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39.買い食いは他人の財布から

 秋の足音が少しずつ近づいてる時期。

 まぶしいくらいの緑は少し落ち着いて、街道の走る平地のところどころに淡いクリーム色の花をつけた夏雪草が揺れてる。

 とっても綺麗な風景。……背中を曲げたけむりさんが一人、街道から少しそれたところでうずくまってるという一点を除けばなんだけど。


『大丈夫ですか?』

『あぁ、少しは治まっ……っぷ』

『やめろばばあ!』


 背中をさすってた私の方に向き直ると、口元を抑えるけむりさん。


 最悪だ!


 でも、私も覚えがあるし、強く責めるっていうのもどうかなっていう気持ちもなくはない。


『馬よりおとなしいように見えるのに、ずいぶん揺れるんだね。音もひどい』

『そうですね。でも、馬車よりずっと早いんですよ』


 けむりさんには話さないけど、初めて乗せてもらった車より速度が出るらしいんだよね。

 いつだったか、新型のジーゼルエンジンで動く車なんだって、リクヤさんが自慢げに言ってたっけ……。


 朝ご飯をほとんどを無駄にしたけむりさんの背中をさすりながら、車に戻る。

 よたよたと歩くけむりさんをじっと見たまま車の横に立つリクヤさんの手はずっと銃にかけられてて、眉間のしわはいつもより深い。


「ごめんなさい、お待たせしました」

「いや、大して待っていない。汚されるよりはましだ」


 いつもより少し硬い声のリクヤさんが開けてくれたドアにけむりさんを放り込んで、隣に座った。


『けむりさんの国には車なかったんですか?』

『あるにはあったよ。でも、ここまで揺れるもんでもなかったし、もっと静かなもんだったけどねえ』


 ならそっちの方がいいななんて思っちゃう。

 慣れてきたといっても、調子が悪いと気持ち悪くなるし、お腹の下の方がきりきり痛くなったりするときもある。


 新型なんだから揺れなくなったりしてもいいんじゃないかなって思う。


 出来れば、音だけでも静かになったら嬉しい気がするんだけど、新しくなってからの方が音は大きくなってる。

 小さい頃、学校に行くとき乗せてもらってた車はもう少し静かだったはず。

 なんの違いがあるんだろ?


「リクヤさん。前、乗せてもらってた車って、もっと静かだった気がするんですけど。なにか変ったんでしょうか?」

「ん?あぁ。前の車は蒸気機関で動いていたんだ。今のは精製燃料を連続的に爆発させて……」


 うん。なんもわかんない。

 リクヤさんが車を大好きなんだっていう事だけは、再確認できた。

 あと、さっきまで剣呑な感じだった雰囲気が少しだけ柔らかくなった気がするかな。




 けむりさんが学校に行くって言い出して予定ががたがたになったのは私だけじゃなかった。

 父さんも母さんも。

 カレカやどぅえとさんももちろん。でも、一番大きく予定が崩れたのはリクヤさん。


 けむりさんにあまあまだった母さんも一緒に学校に行くなんて許可できる訳なくて、調度迎えに来てたリクヤさんの車で父さんがいる港――っていっても、村の外れにある湖のほとりに行って、ちょっとあきれ顔の父さんと話して。それが終わったらどぅえとさんに会って一悶着。


 通訳でくっついて歩く私と、私を連れて歩いてくれてるリクヤさんはけむりさんにずっと振り回されてた。

 面白いはずないよね。


『けむりさんはどうして学校なんかに興味があったんですか?』

『ちびちゃんが行ってる学校は、教会とくっついてるんだろ?お前さんたちの神様に興味があるのさ』


 るいゆさんのお葬式の時、僧正様もそんな事言ってたっけ。

 その時は神様に対する考え方が違うって。オーシニアの祈りの言葉は神様に感謝する言葉で、神様にごめんなさいってお祈りする私達のお祈りの言葉とは似ても似つかないって、僧正様は感心してた。

 けむりさんはそういうの気にするタイプには見えないけど、歳をとるとそういう心境になるのかもしれない。


『いま、あたしの事年寄りくさいって思やしなかったかい?』


 あれ?

 顔に出てた!?


 慌てて首を横に振る。

 なんか、右手を握りしめてるのが見えたから。

 年食ってるくせにすごい力でひっぱたいてくるんだもん。


 大人毛って年取ると抜けちゃうのかもしれない。

 あれ?

 大人気だったっけ?




 けむりさんが一緒だからって、町の様子がいつもと変わる訳じゃない。

 でも、なにか見つけるたびに驚いて、興味深そうに見てみて、手にとれるものはとってみる。そういう反応がちょっぴり面白くて、ほっぺがゆるむ感じ。


 市場通りが一番賑やかな時間はもう過ぎてて――って事は、学校の始まる時間なんてもうとっくに過ぎちゃってるって事なんだけど。それでもまだ、町の人向けのお店は元気に売り込みをかけてる。


 門のところから商館通りをぬけて学校に行くっていうのがいつものルート。でも、けむりさんがすたこら歩いてっちゃったから、なんとなく市場通りに来てる。


 カレカと一緒に学校に来てた頃は、寄り道がてら通った事もあったけど、ここ何年かは通ってないんだっけ。

 だから、私にとってもちょっぴり珍しい眺め。


「トレ、あれは大丈夫なのか」

「駄目でしょうか?」


 肩をとんとんって叩かれてそっちを見ると、けむりさんがおばちゃんになにかをまくし立ててる。

 うん、たぶんまずい。


「ごめんなさい。この人、外国から来たばっかりで言葉が怪しいんです」

「そうなのかい?」


 とっさに考えた言い訳を口にしながら、リクヤさんと一緒におばちゃんに話しかける。


「今年はウリの出来がいいんだな」

「日照りがきいてるからね。甘くて美味しいよ!」


 緑色でつるっとしたウリを軽く叩きながら、おばちゃんを引き付けてくれるリクヤさん。話しかけられたおばちゃんは上機嫌でウリのうんちくを話してる。

 その間に離れちゃいたかったんだけど


『こんな小さな実をつんじまうなんて、正気かい?』


 この辺じゃ珍しくない掌よりちょっぴり小さい桃を片手に、けむりさんはおかんむり。

 それは品種の問題。あと、赤身が足りないのは硬い内に収穫して、少しおいてから食べるからなんだけど、クリーネ王国ではそういうのないのかな?


『けむりさん、これはそういう果物なんです』

『そうなのかい。じゃあ、これ一個買っとくれよ』

『えー』


 知ってたけど、勝手だなぁ。


 でも、今日はお小遣なんか持ってきてない。っていうか、学校に来るときお小遣いなんて持ってこないもん。


 値札には一個銅貨二枚ってある。

 私のお小遣いが月大鉄貨二枚――十ヶ月分だから、けっこうな高級品だ。


 なんて迷ってる間にけむりさんは服でぐしぐしって桃を軽く拭うと、むしっとかじっちゃった。


『勝手に食べちゃダメですよ!』

『細かいねえ』


 細かいっていうか、あんたがおおざっぱすぎなんだってば!

 なんなの、もう。


「すまない。銅貨二枚、ここに置くぞ」

「あいよ」


 ほとんど表情を動かさないまま、リクヤさんはけむりさんが食べちゃった桃のあった場所に銅貨二枚置く。


『お、あっちにも面白そうなものが!』


 って、けむりさん、お礼ぐらいしなよ。



 その後も、屋台の食べ物とかちょっとした小物とか、ぜーんぶリクヤさんに出してもらってけむりさんは上機嫌だった。

 幸せの秘訣は我儘っていうだけあるなあ。って、こんな風に生きたくないけど。


『んで、あれがちびちゃんの通ってる学校かい?』

『はい』


 なだらかな市場通りを登りきると立派な鉄製の柵に囲まれた庭園。

 それから、その向こう側にずーっと奥の方に左右対称で横に向かっていくつかの棟があるちくちくした外観の建物が見えてくる。


 緑色の瓦をふかれた屋根と、薄い黄色の漆喰で塗られた壁。

 村の風車くらい大きい建物は左右に伸びて、左側には可愛らしい小さな屋根が。 右側には住宅街で見てきたのと同じ石造りの建物――窓が三階分あるから三階建ての少し大きい、四角い建物が並んでる。

 私にとっては見慣れた建物だけど、外国から来たけむりさんにとってはそうじゃないんだよね。


『でかいねえ』

『そうですよね。トレもそう思います』


 大きいだけじゃなく、設備も色々すごいんだけど、建物に入るのはさすがにまずいかな。

 学校を休んでぶらぶらしてるんだし、クレアラさんに見つかったりしたらややこしそうだもん。


『じゃあ、帰りましょう』


 そう思ってけむりさんの手を引いた。

 けっこうぎゅーっと引っ張ったつもりだったんだけど、ずるずるずるーって引きずられちゃう。


『ちょ、ちょっと!』

『ここまで来たんだし、中も見ていこうじゃないか』


 ばかー!


 リクヤさんも止めて!なんて思ってはみたものの、私達のやり取りなんかわかりっこない。

 学校に入るのはまずいんだってば!


「リクヤさん、止めてください!」

「わかっ……っつ」


 動き出そうとするのは“見えた”けど、リクヤさんは半歩踏み出したところで止まっちゃった。

 私の事ずるずると引きずってたけむりさんの足も止まってて、リクヤさんの方をじっと見てる。


 けむりさんは背が高いし、顔が見えるような位置でもなかいから特に変わった風に見えない。けど、リクヤさんの右手はゆっくりと腰の銃に伸びてて、少し腰を落とした姿勢のまま動きを止めてた。


『ここまで来て帰るってのはなしだろう?』


 口元だけは笑ってるのが見えるけど、少しだけ冷たくなったけむりさんの声がお腹の奥の方を震わせる。


 なにがなんだかわからない。

 でも、いつだってほとんど表情を変えないリクヤさんが動揺するくらいのなにかが、けむりさんにはあるんだ。


『あの……』

『これだけ綺麗な庭を見ないで帰るってのはもったいないじゃないか』


 へらって笑って見せるけど、その眼はちっとも笑ってない。


 これ以上奥に行っちゃ駄目だって身体中が進むことを拒絶する。

 それなのにけむりさんの力は強くて、止めてほしくて見たリクヤさんもこわばった表情のまま後ろに続くように歩くだけ。止めてくれる人なんかいっこない。

 そう思ってたんだけど


「トレ、なにしてるんだい?」




 ひらけた庭に少ししゃがれた声が響く。

 ずるずる引きずられてたから、声を出したのがだれかなんて見えなくて。でも、聞きなれたその声は、けむりさんの足を止めてくれた。


「テア!」

「今朝、学校に来てなかったから、ちょっと心配してたんだ。この人は?」

「あぁ、えと……」


 なんてこたえたらいいんだろ?

 もう口ごもっちゃってるし、上手にごまかすなんてできそうもない。


「彼女の家の客だ」

「そう、ですか」


 私とテアの間、けむりさんの隣の位置を塞ぐみたいにリクヤさんが割って入って、きっぱり言い切ってくれた。

 見えるのはリクヤさんの背中だけで、テアがどんな顔してるのかはわかんない。

 納得は、してないんだろうな。


『ちびちゃん、この可愛い顔の子。友達かい?』

『はい。テアっていって、教会で働いてます』


 答えたらけむりさんはふんって鼻で笑う。

 笑うと同時に“見えた”のは、リクヤさんが腰に挿してるサーベルに手が伸びるけむりさんの手。それから、視界がぐるんって一回転。


 髪をぎゅーって引っ張られたと思ったら、身体が宙に浮いた。頭皮が引っ張られるものすごい痛み。


 でもそれは瞬間的で、ぶわって視界が動いて、リクヤさんの頭の上を飛び越すみたいに投げ飛ばされたんだってわかるまで一瞬。


 その時には抜き放たれたサーベルがテアの頭に向かって上げられてて、でも、振り下ろされる銀色の刃は早すぎて“見えて”てもとらえられない。


「テア!」


 名前を呼ぶのが精いっぱい。

 それだけで十分だったんだってわかったのは、がぎんって金属同士がかみ合う嫌な音がしたから。


 植込みの中に放り込まれて、ぱきぱきと音を立てながら落っこちたのとその音は同時くらい。


「なんのつもりだ!?」


 身長差のせいもあると思うけど、けむりさんが頭の上から押し込むみたいにぎりぎりと力を籠めてて、それを押し返そうとするテアの声はいつもの少し甘い調子とは全然違う。

 少し苦しそうでそれでいて重い声でけむりさんに――それときっと私に向かって言いながら、全身の力でけむりさんのサーベルを押し返すと、テアはすさっとけむりさんから距離を取る。


『あたしの剣を受けたか。面白くなってきたねえ』


 にたにたと嫌な笑いを顔にはりつけて、けむりさんはサーベルの切っ先をおへそくらいの高さに上げてテアに向けて構えた。

 対するテアは剣を持った右手を顔の辺りに引いて、左手を差し出すいつかの決闘で使った、見えないなにかを突きこむ技の構え。


『けむりさん、やめてください!テアも、やめて!」


 とめなきゃ!

 そう思って、からみつく植込みに足をばたつかせるけど、全然進めない。


 なんだよ、こんなときに!


「リクヤさん、二人を止めてください!」


 サーベルをとられた後の二人のやり取りはほんの一瞬。

 なにが起こったのか把握できてないまま立ち尽くしてるリクヤさんに精一杯の声で呼びかけて、とにかく一生懸命足を動かす。


 目の前の二人がお互いの技を繰り出すのはもう“見えて”るんだ。とにかく動かなきゃ間に合わない!



 テアの突きがけむりさんにあたるのかどうかはわかんない。

 けど、けむりさんの技――テアと同じ、見えないなにかで刀身の延長を切りつける技はテアの足元まで一本線を穿ってる。


 リクヤさんが動き出すのはきっと間に合わない。二人の動きが速すぎるから。

 それでも、少しだけでもけむりさんがそれを気にしてくれれば、狙いがそれるかもしれない。


「っあぁ」


 引っかかってた枝で足をひっかいて酷く痛む。

 びーってズボンが裂けるのもわかってるけど、それでも二人を止めなきゃ。


 私が植込みから抜けるのとリクヤさんが「おい、やめろ」って言いながら、けむりさんの手をつかもうとするのはほぼ同時くらい。

 けむりさんはリクヤさんに肩の辺りをぶつけて態勢を崩させると、そのまま技を放つ。

 同時に放たれたテアの技はけむりさんにあたらなくて、けむりさんの技もその軌跡はテアからそれて、植えられた芝生にびっと一本の線を引いただけ。


『やっぱりあたしと同じ技を使うかい!』


 リクヤさんと私の技を外したけむりさんは、それなのににたにたと嫌な笑いを顔にはりつけたまま、もう一撃のために今度はテアと同じように左手を差し出した突きの構え。


「こいつ!」


 いつも余裕たっぷりで、整った顔立ちに怒りとか焦りとか。

 とにかく、今まで私に見せたこともないような感情をにじませたテアは、さっきのけむりさんと同じ切っ先を相手に向けた構えをとる。


 けむりさんに体当たりされたリクヤさんは背中から倒れこんでて、止めてほしくても間に合いっこない。


 あんな危ない中に飛び込むなんて絶対嫌だ!

 でも、二人が傷つくのなんてもっと嫌。


 ふっと息を吐いて、二秒後の未来に焦点を合わせる。

 “見えた”のは、見えないなにかで遠くから相手を攻撃するのをあきらめて、距離を詰めて実体のある剣で互いを切りあおうとする未来。


 剣術の心得なんかない。

 だから、どうやってやめさせればいいのかなんてわかんない。


 でも、二人の手が二秒後どこにあるのかはわかってる。その手をつかめれば、きっと!


 二人が息を浅く吸うのと同じようにひゅっと息を大きく吸って、二人より早く動けるように、両足にぎゅっと力を入れる。


 私に与えられた勇者候補の能力、未来視Ⅰではとらえきれないくらい早い二人の剣の間に割り込むんだ。

走り出した瞬間からトップスピードにのせる!


『しゃああぁぁっ!』

「っはああぁぁっ!」


 裂帛の気合いとかいうのかもしれない、鋭い声の出だしに合わせて、二人の間に駆け込む。

 振りぬかれるテアの手に右手を当ててその刃の下をくぐって。その向こう側に伸びてくるけむりさんのサーベルは前傾した身体をかすめるようにすり抜けて、その一瞬後、左手で目の前に来たけむりさんの手をつかむ。


 うまくいった!


 そんな気がしたんだけど、首の後ろでさりって音。それから、キャミソールの肩ひもがするっとずれてく感触。


 上半身が急に涼しくなって……っていうか


「うぎゃああぁぁ!」


 伸ばし続けてた髪が切れちゃったのはあきらめつくけど、服が!

 っていうか、テアに裸見られた!



 なんて屈辱!

今回は、久しぶりに戦闘シーンのあるエピソードをお届けしました。


おばあちゃんキャラ。ほんとは強いんです。

正体とかは次回くらいで明らかにしていく予定です。


今回のエピソードでもう少しお話が進行して、お国に帰る予定だったんですけど、そこまで行けませんでした。

次回こそは!(最近こればっか



次回更新は2013/07/18(木)7時頃、教会の怖い人の思惑が明らかになるエピソードを予定しています。

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