?」

「あ、いえ。 手が濡れてて、手紙がダメになっちゃうかもって」


 手をじっと見ていたのを気づかれたくなかったおれの苦しい言い訳に、カレカはふと笑った。 険のある顔をしていると思ったけど、結構可愛く笑えるじゃん! ――まぁ、こっちの方が年下だけどな。


「じゃあ、お前 ――えーと、トレ、だっけ? 読んでくれ」

「え゛!?」


 意外な返事に変な声が出た。 手紙って、そうそう簡単に人に読ませていいのか?

 お兄さんはだめだと思うよ。


 でも、そんなおれの心配に毛ほども気づかないカレカは


「まだ字読めないのか?」

「い、いえ、読めます」

「じゃあ読めよ」


 なんだこいつ。

 まぁ、いい、読もう。

 読み上げよう。


「カレカへ。

 しばらく顔を見ていませんが元気にしているでしょうか。

 村の人が親切にしてくれていると思うので、生活に困ってはいないと思います。

 でも、寂しい思いをしていないか心配です。

 たまにはうちにも顔を出してください。

 ファルカも心配しています。

 もう一度、学校に行ける手続きも終わっています。

 ファルカの上司によれば、在学中は州政府が行っている生活費援助も受けられるそうです。

 お父さんお母さんの事は残念でしたが、貴方を助けたいと思う人は大勢います。

 声をかけてください。

 それから、以前も手紙に書いたけど、うちにも子供が生まれました。

 貴方に手紙を届けに来ている小さな女の子が私の娘です。

 村から離れて暮らしているので友達がいません。

 一人ぼっちで寂しいのか、窓から村を眺めてはため息ばかりついています。

 できれば仲良くしてあげてください……だ、そうです。」

「ん」


 手紙を読み終えたおれに短く返事をした後、カレカはシャツを両手で持って、パンパンと音が出るくらいに振った。

 おれに水がかからないようにっていう風だったけど、多分、顔を見られないようにってところだろう。


 おれが寂しそうとかいうのはともかく、手紙の内容的に、カレカの両親にはなにか不幸な事 ――多分、命にかかわるようなのがあったってことはわかる。

 おれが死んだ時、前世の父さんや母さんが感じただろう悲しい気持ちを、十歳そこそこで経験して、それでも一人で立って笑える強さってどこから生まれるんだ?


「お前さ、そんな泣きそうな顔とかすんな」

「そんな顔してません!」


 また百面相してたらしい。

 思っていることがダダ漏れになるのはどうにかしないとだよなあ。


「トルキアさんには元気にしてたって伝えといてくれ」


 カレカは濡れたシャツをもう一度着こむと、あの苔むした小さな家に向かって歩き出す。

 その背中におれは声をかけた。


「あの、また来てもいいですか?」

「もちっと大きくなったらな。 それまでは、おれがおまえんちに行ってやる」


 言いながら手を振るカレカの背中は、男の――中身は男のおれから見ても、ほれぼれするくらいピンと伸びて格好良かった。


「あの、待ってますから!」



 家に帰ると、台所の様子が一変していた。

 コンロの上や暖炉の近くに、人の頭くらいの大きさで、麻紐でぐるぐる巻きにされたピンク色のなにかがぶら下げられて、なんだかすっかり異様な感じになっている。


 きょろきょろ見回していると、その異様ななにかを梁に渡した棒に結わう母さんが見えた。


「ただいま、かーさま」

「お帰りなさい、トレ。 寒かったでしょう」

「はい、手がかじかんでしまって」


 と言いながら、バスケットをテーブルに置き、暖炉で手をあぶる。


「かーさま、これはなにを作っているんですか?」

「ああ、これはハムを作ってるの。 朝晩、料理する時の煙で燻製して、出来上がりは雪が降り始めるころになるかしら」

「そうなんですか」


 母さんは 「よいしょ」 と一声かけて踏台から降りると、おれの隣に座って、同じように手をあぶり始めた。 家事をすごく頑張っているはずなのにきれいな手だなあ。 と、ちょっと感心。


「おつかいはどうだった?」

「楽しかったです。 とっても」

「そう」


 母さんは満足そうだった。

 やっぱり、おれを一人で出かけさせるのが本当の目的だったんだろうな。


「村の人がかーさまは料理がすごく上手だって言ってました」

「そうなの? 村で教わった料理だってあるのに」

「あ、とーさまとかーさまにお土産があるんです!」


 その夜。

 中身の方はあんまり動揺しないけど、小さい体で遠出をするのはやっぱり大冒険で、父さん母さんに土産話をたくさんした後、電池が切れたみたいに寝てしまった。



 次の日目覚めたら、色々な事が変わってしまうとも知らずに。

トレが初めてのおつかいに出かけました。

五話目を迎えたのに主人公がまだ三歳っていうのもいかがなものかとは思っています。

亀の歩み。


個人的にお話の中に出てくる子供をおつかいに行かせる番組は、大人が寄ってたかって子供に恐い思いをさせている気がしてしまって、実は苦手だったり。


次回更新は2012/12/25(火)7:00頃、秋久くん(……主人公の前世の名前、忘れがち)の過去の出来事と、久しぶりに四十万が登場して秋久くんに衝撃的な事を伝えるエピソードを予定しています。


余談ですが。

クリスマスイブに小説書いて更新してるかと思うと、ちょっと涙が出そうですけどね。

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