38.幸せは心の奥から
生まれてから九回目の夏。
秋が近くなって、昼の暑さはひかえめに。夜になると冷え込む。
そんな時期なのに、村の人も学校の皆もまだ薄くてふんわりした服を選んで着ていたり、半袖だったりと涼しげな装いで、カーディガンを手放さないのは私ぐらい。
それから
『ちびちゃんは料理が上手だからねえ。いい奥さんになるよ』
なんて言いながらがははって笑って、カレカの背中をばんばん叩いてる上機嫌そうなお婆ちゃんも、あんまり薄着とは言えないかな。
湖を挟んでお隣の国、クリーネ王国から王様のかわりにやってきたけむりさんっていう、意地の悪いお婆ちゃんは、リビングのソファにでーんと。それこそ王様みたいに座ってる。
隣に座ってるカレカは半袖なのに、けむりさんは私と同じようにカーディガンを着てて、ちょっぴり寒そう。
この世界は南に行くほど寒いから、湖の向こう。
ずっと南の方から来た人だし、寒さに強いはずって思うんだけど違うみたい。
出発の日、ひどいトラブルがあって着替えを落としちゃったとか言ってて。
でも、収容所の皆とは体格が違うから、母さんの服を貸す事になったんだけど。夏服だと寒いって春物の少ししっかりした生地の服を選んでた。
母さんの服はけむりさんには少し小さいみたいで、ちょっぴり覗くくるぶしとか、着こなせてない感じが子供みたい。……まぁ、お婆ちゃんなんだけど。
ちょっと不格好で、座り方とかくつろいでるように見えるけむりさんは、だけど背筋がぴんと伸びてて、姿勢がよくて、格好いいは格好いいかな。
言ってる事とかやってる事は変だけど。
「カレカ、嫌だったら言ってあげるからね」
「あぁ。いや、大丈夫だ」
大暴れのけむりさんが座るソファの脇を抜けて、お皿を並べてく。
今日の晩御飯は赤たまねぎを刻んでオリーブオイルで和えたのと薄く削ったチーズをのせたトマトのサラダ。
ボウルに入ったスープは、セロリの香りを軽くきかせた腸詰入りの特別製。
スープの匂いに鼻を鳴らすとけむりさんはすっと手を伸ばしてきた。
『今日もうまそうだねえ』
『つまみ食いしないでくださいね!』
王様の代理なのに、平気でつまみ食いしようとするってどうなの?
伸びてきた手をぺんってしたタイミングで、母さんが固く焼いた黒パンを入れた籠をテーブルに運んできた。
「お年寄りにそんなことしないの!」
「でも、つまみ食いしようとしたんです!」
「ちょっとくらいいいでしょ」
この辺りでは生で美味しく食べられるトマトって珍しい。
大好きなトマトをぱくぱく食べられちゃうなんて嫌なんだもん。
ここ三日、けむりさんは毎日晩御飯を食べに家に来てる。
好きな食物が似通ってるのか、大皿で好きなものが出るとなんだか物足りなくて。だから、つまみ食いなんてもってのほかなんだから!
王様の代理なんて上品で当たり前な気がするのに、つまみ食いとか平気でするし、人の皿から物を食べちゃう。
しかも、私の皿からだけ!
母さんやカレカの皿はもちろん、父さんの皿には手を出さなかったのに。
料理がそろって、食べ始めたらすぐ
『ちびちゃん、その腸詰ばばあにおくれよ』
『い・や・で・す!』
なんてやりとり。
疲れちゃう。
騒々しいご飯を終えて、食後のお茶の時間。
昨日まではこのタイミングで収容所に帰ってたけむりさんは、ソファに座ったまままだ帰らない。
それどころか、私のカップを手に取って
『いい香りだねえ』
とかなんとか。
居座るつもりなの!?
あと、私のカップ返して!
むきーって怒る気持ちがお腹の中にぐるぐるあるけど、母さんがきろっとこっちを見るので我慢する。
悪いのはけむりさんなのに理不尽。
それに、いつもなら家族でのんびり過ごす時間なのに台無しじゃんか。
『もう帰った方がいいんじゃないですか?』
『いや。今日は泊まってこうかね』
早く帰れって水を向けるとそんな事言いだした。
『駄目です。嫌です。お断りします!』
自分でも、嫌そうな顔してたんだろうなってわかるけど。でも、気持ちが顔に出るのを気にする余裕なんかない。
「トレ、なにを話してるの?」
私の方をじっと見てたらしい母さんの声に険が混じる。
娘が変な顔してたら気にもなるだろうけど、無視してほしかったな。
ごまかしたかったけど、目が合った母さんが真剣な顔してて。だから、けむりさんが泊まりたいって言ってる事をしぶしぶ話す。
そしたら
「いいんじゃない?」
言うと思った。
三日前、はじめてけむりさんが家に来た日。父さんと母さんは夜遅くまで話し合ってた。
そして、その次の日から、母さんはけむりさんにずいぶん甘い。
軍隊のお仕事を考えたら、けむりさんがぶらぶら家に来ちゃうのを怒らないといけないんじゃないかって思うけど、父さんもなんにも言わない。
二人とも、ぶよぶよに煮込んだジャムにする果物より甘い!
細かい話はカレカが教えてくれないからよくわかんないし。
でも、クリーネ王国で兵隊さん達が襲われた時、けむりさんがやっつけてくれたっていう事は聞いてるから、感謝しなきゃっていうのはわかるんだ。
わかるんだけど。
だからって、特別扱いしなくてもいいでしょ。
……王様のかわりだから、最初っから特別なんだろうけど。
「じゃあ、トレのお部屋にマットを入れとくから、今日は一緒に寝なさい」
「えー!」
リビングのソファで寝ればいいじゃん!
決して広いとは言えない私の部屋。
部屋の三分の一くらいの広さのベッドの横に、ベッドリネンでくるまれた布団が置かれてて、その上には起毛の夏掛けが置いてある。
けむりさんが厄介だから私の部屋に押し込んだんだって思ってたけど、父さん母さんの寝室も。カレカが使ってる客間(だった部屋)も、暑いからって夜も窓を開けてる。
私にとっては。あと、けむりさんにとってもきっとそういうとこは寒い。
「二人とも寒がりだから、一部屋で寝なさいね」
母さんはふふって笑いながらそんな事言ってた。
ちゃんと理由があるって言われたら、駄々なんかこねないよ。
前世から数えて、そろそろ三十歳くらい――あらさーとか言ったっけ?
まぁ、呼び方はともあれ、もういい大人みたいなものだし、聞き分けるべきところは聞き分けますとも!
ちゃんと気遣いだってできるしね。
『けむりさんはベッドを使ってください』
『ちびちゃんのじゃないのかい?』
『お客さんだし。お婆ちゃんを床で寝せたりなんてできませんか……ったぁ!』
ぶたれた!
ぐーで。
『人をばばあ呼ばわりすんじゃないよ!』
『トレから見たらお婆ちゃんです!』
くだらない!
もう、ほんとにこういうのくだらない!
っていうか、寝る前にこんなぎゃーぎゃー騒いでるなんて、おかしいでしょ。
一通りぎゃーぎゃーやって。でも、すぐ疲れて布団に入った私に、けむりさんはなんにも言わなかった。
ベッドの上で腕を支えに頭をちょっと高くして、こっちをにまにま見てる。
……気持ち悪いなあ。
ただ、思ったより嫌じゃない気はする。
村に帰ってくると同い年の子とかいない。
学校でも大騒ぎとかしないし、こんな風に声を出して言い合ったりっていうのもすごく久しぶりだった。
カレカがそばにいると、並んで歩いてても恥ずかしくない様にって、なんだか背伸びしちゃう。
そういうのが、けむりさんにはなかった。
だからなのかもしれない。
『けむりさん。生まれ変わる前の記憶があったらって、思った事ありますか?』
今まで誰にも話した事ない、心の奥にしまっといた話が口からポロリと零れ落ちちゃったのは。
『なんだい、藪から棒に。そりゃ、お母さんのお腹の中の事とかかい?』
『いえ、それより前の事です』
『よくわかんないね』
まぁ、そうだよね。
そういう反応だよね。
うん。
『あの、気にしないで。忘れてください』
話してもいい事なんかない。
けむりさんがクレアラみたいに怖い人だったら、変な風に絡まれるだけだし。
すごく気持ちいい距離感の人だからなんとなく話しちゃったけど、これっきりにしよう。
『まぁ、あんまり変わらないんじゃないかねえ……。精一杯、幸せになろうと思うだけさ』
そう思ったのに、けむりさんはふんわりと答えてくれる。
話、続けていいのかなあ。
『そんな記憶があるから、戦争を終わらせるなんて大きな事言ったのかい?ちびちゃんは』
交渉中の事だったし。ほんとに一瞬話しただけ。忘れててもいい事なのに、けむりさんはしっかり覚えてた。
前世の父さん母さんに約束した、私の大事な誓い。だけど、けむりさんに子供はじゃまっけって言われてけっこうへこんだんだよ。
私だってそれを忘れた訳じゃない。
そういう意味ではお互い様なんだけど、どうしてそれをあそこで話したのかって言われたら、自分でもよくわかんない。
けむりさんにきかれて。でも、自分の中にも答えがなくて、じっとけむりさんの目を見てた。
しわしわの婆の真っ白い髪に、窓から入ってくる月明かりが青白く映ってすごく綺麗。
『まぁそんなもんがあるかないかはともかくね。ちびちゃん、あんた今、幸せかい?』
『え?』
即答できてもいいはずなのに、一瞬考えちゃったよ。
大分ぼんやりしちゃったけど、それでも前世の記憶は私の中にも残ってて。その記憶は、前世の父さん母さんと別れた寂しさと、どうしても切り離せない。
今生の父さん母さんは私の事を大事にしてくれるし、不幸せなんかじゃ絶対ないんだけど。
でも、この世界の一員になれてないっていうか。
自分の事をどこか遠くから見てるみたいな自分がいて、嬉しい事も悲しい事も、半分くらいしか自分のものじゃない。
前世の記憶があいまいになっちゃったあの日からずっと、そんな感覚がどこかにあった気がする。
いつだって冷静に。それこそ、考えてる事を文章にするみたいに冷静に見てる自分がいて、そういうのに感じる違和感は生まれて九年もたったのに消えてない。
『た、たぶん幸せだと思います』
そんな気持ちがつっかえたみたいになって、答えられたのは少しだけ息を吸ってからだった。
『優しい親御さんがいて、毎晩あんなに美味しい料理を食べて。こんなにふかふかなベッドで寝て。好きな男が近くにいる。これ以上の幸せがあるのかい?』
『好きとかじゃないです!』
けむりさんはそういうと意地悪く笑う。そういうのほんとにやめてほしい。
カレカの事は嫌いじゃないけど、そういう気持ちも、ほんとはちょっと遠くに感じてるんだから。
この世界の一員じゃないって思ってて、他人事みたいに眺めてる私が誰かを好きになって。その気持ちを伝えるって、おこがましいんじゃない?
『お前さんが幸せになっても、誰も責めやしないんだよ』
『そうでしょうか?トレがいまいるせいで悲しい思いをした人がいます。その人達は、どう思うでしょうか』
秋桜久ちゃんがいるから、前世の父さん母さんはもう大丈夫。それは知ってる。
それでも、割り切れてない気持ちがずーっと心のどこかにあって。けむりさんと話してて、それに気がついちゃった。
『悲しい思いをしてまで送り出した子が、自分たちのせいで幸せになれないって知ったら、その人らは苦しいだろうねえ』
けむりさんはふうっと大きな溜息と一緒に言葉を吐き出すと、ベッドの上で胡坐をかいて私をきろっと見下ろす。
月明かりに照らされて陰影の濃くなったしわくちゃの顔に、少しだけ笑顔を浮かべてるみたい。
『どうしたら、幸せになれるでしょうか?』
変な質問。
今が幸せじゃないんじゃないよ。
でも、どうしたら幸せになれるのかなんてよくわかんない。
『もっとわがままを言ってみるこった。あたしみたいにね』
それは無理!
でも、一個だけわがまま言ってみようかな。
『じゃあ、ベッドで一緒に寝てもいいですか?』
こんな話させてくれる人なんか他にいないからっていう、ほんとにちっちゃな理由。
それだけで、ちょっとだけ。
ほんとにちょっぴりだけど、けむりさんの事好きになった気がする。
『せまいからやだよ』
……うん。気のせい
朝起きるとベッドで寝てたはずのけむりさんの姿はなかった。
お日様が窓から入ってくる角度で、ちょっと寝坊しちゃったかなって思いながら、マットの上で身体を起こす。
夜遅くまで話してたからなのか、なんかぼきぼきなるし、目もしょぼしょぼ。
けむりさん、よくおきられたなぁ……。
まぁ、お年寄りは朝が早いっていうし、早く起きて帰ったのかも。
という事は全然なく、リビングに降りるとソファにどっかり座ってお茶飲んでた。
「おはようございます」
「おはよう、トレ」
母さんはいつも通り。
けむりさんがいようがいまいが関係ない感じ。
今日はお休みなのかブルーのシャツを着たカレカは、玄関にいちばん近いソファに座ってお茶を飲みながらけむりをちらちら見てる。
父さんがいないときは、カレカが家を守るんじゃないの?
けむりさんを追い出すのはカレカの役目なんだと思うけど、なんて言っても始まらないよね。
『けむりさんも、おはようございます』
『あぁ。おはよう、ちびちゃん』
昨日の話してた時の表情なんか全然嘘だったみたいに、唇の端だけくっと上げた、意地悪そうな笑みが帰ってくる。
嫌な笑い方。
でも、そんな笑い方して、お茶を飲んでくつろいでても、背筋がぴんとのびてて格好いい。
『ところでちびちゃん』
はいはいなんですか?
我儘は幸せの秘訣らしいから、一応聞いとくよ。
『今日、お前さんと一緒に学校ってとこに行く事にしたから』
……やです。
今回は、おばあちゃんキャラがお家で大暴れなエピソードをお届けしました。
自分で子供が少ない世界っていう設定をしておいてなんですけど、主人公はちょっと気の毒かなって思います。
一緒にわーきゃー出来る人がいるって、やっぱり大事。
次回更新は2013/07/11(木)7時頃、今度こそおばあちゃんが町を見物しに行くエピソードを書きます。




