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37.お客様は遠くの国から

 風車広場を通りぬけて、軍隊の人達が警備するようになった村の門をくぐったら、街道を少しだけ北に向かって進む。

 分かれ道で街道を右手にそれたら、長い上り坂。私の家までの一本道に出る。


 生まれて初めて一人でおつかいに来た頃。

 もう五年くらい前だけど、その頃は馬車だってほとんど通らない細い道だった。

 でも、今は軍隊の車とか兵隊さん達も通るし、舗装もされてる。

 行きかう人とか車とかが増えるのに合わせて少しずつ少しずつ切り開かれて大きくなった道をカレカと二人で歩く。


 真っ白な樹皮の木がまばらに生える林。

 ちょっと前までは、道に張り出すみたいに枝がのびたりして、ちょっと暗くて怖い道だったんだけど、今は道全体が明るくなってる。


 軍隊の人達が枝を切り払って綺麗にしてくれてるからなんだけど、枝が少なくなった林は密度が少なくなってちょっぴり寂しい。


 この道を二人で歩くのは五年ぶりくらいかな。


 ほんとは手をつないで歩きたいんだけど。

 でも、けむりさんが言った事を思い出すと、なんだか恥ずかしくて、手をつなぐなんて出来なくて。だから、半歩くらい後ろから、背中を見て歩く。


 知らない内にカレカの背中はなんだか大きくなった気がする。

 灰色の制服と真っ黒い髪の隙間から見える真っ白いうなじは、私が追っかけてたあのころと変わらないのに。でも、カレカはもう大人の世界にいて、父さんたちと肩を並べて働いてる。


「カレカ、あの……」

「どうした?」


 背中に向かって声をかけたら、カレカはくるっと身体ごと振り向いてくれた。

 ブラックオリーブみたいにつやのある瞳に、私の真っ赤な髪が映ってるのが見えて、少しだけ。

 ほんとに少しだけだけど、どきっとする。


「トレは、お仕事の邪魔になってますか?」

「なんだそりゃ」


 真剣にきいたつもりだったのに、カレカはちょっと笑うとふうっと大きく息を吐いた。

 笑われるような事、言ったかな?

 真面目な話なのにさ。


「あの婆さんになんか言われたのか?」


 お辞儀するみたいにして、カレカの視線がおりてきた。

 肌の温度とか息遣いとか。そんなのが急に近づいてきて、お腹の下の方がきゅーってなる。


 けむりさんになにか言われたのは確かにそうなんだけど、そんな風に距離を詰められたら別な意味で話しにくいよ!


 でも、呼びかけたのは私だし、黙ってもられない。

 ほんとは他の人に話しちゃいけないのかもしれないって思うけど、交渉事の話しを始めたら止められなかった。


「……せっかく言葉を覚えたのに、トレはいらなくなっちゃうんでしょうか」


 弱気が口からぽろりとこぼれてく。


 前世の父さん母さんのために誓った言葉にもそうだし。

 私を助けたせいで命を失ったきゅきぃさんにもそう。

 病気で苦しくて仕方なかったはずなのに言葉を教えてくれて、そして死んでしまったるいゆさんにだって、そう。


 自分の力で報いたいのに、それが出来ないのがもどかしくて。だから、コトリさんやけむりさんが私をそこから遠ざけようとするのが嫌なんだ。

 なにも出来ない事って、ほんとはすごく苦しい。


 話してる内に気持ちが昂ぶって、鼻の奥がつんとしてきちゃった。


 泣いちゃいそう。

 でも、カレカの前で泣くなんて格好悪い。

 だから、涙がこぼれていかない様に目をぎゅっとつぶって、奥歯をぎゅっと噛み締める。


 目線を合わせたせいってのももちろん。目をぎゅっと閉じたからなのかもしれないけど。

 息遣いが肌でわかるくらい近くで、カレカがふと溜息をついた。


「ほんとにめんどくさいな、お前」


 カレカはなにかっていえばそんな風に言うんだ。

 四歳かそこらくらいの頃。一人で馬車に乗れなくて、でも、カレカの手を握るのが怖かった私に行ったのが初めてだったと思うけど。面倒くさいって、なにが面倒くさいんだろう?


「どうしてめんどくさいんですか?」

「百人長と婆に仲間外れにしないでって、はっきり言えばいいだろ」


 そういう事じゃないんだって、声に出して言いたいけど。なんだか言葉が出ない。

 私に色々なものを残してくれた人達に恥ずかしくない様に、皆と肩を並べて頑張りたいだけ。それだけなんだと思ってた。


「学校でもそんななんじゃないのか?」


 からかうみたいに笑って、カレカの気配が離れてく。

 目を開けたら見えた立ち上がったカレカの目線は、私よりずっと高くて、少しだけお日様と重なってまぶしい。


「仲間に入れてって、言えないだろ。お前」

「そんなことないです」


 言ってみたけど、自分でもよくわかんない。


 でも、クラスでもめてるのって、半分くらいはそういう話なのかもしれないって思う。

 帝都の子達が疎開してきた春とか、半年ぶりに学校に戻った時とか、自分から話しかけてたら。

 話しかけて、テアとの事とか話せてたら、あんな風に喧嘩をしなくてもよかったんじゃないかな。


 今更後悔しても遅いかもしれないけど、カレカの言うとおり、自分で話しかけてれば少し違ってたかもしれない。


 そんな事ぐるぐる考えて。ちょっと視線を上げてみたら、カレカは口元だけで少し笑ってた。

 そういう見透かしたみたいな表情は、大人みたいで嫌い。


「なんで笑ってるんですか?」

「笑ってねえよ」

「笑ってるじゃないですか!」


 目が合った瞬間は含むみたいな笑い方だったのに、すぐにやにやした感じの嫌な笑い方になる。


 おかしい事なんかなんにもないのに!

 いがいがした気持ちでカレカの方を見ると、「わりいわりい」って軽く言って、全然違う話を始める。


「炎侯って人、知ってるか?」

「名前だけは」


 どこかで聞いたかなっていうくらい。でも、どんな人なのかとかは全然知らない。


 そう言ったら、カレカは軽く説明してくれた。

 なんでも徒手空拳で戦車六輌を撃破した英雄なんだって。でも、その人と今話してる事、なんの関係があるのかな?


「軍学校にいた時、その人におれの書いた地図をほめられた」

「……自慢、ですか?」

「まぁ、な」


 なんなの?

 自分はきちんと役に立ってるっていう話?

 そういうの、いま一番聞きたくないのに。そんな気持ちが顔に出てたのかもしれない。

 カレカはぽんぽんって私の頭を軽く叩きながら、話を続ける。


「そんなすごい英雄がさ。地図があるから迷わず歩ける。

 輜重がいるから敵の居場所がわかる。

 補給があるから腹減ってぶっ倒れたりしない。

 後ろを守ってくれる兵隊がいるから正面の敵とぶつかれる。

 そういって、学生皆をほめてまわってた」

「そう、なんですか」

「一人で。しかも、素手で戦車を壊せるような人が、だぜ」


 頭の上に置かれた手は、今度はぐしぐしと撫でるみたいな動きに変わって。それに合わせて視界がぐらぐらゆらゆら揺れる。


「オーシニアの言葉を話せるようになったのはすげえ事だ。それは皆が認めてる。でも、一人で出来る事には限界があるってのはわかるだろ?」

「……はい」


 言葉を話せるから皆と肩を並べて頑張れるって思ったけど、それは違うんだ。

 色々な人がお互いに話せるようになって、友達になれた時、はじめて戦争が終わるきっかけになる。


 自分が特別でありたいっていう、変な願望が私の中にあったのかもしれない。

 カレカはそんな私の気持ち悪い願望を笑ってたんだ。


「ちびなんだから、難しい事考えてもしょうがねんだよ」

「ちびじゃないです!」


 ちょっぴりだけど、カレカとの身長差は少しずつ縮んできてる。


 ちびちびいうのはおかしいでしょ!


 きーってなったけど、そんな私のほっぺをカレカは優しく撫でてくれた。皮の手袋はごわごわで硬くて、ちょっぴり痛いんだけど。

 伝わってくる熱は気持ちのささくれたところに乳液みたいにしみてくる。


「調子出てきたな」

「知りません!」


 せっかくなにか見えかけた気がするのにカレカの軽口のおかげでぐちゃぐちゃになっちゃった。

 色々言いたくてカレカをぎっとにらんで見る。けど、ばちっと目が合うとなんだか気恥ずかしい。


 夜の湖みたいに黒い髪と濡れたみたいに光る黒い眼。肌は雪みたいに白くて、そのせいなのか切れ長の目はすごい存在感。

 少しごつごつしてきたかなって思う顎のラインも男の人って感じで、格好いいと思う。

 美人っていう意味ではテアの方が全然上だけどね。


 そんな顔を格好悪く歪めて、カレカは「ふぁ」って大欠伸。

 欠伸はうつるって話をどこかで聞いたけど、カレカのを見たら私もふあって欠伸が出ちゃった。


「すげえ顔!」


 うっさい!

 カレカだって大概な顔してあくびしてたからね!


 っていうか、そんなに笑うほど変だったかな……。だとしたら、ちょっとやだ。

 格好悪いもん。


「早く家帰って、少し休もうぜ」

「そうですね」


 くすりと笑いあって、どちらからともなく手をつなぐ。

 皮の手袋に包まれたままの手はなんだかあったかくて、私のほっぺもなんだか熱くなった。

 気づかれちゃうかなって思いながら、カレカの顔を見上げるといつもよりちょっとだけ赤くなってた。


 まぁ、気のせいかもだけどさ。




 扉を叩く音が聞こえて、それで目が覚めた。

 家に帰ってきたのは昼頃だったのに、部屋の中は真っ暗。ランプに火を入れるのも忘れたまま寝てたってわかるまで一瞬。

 リビングのソファで寝ちゃったんだっていう事だけはわかるんだけど、頭がぼんやりしててよくわかんない。


 ほっぺにごわごわした、ソファとは全然違う感触があって。それはちょっと痛いくらいなんだけど、ふわっとあったかくて。冬場のベッドみたいに離れられない感じ。

 でも、父さんか母さんだったらノックなんかしないで入ってくるはずだから、きっとお客さんだよね。


 えいやって無理やり身体を起こす。

 ……起こそうとした。

 だけど、背中になんか重い物がのってて思うように動けない。


 なんなの、これ?

 部屋の中が暗くてよくわかんないけど、ほっぺに当たるのと同じあったかさの背中に乗った重い物は、腰の辺りをぎゅっと抑え込んでた。


 眠いのはもう、少しずつ冷めてきてるんだけど。これ、動けないよ。


 どうしよう……って思ってる内に、扉を叩く音が大きくなる。


「んー。なんの音だ?」


 頭の上から声が降ってきた。少しがらがらしてるけどカレカの声。

 じゃあ、このごわごわって?


「ちび、重い」

「ぅえ!?」


 お家帰ってきて、二人でお茶を飲もうとしたのは覚えてる。

 キッチンでお湯を沸かして、カモミールのお茶を入れて、二人でソファに座って飲もうとしたんだ。


 でも、その後が全然思い出せない。

 カレカの膝にもたれかかって寝ちゃってたのかも。……お腹より下のとこに顔埋めるみたいに寝ちゃってたのは、カレカの寝相が悪いからなんだって事にしとく。

 眠くてまとまらなかった頭の中が、今度は恥ずかしさでぐちゃぐちゃにこねられて、どうしていいのかわかんなくなっちゃった。



 頭の中がぐるぐるなって、動けないでいる間も扉を叩く音はどんどん大きくなってく。

 最初はとんとんっていう感じだったのに、今はもうがんがんっていう感じ。

 こんな風に乱暴に扉を叩かれた事なんてないし、そもそもちゃんとノックしてくれる人の方が少ないんだもん。


 なにがなんだかわかんないよ!

 と、とにかく!


「カレカ、手を。手をどけてください!」

「あぁ、ごめん」


 どんどん強くなる扉を叩く音に背中を押されるみたいに、大慌てで起き上がる。

 明かりのないリビングは暗くて、がこんってテーブルにつまずいちゃった。


「ったあ」

「だいじょぶか?」


 膝の辺りがすっごく痛いけど、我慢!


 私のこと気にしてくれたカレカの方からも、がしゃんって音。

 きっと、カップが床に落ちたんだろうな。

 後で片付けないと……って、そんなの後だ!


「なんかこぼした!」

「後で片付けますから、カレカはランプに火を入れてください」


 そう言い置いて、カレカの返事を待たずに玄関に向かう。

 玄関までなんて十歩もない。

 なのに、そんなにいらいらしなくてもいいんじゃないかってくらい扉はがんがん叩かれて、ちょっと壊れそう。


「今開けますから!」


 そう一声かけて、扉を開ける。

 お月様のおかげで外の方がちょっと明るい。


 月明かりに照らされた扉の外には、しわしわのおばあちゃんがいた。絶対にここにいちゃいけないはずの人。

 少なくとも、隠れてこっそりしてなきゃいけないはずなのに、背はぴんと伸びてて、立ち姿は勇ましい。


 なんでそんな風に堂々としてんの!?

 意味わかんないから!


 寝て起きたばっかりだから、ついさっき別れた気がするけど。ほんとだったら収容所にいなくちゃいけないんじゃなかったっけ。


『随分待たせてくれたね、ちびちゃん』

『けむりさん!?なんでこんなとこに……』


 入っていいとかそんな返事も待たずに、青い着物をふわっとなびかせてけむりさんは家に入ってくる。

 隠れようとかそういう気持ちは全然感じられないし、だからってなにか気負ってる感じでもない。


『この辺りじゃ、もう眠る時間かい?』

『いえ、違いますけど……』


 さも当然みたいに世間話なんかしちゃってる。

 なんとなく返事しちゃった。


 って、見送っちゃだめじゃんか!


『けむりさん、どうして来たんですか!?』


 今日は収容所に泊まる予定だったはず。

 そこででゅえふくんやくぅりえさんと、どうやって帰るのか相談するってコトリさんと話したのに、どうして家に来るの?


 この人を家に上げちゃ駄目だ。

 なんとなくそんな気がする。


『帰って!帰ってください!』


 藍色の生地に大きな白い百合の花が刺繍された、華やかな服。きっと高い服だからしわになったりしたら怒られるかもだけど、その裾をぎゅっとつかむ。

 でも、ずるずるーって引きずられちゃう。



 どんな力なんだ、この婆!



 どうする事も出来ないまま、リビングまで引きずられた私。


『やっぱり夫婦だったんじゃないか』

『違います!』


 手探りでランプを探してようやく火をつけたカレカが、ぽかんとこっちを見てて。

 それを見たけむりさんは私を見ながらけたけた笑う。


 なんなの、ほんとに!




 カレカが内緒話するみたいな声で耳元に話しかけてくる。

 耳に息が当たって、腰の辺りがぞわってするけど我慢。そんなの気にするときでもないし。


「なんでこの婆さん、ここにいるんだ?」

「知りませんよ、そんなの」


 私だってこんなの全然聞いてない。


 ソファにどかっと座ったけむりさんは、おろおろしてる私達の方を見もしない。

 王様の代理っていうだけあって、なんか偉そうだよね。

 ……なんて思ってる場合!?


『んで、今日の晩御飯はなんだい?』

『出しませんよ!』

『せっかくお互いわかりあおうって話になってるんだ。晩餐ぐらいあってもいいだろう?』


 そう、なの?


 でも、そういうのって大人が主体でやるもんでしょ?

 どうしていいのかわからなくて、カレカの方をちらっと見る。

 カレカは私と目が合うとぷるぷるって首を横に振った。しゃべってる言葉がわからないから、カレカの方が困ってるのかもしれない。

 でも、他に頼れる人なんかいないんだから。しっかりして!


「なんていってんだ?」

「晩御飯はなにかって……」


 言われたとおりに話すと、カレカは眉間にしわを寄せた。


「意味が分からん」


 そうだよね!?




 二人で困り果ててたら、玄関から「ただいま」って声がした。

 父さんと母さんの二人分。



 カレカと私は大慌てで玄関に走った。十歩もない距離を、ものすごい全力で。

 そして


「「どうしたらいいですか!?」」


 完全にはもってたけど、そんなの全然かまう余裕なんかなくて。でも、事情が全然分からない父さんと母さんは


「「は?」」


 って変な声を漏らしただけ。


 そりゃそうだよね。

 だって、言葉が通じない外国の人。

 しかも、偉い人なんか、この中の誰も迎えた事ないんだから。



 晩御飯、なににしたらいいと思う?

今回は、主人公と大好きな人がふんわり話し合うエピソードをお届けしました。


おばあちゃんキャラが思うように書けなくて、なんだか四苦八苦してます。

もう二回くらいしたら帰って行く予定のキャラクターなんですけど、それまでは仲良くしないとですね。


もっとスムーズに展開していければいいのにって思うこの頃。



次回更新は2013/07/04(木)7時頃、おばあちゃんが町を見物しに行くエピソードを予定しています。

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