41.身体の変化に気づくかな
手の動きとそれが表わす言葉の書かれた本に、オーシニアの言葉で訳を書き込んでく。
少し暗くなってきた手元のせいなのか、しょぼしょぼする目をごしごしこすって。それから「んー」って大きく伸び。
肩の辺りがぼきぼきなって、おばあちゃんみたい。
テーブルの置かれたテラスにも薄青い月明かりが差し込んで来る。薄青い月明かりはなんだか少しだけ冷たくて、膝掛代わりに借りた毛布を肩のあたりまでたくし上げた。
生まれてから九回目の秋。
お日様が陰るとすぐ冷え込んでくる。本格的に寒くなっちゃえば、服装もそれなりに出来るし、そんなでもないけど。でも、中途半端な時期はちょっと苦手。
季節の変わり目で急に寒くなったりするのはもちろんなんだけど。一番寒いのは首の辺り。
随分長く伸ばした髪はけむりさんとテアの斬り合いに割り込んだ時に切れちゃって、急にむき出しになった首筋とかまだすーすーする。
ざんばらに切れた髪は、母さんに整えてもらってもうきれいになってるけど、でも、伸びをして出来た隙間からなのか、寒さが襟の辺りから忍び込んできた。
髪の毛って寒さ対策にもなってたのかも。
まぁ、今更なんだけど……。
冷たい空気が服の中に入り込んで、そわっと鳥肌が立ったのがなんとなくわかる。
こんな思いするなら部屋の中でやった方がいい気もするんだけど。
でも、どぅえとさんが
『部屋の中でばかり作業してるとふさぐだろう』
なんて言いながら、にこにこ――ライオンみたいな顔立ちだから、笑うと牙をむいてるみたいで怖いんだけど。
そんな風に楽しそうに用意してもらったから、なんとなくテラスで作業をしてる。
それに、部屋に入ると見えなくなっちゃうものがあるからね。
二人のこと見たくて我慢してるなんて言ったら怒りそうだけど、それでも見てたいんだ。
冷えてごわごわする手をごしごしこすりながら、庭の方から聞こえる声に眼をやる。
「ふっ」って短い気合を入れて、木剣っていうにはちょっと短い。少し長いナイフくらいの長さの棒をかまえたカレカが、低い体勢でどぅえとさんに突っ込んでく。
膝を立てるみたいにしてそれを防いだどぅえとさんは、上半身をかぶせるみたいにして、膝に邪魔されて上半身が浮いたカレカをつかんで投げ飛ばそうとする。
それをお互いの身体の隙間に棒をねじ込んで防ぐカレカ。
けむりさんとテアの切りあいに比べたらてんで遅い。
でも、切りあうだけじゃなく、足をとりに行ったり、手をからめとろうとしたり。とにかく、色々な手段で相手にアプローチをし続けて、どの動きも次々と連続してる。
次の手が“見えて”ても、全部をよけるのは難しいんじゃないかな。
けむりさんがでゅえふくんとくぅりえさんを連れてクリーネ王国に帰って行ってそろそろ一ヶ月。
交渉で決まったお互いにやりとりするための手信号――前世で見かけた手話と似てるんだけど。
その教本の翻訳を手伝ってもらうために、学校から帰ってきたら収容所――少し重たい色の木材で作られたログハウスに通う事になった。
クリーネ王国に手紙を書いてた頃と同じ感じだし、そんなに距離がある訳でもないから、最初の内は一人で行き来してんだけど。でも、文法の部分で難しいところがあったりして遅くなる日も多くて。
そうしたら危ないからっていう理由でカレカが贈り迎えしてくれるようになったんだ。
最初の内に訳し始めた文法の部分が難しくて、私がうんうん言ってる時間の方が長くて。その間、ただ待ってるのが退屈になったのか
「解決するまでどぅえとさんと格闘技の訓練したいから。そう伝えて」
ってカレカが言い出して、その訓練が今日まで続いてる。
毛布をかぶりたくなるくらい冷え込んでるのに、薄いシャツ一枚のカレカ。そのシャツも汗でぺったり肌にはりついてる。
相手をしてるどぅえとさんに比べたら全然だし、父さんと比べても細いけど、しっかり筋肉のついた身 体はなんだかごつごつしてて、男っぽい感じ。
今生は女の子だし、この辺りには入浴の習慣もないから、男の人の裸を見る機会なんかほとんどない。
まぁ、見たくもないんだけど。
前世でもひどい事があったし、そのせいで男の人は嫌いだったから、友達の裸とかの記憶も薄くて。
そんな、数少ない記憶の中にあるはだかんぼうの男の人の中でもかっこいい体つきだと思う。
……って、なんだそれ。
変な事考えてる間に、棒を使って距離のあるやりとりから、パンチとかキックとかそんな攻撃。
そこから距離が詰まって、最後は手首をねじられるみたいな動きから、どぅえとさんがカレカを投げ飛ばしちゃった。
『今日はここまでにしよう』
倒れたカレカにどぅえとさんはそういって、ぶっ倒れたままのカレカが軽くうなずくのが見える。
言葉なんかわかるはずないんだけど……。なんだか不思議な関係。
男同士で通じるものとかあるのかな。
あんなに激しくやりあってたのに、テラスに上がってきたどぅえとさんは息も上がってなければ、汗もほとんどかいてない。
格闘技とかの経験は全くないし、前世でも喧嘩なんかほとんどした事ない気がするからわかんないけど、すごい実力差があるとかなのかな。
っていうか、カレカちっとも動かないけど!?
『あの、どぅえとさん。カレカの事、ほっとくんですか?』
『そっとしておきなさい』
投げ飛ばした本人であるどぅえとさんは、のっそりと向かいの椅子に腰かけて、訳を確認し始めた。
『この言葉だが……』
『あ、はい』
私の翻訳を直す時もそうだし、カレカの訓練もそうだけど。どぅえとさんは物を教えるという事に手加減がない。
この後、ぼこぼこにされるのは私の方なんだよね。
カレカの心配なんかしてる場合じゃなかった。
でも、ちょっぴり悪あがき。
『あの、カレカはこのままですか?』
『少し休ませてやろう』
……風邪ひかないといいけど。
今日の分って決めたところまで終わったら、家に帰る。
収容所の辺りに畑があった頃。きゅきぃさんとお別れしたのなんて、まだまだ鮮明な記憶だし、そんなに時間がたった気はしないんだけど。
それでも、まだまだ小さかった頃でも、そんなに時間のかかる道じゃなかった。
だから、翻訳を始めた頃は一人でもいいんじゃないかなって思ってたけど、やっぱり夜の道は怖い。
月は明るくて、道が暗いとかって事はない。でも、月の柔らかい光が作る木の影が揺れると、誰かに追いかけられてるみたいでお腹の中がきゅーって縮こまるみたいになる。
そんな風に思ってるってカレカに思われたら格好悪いかなって思うんだけど、怖いんだもん。
仕方ない。
だから、カレカの手をぎゅっと握る。
ほんとはぎゅーってくっつきたいけど、絶対馬鹿にされるし。
それに、水を浴びて泥んこも汗も落としたはずなのに、まだふんわりと残る汗の匂いっていうか、男の臭いみたいのも、揺れる木の影と同じくらい怖くて。
そんな匂いがするのに、黙って前だけを見て歩くカレカが不安だった。
色んな気持ちが邪魔して抱き着いたりできないかわりに、ぎゅっと握りしめたカレカの手は、棒を振り回して豆ができたのか、ごつごつざらざらしてちょっと変な感触。
その感触がさっきの訓練の様子を思い出させる。
すごかった。かっこよかったって言ったら、カレカ喜んでくれるかな。
「カレカ、すごかったですね」
「ん?なにがだ」
「どぅえとさんと練習してたじゃないですか。こう……」
空いてる方の手で、見様見真似でパンチ。我ながら格好よくできた気がするけど、カレカはふって鼻で笑った。
……んだよ。
まぁ、笑ってくれたからいいんだけどさ。
「動きが速くてびっくりしました。格好良かったです」
「そっか」
そういって、さっきの訓練の話を続けてみる。私はすごいと思ったけど、カレカにとっては不満な感じだったのかもしれない。
カレカの笑顔はちょっぴり寂しそうで、それがちょっぴり悲しい。
「なにか心配事ですか?」
「いや、なんでもねえよ……」
そんな風に目を細めて寂しそうに空を見上げてなんでもないなんて、絶対嘘だ。
嘘なんだろうけど。
でも、それを指摘する気分になんかなれなくて、手をつないで二人で歩く。
「強くなりてえなあ……」
カレカの口から溜息と一緒に吐き出された言葉に、もう、それ以上話せなかった。
いつもなら、家に帰ったら寝るだけなんだけど、今日はちょっぴり違う。
ただいまって挨拶して二階に上がろうとしたら、母さんが手招き。
「なんでしょう?」
「トレにちょっと大事な話があるの」
大事な話――って言われても、思い当たることがあんまりない。
自分でいうのもなんだけど、優等生だし、わがまま言ったり困らせる事なんかないし。だとしたら家族皆の事だよねって思うんだけど
「ファルカとカレカは少し席を外して、ね」
なんてにこやかに。でも、かなり強い語気で二人に「どっかいきなさい!」って促してる。
そんな母さん見た事ないし、なんの話が始まるのかなってちょっぴり緊張しちゃうよ。
もしかしたら、知らず知らずのうちに悪い事してたのかな。
色々な事が頭の中をぐるぐる回るけど、ほんとになんにも思い浮かばない。
ぐるぐるわたわたする私の頭をぽんぽんって叩くと、父さんは二階に上がってった。
カレカも私もなにがなんだかわからなくて、リビングの入り口でぽかん。
「なんだありゃ?」
ってカレカの口から言葉がこぼれる。
父さんは私が男の人に触れられるのを嫌がるって知ってるから、普段、変にスキンシップしたりしない。
それなのに、ぽんぽんだもん。
カレカもびっくりするよね。
なにより私がびっくりしたっつの!
「カレカも。少し席を外して」
「あ。はぁ」
なんか気の抜けた返事をして、二階に登ってくカレカの背中をぼんやり見送ってたら、母さんはもう一回、隣に座るように言った。
……かなり強く。
なんか怖い。
「あの、母様。トレはなにか悪い事をしましたか?」
「悪いこと?」
「だって、なんか変な雰囲気です」
裁縫の道具がテーブルに置かれてるのはいつも通り。
でも、お互いの手がぶつかっちゃったりするから、リビングで縫物をするとき隣り合わせに座る事なんかない。
それなのに、今日指定されたのは母さんの隣。いつもとあんまりにも違いすぎるもん!
おっかなびっくり母さんの隣に座ってはみたものの、ちっとも落ち着かない。
そんな落ち着かない気持ちなんかお構いなしに、母さんは針箱をごそごそあさる。
「トレにこれを作ってほしいの」
「なんですか、これ?」
渡されたのは型紙。
長方形に近いけど、角二個は丸くなってる。
それともう少し小さい長方形。こっちは普通の長方形。
それから角全部が丸くなった長方形。
そんなに大きくないけど、掌よりは大きい。
ちょっとしたポーチでも作れそうな大きさの型紙だけど、それにしてはなんていうか……。部品の数が少ない。
出来上がりは十字になって、中になにか詰物をするみたいだけど。ほんと、なににつかうんだろ。
花柄に編み上げたパイル生地とかふんわり優しいクリーム色の柔らかい綿とか、型紙通りにぎりぎり切れるくらいの端切れもたくさんある。
普段だったら、ちょっとした小物を作ったりできるし嬉しい感じの量。
でも、今日の雰囲気じゃ全然喜べないよ。
あわあわしてる私をちょっとおかしそうに見て。でも、しっかり目を見て母さんは続ける。
「これは女の子に絶対必要なものなの」
「はぁ……」
なんにつかうものなのか。
どういう風に使う物なのか。
それを聞いて、頭がくらくらした。
前世の知識もあるし、今生は女の子だし。そりゃあ、その内来るものだとは思ってた。
前、きゅいあさん達とお風呂に入った時、大人二人がそろそろとか言ってたのはこの話だったんだって、母さんの話を聞いてようやくわかったけど。まさかこんな話なんて……。
「だから、下着が汚れたりするのも赤ちゃんを産めるように準備をしてるからなの。恥ずかしくないのよ」
「う、あ。は、はい……」
今は女の子なんだし、当事者としてきかなくちゃいけないんだよね。
でも、恥ずかしがらずにきかなくちゃいけないのに、前世の記憶――男の子だった時の記憶が邪魔して普通にはきけない。聞いてられない。
大体、まだその。脇だって下の毛だって生えてないのに、どうしてそんな話が……。
「おっぱいが膨らみ始めてから一年くらいで来る子が多いから、トレもそろそろだと思うの」
って思ってたのに、理由あっさり判明。
でも、膨らみ始めたってっても、ほんとちょっと。
そもそも、母さんと一緒にお風呂入った時なんて、自分でも膨らんでるかよくわかってなかったくらいだったのに。どうして母さんがそんなことわかるんだろ?
疑問とか恥ずかしさとか、いろんなもので頭の中がいっぱいになって。それでも話をきいてると、この世界では。
というよりこの国では。かな。
子供を産める女の子っていうのはそんなに多くないらしくて、娘が生まれたら、自分の子供の生理の始まりを予想するのは当たり前なんだって。
こういう話を自分の娘にするのは大事なんだっても言われた。
そうなのかもしれないけど、まともにきけないよ!
「どうして急にこんな話になったんですか?」
「最初は急に来るものだから。でも、学校でなったら男の先生ばっかりだし、困るでしょ。トレ、先生に相談とかできる?」
うん。出来そうもない。
先生に女の人が少ないのはそう。
だから、もし急にそうなってどうしていいのかわからない時とか、きっと困るのは眼に見えてるし、困るだけじゃすまない気もする。
だとしたら、教会の女の子って、もっと大変なんじゃないかなって。急にエウレの事が頭に浮かんだ。
私の大事な友達だし、同い年だし。時期はもしかしたら近いかもしれないもんね。
「母様。この型紙と。あと、端切れ、エウレの分も貰っていいですか?」
「そうね。エウレは教会の子だものね。持って行ってあげて」
同い年のエウレは私より背は高いけど、丸みを帯びてきたとかそういう感じはしない。
もしかしたら月のものが来るのは私より遅いのかもしれないけど、それでも準備をしといた方がいいに決まってる。
それにしても、自分では全然わからないところで、赤ちゃんを産む準備が身体の中に整ってく。
それはすごく変な感じ。
想像つかないけど、私もいつか自分の子供にこんな話する日が来るのかな。
今回は、主人公の性徴についてのエピソードをお届けしました。
十歳でくるって結構早い気はするんですけど、その。実体験に基づいてという事で、こんな話にしました。
まぁ、個人差があるものなので。
次回更新は2013/08/01(木)7時頃、いじめっ子と和解するエピソードを予定しています。
……が、子供の夏休みもあって、ちょっとばたばたしてます。
更新日が前後するかもしれません。
なんでもなく、ちび三人がずーっと家にいますので。




