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43.笑顔でお話しできるかな

 南部の冬は深くて厳しい。

 もう九回目だし、そんなの当たり前になってるんだけど。

 でも、今年の冬は例年よりも雪が多い。


 そのおかげで、フフトの町まで続く道が閉ざされたり、物が行き渡らなくなったりっていう村もあちこちに出てるみたい。


 私が住んでるレンカ村は、軍隊の施設があって、車の行き来もあるからあんまり不便な事にはなってない。

 それでも、学校に来ると、今年の冬の厳しさが嫌でもわかってくる。


 他の村から来てる子がお休みしてたり、夕方帰ると危ないからって授業が切り上げになったり、その影響は色々。

 学校にも普通に通えるし、物に困る事もない私は恵まれてる方なんだって思う。


 思わないといけないんだろうな……。っていうのはわかってる。


 でも、送り迎えしてくれるリクヤさんには申し訳ないんだけど。

 手信号――前世で見た手話みたいな、手と指を使った会話の本の翻訳も忙しいし、ちょっとくらいお休みになってもいいのにって、思っちゃう。


 それに他の村の子が少なくなると、学校に居場所がないんだよね。



 私が生まれ育ったエザリナ皇国では“授かり物”――生まれついての畸形のあるなしで、人間は厳密に区別される。

 ……といっても、この辺りはだいぶやんわりなんだけど、それでも学校のクラス分けだってそう。


 帝都から疎開してきてるのはお金持ちだったり身分が高かったりする家の、“選ばれた子”――畸形がない子しかいない。

 南部生まれの“選ばれた子”は私しかいない。



 幼年学校では“授かり物”がある地元の子達と同じクラスだったし、放課後はその子達と遊んだりもする私は、クラスで浮いた存在。

 いわゆる“ぼっち”になって当然。


 でも、それ以上に決定的だったのは疎開してきた子達の憧れの的――私にとっては、幼年学校で一緒に勉強した男の子っていうだけなんだけど。

 いまも隣を歩いてるテアと親しげに見えた事……らしい。


 クラスの子ともめた時、色々あってちゅーされて。そのせいで、目が合うとちょっと変な感じになっちゃう。

 だから、私より少し背が高くて、高い位置にあるその横顔をちらっと見上げる。



 まぁ、見てる分には格好いいんだろうね。


 とがった顎と少し垂れた優しそうな目。

 真っ黒な髪は少し重い印象だけどさらさらだし、背筋だってすっと伸びてる。


 身分の高いお家の息子さんらしいし、教会の偉いらしいクレアラさんの部下だから出世しそうとか。

 優良物件なんだろうなっていうのはわかるんだけどね。


 って、ちょっとぼんやり眺めてたら、左手をぐいって引っ張られた。


「……レ、トレ。聞いてる?」

「え?あ、はい。ごめんなさい」


 強く左手を引っ張ったのはエウレ。

 幼年学校時代から仲良くしてくれてる大事な友達――なんだけど、最近、ちょっと変な感じ。


 昔は私、エウレ、テアっていう感じで並んで座るのが当たり前だった。

 それなのに最近――秋ごろからだと思うけど。エウレ、私、テアみたいに、私を挟んで並ぼうとする。

 今日もその並び。


 これ、やなんだけどなあ……。


「疎開組の子達がなんかもめてるみたいなの。気をつけた方がいいよって、そういう話しなんだけど……」

「そうなんですか」


 疎開組の子達に、いつでもくっついて行動してるグループが何個かあるのは知ってる。

 皆が仲良く出来るかって言ったら、無理だと思うし。そういうグループがあって、くっついたり離れたりするって、よくある話。


 けど、私にはあんまり関係ないかな。

 そもそもそういうグループの外側だもん。


「でも、大丈夫だと思います。トレにはあんまり関係ないですから……」


 別に辛いとかないし、二人が心配しない様にって思って言ってみたんだけど、なんか逆効果だったみたい。


 少しの沈黙。

 私を間に挟んだまま、エウレとテアがちらちらって視線を絡めてる。


「まだ仲間外れとか続いてるの?」

「ぼくから言おうか?」


 視線の交換が終わったかと思ったら、どっちからともなくそんな話。

 気遣ってくれるのは嬉しいけど、原因はテアだもん。

 そんな事されたら余計こじれちゃう気がする。


 前みたいに物を隠したりとかされてないし、クラスではホノマくんくらいしか話してくれないだけで、困った事もないんだよ。


 そんな、二人して、眉を寄せて考え込んだりしなくていいから!


「ほんとに大丈夫ですから」


 変な雰囲気をかき消したくて、精一杯笑顔を作って言ってみた。

 だけど、なんだか二人にもみくちゃにされるみたいに頭撫でられる。


 髪が崩れるってば!




 そんな事があってから何日か経った。

 雪が多いのは相変わらずだけど、学校と言ったらいいのか、教会のと言ったらいいのか。

 教会が学校をやってるからどっちでも正しいんだけど、とにかく広大なお庭には蒸気を使って雪を溶かしちゃう設備があって。

 だから、冬場でも晴れた日には体操の授業――前世でいったら体育の授業がある。



 教会の西棟の前。

 少し広い空間があって、そこに集まって体操したり、正門まで走ったり。

 あと、あったかい時期はボールを使った競技とか、室内でダンスレッスンとか、内容は色々。

 今日は広場から正門まで走って戻ってっていう内容みたい。



 体操の授業のときは男女別の班分けだから、クラスで唯一話してくれるホノマくんはいない。



 それなのに二人組を組めって言われたりするんだよね。

 んで、当然の様に相手がいないの。


 だからって、体操を受け持ってるハビラ先生――熊みたいにおっきな体格のおじさんで、すごくおっきな指が四本しかない手をした男の人なんだけど。

 先生と組むのも嫌。

 ないないづくしなんだけど、今日はちょっぴり様子が違った。


 二人組とか三人組とかのグループが何個かあって、私だけ余ってるのはいつも通り。

 でも、今日はもう一人余ってる。


「あ、あれ?」


 いつもなら取り巻きの子達の真ん中で、ちらちらってこっちを見てるはずの子。

 背が高くて、いつも堂々としてる印象のフィテリさんが、隅っこの方でしゃがんでて。思わず二度見。


 なんなんだろう?

 じろじろ見るつもりなんかないんだけど、でも、なんだかどうしても目がそっちを見ちゃう。


「……なによ」


 しゃがんでるせいなのか。それとも、体調とか機嫌のせいなのか、よくわかんないけど低いところから響いてくる声は険があっておっかなかった。

 ぷるぷる首を横に振って、柔軟を始める。



 広場から正門までは直線の通路があって、距離にして二百メートルくらい。

 こんな感じで走る授業って何回かあったけど、毎回、これ以上浮いちゃってもいけないかなって、流すくらいのペースで走ってる。


 でも、しっかりストレッチして、筋肉を伸ばしとかないと怪我しちゃうかもしれなからね。

 二人でやればもっとしっかり伸ばせるんだけどな……って思うと、どうしてもフィテリさんの姿が目に入っちゃう。


 しっかりストレッチしたいなっていうのももちろんなんだけど、顔色がよくないのが気になる。

 ひっぱたかれた事あるし、その後ずっときまずいまま。「一緒にやろう」とか「大丈夫?」って声かけるのもなんだかなあ……。


「……なによ?」


 そういうの全部なかったことにしても、怖いし。




 結局、フィテリさんはストレッチをちっともやらなかった。

 怪我したりしないか心配だけど、なんだかすごく拒絶されてる感じ。

 どうしていいのかよくわかんなくて、でも、心配でお腹の中がいらいらいでじくじくする。



 正門まで四往復が今日の種目みたい。

 距離にして八百メートル。


 一番得意なレンジだし、ストレッチも十分やって走れる足になってる。

 目立つと面倒な事になるかもって、いつもならセーブしてるけど、翻訳とか勉強とかクラスとの軋轢とか。

 あと、フィテリさんに声をかける勇気がない、情けない自分とか。


 なんかむしゃくしゃしてるんだ。

 ちょっと全力出してみよう。


 すっきりするかもしれないしね。




 ハビラ先生のホイッスルがスタートの合図。

 前の子が走り出して十五秒くらい。

 スタートラインに立つと、まだ前の子の背中が見える。



 スターティングブロックなんかないし、他にクラウチングで走り出す子なんかいない。

 だから、スタンディング。


 軸になる右足にぎゅっと力を入れて、両手の力は抜いたまま、身体を前に傾ける。

 左足は軽く後ろに引いて、つま先に力を入れる。


 少し前の地面だけを見る。

 他の子と全然違うスタート姿勢だけど構うもんか。



 ぴっ……とホイッスルの音が短く鳴るのと同時に右足を思い切り蹴って、身体を前に弾き出す。

 それに連動させるように手を大きく振って、身体をもっと前に。右足は大きく、でも、素早く踏み下ろして次の一歩。


 そのままの勢いで、いつもより四歩短いところ――十一歩でトップスピードにのせる。

 風が耳元でごわっと鳴って、それが後ろに通り過ぎてくのを聞きながら、疾走。



 十五秒くらいで前の子の背中が見えてくる。


 カラーのついた紺のシャツは少しだけしわが寄ってる。綿の服って、洗濯の後、ちゃんと伸ばしてあげないとしわになっちゃうんだよね。

 疎開組の子達って、可愛い服着てるのに、手入れが雑!


 なんかむかつく。



 腕の振りを少し大きくして加速。

 往復がメニューだから向かいからくる子もいるんだけど、左に身体を振ってかわす。


 ちょっと速度が落ちるけど、百くらいの短距離ならまだリカバー出来るし、呼吸だって乱れないからね。


「っふ!」


 ちょっと短く気合を入れて、進路を細かく変える。減速。それから、もっかい加速。


 もう一個前の順番で走り始めた子の背中をとらえる。

 この子の体操服も可愛い。


 でも、どうせ汚れる服なんだから、もっと地味なのにしたらいいんだ!


 変な意地――しかも、誰も理解してくれないような嫉妬みたいな感情を爆発させて、往路で二人。

 復路でもう二人抜いて、一往復終了!


 もういっそ一番になろう。うん。




 なんてちょっと気合を入れてみたんだけど、それどころじゃなくなっちゃった。


 二往復目の往路の途中。

 百メートル行くか行かないかのところで、フィテリさんがうずくまってた。


 全力で走るのはやっぱり気持ち良くて。それに、体操の時おっかなかったのとか色々あって、無視しちゃおうって思ったんだけど。

 コースでしゃがみこんでるのを見ちゃうと、声をかけない訳にいかない。

 危ないもん。


「フィテリさん、大丈夫ですか?」

「……う」


 返ってきたのは、なんかうめくみたいな声。

 でも、その後すぐ、私の方にきって向き直って、なんか言うんだって“見え”てるから、お腹に力を入れて、おっきな声に心の準備。


 あ、ひっぱたくつもりもあるみたいね。


 いいよ、もう。


「うるさい!」


 声と同時にぱちんって音。

 それから、右のほっぺたが熱くなって、じんじんと痛みがしみ込んでくる。

 まぁ、覚悟はしてた。


「こんなとこでしゃがんでると危ないですよ」


 ほっぺは痛いけど、立ち上がってもらわなきゃ危ないから、手を伸ばす。


 そしたら、フィテリさんは私の顔と手を交互に二回見る。

 意地悪なんかしないのに、疑ってんのかな?

 失礼しちゃう。


 フィテリさんがのろのろと私の手をつかんで立ち上がる。

 立ち上がろうとした。

 ……みたいだったんだけど、背筋が伸びるより前に、身体がぐらっとかしいできた。



 私よりずっと肉付きがいいフィテリさんの身体は、なんて言ったらいいのか。ものすごく重い。

 それに重いだけじゃなくて、つかみどころがないくらい柔らかかった。


 こんな時になんだけど、おっぱいもおっきい。


 関係ない事で頭ん中ぐちゃぐちゃなままだけど、なんとか踏みとどまる。


「しっかりしてください」


 足元をふらつかせたままのフィテリさんを、芝生のとこまで引きずるみたいにして連れてく。

 私より背も高いし、肉付きもいいフィテリさんに体重を預けられて歩くのは、走るのより大変。


 そんなに調子悪いなら体操の授業なんて休めばいいのに……って思うけど、そんな話できる雰囲気でもなくて。

 フィテリさんは膝の辺りから力が抜けるみたいにぺたんと座ったまま、それでも私の手を放してくれなかった。

 ……なんなんだろ。


 ぎこちない沈黙。

 通路の方を見ると、さっき追い抜かした子が通り過ぎてく。

 いつもフィテリさんと一緒にいる子達の一人だ。


 その子は、いったん通り過ぎてそれから戻ってきた。


「なにやってんの?」


 少し離れたところから響く険のある声。


「あの。フィテリさん、具合が悪いみたいで……」


 仲良しグループなんだし、フィテリさんの面倒を見てくれるんじゃないかなって。ちょっと期待したんだけど。

 でも、その子の目は、私を見るより、フィテリさんを見る方が冷たい。


 その子は私の話なんか聞かないで、フィテリさんの前まで大股で歩いてきた。


「いつも仲間外れにしてる子に助けられるなんて、情けない!」

「……っ」


 仲間外れにされてたのは知ってたけど、本人の目の前で、わざわざ言わなくてもいいんじゃない?

 ……いいけどさ。


 その子におっきな声で言われると、フィテリさんはようやく私の手を放して、ふらふらと立ちあがった。


「この子が勝手にした事だもの。助けてなんて言ってない!」

「助けてもらっといてよくそんな事言えるわね」

「うるさい!」

「なによ!」


 言い返すフィテリさんがその子に詰め寄ろうとして、でも、足元はおぼつかなくて。そんなフィテリさんの前に立ってる子が手を振り上げるのが“見えてて”。

 もう勘弁してって思うけど、調子悪そうな女の子がひっぱたかれるのをただ見てるなんて、やだ!


 痛いってわかってて踏み出すなんて、ほんとは怖いけど。それでもフィテリさんと振り上げられた手の間に割り込む。



 ぱちんって音。

 それから、ほっぺたが熱くなって、じんじん痛くなるのはフィテリにひっぱたかれた時と同じ。

 でも、フィテリさんより元気な分、いまひっぱたかれた左のほっぺの方が痛い気がする。


「っつぅ」


 思わずほっぺをおさえて、ひっぱたいてきたその子を見る。

 振り抜いた手を変な位置で止めて、驚いたみたいな表情。そんな顔するなら、軽々しく暴力を振るわない方がいいんじゃないかな?


 最初は三人だけの芝生の上。だけど、ひっぱたいたりとかまでなっちゃうと、もうほっとけるような状況じゃないんだろうね。

 走ってた足を止めたクラスの子が、少しずつ集まってきてた。



 かけっこはともかく、こんな事で悪目立ちしたくなかったんだけどな。

 でも、そんなこと思ったって、もうしょうがない。


「……なんなの、あんた」

「軽々しく人をひっぱたいたりしちゃ、駄目です。フィテリさんも体調悪いなら……」


 言い終わるより前に、シャツの裾――お尻の上くらいのとこがぐいって引っ張られて、その後、とさって音がお尻の下辺りで聞こえた。


「フィテリさん?」


 振り返ったら、さっきまでなんとか立ってたフィテリさんが座り込んでた。

 辛そうだったし、足から力が抜けちゃったのかもしれない。


 前世で読んでたエッチな本――他の色んな事がぼんやりしちゃってるのに、こういうのは鮮明なんだよなあ……。

 まぁ、そういう本でいう所のM字開脚みたいな姿勢でしゃがみこんでて。呼吸もなんだか少し早いみたい。

 顔が真っ青なのはもちろんなんだけど。


 でも、体調が悪い理由になんとなく気づいちゃった。


 ズボンの股布の辺りから垂れ下がるみたいな汚れがあったから。


「おい、どうした。なにがあった?」


 クラスの子達が集まって団子になってたら、そりゃあ先生が来るのは当たり前。

 けど、ハビラ先生も男の人だし。いまのフィテリさんを預けるのはなんかやだ。


「あの、フィテリさんが具合悪いみたいなので、医務室に連れて行っていいですか?」

「ならおれが行くか……」

「先生は授業を続けてください」


 先生の言葉をさえぎって、フィテリさんに肩を貸して起き上がらせる。

 起き上がらせようとした。

 ……んだけど。力の入らないフィテリさんは思ってたより重くて、なかなか立ち上がれない。


「私も行ってきます」


 んーって何回か力を入れて。

 でも、駄目で。そうしたら、さっきフィテリさんの事をひっぱたこうとした――結局、ひっぱたかれたのは私なんだけど。

 でも、ひっぱたいた子が逆側から肩を貸してくれた。


「行ってこい。他の皆は続きを」


 先生の言葉を背中にききながら、三人でよろよろと歩く。


 ナプキンも生理用のパンツも着替えを入れたカバンの中に入ってる。着替えは玄関とこのロッカーに入れてあるから、それを持ってけばきっと大丈夫。

 うん。




 ベッドが何脚か置かれた少し薄暗い空間。

 消毒用のアルコールかなにかの、ちょっと甘い匂いが漏れ出してくる医務室の扉を、足で開ける。


 行儀悪いけど緊急避難だよね。


 いつもなら当番の先生がいて、隅っこの机で事務仕事とかしてるはずなんだけど、今日に限ってその姿がなかった。

 そのかわり


「トレ、授業はどうしたの?」


 ベッドのすぐ脇に、ここにいちゃいけないはずの人――いま、この教会を預かる責任者のはずなんだけど。

 そんな人が不機嫌そうに立ってた。

 蜂蜜色の髪の毛の間からエメラルドみたいに輝く緑色の瞳がきろっとこっちを見てる。



 声の調子はちょっぴり咎めるみたいで。でも、髪はぼさぼさに乱れてるし、左右合わせの教会服は少し緩められて、色の白い胸元が見えてる。

 絶対、ここで昼寝してたよ。この人。


 ……なんて事にかまってる場合じゃなかった。


「クレアラさん、エアーデ先生を呼んで来て頂けませんか?」

「ぼくじゃ不足かい?」


 ぼさぼさに乱れて少し目にかかった髪をかき上げながら、整った唇をくってあげて笑う。

 そういう色気とか、いま、ほんといらない!


 あと、フィテリさんの向こう側のお前!

 ぽーっとするとか後にして!


 力抜くな!


 重い!


「女性の手をかりたいんです」


 目を合わせて話しするとかほんとはやだけど、おしりにきゅっと力を入れて我慢する。

 伝えるべきことは伝えなくちゃ。


 クレアラさんとびびっと目があったまま二秒くらい。


「わかった。他に必要なものは?」

「教室からトレのカバンを。それと、エアーデ先生に痛み止めを持ってきてくれるようにお願いしてください」

「うん。かばんはエウレに言って持ってこさせる。後をお願いしていいかな?」

「もちろんです」


 いつものちょっと笑ったみたいな顔じゃなく、ちゃんとした大人の表情でうなずいたクレアラさんはすいっと部屋から出て行った。



 そんなクレアラさんをなんだか熱のこもった目線で見送ってる、フィテリさんの向こうにいる子。


「えと、あの……」


 一緒に来てもらったのに名前がわかんなくて、ちょっと戸惑ってたら「アールネ」ってちょっと不機嫌そうに名前を教えてくれた。


「アールネさんはフィテリさんの部屋から着替えを持ってきてもらえますか?寝間着とか、少しリラックスできそうなのがいいんですけど」

「わかった」


 力強く言ってアールネさんも部屋を出てく。



 あと、これからどうしよ。

 母さんの言ってた事を頭の中に浮かべる。まず、綺麗にして。着替えてもらわなくちゃいけないし、ナプキンの使い方も……。


 っていうか。自分がまだなのに、なんで人の面倒見なくちゃいけないんだろ?


「フィテリさんはズボンとパンツ脱いでください」

「なにいってんの!?」


 まぁ、当然の反応だよね。

 なんにも知らなかったら、私も多分こうだもん。


「汚れてるの気づいてますか?」

「え?」


 きっと、なんか変な感じはしてたんだろうね。

 太腿の付け根の辺りに手をやって、フィテリさんはその手を目の高さに上げた。


「な、にこれ?血……え、なんで!?」


 そんなに顔色のよくなかったフィテリさんなのに、さーっと血の気が引いて唇まで真っ青になってく。

 生理の話は母親がするんだって、母さん言ってたっけ。


 だとしたら、フィテリさんはなんにも知らないんだ。


 怖かったり、意地悪された嫌な思いだったり。フィテリさんには色んな気持ちがあるけど、今にも泣きだしそうなフィテリさんを見てたら、そういう気持ちがすっと冷めてく。


「フィテリさん、落ち着いて」

「なんなの、これ。なんなの!?」


 かちかちと歯が鳴る音。それから、自分で自分を抱くみたいにきゅーっと縮こまるフィテリさん。

 その姿は、いつも自信満々で。強そうで。私のカーディガンを盗っちゃったときの、嫌な感じなんかどこにもない。

 ちっちゃな子供みたいで。だから、抱きしめたくなった。


「落ち着いてください」


 エウレに話した時もそうだったけど、生理の話を他の誰かにするのって、なんだかくすぐったい。


「これは、女の子が赤ちゃんを産めるように、身体の中で準備してる証拠なんです」

「どういう、こと?」


 フィテリさんの目の端に膨らむ涙の粒は、もう零れ落ちそうで。そんな不安な気持ちを早く消してあげたいっていう気持ちと。

 私の中にある、前世の――男の子だった時の記憶が、心のどこかでくるくるっと転がるみたいな感触を、ぎゅっと押し込めて、母さんから教わった事を、ゆっくりゆっくり話す。


「……だから、綺麗にしておかないといけないんです。ズボンとパンツを脱いでもらっていいですか?」

「うん」


 男の子だって色々だったから当たり前かもだけど、フィテリさんの大事なとこと、私の大事なとこ。ぱっと見ただけでもちょっぴり違ってた。

 おへそから下にちょっといったとこには、ほわほわって毛も生えてる。

 やっぱり髪の毛と同じ色……んー。少し濃いかな?


 お腹からお尻にかけての丸みは、もう女の人って感じで。ほんとはじりじろ見たりするつもりないのに、なんだか目が勝手に見に行っちゃう!


「じろじろ見ないでよ……」

「あ、ごめんなさい」


 変態か、私!




 濡れ布巾で血をぬぐって、ナプキンを当てて。ちょっとゆるいとか失礼な事言いながら、生理用のパンツをはいたフィテリさんをベッドに押し込む。


「とりあえず、もう大丈夫だと思います。あとは、えと……」


 ……進んでこうなったんだけど、いじめっ子と二人きりって、いじめられっ子としてはなんか気まずい。

 冷たい空気との温度差でストーブが立てるちんちんっていう軽い音だけが反響してる。


 なんもしゃべる事なんかないし、なんか、こう。

 下半身だけだけど、裸の付き合いみたいになっちゃったし。話しかけられても、そこだけ思い出しちゃう感じで、どうしていいのかよくわかんない。


 ぐしゃぐしゃな気持ち。


「ねぇ」


 どうしたらいいんだろうって、なんとなくお腹から下をシーツにかくしてベッドに腰掛けたフィテリさんを見てたら、上目使い――というか、棒立ちの私を下から睨み付けるみたいにちょっとおっかない表情で、声をかけられた。


「なんで助けてくれたの?たくさんいじわるしてきた私なんかを」

「具合が悪い人を放ってなんか置けませんから……」


 他に理由なんかない。

 それとも、なにか他に理由が必要なのかな?

 よくわかんない。


「ふたつなの祝いでうちに取り入ろうとでも思ってるの?」

「そんなお祝いなんて知りません。泣いてる女の子をほっとくなんて格好悪いじゃないですか」

「……泣いてなんか!」


 いつかみたいに、なんか見下すみたいな口ぶりだったフィテリさん。だけど、声の調子は強くて、でも、眼の端っこにはどんどん涙の粒が膨らんで、それがしずくになってこぼれてく。


「……お家に、帰りたい。こんな情けない思い、もうたくさん」


 いつも自信満々で、胸を張って、いい事とか悪い事とか気にしないで、私のカーディガンをとっちゃったり。

 そんなフィテリさんとなんて仲良くなんか出来そうもないし、なにがなんだかわからない人なんだけど、家に帰れなくて寂しい気持ちは、すごくよくわかる。


「帰りたいですよね」


 ぽろりと言葉がこぼれた。


「あんたなんかになにがわかるのよ!」


 叫ぶみたいな声。

 でも、それは精一杯の強がりなんじゃないかなって思う。


「トレも怪我して半年間、州都にいました。父様とも母様とも会えなくて、寂しかったですから。なんとなく、わかります」


 別にこんな話しなくていい。フィテリさんと分かり合う必要なんてない。

 そう思ってたのに、弱々しく泣く姿が、あの頃の自分と重なって。どうにもしてあげられないけど、気持ちに寄り添うことくらい、させてもらってもいいんじゃないかな?って。


「半年も学校休んでたのは、怪我のせいだったの?」


 お家に帰りたいって言ったフィテリさんの言葉で、どうしてもあのころを思い出しちゃう。

 鼻の奥の方がつんとして、上手く話せそうもない。


 だから、左肩をはだけて見せた。

 小さくへこんだ周りにぎざぎざと盛り上がった傷跡は、まだなんだか生々しくて、それを見たフィテリさんが少し息をのんだのがなんとなくわかる。


「触ってもいい?」

「ぅえ」


 言葉でそうことわったくせに、フィテリさんの手は、もう傷跡に伸びてて。断る間なんかなかった。

 冷たい手が、自分でもあんまり触らない様にしてる傷跡の周りをなぞる。


 誰かに肌に触れられるって、腰の辺りがぞわぞわして変な感じ。


「まだ痛むの?」

「もう、痛みはないです。でも、薄着すると目立っちゃうから、服を選ぶ幅が少なくなっちゃうんですよね」


 私にとってはすごく大事な問題なのに、答えた私をフィテリさんは笑う。


「それだけなの?」


 笑い事じゃないんだけどな……。

 でも、笑顔が戻ったなら、それでいいのかもしれない。



 けたけたとフィテリさんが笑い出して、そしたら部屋のドアがだーんって乱暴に開けられた。

 そこにいたのは私のカバンを肩から下げた女の人。その後ろには紅茶色の髪の毛が見える。エウレも来てくれたんだって、ちょっとほっとするんだけど。それに浸るにはエアーデ先生の様子があんまりにもあんまり。


 足で扉を開けたからなのか、大股開いてて、かなりはしたない感じ。

 でも、大慌てで来てくれたのは見ただけでわかるくらい、はーっはーっって荒い息遣いのまま。


「ト、レちゃ、大丈、夫!?」


 そう言った途端、エアーデ先生は膝から崩れた。

 幼年学校の頃から全然変わらない、子供っぽさと、でも寄る年波っていうか。若さは少し減ったんだなって、それがおかしくて。ようやく笑えた。


 学校で、心から。




 その後、アールネさんがもってきたパジャマに着替えてもらったり、エアーデ先生が月のものについてフィテリさんとアールネさんに説明したり。

 その説明と、エウレも一緒に皆で痛み止めの薬の話しもきいた。


「薬の話なんて、母様はしてませんでした」

「トレちゃんのお母さんは、薬に頼らない人なのかもね」


 なんて、新事実を告知されたり。


 自分がなる前に人のをどうこうするなんて思いもしなかったけど、予行演習にはなったかな。

 あんなに苦しそうなのを見ちゃった分、自分の時どうなっちゃうのかなって、不安は重くなったけど。


 でも、全部終わって帰り支度をしてたら


「いままでごめんね。また明日」


 なんて、フィテリが話しかけてくれたのは、ちょっと嬉しかった。

 かな。




 私に生理が来たのはそれから二週間後の事。

 フィテリさんと同じように不機嫌になって、お腹ちくちく痛くて。カレカや父さん母さんに当たり散らしちゃったのは秘密。

今回は、ようやくいじめっ子と和解するエピソードをお届けしました。


色々なエピソードにつながる部分を詰め込もうとして、どんどん長くなって、最終的に一万字以上になってしまいました。

切りつめられる部分とか、たくさんあった気がするんですけど。でも、つまづかないで書けたものは正しいんだって思うので、そのまま掲載してます。


でも、完結したら手を入れたくなるんだろうなあ……。



次回更新は一週お休みして2013/08/22(木)7時頃、二年後に迫る将来の選択を予感させるエピソードを予定しています。


……が、旦那の夏休みが流動的みたいで、里帰りイベントが突然発生する可能性があります。

更新日時はちょっぴり前後するかもしれません。

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